蛆と蠅
神とは何か。
そう問われた時、明確に答えることは難しい。
信仰宗教の対象か。超越的存在か。森羅万象の擬人化か。個々の価値規範に則った概念か。
答えは無数にある。基盤となる社会が異なれば、一方では異端の悪魔、一方では豊穣の使いと同一であっても定義すら異なる。実存の有無を含めて真偽不明で、逆に言えば、神とはその程度の存在であるのかもしれない。
だが、夜魔は違う。
彼等は明確に、明瞭に神を戴く。
夜魔にとって、神とは創造主。つまりは自身を産んだ真祖に他ならない。
絶対不可侵の存在。畏敬崇拝の象徴。正義と正道、迷える幼子らを栄光へと導きし先駆の旗手……。
だから、イルムーク王朝の開闢にあたり、フェルキアは御旗に自らをモチーフとして縫い込んだ。
蠅と蛆の化身。貪欲に神秘を食らい、無尽蔵に眷属を産み落とす。
プロパガンダに勤しむ聖錬教団が夜魔の正体と喧伝していたその醜き悪魔像は、実に正鵠を射ていた。だから、有難くそれを借り受けることにしたのだ。その蛆蠅の邪神に貴様らは食らい尽くされることになるだろう、とせせら笑って……。
皮肉な嘲弄は、しかし、実現しなかった。
欧州の蚕食は極東での敗北によって終焉を迎え、イルムークは歴史の闇へと埋没した。
蛆神は、羽化することなく踏み潰されて死に絶えたのだろうか。
いや、そうではない。四百年の屈辱を経て、イルムークは堂々と再興を果たす。
今宵、原始樹海に集いし夜魔たちは歓喜の咆哮を耳にする。
王城内に籠っていた者たちは作業の手を止め、慌てて爆音が鳴り響いた中央回廊の空洞帯へと急ぐ。
戸外で救助作業や復興作業に当たっていた者は、ただただ唖然と目を瞠る。
粉塵が垂れ込める王城の天蓋から、最初に姿を現したのは白くぶよぶよと膨れた蛆の巨大な腹部。尾角のようなものも見える。気門はないが、代わり付属肢が腹の下に限らずあちらこちらに生えている。肉襞艶めかしいそれら触手は重機仕様の触手型生命体よりも長く太い。明らかに特注品だ。
ずるりと腹部が夜気に露出すると、今度は煙の奥から女の背中が現れる。
夜魔特有の白磁の皮膚。上質の絹を彷彿とさせる金糸の髪からは、黄金流砂の鱗粉が止め処なく零れている。ある種の悪夢とでもいうかのように、巨大な美女の上半身は蛆の下半身と繋がっているが、仰け反り、豊満な胸を虚空に晒した美女は頽廃的な倒錯を愉しむように四本の腕で己を掻き抱く。
背中の両肩甲骨に瘤が浮き、そこを突き破って骨が天へと生え伸びる。そして、二本の骨突起に纏わりつくようにして触手型生命体が膜を張り、それは瞬く間に薄く透ける昆虫の前翅――蠅の翼を編み上げる。
《我が眷属よ、照覧せよ》
不特定多数への広域精神感応。
頭の中に突如響いた声に夜魔たちは驚愕するも、固唾を呑んで次なる言葉を待つ。
王城という蛹の殻から完全に脱皮した邪神は堂々と宣言する。
《我はフェルキア=レメグ=イェクティシゥス=ロンディヌス……。我は今、此の時をもって新生イルムークの建神となった。我が名を讃えよ。我が名を崇めよ。さすれば我の名のもとに、汝らを富み増やすことを約束しよう》
大歓声が谺した。
(…………)
神体との同化によって跳躍的に拡大した感覚野。
そこから伝わって来る同胞たちの喝采に、フェルキア王は静かな満足を覚える。
勿論、此処が到着点ではないことは理解している。過去の清算――極東魔術師への雪辱を考えれば、ようやく始まりの門を潜っただけだ。まだ何も成していないし、取り戻してもいない。
(真に試されるのはこれから……。極東の地に広大な領土を築き、種を繁栄へと導く……。宿願、宿命を果たさなければ……)
そのために、まず――
「ふーん、それが神体かぁ。なんか、怪獣映画のライバルとして出てきそうだけど、絶妙に気色悪くて子供ウケは悪そーかな。ソフビ人形だと絶対分解されちゃうねー。でも、フィギュア化したら一定の層は買ってくれるかな? あー、逆に海外人気の方が高いかも。あっちってモンスター娘推しなところあるし。でも性別転換はどうかなー。属性盛り過ぎかなー。うーん。でも、ボク的にはすっごい良いと思うんだよねー。倒し甲斐ありそうで」
いつの間にか王城屋上に出現し、こちらを見遣りながら腕を組んでふむふむと独り頷いている少女。
藤色の虹彩に怯懦の翳りは欠片もなく、風に流れる黒髪を優雅に遊ばせ微笑んでいる。
《気に入ってくれたようでなによりだ。建造指揮を執った技術総監も、さぞかし喜ぶことだろう》
戦闘兵器である神体には不要とのことで、身体には言語発声できるほどの精巧な声帯は搭載していない。その代わり、搭乗者は神体によって増幅された精神感応で外部と自在に交流できるし、感応対象を絞ることで相手が何を考えているのか、何をしようとしているのかといった行動予測域を深めることもできる。
ただ、素直な感想がそのまま精神波に乗って伝わってしまうとは思わなかった。神体との意識同調が高水準下にあるためだろうが、迂闊だった。
「ボクに褒められてもラピラピは喜ばないと思うけど……。いや、うん。だからこそだね。今度会ったら、めっちゃ褒めてあげようっと。えへへ。すっごい嫌がるだろうなー。ますます嫌われちゃうなー」
その割には嬉しそうな不嶽鍊に、フェルキア王は閉口する。
配下――いや、同胞への侮辱もさることながら、自分と対峙して生きて帰れると思っていることが度し難い。
それでも、支払うべき賠償は払っておく。
《……この神体は、夜魔の肉体を基礎としている。超回復に加え、領域内の霊脈より自在に魔力を汲み上げることも可能だ。持久戦では勝ち目が無いだろう。よくよく考えて戦うことだ》
不嶽が可愛らしく小首を傾げる。
「あのさー、フェルフェル、万有不暦の権能もそうだけど、なんでそんなに親切に色々教えてくれるのー? ボクたち、これから決闘するんだよね? 手の内明かしちゃたら損じゃない?」
《……傾いた天秤を公平に戻すためだ。我ら夜魔の矜持の問題。受け取って貰おう》
軍団長ジゼル。
フェルキアに正しく仕えた忠臣を偲んでの言葉に、不嶽は八咫烏の炎を纏うことで応じる。
「ラピラピと違ってフェルフェルは律儀だねー。ボク自身はズルいとか卑怯とか全然思っていなかったんだけど、そうすることで君が気持ち良くボクを殺せるようになるなら、それでいいよ。やっぱりさー、政治的配慮とか勢力均衡とか利害関係とか、そんなつまらないことそっちのけで気兼ねなく一生懸命殺し合えるのが最高だもんねー」
ふわりと宙に浮いた八咫烏が告げる。
「こうやってまじまじ比べてみると、ボクなんて本当に掌サイズだね。霊獣としても最大規模かな。耐久力もありそうだけど、本当にちゃんと対策しているのかなー? すぐに参りましたーとか言わないでよね」
《それはこちらの台詞だ》
邪神が掲げる四本腕。総数二十の指爪が鋭利な鋼刃へと代わり、腹部で蠢く無数の白鯨紐が口腔を不気味に窄めながら鎌首を擡げる。
不嶽は赤燐に透ける口元でにやりと笑い、かかってこいと挑発的に手で招く。
(夜魔の王として、極東魔術師に二度負けることはあってはならない……。二度とは……!)
《いくぞ……‼》




