招待Ⅰ
「こちらになります。どうぞ、中に入ってお待ちください」
軍服を着込んでいるが、侍従、あるいは非戦闘員として創造された眷属なのだろう。戦場に立つには不向きな若い女夜魔の案内に従い、妙蓮巴は大広間へと繋がる門扉を潜る。
「はあ……」
溜息が零れたのは、ゴシック建築の粋を凝らした聖堂に感銘を打たれたからでも、壁際からじろりと注がれる夜魔騎士たちからの敵視にげんなりしたからでもない。
心労。精神的摩耗。色々言い方はあるだろうが、要するにだ。急展開する状況に、身体がついていけてない。
元来、頑健な性質ではない。幼少期は風邪でよく寝込んだりもした。
妙蓮家に入ってからは否応なく鍛えられたが、術式図の移植で脳の霊絡系が一変したとしても根本までは変えられない。
(魔力も使い切って、身体もボロボロ。だけど不嶽は交渉に乗ってくれたし、断片破壊も承諾……。赫船も死んだようだし、あとは巻き添え食わないよう遠くから見ているだけ。そう思っていたのに……)
まさかのフェルキア王からの招待である。
『我が王は貴方たちを不嶽様の家臣――付き添い人としてお認めになられました。つきましては、先程の不幸な事故に関しまして、関係各位を集めての釈明接見が開かれますので、貴方たちも参席するようにとのこと……。聞こえていますか? 王は貴方たちを客人として招待されたのです。貴方たちが我らを害さぬ限り、こちらも貴方たちに危害を加えぬことを約束します。ですから、聞こえていましたらどうか姿を現されるように……‼』
不嶽が夜魔の本拠点らしき構造体へと招かれてから、約二時間後。
樹海には、イルムークの国旗を高々と掲げた身なりの良い騎士たちが、刑部と妙蓮の名前を叫びながら、四方八方を闊歩する光景があった。
(一時休戦の申し出。しかも、城に招待。まあ、決闘の最中に暗躍されても困るし、監視下に置いておきたいというのが本音でしょうけど……)
理屈はわかる。
しかし、だからと言って、のこのこと名乗り出る必要性はまったくない。
決闘で不嶽が勝つとも限らないのだ。万全を期すなら、姿を隠し続けているのが最良。
だというのに、あの男は……。
「はあ……」
(確かに、不嶽に全部丸投げするわけにはいかない。それに、敵の懐に侵入できれば断片捜索がはかどるし、王そのものを討つことだって……。でも、それは夜魔も見越している。だから、当然、こうなるわよね……)
妙蓮は自分の腕――両手首に嵌められている金属の輪を見遣る。
(魔術封じ……。まあ、封じられたところで使えないから意味ないけど、これ見よがしに付けられるとねぇ……)
本当に罪人になったみたいで、妙蓮は眦をしょぼんとさせる。
実際、夜魔にとってみれば森を侵略し、同胞を数多屠った咎人であることは間違いないのだ。これでも厚遇と思った方が良いだろう。服も貸してくれたし。
(でも、この状況は……。ああ、胃がキリキリする……。わかっているわよ。こうなったら、もうどうしようもない。信じてついていくしかないってのはわかっている。だけどね――)
妙蓮は、もう一つ溜息を吐きそうになる。
「これ、美味いな。貴腐ワインっていうやつ? はー、フランス産。高そうだな。いつもはビールか辛口の焼酎しか飲まないんだが、たまにはこういう甘い口当たりもいいもんだな。そっちの赤は?」
大広間の中央、男給仕役の夜魔が向ける白眼視もそっちのけで、頼りにすべき男はワインの試飲に励んでいた。
「何やっているのよ、あんたは。敵地のど真ん中で」
呆れて近づく妙蓮に、刑部宵親は無邪気に笑う。
「いやー、ちょっと喉が渇いたんで、駄目元というか冗談で頼んでみたら、こうなった。ははは、至れり尽くせりだな。風呂にも入れてくれたし」
機嫌良さそうに銀の盆に空のグラスを返す刑部。その両手には、妙蓮同様、魔術封じの腕輪が嵌められている。
「一応、王様の前に出るわけだからね。最低限の身嗜みは整えさせたいんでしょう……って、あんた、服そのままじゃない。シャツもヨレヨレで……、あっ、無精髭もそのまま。折角なんだから剃れば良かったのに」
「まあまあ、俺なんか磨いたところで高が知れている。それより、見違えたぜ、巴ちゃん。似合っている」
言われて、妙蓮は自分の姿を振り返る。
穴だらけで解れ塗れだった袴装束から、背中が大きく開いたベルベッドのイブニングドレスへ。髪は梳かれ、後頭部で品良く編み束ねられている。
ちなみに、セットアップしてくれたのは夜魔の侍従で、妙蓮自身はマネキンのごとく突っ立っていただけだ。装飾品も誂えられたものを義務的に身に着けているだけ。疲労と緊張から、姿見で出来栄えを鑑賞する気にさえならなかった。
なので、褒められても別にどうということもない。
「そう? はいはい、ありがと」
あっさりと受け流す。
少年のような屈託のない微笑が、少し困ったように曲線を描いたが、気にしない。
今更、気を遣い合う関係でもないし、それどころでもないはずだ。
だが――
「……ちょっと、何よ?」
「こんな機会、二度とないかもしれない。一曲どうです、お嬢さん?」
腕を掴まれ、男の胸に引き寄せられる。
シトラスの香水の匂い。すかさず腰に回る腕。ドレスの長い裾を踏まないように慌てて足を動かすが、それが刑部の身体運びによって自然にステップへと変わってしまう。
(……ふーん、随分とやり手じゃない。だいぶ遊んでいたみたいね)
妙蓮は溜息を吐く。なんだかすっかり脱力してしまった。
「踊るには伴奏がないわよ」
「鼻歌で勘弁」
耳元でゆったりとしたメロディが流れ始める。
「……なんでtop of the worldなの?」
「なんとなくかな」
「歌詞の意味、知ってる?」
「どうかな。なんだったら、教えてくれ」
「あんたねぇ……」
即興の舞踏はいつまでも続くようだ。
刑部が吐息に乗せて囁く。
「大丈夫だ、巴ちゃん。騙し討ちするような気配はない。やる気なら、もう仕掛けている。そうだろ?」
「油断させてから背中を一突きってこともあるわ。特に、あんたは一筋縄じゃいかないから」
「魔術を封じられて、ほとんど降伏しているようなもんだけど?」
「はい、それ嘘。あんたの霊殻なら、これくらいの拘束具なんでもないでしょ。そもそもの許容量が桁違いなんだから……」
「霊子波で霊絡神経を乱すタイプで良かったよ。これで、いざとなれば自由に動ける」
「……フェルキアは、約束を護ると思う?」
「……鍊との決闘を本気でするつもりなら、護るだろう。夜魔としての面子がある。俺達どうこうじゃない。常闇の貴族としての名誉と矜持の問題だ」
「じゃあ、赫船を使っての闇討ちは? あれもフェルキアの策略の一つでしょ?」
「夜魔の使者は、あれを不幸な事故と言っていた。王の意思ではなかったと言外に弁明していたな」
「失敗したから、本意じゃなかったと偽ろうとしているだけかも……」
「……鍊の話だと、王は決闘に臨もうとしていた。正々堂々とな。そして、あいつはこうも言っていた。夜魔の中に、手段を選ばずに鍊を殺しにかかる奴がいると」
「技術総監……。じゃあ、闇討ちは技術総監が勝手にやったってこと?」
「そのあたりを説明するために、俺達を招いたんだろうな。誤解されたままでは夜魔の、特に王の沽券に関わる」
「馬鹿丁寧というか、完全主義というか」
「これ以上、魔術師に侮られたくないんだろう。夜魔らしく華麗に雪辱を果たしたいのさ」
と、そこで刑部は妙蓮を抱えていた手を離す。
「どうだい、巴ちゃん。少しはリラックスできた?」
「まあ、そうね。おかげさまで……」
肩に感じる熱の残滓と、すっかり大人になった幼馴染。
妙蓮はもう一言添えようとして――
「ふぎゃっ⁉」




