溶熱海Ⅴ
赫船慈榮は瞑目する。
在りし日の記憶、忌むべき過去。
まざまざと脳裏に描き、述懐する。
十二年前。
赫船慈榮の名は、畏怖と畏敬の念を持って、極東世界に轟いていた。
溶熱海。赫船家相伝の魔術を極めたという自負があった。歴代当主を見ても自分以上にこの魔術を駆使できた者はいなかった。
最高の炎術師。そう呼ぶ声は盛んにあった。事実、主家であった三条橋家はそう褒めそやし、慈榮の怒りを買わぬように媚び諂った。
最高の素体として生まれ、最適な素養をもって魔術を継承し、努力と才幹によって血族史上最大の地位と名誉を得た。
だが、瑕疵がなかったわけではない。
(愚鈍にして無能な息子どもめ。偉大なる儂の血を継ぎながら、満足に魔術を発現できぬ馬鹿者どもめ……)
こんな脆弱な輩に、跡を任せるわけにはいかない。
精魂込めて磨き上げた赫船家の威光を途絶えさせるわけにはいかない。
だから、慈榮はあらゆる手段を用いて延命を繰り返し、寿命を継いだ。
(当然であろう。貴様らが不甲斐ないのが悪い。貴様らの子にしてもそうだ。素養低く、ほとんど市井民と変わらぬ霊力……。儂の血統を継ぎながらだ。有り得ん! いずれも不要、不要、不要……。だから、せめて有益にと使ったのだ。それの何処が悪いのだ! 真に生かすべきは血族の頂に立つ儂であろうに‼)
恨むべきは、圧倒的素質を持つ稚児を造れなかった自らの血の弱さ。
なのに、息子達の恨みは慈榮へと注がれた。
(もうやめてくれ、とはなんだ。男児に限って手をつけぬ儂の温情がわからぬとは……‼ 接ぎ木の呪法とて有限。いつかは儂も終わってしまう……‼ ええい、高額な施術報酬や口封じの代金に頭を抱えるよりも、さっさと次を孕ませろ! どうして役立たずを生かしているのかわからんのか……‼)
優れた次代を遺せないという嘆きがあった。
だからこそ、自分は最高のまま輝き続けたいと強く渇望した。
誰よりも強く光を放ちたい。
常に高みに座し、その強さを知らしめたい。
その点において、極東総宴は恰好の舞台だった。
極東総宴。
それは、年に一度、連合総会の開幕日でもある立春に、四饗公家、六紡閣、幣浄院の三派閥の長に加え、連合諮問機関である家督院の老主が一同に集まり、開催する御前試合。
試合形式は、総勢十六名のトーナメントによる勝ち上がり。各派閥の代表魔術師が一対一で対戦し、魔術による模擬戦で勝敗を決める。
優勝者は表彰の場で各派閥長に嘆願を奏上することができ、それを特赦として全会一致で認めるのが通例だ。
この特赦を巡って、各派閥は代表選出に余念がない。それはそうだ。長年の課題や積年の恨みが、奏上のたった一言で公的に解決できる。
代表者には派閥の公認が不可欠なので、実質、この御前試合は派閥対立の解消のためだけにあると言って良い。いわば、代理闘争のようなものだ。
どの派閥がどれだけの戦力を有しているのかを探る希少な機会でもあるし、敗北すれば派閥に泥を塗る。なので、どの派閥の代表魔術師も全力を尽くす。模擬戦とはいえ優勝者以外がほぼ絶命するのはそういうわけだ。
慈榮は、総宴に選出されれば必ず優勝した。
衆目に自身の魔術を晒すというデメリットを抱えて尚、慈榮は果敢にして精強だった。
自身の膨大な魔力。そして溶熱海の戦術的万能性。
無論、対策はされたが、六紡閣は慈榮への援護を惜しまず、希少な神威倶や対戦相手の情報を提供しては手助けをしてくれた。
三条橋家だけではなく、六紡閣が慈榮のために尽くしてくれる。またしても優勝をかっさられたと四饗公家の総代が悪態を吐き、幣浄院の刀自が諦め半分で目を伏せる。
それが、なんとも言えず心地良い。
儂が全ての上に君臨しているかのようで、儂のために世界が回っているようで、至福に絶えない。
(そう。独壇場だったのだ。どいつもこいつも儂に慄き、儂にひれ伏すためだけにあった舞台だったのだ!)
あの日も、慈榮は堂々と優勝を飾った。
形ばかりのお題目を述べ、慈榮の健闘を称える列席者たち。
慈榮の嘆願を、彼らは機械的に受諾する。
何を奏上したのかは、忘れてしまった。どうでもいいことだ。自らの強さを喧伝すること以外に、慈榮に興味はなかった。
そして、いつものようにつつがなく表彰が終わろうとしたところで、不意に幣浄院の刀自が口を開いた。
うちにも若い炎術師がいるのだが、とてつもなく才能がある。天才と呼ばれるそれで、測る物差しすらない。そこで不躾な話なのだが、是非とも歴戦の勇たる赫船慈榮の胸を借りて、その子がどれくらいのものか測りたい。どうか一試合組んでもらえないだろうか――と。
渋る六紡閣総統を後目に、赫船慈榮は即座に快諾した。
稀醒の狙いは読めていた。あまりに慈榮が勝ちすぎるので茶々を入れたくなったのだろう。新人炎術師と称して、慈榮用にチューンされた刺客がやって来るに違いない。
望むところだった。華麗に打ちのめして鼻を明かしてやろうではないか。
慈榮は闘技場の白洲に降りると、悠然と親善試合の相手を待った。
対峙するゲートの奥から現れたのは、赤い袴と市松人形のような黒髪をした少女。年齢は五、六くらいだろうか。
幼児の登場に、慈榮は気勢を削がれた。
まさか本当に腕試しのためだけに寄越すとは。これでは真面目にやるのも馬鹿らしい。
しゃらくさいと思う一方で、どこか鷹揚な気持ちになり、少女の素養を試してやろうという気になった。
ほれ、遠慮せんと打ってこい。
慈榮がそう告げると、少女は伏せていた顔を上げて、初めてこちらを見た。
その顔は笑っていた。口を半月のように機械的に開いて、声も出さずに笑っていた。
そして紅蓮の炎が幾重にも吹き上がり、目の前に……。
「……………」
慈榮は刮目する。座禅を組んでいた足を解き、溶岩の高見から眼下の樹海を睥睨する。
「ふん、ようやくか」
地に落ちた八咫烏が再び空へと駆け昇る。
戦闘機による激突などなかったかのような軽やかさ。纏う炎の鎧に翳りは少しも見られない。
あの時に比べて、術の練度は格段に増している。忌々しい。
遊弋する八咫烏がこちらへと向かって来る。
相対距離二十メートルほどで停止。そして、あろうことか声を掛けて来た。
「あれー? もしかして待っていてくれたのー? 思ったよりも優しいじゃん」
気の抜けた甲高い少女の声に、慈榮は苛立ちながらも答える。
「ぬかせ。それで、助力を請う算段はついたのか? 儂を殺すことで結託したのだろう? だが、遅い。すべてが遅いぞ! 調子に乗ったな、大馬鹿者め!」
きょとんとする八咫烏。
にいっと歯をむき出しにして、慈榮は仕掛けを起動する。
地中から一斉に噴き出す炎の柱。それは不嶽を円状に囲むようにして虚空へと噴き上がる。まさに烏を捕らえる溶岩の檻だ。
「うへえ、折角気儘に遊べるようになったのに、また鳥籠―? 嫌だなー」
不嶽が抜け出そうと檻の一本に手を伸ばすが、ばちんと弾き返される。
「おっ、固い。頑丈だね」
「それはそうだ。檻の一本一本に溶熱海をどれほどの高密度で滞留させていると思っている? あの竜巻の比ではないぞ。しかし、真骨頂はここからよ。足元を見ろ!」
慈榮は渾身の魔力を溶熱海に籠める。
延々と裾野を広げ燃え盛っていた溶岩が、ぴたりと樹海への侵食を止める。
同時に、八方位に等間隔で配置した八本の狂える溶岩竜巻が溶熱海に吸い込まれていくように消えていき、中央――つまりは鳥籠の真下に、巨大な渦穴が顕現する。
「これぞ奥義《噴海大渦》! この渦が溶熱海の全てを吸い尽くした時こそ、貴様の最期よ! 一点特化した溶岩噴熱は、太陽宮の装甲も紙のように貫くぞ! くくく、愚か、愚かだ。なぜ儂が貴様を捕らえようとしていたのかわからぬとは……‼ くははっ、逃げられまい、もう逃げられまい! くくく、くはははははは!」
哄笑は、次第に熱を帯びて歯止めを無くす。
「終わりだ……‼ 貴様はこれで終わり……‼ ぎゃひひひひ、ようやく……ようやく、儂が返り咲ける……! 刑部の小倅はどうした⁉ 偉そうに吠えおって! 何をしている、何もできないではないか⁉ 逃げ惑うのに精いっぱいか⁉ 分相応だな! 鶴来? どうした、今更首を垂れて……そうかそうか、過ちを認めてもう一度縋る気になったか……‼ ん、貴様は三条橋家の……息子どもも揃い踏みか。よかろう、よかろう……卑しい狗どもめ。儂が連合首座に就いた暁には、その醜い顔を引き剥がして呪法の材料にしてやる……‼ ん? 心臓がないぞ。儂の補助心臓が、どこにも……。あ、うぇ……まあ、よい! ひひひ、これで貴様は死ぬ、死ぬ、勝った、勝った、ひひひひひ……‼」
狂った音色に合わせて、ぐらぐらと溶岩が蠢く。
満潮から干潮へ。溶熱海は大渦へと呑み込まれて消えていく。渦の中心で眼も眩むばかりに赤熱する炉心目掛けて、凝縮と圧縮を繰り返しながら。
その様子をまじまじと見つめながらも、檻の中の不嶽は平静だった。
溶岩の波濤の上で狂った快哉をあげる慈榮に、のほほんとした口調で問いかける。
「ヨイチから聞いたんだけどさー、君、夜魔に寝返ったんだって?」
「うひひ、そうだ。何を聞きたい? 冥途の土産だ。この際、答えてやろうぞ」
「じゃあ、質問ー。何のために若返ったのー?」
「何のため、だと……‼」
慈榮は形容しがたい怒りに襲われた。
「儂が……、儂が貴様に敗北したのはなぜだ⁉ なぜだと思う⁉ 血族を貪ってまで寿命を継いでいたのはなぜだと思う⁉ 騏堂が儂に断片の確保を望んだのは若さのため! 若さだ。屈強で精悍で、何もかもが可能性と希望に輝いていた過去の儂だ。それさえあれば、やり直せる。やり直せるのだ! こんな風に貴様を殺せるのだぁァァ‼」
不嶽が小首を捻る。
「つまりは、若くなって体力とか魔力とかが全盛期並みに備わっていれば、ボクにも勝てるってことなのかな?」
「そうだ。貴様の首を手土産に、儂は再び栄光を取り戻す。連合首座に昇りつめ、全極東魔術師の頂点に君臨するのだ。永劫の若さで何もかも支配してやる」
不嶽は笑った。
「いいね。じゃあ、ここでもう一度、ボクに負けるわけにはいかないね?」
「そうだ。その通りだ。儂は勝つ。勝って証明してみせる。最強の炎術師は、最強の魔術師は儂なのだと‼」
慈榮は必殺の魔術を起動する。
「噴海よ、燃え上れ‼ 骨すら残さず焼き砕け‼」
大渦が溶熱海を全て呑み込むと同時、巨大な赤熱の柱が空へと噴き上がる。
八咫烏は平然とそれを見下ろし、成す術もなく膨大な溶岩の奔流へと呑み込まれた。
「ぎゃはははははは‼」
心地良く、軽やかに、慈榮は哄笑を上げる。
この奥義は溶熱海の圧力を地殻下状態にまで高めている。
まさに地球そのものの熱攻撃。摂氏五千度超。橄欖岩、珪素、鉄といった上部マントルを真面に浴びて、無事な魔術師など存在しない。いかに天才とて、一個の人間が星に敵うはずもないのだ。
勝った。間違いなく、勝った。
「素晴らしい! 素晴らしいぞ! 儂の力は星に匹敵する! これさえあれば、この力さえあれば―――」
「あれば――どうなのかな?」
突如、赤熱の柱から迸った虹の煌めきに、慈榮は硬直する。
虹……極光。中枢神経が、海馬が、大脳新皮質が、いや、魂そのものが眼を瞠る。
あれは、あの時と同じ。襲い掛かる紅蓮の向こうに見た光景……。
「なんだ……それは……?」
止め処なく溢れ輝く極光は、溶熱噴射を歪めていた。
奔流を細分化し、ベクトルを変化させ、空中で佇む八咫烏には決して当たらぬように、溶熱海を操っていた。
親鳥が雛を護るように。あるいは、神の後光が悪しき闇を祓うように。
「なんだ、それは⁉」
叫ぶ慈榮に、不嶽は八咫烏の鎧を解く。
極光に包まれ、陶然と瞳を蕩かせる女子高校生が、そこにはいた。
「君の殺意、堪能させてもらったよ。うん……、良かったぁ。一途で、ひたむきで……にひひ、しかもちょっとカッコいいし。だけどねぇ……」
情欲に耽っていた藤色の虹彩が、すっと細められる。
「ボク、粘着質なのは好みじゃないんだ。しかも、君が好きなのは結局君自身だよね? 君が最大級に快感を得たいがための気持ちの押し売り。他には目もくれていない。それじゃあ、ボクが愉しくないよ。だから、ごめんね?」
宙を漂い、ゆっくりと不嶽がやって来る。こちらに向かって真っ直ぐに。
「………‼」
本能が訴える。身を護れと。
慈榮は足場としてわずかに残していた溶熱海を引き千切り、眼前に展開する。
溶岩の防壁。あの御前試合の時よりも幾重に分厚い。
だけど、ああ、なぜだ……。
あの時のように、赤熱する溶岩の壁が割れていく。
極光に押し分けられるように、裂けていく。
「来るな……。来るな……‼」
極光が頬を撫でる。
互いの息がわかるほどの至近距離で、少女が美しく微笑んだ。
「でも、君はボクと遊んでくれたから、せめてものお礼。ヨイチには内緒だよ?」
よせ。やめろ。よせ……。
儂に突き付けるな。すべてが無駄だった、無意味だったと突き付けるな。
「ちゅっ」
肉の強張り。戦慄く皮膚。
鋭敏な知覚野が、柔らかな唇が頬に触れたと告げた瞬間、慈榮の全身は極光に呑み込まれた。
「あ、ああ、ああああああああああぁぁぁアアァァァァァァ‼」
火が灯る。
紅蓮でも、蒼炎でもあり、黄燐でも橙灯でも緑碧でも深藍でも紫丹でもあり、しかし、決して一色ではない光に晒されて、ぼごぼごと血液が沸騰し、粘膜が焼き爛れ、体組織が弾け飛ぶ。
霊絡神経が焼けていく。脳が燃える。魔術の組成が解けていく……。
黒く炭化する慈榮は、波濤という足場を失い、真っ逆さまに堕ちていく。
ケラケラと無様を嘲う声が聞こえた。
あの日を再現するように、もう一度……。




