技術総監執務室Ⅲ
柊は、ようやく合点する。決闘というのは、このことか。
「夜魔を愚弄した魔術師の提案など、本来ならば受け入れるべきではないだろうが……」
「王は応じたわ。まあ、そうよね。静蘭に、うちの代表は不嶽ですけど、嫌なら変えてあげても良いですよー、的なことを言われたらねぇ。炎術師に敗れた過去の屈辱も相俟って、ぎったぎたのボロボロにしてやらなきゃ気が済まなくなっちゃうわよねー」
少し小馬鹿にしたように肩を竦めるラピアスを、ハウザーが不快感も露わに睨み付ける。
「王の独断で決まったわけではない、とも聞いている。そして、王が決闘の是非について軍団長らに問うた時、勝算ありと具申したのが貴様だということもな」
「そうだっけ? ごめん、うそうそ。ちゃんと覚えているって。私はね、この決闘裁判に一騎討ち以外のルールらしいルールがないことを最大限に利用するべきだと提言したの。夜魔側の決闘代表者はフェルキア王以外あり得ない。なら、その王を可能な限り強化しましょう。不嶽鍊を凌ぐ程に、ってね」
「それが断片、神体、そして盾だな」
ハウザーの言葉に、ラピアスが頷く。
「ええ、それらを吟味し、王は決闘誓約書にサインしたわ。素材不足から盾が揃わないリスクは勿論承知の上でね。誓約の立会人は、偶然そこにいたルーデンドルフ。彼は七凶聖の仕事も請け負っていたからね。双方の事情を知る人物としては最適だった」
「その流れで、まさか決闘見届け人にも指名されるとは思いませんでしたが。おかげで客分待遇ですが王城に足止めですし、夜魔の皆さまは私を七凶聖のスパイだと白眼視。身の安全を図るためにも、ジゼル様やラピアスさんの頼みは断れず……。ああ、なんと憐れな身の上でしょうか」
「実際、怪しい動きはしてるじゃない。頻繁に外部の人間を呼んで逢っているでしょ。バレているんだからね。まあ、技術部が注文した物資の手配のためだろうし、そういうことにしておいた方が何かと都合が良いんでしょう?」
ルーデンドルフは苦笑したようだ。
「ラピアスさんには、すっかり弱みを握られてしまいましたねぇ。しかし、ミス静蘭はいいのでしょうか? 公平公正な審査をするはずの決闘見届け人が、実質、買収済みとなっているのですが」
「あっちは出来レースくらいに思っているんでしょ。多少の判定誤差なんて贔屓にもならないと自信満々よ。実際、それだけの力が不嶽にはある……。ルーデンドルフ、十一番の映像をスクリーンにしてくれる?」
黒靄が蠢き、テラスに巨大なパノラマを作り出す。
「王もジゼルも私も、甘く見ていたわ。鳳邸での活躍を伺う限り、あいつの力は紫藤褌耶と不知火呪洛、かつての仇敵と同等か、少し上くらいに思っていた。だけど、違ったわ。決定的に別物だった」
そこに映し出されるのは、満点の星空の下に眠る濃緑の稜線。
デボン紀、白亜紀の大樹が乱立する様から、原始樹海であることはすぐにわかった。
地平の彼方に見えるのは、倒壊したビル群が並ぶ切り立った断崖絶壁。
どうやら樹海の上空からその裾野を捉えた望遠映像であるらしい。
(何でこんなものを……?)
不思議に思いながら眺めて、柊は思い出す。
此処へ到着してすぐのこと。鋸歯の情報屋に抱き着かれたことが、なんだか遥か昔のようだ。
『どうしても駄目だと思ったら、何もかも放り出して逃げてくださいね。私が絶対に助けてあげますから』
あれは、どんな意味だったのだろう?
冗談ではなかった、と思う。
でも、どうして……?
(騏堂成叡に取入ったのは、単純に士官先として? 騏堂から私の生殺与奪を欲しがったのも、本当に一目惚れが理由? 尋問で庇ってくれたのも、そうなの?)
違うような気がする。
兎塚禁李の発言行動は、全てがどこか嘘臭い。
海千山千の外法師などそんなものかもしれないが、それを差し引いたとしても、あの囁きには胸に響く何かがあった。それが何かは、まるで見当がつかないのだけれど……。
感慨に耽るのもそこまでだった。
「……⁉」
途端、眩しい光に、思わず柊は目を伏せる。
夜明けだ。丸みを帯びた暁が、地平を真っ赤に染めながらせり上がろうとしている。
(夜明け……?)
すぐにおかしいと気付いた。
常在暗夜の霧郡では決して昇るはずの太陽。
それが、なぜ姿を現す?
「あれは……」
隕石……、いや、火球だ。
形状は完全な球体で、遠近感が掴み難いが全長は一キロほど。
思いのほか小さい。その事実に驚いたのは、、放つ輝きが本物のそれに匹敵するから。
現に、樹海に揺蕩う夜の帳は、見るも無残に引き剥がされつつある。
「これ見よがしの示威行動……。あー、もう、ほんっとに嫌な奴! はいはい、鳳の魔術師を鏖にして、護衛の魔術師やら外法師やらをさんざん嬲っておいて、それでも全然本気じゃなかったわけね! わかってる! 当然よね! 極東魔術師は秘匿主義だもん! だから脅威評価もどうしても曖昧にならざるを得なかったんだけど、数日前にルーデンドルフがようやく資料を見つけてきてくれて……。そしたらもう、笑っちゃうしかなかったわよ、マジで‼」
巨大な炎の塊は、稜線を焦がしながら崖を超え、こちらに向かいゆっくりと進んでいる。
眩い陽射しによって、無理矢理に叩き起こされた樹海に変化が生じた。
閃光噴煙と共に、樹々の裂け目からいくつもの飛翔体が打ち上がる。
「短距離防空ミサイルの一斉発射が開始……。パーンツィリとツングースカに、そうそう、ローランドも配備しましたっけ」
「寄せ集め感満載だけど、仕方ないわね。本当なら米軍のTHAADくらいは欲しかったんだけど」
「無茶言いますねぇ。国家レベルの防衛予算でも歯が立ちませんよ」
高性能爆薬弾頭を搭載したミサイルは、地上発射器車輛部隊が指揮するレーダー追跡・誘導システムによって、一直線に小太陽目掛けて疾駆する。
が、小太陽の表面が揺らめいたかと思うと、何条もの高出力熱線が射出。悉く迎撃されて爆発する。
「自律防衛機構を搭載ですか。なんともまあ。呆れるほどに高性能ですねぇ」
「いいの! これくらいでどうにかなるなんて端から思っていないから!」
夜魔にとって、太陽は種族的脆弱性そのもの。それを模したあれは、まさに不吉の権化なのだろう。
爪を噛みながら画面を睨むラピアスの額には、うっすらと汗が浮いている。
「……嫌な予感がしたのよ。神威倶化に成功したことで使用に目途がたったオリジナル断片と、それを自在に操れるだけの専用生体ユニットである神体の建造。そして原始樹海にのこのこやって来た炎術師たちによって日の目を見ることになった盾……。そこに領域の膨大な魔力供給が加わったとしても、王はあの魔術師を落とせない……。そんな予感がビンビンとね。何を今更と思うでしょう? だから、私は私なりに王の勝率を高める努力をするしかなかった。ハウラー君たちが言うところの卑怯卑劣な手管を使ってもね」
噴煙を悠然と掻き分け、樹海の上空へと滑るように浮遊する小太陽。
その直下で、梢が激しく揺れ、地面が窪む。
割れる森から出現したのは、多連装ロケット砲に対空高射砲が敷き詰められた射撃陣地。陽光に備えて全身防護服を着こんだ夜魔の戦闘員が、忙しなく走りながら叫んでいる姿も見える。
「東欧のブラックマーケットに出品されていたものを買い漁ってきたのですが、旧世代の老朽品でどこまでやれるか……」
凄絶な射撃が即座に開始される。
見上げればすぐにそこにある距離。そして、砲撃発射数の多さもあって、何発かは自動迎撃を掻い潜り、小太陽への着弾に成功する。
が、
「小揺るぎもしませんねぇ」
僅かな漣を起こすだけで、球体に変化は見られない。
いや、瞬間、小太陽が強く輝き――滂沱の如き熱線が射撃陣地へと降り注いだ。
空を仰ぐ防護服の人影が踵を返すが、もう遅い。
ハレーション。爆発。閃光と灼熱の連鎖が延々と……。
感覚野すら騙す英国式庭園の幻想を貫通して、天井が、足元が揺れる。
(これは……)
人知を超えている。これが、一人の魔術師の仕業?
「半ば予想通りではありましたが、やはり圧倒的ですね」
「だからこそ、でしょ? 真骨頂は、ここからよ!」
射撃陣地を焼き尽くした小太陽は、敵部隊の完全沈黙を確認するように停止している。
そして、そのままゆっくりと地面に向かって下降を開始。
その時だった。
「……‼」
柊は眼を剥く。
突如、赤熱に煙る灰燼の荒野から、膨大な量の溶岩が噴出した。
プロミネンスと見紛うばかりの灼熱の粘体は、怒涛の勢いで小太陽に突き刺さる。
そして、着陸しようとしていたそれを宙高くへと跳ね返した。
「いよしっ‼ よしっ‼ ざまあ見たか‼ はっはー!」
ガッツポーズを掲げて、ラピアスが椅子から飛び上がる。
滾々と、原始樹海を焼き蕩かして広がりつつある溶岩の海。
小太陽と対峙するように宙で鎌首擡げる灼熱波濤の頂には、屈強たる肢肉を見せつけるように、一人の男が上半身裸体で立っている。
黒光りする肌に、短く刈った黒髪。
野性味溢れる精悍な横顔。
凛々しくも獰猛に見開かれた瞳に宿るのは、血走るほどの愉悦と昂揚。
そして、煮え滾る情念。
脳裏を過った既視感に、柊は慄然とする。
(まさか……、本当に……⁉)
いや、可能性はあった。
逆三日月の大鎌が齎す権能。断片への執着。若さへの渇望。鶴来則行殺害と、その後の裏切り……。
そして、この技術研究棟に代表される、夜魔の生体魔導工学があれば……。
「……成程な」
ハウザーの嘆息に、柊は彼へと視線を振り向け、ぎょっとする。
「貴様らは決闘期日を前倒して不嶽鍊が現れることを知り、急ぎ迎撃の用意を整えようとした。追加検診と偽って研究棟に招き寄せ、部外秘であるはずの内部を案内して無駄な遊戯と会話で時間を稼いだのは、我にそれを悟らせぬため。そして……」
「手遅れに気付いた君が暴走するのを未然に防ぐため……、ってところかなー。ハウラー君は、現状、唯一の模倣断片搭載基だからね。真面に立ち向かうのは骨だし危険だもん。盾も確保できたし、一石二鳥。あー、でも、一つ訂正。君たちを歓迎しようと張り切ったのは純然たる善意からだよ。なんだったら、次は君も参加しない? 楽しいよー。あっ、でも、今度こそフレッシーは譲らないからね! 悪いけど!」
どこまでが冗談かわからない笑顔でウィンクするラピアスを、椅子から飛び出した触手型生命体によって四肢を貫かれ、全身を雁字搦めにされたハウザーが冷然と睨む。
「技術総監、今ならまだ間に合う。何人たりとも王の決闘を穢すことは許さん」
ラピアスは嗤った。
「あははは、忠義忠臣ご苦労様。でもね、これは私のためにやっていることじゃないの。王のためよ。そして、SG0900211。実を言うとね、私が君を確保した理由は、それだけじゃあないんだなー」
すっと表情を無にして、ラピアスは動けぬハウザーの瞳を覗き込む。
「君は必死になって赫船が勝つのを応援した方がいい。でないと、死ぬよりもずっと惨めなことになる。それとも、今すぐ二本目の矢になりたいの?」
紅の虹彩に何を見たのか。
ハウザーは口を閉ざし、黙り込む。
ぱんと掌を打ち鳴らしたラピアスの燥ぐ声が、夜の庭園に不気味に響いた。
「さーてさて、いよいよ待ちに待ちかねたショーの始まり始まりー。夜魔の森で邂逅するのは、奇しくも因縁の間柄。赫船慈榮と不嶽鍊。十二年前の極東総宴・特別観覧試合の再現だー。さあ、前回は醜態を晒し敗れてしまった赫船慈榮。今度こそ不嶽鍊に勝利し、最強の炎術師の称号を奪い返すことができるでしょうかー……って、大言壮語が法螺じゃないことを証明しなさいよね、赫船っ‼ 技術部の威信に賭けて、結構期待なんかしちゃっているんだから‼」
ラピアスの檄に、画面の向こうで赫船が応じる。
毬のように跳び、そして成す術なく樹海へと墜落する小太陽。
筋骨隆々とした青年が操る溶岩海は、津波となって堕ちた陽へと殺到し、熱線による抵抗の暇さえ与えず、その輝きを灼熱の水面深くへと呑み込んだ。




