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次元破断の魔術師  作者: 秋原
早蕨の塔

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脱出Ⅱ

 雪の警告とほぼ同時。

 大理石の屈強な壁に水面のような波紋が奔る。


「……っと⁉」


 疾走する柊が上体を大きく逸らすと同時、石壁から凄まじい勢いで何かが飛び出して来た。

 それは、蛇のような鎌首を備えた石の触手。磯巾着のように何本も不規則にうねっている。

 不気味な石の蛇の塊は、質量と勢いに任せて圧し潰そうと柊の頭を目掛けて殺到するが、結果は虚しく宙を貫いただけ。そのまま反対側の壁に激突し、盛大な爆砕音を轟かせるに留まった。

 粉塵を置き去りにした柊が、雪へと賞賛の思念を送る。


(やるわね! いいわよ、雪ちゃん!)

《まだ来ます! 左……。この通路の先の曲がり角から、人型が五体……!》


 現れたのは、武装に特化した猟奇石像。

 グロテスクな配置をした多腕多脚には小銃火器が握られていたり、それ自体が手足の一部となって石の肉腫と共に蠢いていたりする。

 (よだれ)塗れの口腔に白痴(はくち)の瞳で待ち構える石像たちは、魔術師の命令に従って機械のように動いている。

 その命令とは、目標の捕捉と即時射殺。だから逃亡者を見つけ次第、即座に射撃体勢に移行しようとして――何もできずに固まった。

 誰もいない。何もいない。

 頭の上を(よぎ)る影しか、そこにはもう残されていない。

 天井へと打ち込んだ炎鎖を(くさび)に、地面を蹴って高く跳び上がった柊が、茫然と佇む石像たちの背後へと着地する。

 息吐く間もなく駆け出す柊。


(あいつ、どれだけの人間を……。あっ、ごめん、雪ちゃん! 大丈夫だった⁉ 舌とか()んでいない?)

《は、はい。大丈夫です……。ちょっと、びっくりしましたけど……》


 高速に流れていく視界に、ちらりと背後を見遣れば、不首尾に終わった奇襲に石像たちが何やら抗議の呻きを上げている。追い掛けようとしているらしいが、その姿はあっという間に小さくなって、通路の奥へと消えて行ってしまった。

 これで終わりという保証はないが……、うん、大きな反応はいまのところ見当たらない。

 上手くいって良かった、と安堵の溜息を漏らす雪に、柊の心の声が響く。


(やるじゃない。精神探査による広域索敵。可能だとは知っていたけど、ここまで精密だとは思わなかった。魔術師でもないのに、すごいわ)


 手放しの賞賛に、雪は微笑(ほほえ)みながらも懸念(けねん)を伝える。


《柊さん。貴方が次に私にやってほしいこと、期待していることなんですが……、それは難しいかもしれません……》


 精神探査の際、雪は思念の糸を球形放射状に展開する。

 最大有効範囲は、半径およそ二十メートル。意識を束ねて一点に集中すれば有効距離を三倍近く伸ばせるが、その間の周囲警戒は完全に疎かになってしまう。

 そして、探査対象。

 生体反応や移動する物体、特に意識を持つ人間の探査は比較的容易だが、静止している無機物となると極端に精度が落ちる。地形構造にしても表層を()でるのが精々で、隠し扉や落とし穴などの看破、ましてや魔術的なギミックを暴くことは、知識も経験もない雪には実質的に不可能だ。


(塔を意のままに操れる阿万鵺が、階層昇降口をそのまま放置しているとは考え難い……。そして、たとえ運良く発見できたとしても、それが罠かどうか見破ることは難しい……。つまりは、そう言うことね?)

《はい……。探索範囲も索敵の精密さも、お父さんに比べると全然なんです……。すいません》


 謝る雪に、柊はそんなことはないと笑って励ます。


(そんなことない。不意打ちを防いでくれるだけで大助かりなんだから。貴方は安心して索敵だけに意識を集中して。ね?)


 配慮に満ちたその言葉に、わかりましたと頷くのは簡単だった。

 しかし、その前に、どうしても()いておかねばならないことがある。


《……柊さん。もしも……もしも階段を見つけて、それが安全だったら、どうするんですか? 私達だけで先に進むんですか……?》


 柊は息を絞り出すようにして答えた。


(……そうするしかない。阿万鵺を打倒する(すべ)がない以上、今の私にはそれしかできない)

《……っ! そんなこと――‼》

(できない、という貴方の気持ちはわかる。でもね、弐神巽から貴方を預かった以上、私には貴方の生命を最大限に保証する義務があるの。優先すべきは、貴方を無事に安全地帯――塔の外へと連れ出すこと。たとえ貴方がそれを望まなくてもね)


 雪を抱える柊の腕の力が強くなる。

 彼女は本気で私の身を案じている。それは理解できた。痛いほどに。


(……弐神巽は私よりも遥かに優れた魔術師よ。判断力も適応力も、窮地(きゅうち)(おちい)った場合の生存能力も段違い。奥の手だって一つや二つじゃない。だからこそ、阿万鵺は分断を謀った。彼の実力を恐れてね)


 雪は考える。

 そうかもしれない。彼の傍にいると安心できた。頼もしくて、不安な気持ちがなくなった。


(雪ちゃん、貴方はそんな彼の弱点なの。貴方が人質に成り得ることを、彼は実際に態度と行動で示してしまった。それは魔術師にとって致命傷。敵は必ずそこを突いて来る)


 そうかもしれない。

 弍神巽は私を譲渡することを拒絶した。それは嬉しかった。本当に。嘘でも親子だと言ってくれた。一緒にいてもいい理由をくれた。夢のようだった。


(弐神巽は単独でも阿万鵺奏絃を打破するだけの実力がある。なのに、捕まった貴方のせいで十分に力を振るえずに敗れてしまう。そんな未来だって考えられる。それだけは絶対に避けなければならない。お父さんの足手(まと)いになりたくないのなら、そうするしかない……)


 そうかもしれない。私のせいでお父さんが死ぬなんて、そんなの絶対に嫌だ。

 雪は唇を噛み、小さな拳を握りしめる。


(……貴方を安全な場所に隠したら、すぐに引き返して彼を探す。そして貴方の元へと連れて来る。絶対に)


 その言葉に嘘はない。

 なら、もう、信じるしかない。

 力無く項垂(うなだ)れる雪に、柊は優しく、だが、毅然(きぜん)とした声で訴えた。


(雪ちゃん、お願い。力を貸して。敵は阿万鵺だけじゃない。場合によってはもっと厄介な魔術師が控えている……!)


 精神感応を通じ、柊の脳内から一人の男のイメージが伝って来る。

 六紡閣近習衆、久慈原千景。一瞬で人間を細切れにする神速の抜刀術の使い手。

 おそらくは阿万鵺に返り討ちにされ、傀儡へと改造された魔術師。お父さんに深い傷を与えた、明確なる敵……。


(久慈原に接近されて無事に逃げ切ることは……、多分、すごく難しい。雪ちゃん、もしも久慈原の生態特徴を見分けられるようであれば、迂回路を――)


 その時だった。


「――まったく、己の不甲斐なさには辟易としてしまいますね。このような有様、静蘭に申し訳が立ちません」


 どこからともなく響いた声に、雪が警告を発するよりも早く、回廊を構成していた天井が一斉に崩落を始める。

 生き埋めに? 違う。砕けた天井の石盤は降り注ぐのではなく、上空高く、吹き抜けとなった虚空へと呑み込まれていく。

 壁がざわめき、床がのたうつ。迷宮自体がその構成を変化させるために震え出した。


「此処からでも始末をつけるのは簡単です。精神感応者の少女が目覚めたとしても、難しいことは何もない……。ですが、やはり自らの手で。それがけじめというものですから」


 ひゅんと耳朶(じだ)を打つ風切り音に、柊が全力で床を蹴った。

 後退跳躍。何かが落ちて来る……。巨大な何かが。

 本能が目を(つむ)れと叫び、雪は固く瞼を閉じて柊の背中にしがみつく。

 ずううんという震動が内臓を揺らし、やがて止まった。

 雪はおずおずと眼を開き、眼前に広がる粉塵を眺め遣る。

 濛々(もうもう)たる煙に透けて見えるのは、巨大な――

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