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次元破断の魔術師  作者: 秋原
早蕨の塔
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指令


 赤々と揺らめく燈篭(とうろう)に透ける、寝殿の(きざはし)(いただき)にある妻戸(つまど)は、白い光を湛えて開け放たれていた。


「………」


 無言のままに階を昇り、(ひさし)に上がる。

 寝殿の母屋を護るようにして四方に廻らされた御簾(みす)几帳(きちょう)

 柱の陰に潜んでいた使用人がこちらを認め、手招きで誘う。

 案内されたのは、内殿へと通じる御簾の裂け目。

 その裂け目へと畏まり、両手を床について頭を下げる。


「……火津摩柊(ほつまひいらぎ)、参りました」


 静寂。返答はない。

 だが、わかっていた。

 あいつは中にいる。そしてこちらをじっと観察している。  


「面をあげよ」


 微かに響いた老人の声に、柊はびくりと背筋を震わせる。

 するすると御簾が巻き上がり、露わになる内殿の様相。

 恐ろしいほどに簡素で何もない板張りの大広間にあって、瞑目した老人が一人、行燈を共に鎮座していた。

 白銀の長髪に、細い柳眉(りゅうび)。羽織袴にて背筋正しく瞑想するその姿は、まるで阿闍梨(あじゃり)か、それ以上の聖者のようだ。

 だが、怖い。どうしようもなく怖い。怖くて真面に顔も上げられない。


「賊が出たそうだな。どうだった?」


 老人の質問に、柊は戦慄(わなな)く唇を隠して応える。


「大した事はありませんでした。問題なく処理できたかと……」

「……そうか」


 そう呟き、老人は何かを考え込むように黙り込む。

 何か落ち度があっただろうか。柊は不安に駆られた。


(外苑に被害は出たようだけれど、あそこは守備管轄外。本邸を警護する門番としては出ていくわけにはいかない……。背後関係を洗わずに始末してしまったから? でも、尋問の指示は出ていなかったし……。それに……)


 この老人は襲撃者の事情や目的などに一切の興味を抱かない。

 極東魔術連合を形成する三大派閥の一つ、六紡閣(ろくぼうかく)

 その総帥として君臨するこの老魔術師は、暴虐的粛清によって政敵を排除することによって、絶対の独裁者へと成り上がった梟雄(きょうゆう)だ。

 刺客の心当たりなど、履いて捨てるほどにあるということだろう。


(そうね。例えば、私のように……)


「………」


 冷や汗に額を濡らしながらも、柊は老人の周囲を目端で探る。

 いつもならば護衛として(はべ)っているはずの近習衆の姿が見えない。

 この場に老人と二人きり。使用人は控えているが、魔術を駆使できない人間など敵ではない。

 一足飛びに駆け寄り炎鎖を放つ。最大火力なら七秒……、いや、五秒もあれば十分だ。

 だが――


「いいだろう。あやつの見立て通り、任せてみるか……。だが、その前に……」


 瞼を開いた老人の眼を見た瞬間、戦意はあっという間に霧散した。

 (いわお)の如き双眸(そうぼう)に宿るのは、宇宙の深淵を覗き込んだかのような虚無。どこまでも堕ちていく純粋なる闇。

 老人が何気ない動作で左の掌を柊へと差し向ける。

 

「……っ‼ ……⁉」


 凄まじい激痛が全身を襲った。

 老人の掌で輝く赤い紋様に呼応し、体内で何かが蠢いている。 

 それは、筋や神経を選り分けながら首から頭部へと這い進むと、頭蓋を容易く擦り抜け、何かを確かめるように脳をぐちゃぐちゃと攪拌(かくはん)する。


「………あっ……、……っぁあ…………うぁ……‼」


 悲鳴を押し殺して(うずくま)る柊を、老人は無感動に睥睨(へいげい)する。

 そして左手の発光を収めると、無味乾燥に言い放った。


「枷は万全のようだ。では、次だ。服を脱げ」

「……はい」


 拒めるはずがない。

 ふらふらと立ち上がると、柊は服に手を掛ける。

 

「ふむ……」


 情動も色欲もなく、老人が注視するのは、瑞々しい裸体をキャンパスにして描かれた大刺青図。二年間に渡って刻み込まれた、印呪と呼ばれる増設魔術回路の出来栄えを一瞥すると、老人――騏堂成叡(ごどうなりあき)は納得したように瞼を閉じた。


久慈原(くじはら)

「はっ、ここに」


 唐突に湧いた声と気配に、柊は驚く。

 いつの間にか騏堂の背後に一人の男が立っていた。

 高級ブランドスーツに、単衣(ひとえ)にも似た錦織の羽織を纏った若い男。顔立ちは端正にして華奢流麗だが、目つきは鋭く猛禽(もうきん)のようだ。

 騏堂が男に告げる。


「霧郡に赴いた多太羅(たたら)の消息が絶えている。急ぎ向かい、消息を検めよ。もし奴が勤めを全うできぬようであれば、代わって貴様が任に就け」

「かしこまりました。では、早速……」


 自信満々に応じる声を、待て、と老人が制止する。


「そこの女も連れていけ。此処に留めておくよりかは役に立つ」

「………!!」


 老人の言葉に驚いたのは柊だけではなかった。

 

「御屋形様の命とあれば……。しかし、本当によろしいのですか? 御屋形様が手塩にかけて育てられたとはいえ、元は単なる世俗民。実力は未だ我らに遠く及ばぬかと」


 懐疑めいた男の声に、老人は淡々と、しかし、発言者である久慈原のみならず、傍観者の柊すら心胆寒からしめる絶対零度の冷たさで告げた。


「死んだとすればそれまでのこと。連れていけ」

「仰せの通りに……」

「両名とも下がれ。出立は明朝。準備を怠るな」


 男と共に(ひざまず)きながら、柊は奥歯を堅く噛み締める。

 駄目だ。まだ足りない。届きすらしない。他にもきっと潜んでいるだろう魔術師の気配を探知できないようでは、一矢報いることすらできはしない。

 それでは駄目だ。駄目なのだ。

 理不尽に耐え、苦痛を噛み殺し、唯々諾々と頭を下げているのは何のためか。

 

(殺す……。必ず殺す……。あの子のためにも……、騏堂成叡を……必ず……!)

 

 騏堂成叡を殺す。それこそが、私の存在意義。生きる原動力。

 だが、そんな決意とは裏腹に、想ってしまう。

 あの子が望んでいたのは、本当にこんなことなのだろうか、と。


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