石柱園Ⅰ
(なぜだ……?)
久慈原千景は考える。
(どうして、いつまでも燻る? 残り続ける?)
階段を降り、回廊を踏破し、襲い掛かる猟奇石像を微塵に切り刻みながら、考える。
(胸に蟠る、この不快感……。その原因は何なんだ……?)
火津摩が反抗的な態度を取ったから? 元世俗民の即席魔術師でしかないくせに一丁前の口を利いたから? あの時、多々羅諸共に始末しても良かったのに、生かしてやった恩も忘れて生意気にも反抗したから?
(違う……。ああ、違うさ。本当は、わかっている……)
ホールに集結した、猟奇石像。
そいつらへと火津摩が向けた眼差しが、どうしようもなく癪に障って仕方がなかった。
我ながら、どうかと思う。
猟奇石像と己を同一視するなど、在り得ない。
だが、醜悪に群れるこいつらを見かける度に、どうしても掻き消したくなってしまう。粉々に壊してしまいたくなる。
そんなことをしても無駄だとはわかっている。
疎ましき過去が無に帰すことは、絶対にない……。
『やり直し。もう一度や』
「……っ⁉」
止せ。止めろ。思い出すな。
手拍子。運足。指の先まで意識を凝らす。
三人の妹たちが、じっと僕を見詰めている。
艶やかな娘装束を纏った僕の舞を。
『そうや。久慈原再興のためなら、どんなこともせんとあかん。表舞台に返り咲くためや』
必死に媚びを売り、妖しく微笑んで肢体を濡らす。
請われれば泣き、責められれば喘ぎ、それもこれも、外法師に堕ちた不甲斐なき先祖の失態ゆえ……。
『おまえには素養がある。一族秘伝の魔術、雲英紅攪を揮える天才や。けどな、それだけではあかん。家格を買い戻すには金が要る。見たこともないくらい仰山の金がな』
だから、襦袢に単衣を重ね、綺麗に髪を梳かして、唇に紅を注す。
あとは、曾祖母の三味線に拍子を合わせて踊るだけ。
優雅に嫋やかに扇子を手に舞いながら、着物の帯をするりするりと解いて……。
(違う! もう違う! 僕は取り戻したんだ、本来の久慈原を! 僕自身の手で……! あの人と一緒に……!)
二年前、唐突に座敷へと現れた老人は、慄く曾祖母へとこう告げた。
『絶えて久しい久慈原の威光、私が蘇らせてやろう。私に全てを捧げるならば……』
多々羅信篤などに縋ることはない。
己の実力のみで成り上がって見せる。御屋形様もそれを望んでいるはずだ。
だから、そんな眼で見るな。有り得ない。おまえごときが。
おまえのような非力で無能な女が、なぜ御屋形様のお傍に……。
「……そうだな。やっぱり殺そう。そうしよう」
もし御屋形様が、あの女に秘めた才を感じているのであれば、芽の出る前に潰すに限る。
石像の駆除作業中に死んだことにすればいい。
あの程度の相手に苦戦し、死んだとすれば、それは監督不行き届きではなく実力不足。
そう主張すれば、御屋形様も納得するだろう。多々羅の一件の口封じも出来るし、一石二鳥だ。
「そうだ。僕は御屋形様から、それだけの信頼と信用を勝ち得ている。火津摩なんかより、ずっと……」
裏切るはずがない。騏堂成叡はそう確信したからこそ、千景を密偵との橋渡し役に命じたのだ。
互いの脳にしか遺らない、口伝による情報交換。それに携われたのは僥倖だったと言えるだろう。
近習衆とはいえ、末席。財力も乏しく、入手できる情報には限りがある。
だからこそ、貴重極まりない。四饗公家の筆頭が暗殺されたなどという情報は。
「七凶聖か……。なかなか愉快な名前じゃないか。しかも、判明している構成員、七名中五名の一人が、あの阿万鵺奏弦なんてね。猟奇芸術家の異名は霧郡でも健在のようだ。しかし、まさかこんなところで稀代の殺人鬼に出逢えるとは……。万が一にと調べておいた甲斐があったよ」
これもまた僥倖。いや、運命だ。この好機を必ず掴み取れという天の差配に他ならない。
ようやく気分が上向いて来た。
意気揚々と、久慈原は階段を降りる。
出迎えたのは、レストランと思しきフロア。
無人のカウンター。無人の配膳卓。
二脚の椅子が置かれた長卓を眺め遣り、奥へと向かう。
猟奇石像の姿はない。階段はすぐに見つかった。
「………」
肩透かしに、千景は警戒心を強める。
慎重を期すため、阿万鵺について、事前に入手していた情報を整理する。
(阿万鵺奏弦は、石眼邪視の魔術師だ。その権能は、ペルセウスがアイギスの盾に飾ったメデューサの魔眼とほぼ同一……)
阿万鵺の眼には、不可視光を射出する特殊な器官が備わっている。
その光に魔術を載せることで、見詰めた対象の霊体構成を強制的に変換。有機無機の区別なく、石膏と珪素と石英の混合物へと変化させる。
ただ一睨みするだけで容易に相手の動きを奪い、生命を断つ。まさに神話の怪物が持つに相応しい強力な奇蹟ではあるが、それを人間が操るともなれば制約が伴う。
まず、射程距離。
阿万鵺の石眼の最大射程は、十六・七五メートル。それより離れてしまうと、術式が対象の内部へと浸透する前に散ってしまう。
次に、浸透時間。
対象の身体に石化の術式が馴染むまでには、若干だが時間が掛かる。
平均して、0・九から一・二秒。それまでの間、常に対象を捕捉し続けなければならない。捕捉外に逃げられてしまった場合は最初からやり直しだ。
そして、応用性。
他の魔眼にも言えることだが、不可視光に魔術を載せるという性質上、石化できるのは一次対象のみ。つまり、屈折や反射を利用することはできない。
(……問題ない。不意打ちさえ回避できれば、どうにでもできる。油断しなければ百戦百勝だ)
神速の居合、雲英紅攪への絶対の自信が、千景の背中を後押しする。
0.9秒の猶予はハンデも同然。それより早く動くことなど朝飯前だ。
「へえ……」
階段を降り終えると、これまでとは違う雰囲気の空間に出た。
これまでの回廊や広間は、あくまで美術館の造形を基調としていた。が、此処にはそれがない。
見た目は、石切り場に似ている。大理石を切り出すための、採石場の一角。
どこか窮屈な印章を受けるのは、空が無機質なコンクリートで覆われている以上に、無数の石柱が雨後の筍のように乱立しているせいもあるだろう。
「石柱園……とでも呼んだ方がいいかな。あるいは柱の森か」




