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次元破断の魔術師  作者: 秋原
早蕨の塔
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襲撃


 うら寂しくも、その夜は月が出ていた。


「………」


 (かんな)で削り取ったかのような、薄く細い下弦の月。

 樹海の奥底。()せ返るような湿気と緑臭に漬かる男は、独り、朽ちた倒木に腰掛け、茫然と宙を見上げていた。


「………」


 (こずえ)の騒めき。羊歯(しだ)の芽吹く音。(つる)を滑る露の輝き。ひっそりと生涯を終える獣の最期の呼吸……。

 そうしたものと混然一体となりながら、男は痩せ衰えた掌で顔を覆うと嘆息する。

 深く、深く息を吸い、吐き出す。それを繰り返す。更に、もう一度……。


「……必ず、必ずだ。奴に報いを受けさせる。だから、見ててくれ……!」


 覚悟と共に、男は襤褸同然の上着の懐に手を伸ばす。

 取り出したのは、小さな縦長のスチールケース。

 中を開き、震える指で掴んだそれは、自動注入機構を備えた金属注射器。

 注射針を包んでいた保護キャップを(むし)るように取り外すと、右腕を捲り、静脈を探す。

 

 「はあ……はあ……」 


 呼吸は荒くなり、鼓動が早まる。眼が霞んで、手元がよく見えない。いつの間にか、滝のような汗が全身から噴き出ている。

 これを打ったらどうなるか。

 怖い。怖い。だが、走馬灯のように脳裏を過ぎるいくつもの顔に突き動かされる。

 男は全ての未練を断ち切るように深々と針を突き立てた。


「うっ……うう……。がっ……! があああああぁぁっっっ‼」


 変化は劇的だった。

 ごぼりと気泡のような音を立てて、背中が不自然に盛り上がる。

 

「おごぉ……! おぎょおおっ……! おぎゆうおおおおうううぅおおぅぅぅ……!」


 みちみちと溢れ出る筋肉繊維。

 滴り零れる溶解細胞とリンパ液。

 全身の皮膚がべろりと剥け、毒々しく爛れた赤い斑点があちらこちらに花開く。

 膨張を続ける肉は手足を呑み込み、頭を呑み込み、悲鳴を上げる男そのものをも呑み込んでいく。


 「………」

 

 深夜の森に再び静寂が戻った時、男の姿は何処にもなかった。奇怪に蠕動(ぜんどう)する巨大な肉団子だけがそこにはあった。


 「………」


 天頂部に張り付いている顔面状の瘡が、ぱくぱくと口を開く。

 俺は……誰だ? 意識が混濁している。自我の境界も曖昧で、悪夢の世界を彷徨っているかのように現実感がない。痒くもないし、痛くもない。ただ、真っ赤だ。見渡す限り真っ赤だ。

 その時、直感で理解した。 

 失敗だ。これは失敗。失敗。駄目だった。中途半端で終わってしまった。大金を払ったのに。生涯を賭けたのに。

 

 「………」


 だが、それでも、月が見える。

 真っ赤に濁り、右か左かもわからぬほどに揺らいでいるが、まだ月が見える。

 ならば……、ならばっ!


 うおおおおおんん!


 咆哮を張り上げると、肉塊は前後に激しく身体を揺さぶった。

 重心がずれ、ぐるりと一回転。あとは山肌目指してひたすらに転がり続ける。

 巨大鉄球と化した肉塊は山野を蹂躙(じゅうりん)し、無人の私道へと飛び出した。

 人里遠く離れた僻地であるにもかかわらず綺麗に舗装された二車線路のアスファルト。それをボロボロに踏み砕きながら、毬のように弾む肉塊はなだらかな勾配をひたすらに疾走する。


 うおおおんん! うおおおおおんんっ‼


 怒号のような雄叫びに、舗装路の終点――車両検査用の守衛詰所から、警備員らしき複数の人影が慌てた様子で飛び出したが、避けるにしても逃げるにしても遅かった。

 肉塊は茫然とする彼等を(あり)のように踏み潰し、そのままの勢いで門へとぶち当たる。

 鋼鉄柱が奏でる断末魔は一瞬。肉塊は何の痛痒も感じずにひしゃげた屑鉄を後にすると、当たるに任せて駐車場内のいくつもの車を潰しながら、瓦屋根の石垣目掛けて体当たりを敢行する。

 爆砕音。噴煙。そして、驚き戸惑う人の声。


「……な、なんだ⁉」

「どうした⁉ 何があった⁉」

「嘘、冗談でしょ……? なに、あれ……?」


 肉塊は睥睨する。

 そこにあるのは、洒脱な回遊式庭園。泉水の奥には広々とした縁台を設けた大御殿があり、庶務や雑事にせわしなく廊下を駆けていたはずの和装姿の使用人たちが、皆一様に困惑と恐怖を浮かべてこちらを見ていた。

 記憶の残滓が告げていた。

 この華やかな庭園屋敷は政財界の要人を歓待するための道具。奴の本邸は、その奥だ。


「こっちに来る⁉ に、逃げろ‼」

「きゃああああ! やだ、なによ! どっかいってえ!」

「どけ、邪魔……ぎゃあああああああああ」


 逃げ惑う使用人を踏み潰し、腰を抜かした女中を跳ね飛ばし、肉塊は吠える。

 どうしても殺さなくてはならない。どうあっても殺されなければならない。奴を生かしておく道理などない。

 絶対に殺すのだ、あの魔術師を。


 うおおおおおおおんんっ‼


 肉塊は様々な破片で薄汚く(けが)れながら、屋敷を横断し、玉砂利が敷かれた白洲へと出た。黒の鳥居が延々と連なり、道を造っている。その先に聳えるのは、静謐なる気配を纏った寝殿造の屋敷群。

 あそこだ。確信と共に、肉塊は躊躇(ためら)うことなく鳥居へと突進し――


「そこで止まりなさい」


 凛と響く女の声に、思いもかけず停止した。

 灰銀の髪を(なび)かせ、実用性に特化した合成皮革の長外套を身に纏う、若い女。

 首輪状の刺青。その下にある喉を涼やかに鳴らし、女は悠然と肉塊に語り掛ける。


「こんな夜更けに何用と、尋ねるまでもないわよね? 後先考えずに突っ込んでくるような連中の目的なんて、たいがいが決まっている。そうでしょう?」


 肉塊は答えない。答えるだけの知能も知性も、もはやなくなりつつあった。

 代わりに肉塊は(ひだ)の隙間から漏れる不気味な空気の振動で、正体不明な女を威嚇(いかく)する。

 その様子に、もはや言葉が通じないことを悟った女は、疲れたように呟いた。


「手を出してはいけないものに手を出した報いね……。貴方はもう戻れない。酷い末路が待っている。だけど、それを覚悟で貴方は此処に来たのよね?」


 うおおおおおおおんんん‼


 肉塊は吠える。薬の副作用で脳の神経回路が焼き切れ初め、もはや何のために吠えているのかもわからなくなりつつあるが、それでも必死に湿った呼気を噴き散らす。

 

「……そう。そうまでして殺したいの」


 女はわずかに目元を緩ませる。だが、ひとかけらの慈悲も容赦もなく宣告する。


「駄目ね。その程度では届かない。殺せない。私のような非力な門番一人さえ」


 うおおおおおおおんんん‼


 肉塊は、全身全霊を籠めて自らを回転させる。

 迫り来る圧倒的質量を前に、だが、女は動じない

 何も持たぬ右腕。その掌を、もはや見るに堪えないとばかりに、醜悪なる侵入者へと振り(かざ)す。


 「炎鎖よ……」


 翳した掌に生まれる、淡く輝く蒼炎。それは幾重もの線となって宙に(はし)り、その形状を鋭利な(やじり)を備えた鎖へと変容させる。

 蒼く燃える炎で編まれた無数の刺突鎖は、流星のように肉塊目掛けて殺到し、その全身を貫くと同時に地面へと縫い留めた。


 うおおおお……おおおおんんんん!


 炎という非実体でありながら、炎鎖は恐るべき拘束力で肉塊を大地に縛り付ける。

 突進力は完全に死に絶え、もはやぴくりとすら動くことも叶わない。 


「終わりね」


 女の溜息と共に炎鎖が解け、盛大な蒼炎が燃え上がる。

 業火の中で、ボロボロと崩れていく巨大な陰影。臓物が焼ける異臭が鼻をつく。


「見事な腕前だな、火津摩柊(ほつまひいらぎ)


 女が声のした方角に振り向くと、そこにはニヤニヤと笑う一人の老人が立っていた。

 

「……何か用?」

「どんちゃん騒ぎが耳に入ったもんでね。おまえさんがどんな塩梅かと様子を見に来た。なかなかやるようになったじゃないか。まあ、どうにか及第点ってところかな」

「………」

「それと、御屋形様がお呼びだぞ。至急の要件だとさ」

「その要件とやらは何?」

「さあねえ。自分で聞いてくれ」


 女は老人を怪訝(けげん)そうに眺めるも、すぐにそっぽを向く。 


「……わかった。すぐに行く」


 去っていく老人を見送り、女は未だ燻る蒼炎へと目を落とす。

 掃除は終わった。また一人、惨めな復讐者が死んだ。それだけのこと。ひどくつまらなくて、ひどく憐れな、それだけのこと……。

 女は天を振り仰ぐ。

 月が見ていた。月が覗き見して、(わら)っていた。

 貴様もいずれこうなるのだと(あざけ)るように。

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