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次元破断の魔術師  作者: 秋原
孤海の城

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158/214

集結Ⅴ

 歩く。

 歩く。

 ただ、歩く。


「………」


 目的地などない。行く宛てもない。ふらふらと夢遊病患者のように彷徨(さまよ)うだけ。

 目に入るもの……。全てがぼやけて、(かす)んでいるようだ。

 ファッションビル。アートギャラリー。低価格コスメが売りのディスカウントストア。

 キャラクターグッズが所狭しと並べられた雑貨店。和菓子喫茶。デザイン専門学校の特徴的な看板。ファストフードのチェーン店……。

 同じ場所をぐるぐると回っているような感覚がしている。いや、実際そうなのか?

 通行人が時折投げかける奇異の視線。こちらをじっと観察している。

 なぜだ? あの異様に目立つ銀髪女はもういない。

 髪のせいか? そうかもしれない。薬局でカラースプレーを買えば良かっただろうか。

 現金の持ち合わせはある。自宅のリビング、家族共用のキャビネットの引き出しに、緊急の時にと仕舞われていたお金。防災対策の一環だったが、まさかそれ以上の事が起こるなんて……。


「ねえ、彼女ぉ。どっから来たの? 制服だけど、この辺の子?」


 不意に声を掛けられる。

 胡乱(うろん)な瞳で振り返ると、軽薄そうな若い男が三人、ニヤニヤとした顔をして近付いて来る。


「俺達、いつもは渋谷でたむろっているんだけどさー。今日はちょっと新規開拓ってのをしたくってねー」


 ギラギラとした金のネックレス。高級ブランドのサングラスに、ピアスと指輪。パーカーやシャツに染み付いたアルコールの臭気と、スニーカーの縁に溜まった煙草の灰からして、どういう連中なのかはすぐに予想が着いた。


「……何か用?」

「君、かなりイケてるから、お知り合いになりたくってさぁ。夏真っ盛りなのに、長袖タイツに手袋まで嵌めちゃって、逆にクールって感じだしぃ? 首のそのチョーカーもお洒落(しゃれ)だよぉ」


 すかさず二人が柊の行く手を(ふさ)ぎ、背後の一人が無造作に腰へと手を回して来る。


「ひゅー。腰、細いねぇ。ちゃんと飯食べてる? 駄目だよー。女の子は身体が資本だからね。無理なダイエットは良くない良くない。大損だよぉ」


 耳元で(ささや)く男から放たれる、強烈な香水臭。デオドラントのつもりかもしれないが、明らかに付け過ぎている。


「最近は色んな情報が(ちまた)(あふ)れて、何が正解で何が間違っているのかわからなくなっているからねぇ。怪しいおじさんに(そそのか)されて、人生を棒に振っちゃう子も多いんだよぉ。僕等みたいな善良な大人からしたら、それはもう心が痛くて痛くてねぇ。だから、君にも声を掛けたんだ。誰でもいいから助けて欲しい。そんな顔をしていたからねぇ」


 ねっとりとした猫()で声。歯肉炎で鬱血(うっけつ)した歯茎(はぐき)が見える。

 だが、そんな事よりも――


「……貴方なら、助けてくれるの?」


 男はしたりとばかりに破顔した。


「もちろんだよぉ。僕等はプロだからねぇ。君の不安を瞬く間に(いや)してあげるさ。すっごく良く効くサプリがあってね。それはもう、身も心も一発昇天……いやいや、死ぬって意味じゃないよ。あくまで例えだからね。安心して。でも、ちょっと強い薬だから、ちゃーんと説明を聞いて使って貰わないと危ないんだ。じゃあ、さっそくうちの事務所で……」


 前方の二人の男へと目配せした男が、柊を強引に連れて行こうと腰に当てた腕に力を()める。

 が、動かない。地中にがっしりと根を張り巡らせた大樹のように、びくともしない。


「えっ? あっ、え?」

「ん? たっくん、どした?」

「早く行こうぜ。ノルマもあるし」

「いや、それが……くそっ、動かねえ」


 再度挑戦。失敗。その繰り返し。

 身長178センチ、体重90キロを超す男の顔が困惑に染まる。


「遊んでんのか? それとも、そういう冗談?」

「いや、マジだよ! どうなってんだ⁉ おい、歩けよ! 歩けって!」


 柊に向かって怒鳴りながら、とうとう男は両腕を使い出した。

 重い貨物を()り動かすように、柊の背中をひたすらに押しまくる。

 こそばゆい。ただそれだけの感覚に、柊は小さく息を吐く。


「幸せね、貴方は……」

「へ?」

「その程度の暴力で、どうにか出来る世界に生きていて」


 男の両掌から、ふっと総量が消える。

 ベクトルが導くまま、男は溜まらず前方へとつんのめるように倒れ込み――身を捻った柊はその首根っこを摑まえると、薄曇りの空目掛けて投げ飛ばした。

 表参道へ続く幹線道路。等間隔に設置された街路灯の真上へと、男の腹が着地する。ハンガーフックに帽子を掛けるかのように、ひょいっと。


「は? え、うええっ⁉ な、何が、どうなってぇぇぇ……⁉」


 高さ十五メートルの高所。落ちれば死にはせずとも骨折は免れない。

 ずり落ちそうになるのを必死に(こら)えながらランプにしがみつく男へと、二人の取り巻きが慌てた様子で駆け寄っていく。


「た、たっくん! やべえ、暴れんなよ! と、とにかく頑張れ!」

「け、警察……は、ダメだよな、やっぱ。ど、どうするよ?」

「梯子だ! おい、梯子探すぞ! ついて来い!」

「ま、待て! 待ってって! 俺を置いていくなぁぁぁぁ!」


 大騒ぎの様相に、なんだなんだと集まり始める野次馬の輪。

 その喧噪(けんそう)を置き去りに、柊は再び歩き出す。

 目立つ事は避けろと言われた。世俗民の好奇は魔術師を呼び寄せる、としたり顔で講釈もされた。

 正直、どの口が、とは思う。

 斑が化けた女子高校生は、はっきり言って物凄く目立っていた。人外ゆえの美貌がそうさせるのか、それとも天性の傲岸(ごうがん)さがカリスマ性を生むのか、目の前を横切る彼女に無関心を貫ける者はいなかった。

 変装に自信満々だった斑は気付いていないようだったが、教える義理など無いので黙っていた。もし連合に集会がバレたとしても、それは私のせいではない。

 いや、それ以前に、私が七凶聖に奉仕すべき理由は何もない。

 寧ろ、連合に七凶聖を捕縛させるべきだったのか……?


「………」


 柊は思考する。何度も検討を重ねた熟考を、もう一度。

 七凶聖は、反連合テロリスト。彼等が公然と市街地に姿を現すことができるのは、鳳來峰暗殺現場に意図的に残したメンバーリスト、それ以外の情報は未だ露見していないと判断しての事だろう。

 では、彼等の詳しい容姿、特徴を、私が事前に連合へと提供していたなら? 七凶聖が連合によって一網打尽となれば、私の処遇はどう変わる? 

 自由の身となれる保証はあるのか? 六紡閣に逆戻りか? 連座で刑罰を食らうのか? 潔白を証言する機会はあるのか? 一味を売った事で恩赦はあるのか?

 結論は、いつも同じ。わからない。

 確実に言えるのは、少しでも私が怪しい行動を見せたなら、チョーカーに隠されている首の印呪が即座に私を殺すという事……。

 ラピアスが自作した百手縛の制御印呪。その複製が、七凶聖内でどれだけばら撒かれているのか柊は知らない。もしかすると愚砦翕酩のような昵懇(じっこん)の外法師にも売り渡されているのかもしれないし、顔も知らない第三者がある日唐突に掌を(かざ)して服従を迫って来るかもしれない。

 柊は、思わずくすりと笑ってしまう。


(私の御主人様は、いったい何人いるのかしら……。そこまでして、どうして私を……。私なんかを……)


 もう、放っておいてくれないだろか。

 無力で無能な、元即席魔術師。今では炎鎖一本まともに顕現出来ず、身体能力にしてもチンピラを撃退するくらいが関の山……。

 こんな不良債権、誰が欲しがる? いい加減、見捨ててくれたっていいじゃないか。


「自暴自棄に(ひた)って死ぬ。それも一つの方法ね……」


 諦観(ていかん)が心を(むしば)んでいる。

 思いがけずこの街に還って来てしまった事……。それが、無気力を助長させている。


逢瀬(デート)の続きだ。何処が良い?』


 鯱紋兜を強奪し、極東列島へと帰還した直後の斑の提案。

 七凶聖の他メンバーと合流を図るとの事で、その予定候補地を幾つか示された。

 どうでも良かった。どうせまた振り回されるだけ。そう思っていた。

 首都圏に限定された候補地。その一つに原宿という地名を見つけるまでは。


「………」


 道行く先に、深く記憶に刻まれたショーウィンドウが見える。

 ティーン向けファッションブランドのセレクトショップ。

 雪が降りそうなほど寒い日だった。誕生日のお祝いに、あの子と二人で……。


『お姉ちゃん、ありがと。大事にするねっ』


 買ったばかりの靴を履き、私の腕に抱き着いて来た、屈託の無いあの笑顔……。

 それが、なぜ、こんなにも色褪せてしまっているのだろう。

 とても大事なはずだったのに、どうしてこうもあっさりと硝子(ガラス)の前を通り過ぎる事が出来るのだろう。

 来るんじゃなかった。淡い期待を持つんじゃなかった。もしかしたらと身勝手な想いを(いだ)いてしまった。

 徹底的に乖離(かいり)している。どうしようもなく変わってしまった。

 私は、もう、戻れない……。


「浮かない顔だな。どうした? 腹でも減ったのか?」


 見覚えあるローファーの爪先。

 柊は、いつの間にか(うつむ)いていた額を上げる。


「斑……」


 銀髪を威風堂々と(なび)かせて、妹の制服を(まと)った化け物が嬉々と(わら)っている。


「会合は……、終わったの?」

「滞り無くな」

「そう……」


 ……この男が、何を求めて私に(から)むのか。その理由は明白だ。

 だから、柊は口にする。

 生を惜しみ、死を先延ばしにしたところで、いったい何が変わるというのだろう。


「……斑。火津摩の炎竜と闘いたいのなら、私の頭蓋を割り砕いて術式図を取り出しなさい。ラピアスなら、私の生態情報を元に、私よりも適した素体を造れるはず……。私では、どうやっても貴方には敵わない。貴方が期待するようなものは、私は何も持っていない……」


 その場で心臓を貫かれても構わないという、放心と虚脱の狭間のような心地。

 柊は、(こび)(いつわ)る事もなく、心の(うち)赤裸々(せきらら)(つづ)る。

 それを聞いて、斑は、ぷはっと吹き出した。

 くだらない。しょうもない。そんなものを見たかのような失笑気味のせせら笑いが、(むち)で打たれるかのように響く。


「負け犬根性が骨の髄まで()み込んだ台詞(せりふ)だな。まったくもっておまえらしい。しかしな、火津摩柊。それでも俺はおまえに一目置いている。それは炎竜ばかりが理由ではない」

「……? じゃあ、何なの?」


 銀髪の女子高校生が、ニヒルに口の片端を吊り上げる。


「阿万鵺奏弦。奴の説法めいた口調は辟易(へきえき)だったが、それでも審美眼は本物だった。人間が含有する美を最大限に輝かせる(すべ)を探る……。その一点において、奴は俺を優に(しの)ぐ。おまえはそんな奴が是が非でも生かそうとした女だぞ? この程度であるはずがないだろうが」


 無造作に自分に向かって差し出される手。

 首を掴まれ、無理矢理に引き寄せられる。

 互いの息が触れ合う程の距離で、虎の瞳がぬるりと(ゆが)んだ。


「奴に代わって断言してやろう。おまえの美の絶頂はこれからだ。楽に死ねると思うなよ。おまえは血の泥濘(でいねい)を永遠に這い(つくば)る事になるんだからな……!」


 柊はぞっとする。

 斑の目の奥にあるのは、狂おしいまでの暴虐への愉悦。これまでの横暴が紳士淑女(しんししゅくじょ)の振る舞いに思えるほどの圧倒的な……。

 気道が深く締め付けられる。喉元に()えられた掌からは、絹の肌触りと微かな熱以外、何も伝わって来ないにも関わらず。

 助けて。反射的に口から出そうになったその言葉を、柊は唇を噛み締め、押し戻す。

 なぜ? 生き恥を晒したくないから? それとも、ちっぽけなプライドのため? もう死んでもいいと思っていたんじゃないの? 

 自分でもよくわからない。だが、柊は斑を強く(にら)む。


「……そうだ。それでいい。よくわかっているじゃないか」


 斑が微笑み、柊を拘束から解放する。


「まあ、精々足掻(あが)く事だな。でないと、大勢死ぬぞ?」

「……どういうこと?」


 ぽつっと頬に濡れた感触が広がる。

 水……? 雨だ。薄ぼんやりと曇った空から、小粒の雨が降り始めている。天気予報をチェックしていたわけではないが、あの澄み渡る快晴がこうも崩れるとは思いも……。


「……‼」


 はっとする。

 これは、違う。雨じゃない。

 魔術師になる際に会得し、いくつかの死線を経て強化された感覚野が、瞬時に正体を看破する。


「何を仕掛けたの、斑……!」


 臨戦態勢となって飛び退()く柊に対し、斑は心外とばかりに前髪を()き上げ、


「俺じゃない。あっちが勝手にやっていることだ」


 と、湿度を急速に増した天を指差す。

 その動きにつられるように柊は上空を見上げ――


「え?」

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