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次元破断の魔術師  作者: 秋原
孤海の城

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弧海Ⅶ

 それは、自分の生い立ちを知らない。

 気付けば、同じ姿をした仲間たちと一緒にいた。

 黒く堅い体毛。口蓋を閉じても剥き出しとなる肥大化した犬歯。四本足の健脚。卸金(おろしがね)のようにざらつく舌……。

 人間ではない。鏡に自分の姿を映さずともわかった。

 狼……、いや、(いぬ)だ。魔術師である主人の命令に絶対の服従を誓う、半霊半獣の人造亜獣……。

 そうだ、自分は狗である。そして、それは考えた。

 この知識は何処から去来したものだろう? 教授された記憶も勉学に励んだ経験もないのに、なぜ自分はそんなことを知っているのだ? 

 ……わからない。更に不思議なのは、自分が人間ではないという事実に(ぬぐ)いようのない違和感を覚え続けていることだ。


「………」


 まあいい。今は役目を果たそう。情報は持ち帰ってこそ価値がある。

 土石流と礫弾(れきだん)蹂躙(じゅうりん)された曲輪(きょくわ)を、四人の男女がそれぞれの思惑を秘めながら去って行く。

 その後ろ姿が豆粒よりも小さくなって消えるまで、じっくりと眺めていたそれは改めて周囲の気配を探る。

 ……何もいない。誰もいない。しかし、こちらの感覚野を(だま)すような魔術や、簡易的な結界として働く神威倶(しんいぐ)もある。自分のように隠れ潜んでいる可能性は排除できない。

 ……やはり、誰もいない。そう結論付けると、それは惨状の現場を見下ろす高見櫓(たかみやぐら)――その鐘楼台の屋根に落ちた薄い影から、ぬるりと全身を露わにする。

 それは、自身の魔術を正確に知悉(ちしつ)している。ゆえに重宝され、主人から重用されていることを誇りに思っている。

 視聴伝心――自分が直接目にし、耳にした情報を、そっくりそのまま他者へと共有できる魔術。

 影へと潜む権能は種族特性とも言うべきもので、先天的に備わっている能力だ。しかし、だからと言って、影から影へと自由に移動出来たりはしない。それには影渡りの権能が別に必要になるが、現在、そうした魔術を持つ仲間を主人は囲っていない。いれば便利だし、主人もそうぼやいてはいたが、こればかりは一朝一夕には見つからない。

 それに、ライバルを()やすのもどうかと思う。主人に可愛がられる特権を奪われるのは(しゃく)でしかない。無論、主人の悦びが一番であるとは理解しているが……。

 余計な事を考え過ぎているようだ。それは自戒に眉根を(しか)めると、屋根瓦を蹴り付け、主人を目指して疾走を開始する。

 この異界は潮の匂い以上に海魔の死骸から漂う悪臭が強烈で敵わない。が、それでも主人の匂いを辿るのに支障はなかった。

 追跡者に再三の注意を払い、直線ではなく迂回、時には来た道を引き返しながら接近する。 

 ……いた。しかし、どういうことだろう?

 遠目越しに見遣る主人の背中に、それは内心で首を捻る。

 得体の知れない(やから)と争って消耗するのも莫迦(ばか)らしいと、主人は身を隠すことに徹していたはず。

 それがどうして、あの剛弓の鎧武者のように天守閣の(みね)に足を掛け、よく見る不機嫌の仕草――背を丸めながらに肩を怒らせているのだろうか?

 それは一抹の不安を抱えながら、主人に思念で帰参の合図を送る。

 主人は振り向かず、しかし、こちらに来るように片手を上げた。

 もしや、私の帰還が遅くなったことに腹を立てて……。だとすれば、申し訳ない。

 それは急ぎ足で主人の元へ向かおうとして――その時になってようやく気が付いた。

 主人の背が死角となって見えなかったが、天守閣にもう一人、誰かがいる。

 破風を駆け登り、主人の元へと歩み寄るそれは、まじまじと目の前の異様な風体の人物を直視する。

 人間……? いや、海魔だろうか。全身を黒子のような衣装で覆った小柄な身体。頭巾を巻貝としたかのようなその顔面からは、ヤドカリのような左右非対称の鋏脚(きょうきゃく)と歩脚が隙間なく生えている。

 この風体……。戦国時代さながらの時代錯誤めいた武装で飾る海魔たちを想い、それは怪訝(けげん)に目を細める。これは、もしや忍者では……?


「御苦労さん。で、どうだった?」


 自分を呼ぶ男の声に、それは慌てて主人の足元へと(はべ)ろうとして、僅かに躊躇(ためら)う。

 ……見ている。十脚類の脚の隙間から、執拗にこちらを舐めつける視線を感じる。

 恐さは今のところ感じない。が、容易く(ほふ)れる相手だとも思えない。得体が知れない。不安が沸き起こる。だが、主人の命令は絶対で……。


 「よしよし。よくやった」

 

 忍者から目を離さぬまま、主人がわしわしと頭を()でてくれる。

 ああ、その心地良さたるや。

 それは歓喜に打ち震える。この快感には逆らえない。何も考えられなくなってしまう。

 思わず飛び掛かって頬擦りしたくなってしまうが、流石にこの状況でそれは出来ない。

 兎にも角にも主人に思念で要求されるまま、それは自分が見聞きした情報を洗いざらい受け渡す。


「ふーん……。やっぱ、断片絡みじゃなかったか。しかし、一応の確認に行かせた甲斐はあったよなぁ。あいつらもちゃっかり生きていやがったし。あーあー、どうしてこうなったかねぇ」


 そうして大仰に溜息を吐くと、主人はじろりと目の前の忍者を睨み、


「で。おたくさんはどちら様?」


 不敵に相好(そうごう)を崩すと同時、主人は自分に勝るとも劣らない巨大な犬歯を剥き出しにする。

 対してそいつは、少年のような透き通る声で淡々と呟いた。


「六紡閣近習衆、禎岡猟(さだおかりょう)……。その命、我が主に代わって貰い受ける」

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