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次元破断の魔術師  作者: 秋原
炎術師の森

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107/214

獣Ⅳ

 

 不嶽鍊の太陽宮。

 赫船慈榮の噴海大渦。

 それらと比べて、その熱線はどうだろう。

 粗雑。粗暴。熱量こそ膨大であるものの、褒めるべき点はそれだけで、洗練さは欠片もない。混沌を汲み出し、そのまま吐き捨てた。ただそれだけ。

 しかし、それが凄まじい。

 幻影を通じて尚、素肌を(あぶ)られたかの如き灼熱感。肺臓が燃えて悲鳴を上げている。

 原初の炎。熱く、ただただ熱く燃え盛り、野放図に荒れ狂う。

 死後に無数の神霊へと分かれる前の、荒ぶる神としての本性。首を垂れ、(ひざまず)き、ひたすら退散を請うしかない、どうしようもない暴力が、恐るべき奔流となって獣の喉元へと突き刺さる。


「―――⁉」


 穴が開いた。容易に向こう側を見通せるほどの綺麗で巨大な空洞が。

 気付けば、獣の首がきりきりと宙を舞っている。

 何が起こったのかわからないと十四の瞳孔をきょとんとさせて、首は軽やかに宙を回転する。

 その口腔には発射寸前の燐光が……。

 獣の瞳が戦慄(わなな)く。だが、もう遅い。(あぎと)は眼下の霧を真正面に捉えている。

 あらゆるものを攪拌(かくはん)し、爆殺へと導く咆哮(ほうこう)が解き放たれる――


「まさか……‼」


 颶風により晴れた霧。初めて露わになった白鱗の胴体。獅子にも似たその腰から尾にかけての半身が、怒涛の風圧にめきめきと圧し潰されていく。

 大地を揺るがす激震と暴風。次いで隕石級の大爆発に伴う衝撃波。

 火砕流の如き噴煙の津波が丘陵を襲う。

 幻影である自分には無効だが、生身の人間であればそうはいかない。しかし、矢面に立つ刑部はあくまで平然としている。

 軽く左腕を一振り。それだけで津波は真っ二つに切り裂かれ、円陣を綺麗に避けて通り過ぎて行った。

 男の胸に歓喜と憧憬が込み上げる。


(刑部さん……。貴方は、やはり変わらない……。飄々(ひょうひょう)と、それでいて泰然と……。やはり最強の炎術師の称号は、貴方以外にあり得な……?)


「………っ!」

「さーてと、伝家の宝刀を抜いたわけだが、どんな塩梅(あんばい)に落ち着いた?」


 (くわ)え煙草で紫煙を吐き出す刑部に、男は泡立つ内心を努めて殺す。


「このような切り札を隠し持っているとは、刑部さんも人が悪い。狙いもばっちりでした。最高の結果になりましたね」

「そりゃどうも。お褒めに預かり恐悦至極。しかし、もう少し驚いてくれてもいいと思うんだが。烽火乃盟にしてもそうだが、もしかしてこの技、知ってたか?」

「……いえ。いえいえ。初めて目の当たりにしましたとも。ですが、貴方であればこれくらいは可能だと、諸所の情報より見積もらせては頂きました……。

 ああ、申し遅れました。私はルーデンドルフ。しがない武器商人にして情報屋の真似事のようなこともしております。今回は七凶聖・詩貴静蘭の依頼で、フェルキア王との決闘を見届ける大役を仰せつかりました。火津摩さんの誘拐に加担したのは、夜魔の技術総監と昵懇(じっこん)であったため。ビジネスゆえ仕方なく……」


 男の丁重な礼に対し、刑部は、ふーんとどうでもよさそうに煙草を吹かす。


「ま、いいさ。互いに事情がある。しかし、ルーデンドルフねぇ。偽名にしては随分と洒落(しゃれ)てるな。素顔を隠すのは恥ずかしがり屋なだけじゃないだろう?」


 正体を気取られるわけにはいかない。

 男はユーモアで返そうとして、口(ごも)る。

 目の前を、灰が舞っている。

 ひらひらと新雪のように軽やかに、しかし、じっとりと脂に濡れて。

 ぼとりと、刑部の足元に何が落ちる。

 焼け焦げた(たきぎ)。いや、腕だ。真っ黒に炭化した右腕。くの字に曲がって硬直し、もはや二度と動くことはない……。

 見えない首を横に振る。自らの腕を触媒に焔神を最大出力で強制降臨させたのだ。成果を想えば、代償としては安いくらい……。


「……霧が出て来たな」


 刑部の言葉に、男は熱波渦巻く爆心地を注視する。

 堕ちた首の行方が気にかかるが、(まだら)に霧が垂れ込め出して状況が掴めない。

 途端、響いて来た特徴的な嘶き音。


 くるるるうううう


 忌々しいほどに堂々と、暗澹(あんたん)たるほどに健啖(けんたん)と。

 獣は再び白霧より姿を現す。

 何ら痛痒を刻むことのない、無機質で無感動な相貌。

 全くの無傷。

 顔無き男は一瞬、自らに課したキャラクターの設定を忘れて感情のままに(わめ)き散らしそうになる。


(……わかっていた、わかっていたさ! あれを殺すには、現状、方法は一つしかない! これはそのための反証。そして、大いなる進展でもある。先程の咆哮があれに当たっていれば……!)


 確かめる必要がある。

 しかし、それは自分にはできない。

 炎術師――刑部宵親にしかできないことだ。

 男は僅かに躊躇(ためら)う。だが、うまくすればこれで終わってくれる可能性もあると、意を決して口を開こうとし――

 再び夜気を切り裂いた原初の炎の閃光に、愕然と目を(みは)る。


「刑部さん……!」

「あー。薄い霧なら貫けそうだと思ってな」


 淡々と呟く彼の左腕は、蒸発した血が蒸気を立てる黒炭の塊へと変わっていた。

 彼方から獣の絶叫が響く。


「正中線を狙って袈裟(けさ)斬りに()いでみた。心臓が生体核、あるいは断片とかだと嬉しいんだが……」


 歴戦の魔術師としての才覚が、勝機を今の一瞬に見出したのだろう。

 間違いではない。居場所がバレた以上、焔神を一から再び構築して顕現する時間的猶予はない。不嶽鍊、妙蓮巴の増槽は一発目でカツカツ。二発目でほぼゼロが確定となるなら、霧の展開が完了する前に一打逆転の急所狙いは最適解……。

 だが、あまりにも情報不足――伝えるべき情報をまだ伝えきれていなかった。


「……あれを研究していた技術総監、ラピアス=ベリアールが教えてくれました。あの獣は次元破断の断片が変異した存在。あの獣全身が断片なのだ、と。従って、活動を停止させるには、彼女が製造した試作基同様、全身を微塵に破壊する以外にはありません……」


 (やすり)でこそぎ落したかのようなギザギザの擦過孔(さっかこう)から大量の鮮血を吹き出しながらも、すぐに獣は起き上がる。


「どうやら、そうみたいだな……。不死身か、あいつ。こいつは参ったなぁ」


 拙速だったと(なじ)るつもりは露ほどもない。

 性急だったと(おとし)めるつもりも毛頭ない。

 無駄撃ちに終わった? まさか、とんでもない。

 樹海の各所に配した分身体からの複合視点――その統合による全天視覚野は、つぶさに獣の苦悶、流血、創痕(そうこん)、そして穴を塞ぐように盛り上がる肉の影で蠕動する奇怪な肉腫の塊を捉えていた。


(そうだろうな、(しゃく)に障ることこの上ないが、健在だろうな……! だがな、とうとう位置が割れたぞ……!)


 彼のおかげだ。

 男は、両手を焼失した刑部を見遣る。

 彼ならば、もしかしたら自分が手を出さずとも獣を始末できるのではないかと期待した。そして、その期待は、現時点においても揺るがない。

 内心ではどのような想いが去来しているかはわからない。が、咥え煙草を相変わらず吹かしながら、透明な瞳で獣の挙動を見詰める様は、仰ぎ見るほどに(たくま)しい。

 そうだ、そうでなくてはならない。

 この極東を守護する魔術師であれば、眼を背けることなどあってはならない。

 ふうと煙を吐いて、刑部が呟く。


「……それで?」

「え……」

「今更とぼけなるなよ。俺に何かさせたいことがあったから、わざわざ逢いに来たんだろう?」


 煙草を咥えたまま器用に喋る刑部に、男は素直に頷いた。


「……その通りです。刑部さん。あの獣を殺すには貴方の協力が不可欠。是非とも私達の作戦に参加していただきたい」

「いいぞ。で、何をすればいい?」


 即答だった。

 彼も承知している。もはや他に手段がないことを。

 ルーデンドルという男が何者であれ、その誘いに乗る以外に選択肢がないことを。

 ゆえに、男は罪悪感に誘われる。

 彼が絶対に断らないことを承知しているがゆえに。


「……獣のあの不死性は、フェルキア王専用の断片使役躯体――神体の機能を取り込んでのもの。霊脈から無尽層に魔力を吸い出し、触手型生命体を自在に操る。まさに夜魔の特性を取り込んだ超生命体であると言えるでしょう。ですが、それゆえにある特性も備わることになりました。そして実に、ラピアス=ベリアールは試作基暴走実験の際、その特性を駆使して獣を安全に滅却処分していたのです」


 男の言わんとするところを察した刑部が明瞭に答えを告げる。


「炎術への絶対的脆弱性……。日光だと皮下組織まで浸透する前に再生が上回るだろうからな。一気に高温高熱で焼き尽くしたわけか」

「はい。炎術式を組み込んだ霊的稼働型の焼却室で、その最高燃焼温度は産廃処理用工業炉の倍以上。体長80センチまでは苦も無く焼き尽くせたそうです。それ以上の大きさになると炉に入れることすらままらならないことと、神体の断片掌握機能に一定の目途が付いたこともあって、優先順位の関係から以降の研究は凍結してしまったようですが……」


 あるいは、彼女も本能的に引き際だと感じていたのかもしれない。

 静蘭の警告がなければ、もっと早い段階で……そうだ。よくよく考えれば、自制など、研究一途で好奇心の剥き出しのラピアスらしくない。静蘭から獣化への謹言があればこそ、もう一歩を踏み込むことに躊躇(ちゅうちょ)したのでは……? 

 掌の上で踊らされている感覚。おそらく静蘭はラピアスの研究を知っていただろう。獣のことも。しかし、知っていて止めなかったのはなぜだ? 


(ラピアスは神体の暴走は偶発性によるものと語っていた。王の生存が僅かにでもあるのであれば、夜魔が故意に神体を暴走させることはあり得ない。だが、静蘭にとっては? 何か細工を……待て、それを考えるのは後でいい! 今は……!)


「ふーん……。試作基と同じ方法が神体に通用するなら……それで俺が必要ということか。理屈はわかったし、おまえが俺に求めていることも予想がついたが……、で、肝心(かなめ)なところはどうする? あの盾を」


 そう。現在、安全装置には厳重な封が掛かっている、

 ラピアスが夜魔王のために用意した炎術への恒常耐性――火津摩柊を贄とした防御機構という封が。


「火津摩の覚醒もあって、最高火力で貫いても焦げ目一つ付きやしない。まったく、当初は赫船を威圧するための火種()でしかなかったのに、敵に回ってこれほど厄介とは計算外もいいところだな。それとも、ここは火津摩の大器を見抜いた俺の審美眼を()めるべきか? いずれにせよ、恐れ入ったな。はっはっは」


 刑部は愉しそうに笑い、そして真顔になって男を見遣る。


「算段は整っているのか?」

「ええ……、今、私の分身体の下に控えていた二人に、進発のゴーサインを出しました。伏見遥斗と、貴方と交戦した夜魔の騎士ハウザー=ベリアール……。間も無く獣に接触するはずです」


 それだけでおおよそを理解した刑部が嘆息する。


「……そうだな。俺の出血具合からしても、ぐずぐずしている暇はない。……呉越同舟か。まあ、夜魔も夜魔で思うところもあるんだろう。万有不暦のレプリカで……いや、遥斗の方が確実か。首尾良く体内に潜り込めたとして、どれくらい持つ?」

「……余力から判断して、潜航限界は一分四十五秒。彼には、それまでに盾の発生源となっている肉腫へと辿り着いてもらいます。肉腫の位置は把握していますが、どんなに頑張っても到達はギリギリになるでしょう。そして――」

「……遥斗は、納得していたか?」


 刑部の質問に、男は暫し考える。

 納得とは何のことに対してだろう?

 生きて戻れないことを覚悟した、決死の特攻を仕掛けることにか。

 土壇場での行き当たりばったりな作戦が成功する確率の低さにか。

 それとも――

 男はようやく思い当たる。

 単独撤退を命じられていた伏見遥斗が、命令に反して王城に乗り込み、神体建造区にてラピアスの眼前へと現れるに至った、その理由。


「――ええ。彼も解っています。限られた時間で恒常耐性を司る生体ユニットを緊急停止させる最善手……。もはや、他に術はないということを」


 皮肉な命運に思いを()せて、男は(おごそ)かに告げる。 

 

「すなわち――火津摩柊の抹殺です」


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