短編『仲間からの追放とその後』
この世界で仲間割れはよくあることだ。
敵地への浸透はそれほどまでに精神を不安定にさせる。
敵に囲まれ支援もなく、絶え間ない緊張を強いられ安息を得るのは難しい。
そんな厳しい環境で仲間への配慮が薄れ、自身の焦りが仲間に向いてしまう。
それは時として金銭的な対立として現れ、またある時は異性への争奪として現れる。
何れにせよ仲間との関係は修復不可能の程に壊れてしまうだろう。
不気味に生い茂る木々、空は暗く松明なしには周囲を視認することすら難しい。
野営地から離れ、少し開けたこの場所に俺は呼び出されていた。
目の前には傷が無数に刻まれた鎧を着こみ、申し訳なさそうに佇む若者、カイルの姿。
彼は何かを言いかけ、すぐに躊躇う。そして何も言えず深く息を吐き出す。
カイルがその動きをするのはかれこれ四度目だ。
長いこと組んでいたからわかるが、これから告げられるであろう話はお世辞にも褒められた類のものではなさそうだ。
カイルがもう一度同じ動作を繰り返す。
二度、三度、そしてようやく決心したのか彼はその言葉を口にした。
「リッド、言いにくいから単刀直入に言う……」
真剣な彼の眼差しに何も言わず、続きを待った。
「君は村に帰ってほしい」
「……な、何を言い出すんだ急に」
思わず声が裏返る。
「君じゃもう僕たちの戦いのレベルについてこれない。はっきり言って邪魔になってきているんだ」
「なに、馬鹿なこと言ってるんだよ。冗談にしても性質が悪いぞ」
自身の情けない声とは裏腹にカイルの声音は力強い。
彼の纏う雰囲気、強い意思を反映した黒い瞳から嫌でも本気であると理解させられた。
カイルは黙って俺を見つめる。
彼の言っていることは理解できる。
ただ、納得はできなかった。
「待ってくれ、なんで急に……何年も一緒にやってきたじゃないか」
「……もう決めたことなんだ」
「み、みんなはなんて言ってるんだ? 此処は化獣の土地の真っ只中だぞ? 人が減っても簡単に補充なんてできないんだぞ?」
助けを求めるように仲間の話題を口にする。
「わかっているよそんなこと。それでも、決めたことなんだ。リルもラディスもカレンも賛成してる」
数年間寝食を共にし、命を守りあってきた仲間全員から戦力外通告を受けたという事態に身体から力が抜けた。
崩れそうになる膝を辛うじて縫い留める。
「ぜ、前衛が一人欠けたらお前の負担が……」
「違う、むしろリッドのフォローがなくなってやりやすくなる」
糸口を探すために咄嗟に出た言葉も即座に否定された。
「僕は一人のほうが戦いやすいんだ」
突出した実力を持つ彼に助けられたことは少なくない。
反論しようにも口からセリフは出てこない。
視界が歪んだ。情けないことに涙がでているらしい。
手首につけた編み紐が目についた。
こんな状況で何故か思い出されるのは討伐隊の全員で最初に意思を確認しあった夜、カイルが言った事。
『これを皆につけてほしいんだ』
渡されたのは個人ごとに違う色で編まれた輪っか状の紐。
『それはミサンガって言って故郷にあったちょっとしたお呪いなんだ』
彼は微笑みながら全員に手渡していた。
緊張していた俺たちの雰囲気が和んだのをよく覚えている。
『自然に切れると願い事が叶うらしいよ』
カイルは信じてないけど少しでもできることはしたいと言っていた。
そんな彼が今、俺の目の前で感情を殺した冷たい目をしている。
「そんな……」
志半ばだ。
まだ目的の場所に辿り着いていないというのに、俺だけ此処で終わりだなんて。
「……これは餞別だ」
カイルが俺に押し付けるように布袋を差し出した。
力の抜けた俺は拒むことなく受けとってしまう。
「その袋には今まで手に入れてきた化獣達の道具や死骸から剥ぎ取った固い甲殻や牙、骨なんかが入ってる。当面の金にはなるはずだ」
小さな布袋は見た目に反してずっしりと重い。
きっとこれはカイルが化獣から奪った見た目と容量の釣り合わない布袋だ。
この重みがもう会うことはないと告げられているようでひたすらに虚しい。
所謂、手切れ金だ。
「帰りは大丈夫、安心してくれ。ちゃんと街まで転送するから」
「……考え直してはくれないのか?」
カイルは何も語らず、ただ首を左右に振った。
彼は数節の力ある言葉を唱える。
全てを成し遂げてから味わうはずだった浮遊感が俺を包んだ。
俺はまだ、何もできていない。
「全部終わったら必ず君らに会いに行くから、待っててくれ」
飛ばされる直前、カイルが力強く、けれど小さな声量で呟いた。
足元の感触が消え、景色が引き延ばされた。
捻じれた景色の中、その場から弾かれ空へ飛ばされる。
頬に感じる風が冷たい。
こうして、俺、リッド・プレインの冒険が終わった。
短編 『追放とその後』
身体が痙攣し、びくりと勝手に動いた。
その衝撃で目が覚める。
どうやら俺は夢を見ていたらしい。
壁に掛けられた振り子時計が朝であることを教えてくれる。
癖になってしまっている座りながらの就寝から目を覚まし、身体を立ち上がらせる。
場所は昨日と変わらず、隙間風が吹き込むボロい安宿の2階。
チープな内装なのは残念だが野宿よりは遥かにマシだ。
伸びをすると節々がピキピキと音を鳴らし、着込んだままの鎧が擦れた。
「もう十年も前なのにあの時の夢を見るのか……」
俺の中であの夜の事は未だに忘れられない出来事であるらしい。
盆に張っておいた水で顔を洗い簡単に身なりを整え、壁に立てかけてある剣を腰から下げる。
「馬鹿を言うな、そんな安い値段で売れるものかッ!! 騙したいなら別の連中を狙え!」
支度を終えた頃、下から聞き馴染みの声が聞こえてきた。
トラブルのようだ。
街の宿で命の危険はそうそうないだろうが念のため、一階に向かう。
一階の食堂ではぽつぽつと宿の客が穏やかに食事を摂っていた。
そんな空間で一人肩で息をした人物が他人様の宿であるにも関わらずトビラに向かって塩を投げつけている。
貴重な調味料だというのに勿体ない。
「どうしたんだグレス。朝っぱらから。二階まで怒鳴り声聞こえてきたぞ」
「どうもこうもあるか。何年この街に物を売りに来てると思ってるんだあの若造め。この私を新米の商人かなにかと勘違いしやがって」
どうやら経験の浅い商人がグレスを騙そうと近づいてきたようだ。
放っておくとさらに塩を投げ出しそうな彼に着席を勧める。
席に着くと宿の主人が簡素な食事をテーブルに置き、足早に去っていく。
触らぬ神になんとやらだ。
「来ている服で新米かどうか気づけってんだ、全く。駆け出しにこんなに滑らかな生地の服が切れるわけないだろうが」
グレスは運ばれてきたパンを千切り口に詰め込んでいくが、怒りが収まらないのか咀嚼の合間にぶつぶつと繰り返す。
飯は不味くもないが美味くもない。
「そういきり立つなって、見くびられるのは若く見られている証拠じゃないか。いつだか言ってただろ? 商売敵を出し抜きやすくて良いって。俺なんかまだ30なのに村の子供におじさんおじさん言われてるんだぞ」
グレスは身長があまり高くない。顔も童顔。
少年少女と並べば間違いなく溶け込める。
十年前から若いと思っていたが今なお変わっていないその容姿は空恐ろしいものすら感じる。
「そりゃあ、お前が無意味に疲れた目をしてるからだろう」
グレスと知り合ってから何度言われたかわからないセリフ。
自分じゃわからないが俺は疲れた目をしているらしい。
目尻を揉んでいるうちに、グレスは静かに続けた。
「……私の心配するくらいなら自分の心配をしたほうがいいぞ。酷い顔してるぞ」
自身の顔を触ってみるがいつもと変わりがあるとは思えない。
だが、長い付き合いの彼に言われるならそうなのだろう、と納得する。
「また、あの夢を見たのか」
「……まぁな」
夢はふとした時に見てしまう。
今でこそ冷静に対処できるが最初の頃は叫びながら飛び起きてしまってした。
戦闘力不足だから外された。文字に起こしてみれば当たり前のことだ。
何処でも行われている一般的な行為。
討伐隊からの強制リストラ、この手の話はどこにでも転がっており、探せば一日でダース単位の話が聞けるだろう。
世の中には金銭的な対立や男女間のトラブルで追放されることもあるため、俺は恵まれているとさえ言える。
まさか、こんなことで魘されるほど自身の精神が弱いとは思ってもいなかった。
「もう十年も前のことだぞ。良い加減忘れて暮らせ。また自分を追い詰めるようなことをしたら嫁さんが可哀そうだぞ。ただでさえ村と街とを行ったり来たりしてゆっくり会えてないだろ?」
「仕事だから仕方ないさ。理解もしてくれてる」
「それでも心配されてるのは変わらないぞ」
「そうなんだけどさ。……まぁ、頭じゃ分かってるつもりなんだがなぁ」
気が付けば勝手に自分の頭を掻いていた。
十年もの間、抱えてきている問題は根強く簡単には解決しない。
生活に大きな影響がないのがせめてもの救いだ。
仲間に戦力外通告されたくらいで廃人になってしまったら精神薄弱が過ぎるが。
「すまん。寝起きにする話題じゃなかったな」
「いや、いつも心配してくれて有難いと思ってるよ。護衛の仕事もくれるしな」
食事を終えたグレスが腰の小さな布袋から金貨を1枚取り出した。
机の上で弾いてこちらに渡してくる。
「……これで酒でも飲んで来い。気分を悪くさせた詫びだ」
この宿でも飲めるが食事と同じで不味くもなければ美味くもない。
酔うためには悪くはないが楽しめるものでもない。
要するに気分転換をして来いということなのだろう。
彼の優しさにはいつも助けられている。
「……そうだな。恩に着る」
逡巡の後、グレスの提案を受け入れる。
「グレスさん、リッドさんおはようございます。今日もお早いですね」
しんみりとしかけた雰囲気を破るかのようにグレスの店の従業員が起きてきた。
「そういうお前は珍しいな。いつもはアルバンよりも遅いのに」
これ幸いとばかりにグレスがマニマに答える。
起きてきた彼はマニマ、そしてまだ起きてこないのがアルバン。
二人ともグレス隊商の従業員だ。
「で、アルバンはどうした? まだ起きてこないのか?」
「昨日街についてから護衛の方々と羽目を外しちゃったみたいで……」
俺は手を挙げてマニマに挨拶をする。
グレス曰く、若いが中々見込みのある男らしい。
此処にいる行商兼仕入担当員の他にもグレスの従業員は何人もおり、2つの村で店舗も構えている。
彼の隊商はこのご時世を考えれば中々の規模だ。
隊商の責任者が危険を顧みず街と村とを動き回るのはどうかと思うが。
「あの馬鹿め、この街にくるといつもそうだな。何時になったら学習するんだ。筋肉ムキムキの護衛連中に酒で叶うわけがないだろうに」
グレスは隊商の他に護衛団として私兵を雇用している。
俺もその中の一人だ。
「でも酒場に入り浸ったお陰で面白い話を聞けましたよ。なんでも西の方にある村では――――」
酒場の噂から何を仕入れて何を売るのか、専門的な話が始まる。
至極当然だが商人は金儲けに余念がない。
武芸ばかりを研鑽してきたから、その手の話は門外漢だ。
そろそろグレスの言葉通り、酒場でリフレッシュしてこよう。
俺が此処に居てもできることはない。
それに酒は百薬の長だ。
ただで酒が飲めるのだから気持ちも上向きになるというものだ。
「じゃあ、俺はお言葉に甘えて外に出てくる。俺達護衛のためにがっぽり稼いできてくれ」
「安心しろ。いつも通り帰りは護衛が大活躍するほどの金に商品を集めてきてやるさ。護衛の仕事は街の外、我ら商人の仕事は街の中。そら、さっさと街を楽しんでこい。他の護衛連中もそのうち起きて、こりずに街へ繰り出すだろうからな」
拳を突き合わせてグレスに別れを告げる。
軽くマニマに会釈をして俺は宿を後にした。
宿を出て大通りに繰り出す。
早朝にも関わらず街の中心を貫く道のためか、そこそこ人で賑わっている。
道には明かりが灯され真っ暗な空に僅かな光が延びていた。
ふと、宿を振り返る。
室内の状況と同じで外観がボロイ。
この宿の経営が成り立っているのは偏に立地のせいだろう。
まばらに立っている露店を見ながらグレスへの宣言通り酒場に向かう。
朝からやってる店も少なくない。
今日はどの酒場に行こうか。
少し歩くと一際大きさ声で街行く人に語り掛ける集団が見えてきた。
規模の大きな街には必ずいる連中だ。
「――――なぜ、この世界の空は常に暗く覆われているのか!! それは化獣共がこの空を暗黒で覆ってしまったからだ!! あの化獣共が空に輝く偉大なる神の力を己が欲のために覆いつくした!! この所業を許していいのか!! さぁ立ち上がれ人間よ」
彼ら曰く、かれこれ数百年前、空は明るい時間と暗い時間があったらしい。
作物を魔術で育てなくても良いし、明かりの為の油に気を配る時間も一日の半分で済んでいたらしい。
その明るい世界を化獣が闇で覆ってしまったというのだ。
頭のお堅い学者がそんな説を唱えているらしいとかつての仲間から聞いたこともあったが正直信じていない。
彼らの説法は注目を引き、必ず数人は立ち止まる。
それが彼らをより助長する。
「かつて、この大地は全て我々の物であった。我々は神より賜った魔術を使い、大地に根差し繁栄してきた。神は我々に豊かな大地をお与えくださったのだ」
白い服を纏う集団が思い思いに力ある言葉を唱えた。
炎が、雷が、水が舞う。
魔術は個人の成しえる技術だ。
使える魔術、精度、力量、回数、その全てが個人の資質に大きく由来している。
適性の無い俺が使えるのは戦闘に関係ない生活魔術程度だ。
「それをあの無法者共が忽然と姿を現し、大挙して我々の大地を掠め取ったのだーーーー」
化獣の数、種類、その全てが正確に把握できてはいない。
判明しているのは無数に居て、知恵を持ち生活してるということのみ。
人型、獣型、鳥型、種類は例をあげればキリがない。無論、海にも生息している。
更に彼らは魔術に似た力を使う。
似たような力を持ち、総数を彼らのほうが圧倒的に上回っている。
必然的に人類は追い詰められ、今は大陸の片隅をなんとか領土して保っているだけ。
それが数百年前の出来事。
今に至るまで化獣達と人類との戦いは一進一退を繰り返し、人類は小さな土地を守ることしかできていない。
しかし、一度均衡が生まれてしまえば危機的状況にも余裕が生まれてしまう。
今の人間は窮地というには生温く、繁栄というには厳しい状況に立たされていた。
時代の閉塞感は著しい。
説法師は調子をあげて自らの話に酔ったように化獣を根絶するのだ、とのたまった。
「私たちはどうすれば化獣を倒すことができるのでしょうか?」
説法が盛り上がりを見せると立ち止まっている信徒から合いの手が入った。
彼らが説法すると決まって現れる同じ女性だ。
所謂仕込みなのだだろう。
「神を信仰するのです。信仰は大きな力を生み、やがて化獣を打ち破る大きなうねりとなるであろう!! さぁ、信仰者よ!! 悪の根源たる暗き輝きへと進むのだ!! 輝きを打ち破れば我らの元に明るい世界が再び訪れる!!」
慣習として夜と呼ばれている時間帯、西の空に暗い輝きが放たれる。
俺たちのような討伐隊はあの輝きを目指して化獣蔓延る敵地に浸透する。
輝きの場所に暗闇を作り出している存在が居ると信じて。
当てのない旅を、根拠のない推論を元に輝き目指して進み続ける。
「………………」
当時の出来事が頭によぎった時、上空から白く尾を引く光の矢が街目掛けて飛んできた。
光が説法をしている集団の近くに着弾し、一瞬だけさらに大きな光を放つ。
有難い説法をしていた神官達は突然の出来事に腰を抜かし、倒れこんだ。
放たれた光が収束し、やがて六つの人影が浮かび上がる。
彼らは全身が血に濡れ、肩で息をしていた。
珍しいことに転移の術だ。
離れた場所に移動できる転移の魔術は適正者が少なく、実用的に使用できる者はもっと少ない。
化獣の土地に浸透していた討伐隊が帰ってきたらしい。
六人の姿を確認した神官は慌てて立ち上がり顔を真っ赤にして叫んだ。
「化獣の土地から逃げ帰ってくるなど恥知らずどもめ!! 命を散らしたとしても一匹でも多く道連れにしろ!!」
六人は陣形を維持しつつ周囲を見回す。
傷だらけとはいえしっかりと立っており、手助けはいらなそうだ。
「あの穢れた台地には転移できないのだぞ!!」
化獣の大地には如何なる技術か転移の制限が掛けられており、転移の終着点としての設定ができないらしい。
詳しくは術者でもないのでわからないが。
ヒートアップする神官を無視して討伐隊は自らの状況を確認し、張り詰めた空気を弛緩させた。
全員が生きていることを確認しあい、安堵のため息を漏らす。
人類の悲願だろうとなんだろうといつだって命あっての物種なのだ。
彼らにゆっくりと近づく。
「この先に少し行って曲がったところに腕の良い術者がいる治療所がある。『メディスの憩い場』っていう場所だ」
「え? ……あぁ。そうなんですか。ご親切に教えていただいてありがとうございます」
話しかけられると思っていなかったのか六人組は驚き、体格の大きな男性が代表して答えた
年の頃はみな二十代前半だろうか。
彼らの瞳は空のように濁ってはおらず、帰ってきたばかりであろうに、すでに次の旅を見据えているように思えた。
俺とは違う彼らのためになにか手伝えないかと自然とその言葉が出ていた。
「手、貸そうか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
柔らかく辞した彼らは、会釈をして神官の暴言を背に俺が示した方角へと歩いて行った。
彼らの心は折れていない。
いつか彼らみたいなものが人類を現況を打破してくれるのだろう。
……いや、俺の仲間たちのほうがはやいかもしれない。
広大な大陸のどこまで足を広げているのだろうか、俺には知る由もない。
いずれにせよ六人組は良い顔だ。俺や神官達とは大違いだ。
神官達が口汚く討伐隊を罵る様など、心清らかなはずの神に仕える者には到底見えない。
神様とやらがいるなら化獣を亡ぼしてくれなんて贅沢は言わないからせめて盗賊の類をなくしてくれ。
ここらじゃ化獣よりも人間のほうがよっぽど恐ろしい。
いつの間にか止めてしまっていた足を動かし、再び歓楽街へと歩みを進める。
騒々しい音楽が聞こえ始めた。
大通りから外れ、明かりの僅かな細い道を曲がる。
暗い道の先には大きな光源。
ゆっくりと歩く。
道が開けた。
久しく朝に訪れていなかったが、此処は朝でも騒々しいようだ。
通りにまで聞こえるバードの唄と見事な演奏。
道にまではみ出す酒場の席。
薄い服を着て男を誘惑し店に入らせようとする踊り子。
踊り子にくぎ付けで女性から殴られる間抜けな男性。
世界の閉塞感も酒の前には無いも同然。
歓楽街には眠りはない。
自然と笑みが零れた。
騒がしい空気に浸りながら馴染みの店へと足を向ける。
見慣れた光景の中、ふと、珍しい扉が目に留まった
木がくり貫かれ、模様が作られている。
それだけではなく灯りの反射からしてくり貫かれた部分にガラスがあしらわれているようだ。
驚いたことにガラスの透明度が恐ろしく高い。
芸術を解する感性は持ち合わせていないが、それでも店構えが他の酒場とは違い洗練された印象を受けた。
綺麗な外装からして新しい店のようだ。
外にテーブルを並べることもせず、踊り子を入口に配置したりもしない。
相当自信があるらしい。
たまには新店舗を開拓するのも悪くない。
装飾された扉を開き中へと入る。
「いらっしゃいませ」
洒落た服を着たマスターがカウンター越しに渋い声で挨拶をしてくれる。
店内はこじんまりとしており円卓のテーブル席が二つにカウンター席がいくつか。
扉を閉めると外の喧騒は聞こえなくなり、緩やかな音楽が店の奥から聞こえてくる。
幸か不幸か俺以外に客は入っていない。
見事な外観が逆に敷居を高くしているのだろうか。
席に座りエールを注文する。
流れるような動作でマスターが酒を注ぎ、すぐさま俺の前に酒が置かれた。
グラスからは冷気が立ち上り、よく冷やされていることがわかる。
雑な酒場にはありえない魔術を使用したきめ細かい心配りに感動を覚えつつエールを一気に煽った。
冷えたエールが喉を潤し、人心地が付く。
お代わりを注文しようとしてマスターに視線を移した。
そして、ようやく彼の顔を確りと視認した。
「ーーえ?」
「ーーえ?」
二つの間の抜けた声が重なった。
互いに目を見開きじっくりと顔の細部を確認し合う。
「ラディス?」
「リッド?」
十年前に俺を街へと帰らせた仲間の一人だった。
徐にラディスが手を差し出した。
意識せず勝手身体が答える。
手のひら手の甲を打ち合わせ、こぶしを握り上下に一回ずつまた打ち合わせる。
そして、握手をして腕相撲の形でもう一度握手。
最後に拳を突き合わせる。
懐かしい動作に思わず笑みが零れる。
「俺と僕と私と君と」
「いつか芯から酔える幸せにッ!!」
忘れもしない、合言葉。
姿を真似して謀る化獣が居ると知った時、全員が酒好きな俺達で決めた合言葉。
人類の前線の基地を超え、化獣共の大陸に足を踏み入れる際に決めた言葉だ。
俺、カイル、ラディス、リル、カレン。
五人だけが知るはずのもの。
それを知っているということは魔術による姿の偽装ではありえない。
「リッドよく無事でいたな!! もう会えないと思ってたぞ!!」
「お前こそ相変わらず後衛のくせにムキムキだな!! バーのマスター気取ってピッチピチの服着やがって!! 筋肉自慢か!!」
最後に突き合わせた拳を開き、笑いながら熱い握手を交わす。
手から伝わる感触から後衛にも関わらず鍛え上げられた肉体が健在であるとわかった。
ラディスも俺が帰還してからも鍛錬だけは怠らなかったのが伝わったのか、口角をあげてニヒルに笑った。
けれど、感動の一時のもの。
徐々に街へと帰らせられた当時の苦い記憶が瞬時に蘇る。
何故あの時あのタイミングで俺の強制帰還に賛成したのか、澱のように積もり積もっていた気持ちが噴出する。
握手を離して、気を鎮めようとグラスを持ち上げた。
口元まで運んでようやく飲み干してしまっていたことを思い出す。
ストッパーになりえたアルコールはもうない。
再開は非常に嬉しいが、少なくとも俺を追い出した後に何があったのか、どうしてこんな場所で酒場のマスターを気取っているのかを聞かなければ話を先には進められない。
「……それでお前、いつ帰ってきたんだよ。こんな洒落たバーを開く前に連絡の一つくらいよこしてくれても良かったじゃないか」
口調に棘が混じってしまった。
「それを言うのならリッドこそ連絡をするべきだったろ。何か事情があってこっちに帰ってきたのか? お前がいるんなら皆もいるんだろ? あ、それとも、もしかして誰かやられちゃったりしたのか……?」
「みんな? 何言ってんだ? それを聞きたいのはこっちのほうだぞ。あれから十年ずっと化獣の領地にいたのか?」
「はぁ? いや、だからそれを知ってるのは俺じゃなくてリッドだろ」
矢継ぎ早に繰り返される質問の応酬。
いまいち話が噛みあわない。
次第に俺もラディスも何かがおかしいと気付き始めた。
互いに状況が呑み込めず、疑問符が脳内を埋め尽くす。
ラディスが腕を組み、数瞬の思考の後、切り出した。
「……リッド、お前十年前に俺を実力不足だって言って村に帰すことに賛成したよな?」
「いや、誓ってしてない。俺はお前らに実力不足って言われて街に返されたんだ。正確にはカイルに言われたんだが」
「俺もカイルに呼び出されて言われたな…………しつこいようだが、本当にカイルに帰させられたんだよな?」
念を押すようラディスが質問を繰り返す。
「……そうか」
そして、彼は大きく息を吐き出した。
俺も釣られてため息が漏れる。
事実から導き出される結論はただ一つ。
「……つまりは、二人とも追い出されたってことか」
ラディスがため息交じりに俺の気持ちを代弁した。
彼の顔は入店時よりも明らかに疲弊し、顔の皺が増えているようにも見える。
俺もおそらく同じ顔をしているだろう。
間の抜けた顔のままラディスが黙ってウイスキーの入ったボトルとグラスを持ち、バーカウンターを飛び越えた。
そのまま俺の隣に腰掛ける。
「なんか急にあほらしくなってきた……なんか、もう飲もうぜ。奢るわ。俺の店だし。好きに飲んでくれ」
「営業中なのに良いのか?」
「一日くらい良いんだよ」
カウンターに肘をつき、不貞腐れながらラディスが力ある言葉を唱える。
ボトルの栓が開き、グラスに酒が注がれた。
見たことのない銘柄ながら良い酒のようで室内に芳醇な香りが広がる。
魔術の無駄遣いだ。
扉のほうでも音が鳴る。
鍵をしたようだ。
本当に店を閉めたらしい。
俺もラディスもやるせない気持ちで酒を煽った。
見えない従者でも召喚していたのかグラスは渇く暇もなく注がれる。
ゆったりと、そしてどこか張りつめたような静寂の中、ラディスが口を開いた。
「……で、この十年なにやってたんだ?」
「隊商の護衛だよ。俺ができるのは今も昔も一つしかないもんでね。相手が化獣か人かは違うけどな」
人類の領域には、滅多に化獣は現れない。
前線の人間が水際で防いでいるからだ。
だが、逆にある程度の安全が保障されているせいで盗賊がでる。
働かずに他人から奪って楽をしたがる連中は後を絶たない。
「最近出回ってる、あれ、なんだっけ……丸い奴飛んでくるあれ……そうそう、銃だ、銃。あれ使わないのか?」
「そんな高価なもん使えるかよ。矢避けの加護持ちにも効かないし撃つごと弾込めなきゃ使えないわで、実用性がない。あれだったら魔術で鍛えた弓矢のほうがまだ使えるわ」
「銃、見た目は格好いいのになぁ……盗賊って強いのか?」
「人型の化獣とどっこいどっこいだな……いや人間ってだけでやりづらいし人間のが厄介かも」
知恵はどちらも持っている。
厄介さは人も化獣も変わらない。
「……まぁ、いつまで経っても人間の足を引っ張るのは人間だな」
ラディスが寂しそうに呟いた。
「で、そういうそっちはどうなんだ?」
「俺は見ての通り、戦いからは身を引いたよ。なんか急にあほらしくなってね。でも、だからといってただ無為に生きるのもあれだからな。世知辛い話なんだが、金がない。働かざるを得ない」
俺も金の心配がなければ働いていなかったかもしれない。
「カイルから化獣の素材を分けてもらって自分の分け前とあわせてしばらくは大丈夫だったんだが、不思議なことに貯蓄が減るたびに心がすさんでいくんだよ。そんで色々悩んだ結果、その時思ったわけよ。やべぇ働かなきゃってな」
俺にも経験がある。
やる気も何も起こらない中で金だけが目減りしていく。
「でも今更戦いに身を捧げるってのも何か違うってなって…………気が付いたら酒造りしてた」
減っていく金、先のことを考え、前のことも思い出して負のスパイラルに落ちいる。
俺は今の家内が支えてくれたが、ラディスは酒に救われていたようだ。
「此処にあるのは俺の作ったオリジナルの酒が多いんだぞ。魔術のお陰で人件費も掛からないし、酒も短期間で作れる。魔術様々だよ」
「この美味い酒をつくったのか。昔から器用だったし流石だな」
元は生死を共にしてきた仲だ。喧嘩別れをしたわけでもない。話題は尽きない。
互いに飛ばされた当時の事を話し合う。
時折扉を叩く、新たな客を無視して二人で語りつくす。
帰ってきた場所に違いあれども、転移後の感情は同じ。
今でこそ違うが時にカイルを恨んでいた時期もあった。
帰されたのが自分だけではないという事実は俺の心に幾許かの安定を与えてくれる。
話題も一段落し、穏やかに酒を楽しむ時間が続く。
ラディスは多才でウイスキーに果実酒、エール、多種のお酒を勧めてくれた。
それから更に時間が経ち、頭にかなりのアルコールが回ってきた頃、彼がぽつりと切り出した。
「しっかし、なんで俺たちを帰したんかねぇカイルの野郎は……俺だけじゃなくて前衛のお前まで抜けちゃ流石に話にならないだろ」
「あの時は実力不足っていってたけど……」
元々五人で行動していたのに前衛と後衛の二人が抜けた。
流石にこれでは実力不足云々ではなく、単純に戦闘のための人手が足りない。
少数精鋭は理に適ってもいるが、如何に突出した実力でもそれを覆しうる数の差は確かに存在している。
当時の俺たちも大規模の集団に行く手を阻まれ、何度全滅しかけたかわからない。
「実は酒池肉林狙いだったりして……リルもカレンも整った顔してたし」
「いやーあり得ないだろ。ラディスは見てたか知らんけど、あいつ前線基地行くまでに格好良すぎてめちゃくちゃ女性に誘われてたのに一切乗ってなかったぞ。明らかに二人よりも可愛いくてスタイル良い女性もいたのに」
「あぁもう本当に意味が分からんな。当時の俺なら来るもの拒まずだぞ。つか畜生、あいつ俺の知らんところでそんなにモテモテだったんかい」
「知らなかっただけまだマシだろ。俺なんか毎回カイルを呼んでくれって女性に言われる役だぞ」
酒が入り、下衆な話もよくすすむ。下衆な話で酒もすすむ。
今頃彼らはいったいどこで何をしているのだろうか。
ラディスは西の村に送り返され、今はバーのマスター。
俺は街と村とを行ったり来たりの護衛生活。
リルは確か前線近くの街の生まれで、カレンは漁村の出身だったはずだ。
カイルは……どこだったかな。
「カイルって何処の出身だったけ?」
「……さぁ? 俺も詳しく聞いたことなかった。黒髪に黒い瞳だし南のほうじゃないか?」
ラディスは棚にある酒の瓶を魔術で取りながらぞんざいに答えた。
出身地だのなんで討伐隊に入っただの、この手の話は焚火の近くで何度もしたはずだ。
「あー……たしか昔にちょろっと聞いたときは東のほうだとかいってたような……気がしなくもない」
頭を捻り、ラディスが朧げな記憶を掘り返す。
「……よく考えたらカイルのことよく知らないな」
「あいつ、かなりの秘密主義だったし仕方ないだろ」
仕方ないといいつつ、何か引っかかる点があるのかラディスは頭を叩いて何かを思い出そうとしている。
「あー……っと……うーん…………あぁ、そうだ、そうだ。思い出した。あいつ酒がてんで飲めないくせに一回だけ飲んだときあったろ?」
「えっと……それって化獣の土地に入る前か?」
「そうそう。あんときさカイルのやつしこたま飲んで酔っ払ってべろんべろんになってたじゃん?」
「……そうだっけ?」
「おいおい、お前も酔ってたくちか? ……まぁとにかくあのとき俺がベットに運んだんだけど、酔ってたから何でも聞きだせると思って、出身地はどこか? ってきいたんだよ」
話に乗ってきたのかラディスは何か重大なことを言うかのように調子を上げていく。
「そしたらあいつわけわかんない言語でいきなりしゃべりだしてさ……その時、唯一聞き取れたのが、ニホン? とか、テンセー? とかそんな単語だけだっただよ。そんで朝になってカイルにその言語のこと聞いたけど何もしらないってとぼけられたんだ……」
最後にラディスは得意げにそう話を締めくくった。
「……で?」
彼の話にはオチがない。
ただの酔っぱらい戯言じゃないか。
「いや、で? って言われてもこれで終わりだよ」
「なんだよオチなしかよ」
ドン、ドンと扉が強く叩かれた。
「開いてるのーーーー飲んでるがーー見えだぞ」
「駄目だよーー閉店て書いてーーーーない」
女性の声だ。二人組らしい。
よく聞き取れないが、俺たちの姿を見て酒を飲ませろと騒いでいるらしい。
「無視だ無視。今は店を開ける気分じゃねぇよ」
ラディスは頑として態度を変えず、身体を縮めてグラスに口をつける。
「なんであけないのーーーーーーーってーーーーのに」
女性は今までの客とは違い相当にしつこく、なかなか諦めようとしない。
声の調子からして女性の一人はかなり酔っているようだ。
静かな音楽が流れる店内に女性がドアを叩く音が埋め尽くす。
美味い酒も不味くなる。
一向に諦める様子のない女性にしびれを切らし、ラディスが立ち上がり扉のほうへ歩き出した。
扉を勢いよく開いて一喝。
「うるせぇんだよ!! 看板の文字が読めねぇのか!! 今日は店仕舞いだって…………いって……る、んだ……」
威勢よく向かったラディスの様子がどうにもおかしい。
彼の陰に隠れて女性の姿は見えないが、彼女達まで静かになっている。
妙だ。
「ラディスどうしたんだ?」
ラディスが黙ったままカウンターに戻り、強い度数の酒を瓶ごとひったくり水のように勢いよく嚥下していく。
おかしな様子のラディスから目を離し、入口で立っている二人組に視線を移した。
「………………」
俺も適当に瓶をひったくり浴びるように飲み干した。
「おいリッド、俺はどうかしちまったのか?」
「お前だけじゃないぞラディス。俺も目の調子が悪いみたいだ」
入口の女性二人組は噂のリルとカレンだった。
十年の時を経て多少見た目の変化はあるものの、本人であると間違いなく断言できる。
一心不乱に酒を飲む。
今日は少し衝撃の大きな出来事が起き過ぎている。
女性二人も入口で固まってしまっている。
「…………もしかして、リッドとラディス?」
昔、斥候や中衛で全員のサポートをしていたカレンが当時と変わらぬ声で問いかけた。
「ヒトチガイダヨ」
ラディスが口を閉じたまま、鼻の穴から気味の悪い高い声を出した。
彼の脳は処理が追い付いていないらしい。
「ラディスじゃん!! え? え? なんで? あんた達がカイルといるんじゃないの!?」
筋肉だるまのラディスが首元を掴まれ、カレンに持ち上げられる。
「なんとか言ったらどうなのさ!! ラディス!!」
「ーーーーーー」
首閉められ声も出せずにラディスぷらぷらと揺れる。
彼女の馬鹿力が健在らしい。
「カレン!! 絞まってる!! これ以上はラディスさんが死んじゃうっ!!」
リルが必死にカレンを引き離そうとするも、カレンの肉体強化の魔術に阻まれ手も足も出ない。
懐かしく感じる混沌とした空気に、酒を口に含んだ。
旨い。
「リッドさん!! まったりしてないで手伝って下さい!」
リルに怒られた。
ラディスが召される直前になんとか収集を付け、全員でテーブル席を囲んだ。
「えっと、みなさんのお話を纏めると全員が全員、カイルさんに帰れっ言われたってことになりますね」
リルが進行役となり俺たちから話を引き出した。
当時からみんなの意見を整理するのは彼女が上手かった。妙に懐かしい。
「私たちの中じゃカイルは男好きっていう結論に至ったのに、いったいどういうことなのかしら……これじゃあカイルは一人になってるじゃない。リルと会った時でさえ驚いたのに全員いるなんて、もうわけがわからないわ」
カレンが肘をつきながらため息をついた。
「……あいつ、もしかして帰りたかったんじゃないか?」
「あれだけ化獣を倒すのが使命だとか運命だとかいってた奴が? 流石に違うでしょ」
ラディスの意見を即座にカレンが否定する。
それを皮切りにあーでないこーでもないとカレンとラディスが話し合う。
そこにリルが小さな声で意見を言う。
皆、年はとったが変わらない。
十年前の光景がそこにはあった。
「ーーーーで、リッドはどう考えてるの? …………って、聞いてる?」
「ん? あぁ……」
急にカレンに話を振られ、生返事を返してしまう。睨まれる。
彼女達の言っていたことを思い返し、言葉を選んだ。
「……今更考えても仕方ないんじゃないか? それよりも俺は運命の悪戯で再会できたことを喜びたい」
カレンもリルも少し目を見開き、やがて長く息を吐き出した。
「……そうね……確かに考えても仕方ない……なんか私、疲れたわ。すごく、心が……」
「疲れたのはリルが魔術使ってラディスさんの首を絞めてたからじゃ……」
「だまらっしゃい」
「……ラディスの作った酒、美味いぞ」
俺が言うや、ラディスが見えない従者にボトルを持ち上げさせカレンとリルのグラスに酒を注ぐ。
その時、外が騒がしくなった。
防音されているはずの店内まで外の喧騒が伝わってくる。
「今度はいったいなんだ。もう驚かねぇぞ」
ラディスが疲れを隠さずため息交じりに呟いた。
透明なガラスから入ってくる光がいつもよりも随分と強い。
『空が……ッ! 空がッ!』
店の防音性を突き破り誰かの声が消えてきた。
誰かの叫びは徐々に広がり、やがて一つの声として判別不可能なほど大きな音へと変わる。
あまりの異常事態に全員が酒を置き疲労と酔いでふらふらの足を引きずり、千鳥足で扉へと向かった。
そして、扉を開き外へと出る。
人々は狂喜し空を見上げていた。
釣られて俺たちも空を見上げた。
「空が……青い……?」
ずっと暗かったはずの空が青色に染まっていた。
状況が理解できず呟きが自分の口から出たものであることすら最初は気づけなかった。
ラディスやカレン、リルも今日はもう驚かないと言っていたにも関わらず口を大きく開けて惚けている。
しかし、俺たちの困惑を他所に時は進み続ける。
光の塊が青空を貫き近づいてきた。
それは大きな着地音と共に砂煙を巻き上げる。
「少し力を注ぎすぎたな。着地が荒い」
咳払いと懐かしい声。
光の中から片腕の欠けた青年が現れる。
年のころは三十代、かつての空のような黒髪と黒い瞳。
「リッド、カレン、ラディス、リル」
あの時、最後に聞いた時と同じ声音で彼が言った。
「みんな、やっと終わったよ……」
この世界で仲間割れはよくあることだ。
敵地への浸透はそれほどまでに精神を不安定にさせる。
敵に囲まれ支援もなく、絶え間ない緊張を強いられ安息を得るのは難しい。
そんな厳しい環境で仲間への配慮が薄れ、自身の焦りが仲間に向いてしまう。
それは時として金銭的な対立として現れ、またある時は異性への争奪として現れる。
何れにせよ仲間との関係は修復不可能の程に壊れてしまう。
だが、例外もある。
本当に仲間の身を案じて生きてほしいと願い、泣く泣く仲間から外すのだ。
仲間から外した張本人は自身を犠牲にして何かを成し遂げようとするだろう。
その思いは気高く尊い。
けれど、忘れてはいけない。
時に優しさは誰かを傷つける。
共に傷つき、共に進むそんな約束をした仲間なら特に。
これは世界を救った偉大な人物カイルの友人、リッドが再び彼と巡り合うまでのお話だ。