プロローグ
悪魔転生が流行っていると聞いて始めてみました。
ピッ――――――――――ピッ―――――――――――
静かな一室に、心電図の音が響く。
無機質な機械の音が私の耳に届く度に、どうしようもない悔しさと何もかもがどうにもならない無力感で、私の胸が圧迫される錯覚を覚える。
首を傾ければこの病室の窓から見える青空も今の私では見ることが叶わず、部屋に充満していた消毒液の臭いなんて懐かしさすら感じてしまう。
私は病弱だった。赤ん坊の頃から10歳を越えずに死ぬと医者に宣言されるほど私は弱かった。
初めて手足が思うように動かなくなった恐怖は、未だ鮮明に覚えている。
8歳くらいから指先が痺れるような感覚に付きまとわれ、何もない道端ではよく脚がもつれるようになった。次第に手の感覚が無くなり、50メートル歩くことがとても辛く感じた。
いつしか食事は誰かに手伝ってもらわないと食べることも出来ず、常に車椅子を押してもらって移動することになった。
ALS・筋萎縮性側策硬化症と言う病気を私は患っている。私のように手足から始まり、肉体の筋肉が次第に動かなくなって最後は呼吸することすら出来ずに その者を死に至らしめる病だ。
10歳を越えずに私は死ぬ。その宣告通り、私は自分に死期が近付いているのを幼いながらに理解した。
死………それが私の背中を追ってくる。いつかその魔の手が私の心臓を鷲掴みにするんだ。
死の恐怖に私は毎夜怯えた。朝起きて自分の命がまだ終わってないことに泣いて安心した事など数え切れないほどある。
私は死にたくなかったんだ。どうしても。例え意地汚くても、みすぼらしく滑稽であろうとも。何がなんでも生き足掻きたかった。
死ねば何も残らない。この病気の兆候が現れる前に親を亡くして、私は二人がどのようになってしまったのか知っているから。
だから私は足掻いた。私を殺そうと迫る死神から逃げて逃げて逃げて。
過酷なリハビリを続けて、それでも衰える筋肉を維持し続けようと何度も何度も倒れて…………。
それでも………17歳となる誕生日の今日。
私はもう死から逃げることが出来ないことを悟った。
既に眼球は動かず、喋るための舌も動かない。乙女と言う概念を忘れたかのように尿は勝手に排出され、生物の本能的な行動である呼吸すらもままならず人工呼吸器で無理矢理肺を動かしている。
身体が動かせなくてもまだよかった。
春の陽気な暖かさに安心を覚え、夏の暑さにダルさと苦しさを味わえた。秋の空しさと寂しさに泣いて、冬の寒さに震えと痛さを我慢した。
でも、私の身体はもう殆どが死んでしまっていて五感すら無くなった。ここ最近は心臓が何度も止まってしまったことで脳に行く血が減り、脳の何処かが死滅してしまったらしい。
だから死に逝く事が嫌だった筈なのに、私の脳はそれを処理することを呆けてしまっている。
正常であるならばこの状況に一つの発狂くらい起こしそうなものの、心に一分の揺らぎすら与えなくなってしまった。
ピ―――――――――――――――――――――――――――――――――
先程まで聴こえていた私の心音を表す無機質な音は既に無くなり、視界もいつの間にか真っ白に染まっている。
もう時間が無い。私が生きられる時間が………この世にいるために足掻く私が、失われていく。
嫌だ。嫌なんだ。
死にたくない。
私はまだ、生きていたい。
何も出来ず、この世から去るなんて認められる筈がない。
どうして………
何で…………
私は…………
私は…………
―――――――――――汝。
ふと、誰かの声が聞こえた気がした。
ひび割れたような。歪で。鈍く、不安な声。
もう身体の機能が無くなった筈の私に、その声は届いた。
―――――――――――汝、契約するか?
まるで私の心の中にスルリと入ってくる不思議な声色。その声に、私は気付けば聞き入っていたんだ。
―――――――――契約ってなに? 私はどうすれば良い?
この声に私は意味の無い確信があった。
この声は良くない。良くないけど…………私の望みを叶えてくれる。
そんな気がしたんだ。
―――――――――――汝の望みを一つ。故に、汝の魂を我が得る。
そう声が言った。
望みを叶えると。私の望みを何でも一つ叶えてくれるんだって。
死に際の私が産み出した幻聴なのかもしれない。
私がどうにもならない現実に対して嫌気が差して、自己満足を得るために勝手に妄想したのかもしれない。
それとも、脳の細胞が死に過ぎて勝手に変な夢でも私に見せてるのかもしれない。
それでも。私は…………ただ望んだんだ。
次こそは………。
次こそは、私に生きるための身体を寄越せと。
そう、望んだんだ。
―――――――――――契約は成立した。
そう声が届いた時、私は暗い…………暗い世界の深淵へと落ちていった。