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 八宝菜、卵スープ、えびの唐揚げ、白ごはん。ほとんど手の付けられていない料理を、私は下げ続けていた。


「本当に少食だよね」


 自分の分は綺麗に平らげた彼氏らしき人物が、料理を残した女性に言う。女性が笑うと、綺麗な青色のピアスが揺れた。


「だってえ、あんまり食べたら太っちゃうし」


 じゃあどうして中華料理なんて食べに来たのだろうと思ってしまう。あるいは、どうしてセットを注文したのか。「ご飯少なめで」と一言くらい言えなかったのか。

 ダイエットなんてまったく必要でないしむしろ太るべき体型ですらあるのに、この女性は何を言っているのだろう。モデルかなにか目指しているのか?

 かと思いきや、女性はメニューを開いた。


「ねえ、スイーツ食べようよ。セットについてるんでしょ?」


 ――多いなあと思う。ご飯は残してもスイーツは食べて帰る人。お客様だし文句は言えないけれど、苦手だ、こういう人。

 青色のピアスはマンゴープリンを所望し、それだけはきちんと完食していった。



 土日は基本、朝から晩までバイトだ。親の仕送りは雀の涙なので、出来る限り自分で稼いでいる。仕送りなんて、くれるだけありがたい。家出したと言っても過言ではない状態なのだから。

 休憩室で本を読んでいたら、大食いの先輩がまたもや大量の食べ物をトレイにのせてやってきた。私が読書しているのが珍しかったのか、口を「お」の形に開いて固まる。


「お前でも読書すんだな。なんの本読んでんだ?」

「ゾンビとして死にのびるための作法、百選」

「……そんなのあるのか。つーかなんだよ『死にのびる』って」

「ゾンビってもう死んでるじゃないですか。だから『生きのびる』だとおかしい。けど、死んでるとはいえ動いているから厳密には死んでいない。動けなくなる――『本当に死ぬ』のを先のばしにしようという意味で使用されているのが『死にのびる』って単語です。この本では頻出しています」

「変なの」


 身も蓋もない返事をして、先輩は天津飯を食べ始めた。今日は、麺類は食べないつもりか。そう思っていたら、先輩がふと顔を上げた。


「そーいや、あの後ちょっと調べたんだけど」

「あの後? 調べた?」

「お前の住んでる場所だよ。もしかして、『裏野ハイツ』ってとこじゃねえのか」


 私が頷くと、先輩は「やっぱり」と指を鳴らした。


「そこまで有名な心霊スポットじゃないけど、地元ではちょっと知られてる場所らしいぞ。そのハイツの近所に住んでる友達から聞いたんだ」

「へえ。お友達、なんて言ってました?」

「そのハイツ、失踪者が三人いるって。母子二名と、中年男性一名」


 ウーロン茶を飲みつつ、先輩が言った。――失踪者。


「どういう理由で」

「当の本人は失踪してるんだから、聞きようがないだろ。ただ、周囲の話を纏めると『離婚寸前の女性とその子供』、それから『倒産寸前の工場を抱えた男』だったらしい」

「なんだ、普通の失踪じゃないですか」


 普通の失踪ってなんだよと先輩に突っ込まれたけれど、いたって普通だ。だって、明確な理由がある。離婚寸前だったなら実家にでも帰ったのだろうし、倒産寸前の工場について悩んでいたのなら間違いなく夜逃げだ。事件性はまず考えられない。


「どこにでも転がってる話じゃないですか? この前も言いましたけどうちのハイツ、古いですし。そういうのが一件や二件あっても不思議じゃないですよ」

「まあな。だから、不動産屋も言わなかったんだろうし。失踪事件があったのもかなり前だってさ」

「いつ頃ですか?」

「母子の失踪が十九年前、工場長が十六年前」


 十九年前といえば、私はまだ生まれていないか生まれたばかりかだ。一、二年前ならともかく、これでは現実味がない。あのハイツに二十年も住んでいるという戸坂さんなら何か知っているかもしれないけれど、特別聞き出そうとも思えない話だった。殺人や自殺なら多少気持ち悪いけれど、理由のある失踪ならどうということはない。


「そういえばさ、そのハイツの最寄り駅にすげえいい焼肉屋があるって聞いたんだけど。安くてうまい、地元の人以外には知られてない穴場だって」

「ああ、噂は聞いてます」


 一〇一号室の同道さんが言っていた店だろうと見当をつける。近所においしい焼肉屋があって、週一くらいで通ってるんだよと笑っていた。週一で焼肉を食べているとは思えない程度に、同道さんはスレンダーなのだが。ルックスもスタイルもいいし、気さくだし、若い頃はさぞモテていただろう。今でもモテるかもしれない。

 先輩は揚げ餃子を頬張りながら、焼き肉の話を続けた。


「今度さ、その店案内してくれよ」

「えっ」

「地元の人間じゃないと分からないような、奥まった場所にあるちっせー店らしいじゃん。俺、方向音痴なんだよ。一人だと迷子確定だろそんなの」

「……『地元の人間』と言えるほど、長く住んでるつもりないですけど私」

「それでも俺よか知ってるだろ。いいじゃん、千円くらいなら奢ってやるから」


 焼肉屋で千円とは、これまたなんとも言えない金額だ。あまり食べない私なら、それで足りるかもしれないが。

 いいですけど……と渋々ながらも了承すると、「じゃあ今度の月曜、夕方五時に」とすぐさま言われた。私と自分のシフトを、既に確認していたらしい。

 なんだか妙なことになったなあと思いながらも帰宅する。――……物音はしない。二〇二号室は留守か。今日は静かだ。

 そういえば、先輩にこの怪奇現象とも呼べない物音を教えてあげたほうがよかっただろうか。そうだ、焼肉の時にでも教えてあげよう。先輩はどうせお酒も飲むだろうし、いいつまみになりそうだ。

 そう思っていたけれど、焼肉屋で私はその話をあまり詳しく語れなかった。

 白くけぶる店内に、同道さんがいたからだ。


「星井さんじゃないか。ついにこの店に来たんだね、ようこそ」


 我が物顔というか、店長のようなそぶりで同道さんは言った。彼は一人でテーブル席についている。シンプルなワイシャツとスラックスは、恐らく私服だろう。仕事帰りではなさそうだ。


「家で焼肉をすると匂いがつくし、ここは安くてうまいから本当におすすめだよ。……そっちのかっこいい彼氏も気に入ってくれるといいんだけど」

「バイトの先輩です」

「え、なんでそこ全力で否定すんだよ」


 先輩が何故だか不服そうな顔をする。でも、同道さんは絶対に勘違いしているだろう。いつもの笑顔と種類が違うし、先輩の顔を失礼にならない程度にじろじろ見ている。そう思っていたら、同道さんは微笑ましいと言わんばかりの顔をした。


「羨ましいなあ。僕も女の子とこの店に来たいよ」

「来れると思いますよ、同道さんモテそうですし」

「あはは、社交辞令だとしても嬉しいね。でもダメかな、奥さんに怒られちゃうや」

「え?」


 奥さんがいるのか、初耳だ。会った覚えもない。


「――同道さん結婚してたの!? ちゃらんぽらんなのに! と思ったかな」

「え、いえ……」

「内縁の妻がいるんだ。ほぼ一日、ベッドの上だけどね。身体が弱くて、あまり外に出られないから」


 いつか、ここの焼肉も食べさせてあげたいなあ。同道さんはそう言いながら、右手を動かした。網の上で音をたてている肉を、箸で持ち上げる。それを取り皿にのせ――白い粉をかけた。


「……味のふもと、ですか?」


 多分私は、ものすごくおかしな顔をしていたと思う。うまみ調味料である味の麓は様々な料理に使われることで有名だが、焼肉に直接ふりかけている人は見たことがない。


「ああ、これかい?」


 同道さんは、味の麓の小瓶を揺らした。中身がさらさらと揺れる。


「昆布か何かのうまみ成分らしいけど、意外と肉とも相性がいいんだ。ほら、ハピハピターンってお菓子あるだろ? あのおかきにまぶされてる粉、『ハピハピ粉』って単品で舐めたくなるくらいにおいしいじゃないか。あんな感じ」


 まさしくそのお菓子のように、同道さんは白い粉を肉の両面にまぶしている。そんなに摂取して、身体に悪くないのだろうか。

「よかったら試してみる?」という同道さんのお誘いを丁重に断り、私と先輩は席に着いた。先輩はとりあえずと、中落ちカルビ二皿に、ハラミとロース、レバー、タン、ハチノス、ビールを注文する。最初から全開だ。


「……あのおっさん、同じハイツに住んでる人か?」


 肉を待っている間、先輩が声を潜めて聞いた。私は頷く。この狭い店内では、大声で余計なことを話せそうにない。


「なんつーか、すげー人懐こいおっさんだな。仲良くなれそう。いざと言う時はあの人に、なんか訊いてみたら?」

「なんかって……」

「心霊現象とかがあったらってこと。今のとこ、なんもないわけ?」


 隣の住人が引きこもりで、夜でも電気をつけない。

 話そうか一瞬悩んだが、やめた。少し離れた席の同道さんが、こちらを見て手を振ったからだ。相変わらず、懐かしき青春を眺めるおじさまの目で。

 やがて肉が到着し、食べ始めると先輩は無口になった。酒と肉を交互に、情熱的に口へと運び続けている。しかしやがて、「そうだ」と唐突にテーブルを叩いた。


「焼肉帰りに家まで送ってくよ。噂のハイツを見てみたいし」

「やめてくださいよ。その頃はもう、先輩酔ってるでしょ」


 先輩はバイキングかと思えるくらいによく食べいたし、アルコール飲み放題がオプションでついているのかと思うくらいによく飲んでいた。ジョッキをあおりながら、これだけの肉を消費できるのが不思議で仕方ない。私はというと、先輩の焼いた肉をちょこちょこ貰っている間に満腹になってしまった。私の会計は千円以内におさまったと思うし、先輩も文句は言わなかった。「もっと食えたらいいのになあ」とは呟かれたが。

 先輩はこの店をいたく気に入ったらしく、また来よう絶対来ようと言っている。確かに、穴場だとは思う。肉のおいしさと、先輩の食べっぷりと、レジが示している金額を見る限り、下手なバイキングに行くよりいいだろう。そう思いながら先輩の会計を見守っていたら、すりガラスのはまった扉がするするとスライドした。


「……あら、星井さん」


 こういうのを奇遇というのだろうか。入店してきたのは津賀さんご一家だった。仕事が早く終わったのだろう、ゴールデンレトリバーのごとく温和な顔をした旦那さんが、しゅうくんの手を引いていた。


「珍しいわね、こんなところで会うなんて。珍しいと言うよりも初めてかしら」

「今日初めて、この店に来たんです。奥のテーブルに同道さんもいらっしゃいますよ」


 同道さんはちびちび飲みながら食べるタイプらしく、私たちが精算する頃になってもまだ食べていた。津賀さんはくすりと笑う。


「ハイツの住人の半分が、同じ店にいるなんて面白いわね」

「本当に。津賀さんもよくこちらに来られるんですか?」

「ええ。私のパート代が出たら来るの」


 なんというか、ちぐはぐな住人が多いなと思う。このお嬢様がパートしているとは考えてもみなかった。焼肉を食べているイメージもあまりない。どちらかと言えばローストビーフだろう。

 津賀さんはひょこりと首を傾げ、私の後ろを指さした。


「彼、待ってるわよ」


 つられて振り返ると、お会計を終えたらしい先輩が、居心地悪そうに立っていた。


「あ、この人はバイトの先輩で」

「だからどうして全力否定なんだよ」


 私たちのやりとりを見て、津賀さんご夫婦は微笑む。絵に描いたような幸せ家族だ。ただ、しゅうくんが少し仏頂面だったけれど。

 私の全力否定についてぶつぶつ言っている先輩の背中を押し、店を出ようとする。けれどなんとなく視線を感じて、背後を見た。

 しゅうくんだった。

 お父さんに握られた左手は動かさず、空いている右手を私に向かって振る。そこに握られているもの。


 それは何かのボトルと、中で揺れるさらさらとした白い粉だった。


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