日本お仕事今昔今後話03
パソコンで読む小説はスクロール形式なので、メリハリがないので文字列を圧迫しない小さな挿絵を数多く差し込むことで読みやすくしました。
挿絵の多い電子小説
噛夢龍「日本お仕事今昔今後話・商社マン編」
「次にあなたの夢は何ですか?」
「何でもいいから物を売ることですね。ただ、それが出来なくなりそうなんだ」
そう答えて商社マンはハイキングコースを再び登り始めた。
高橋郁男の夢は何でも良いから物を売ることだった。
その高橋の夢が終わろうとしていた。
「選択肢は二つ。広島に出向か、転職かだ」
人事部長の冷酷な辞令。
高橋は決断するとき、山に登る。
高所からなら自分の行く末が見えると思うからだ。
今回は、新神戸駅裏にある摩耶山に登ることにしたのだが、スーツ姿で真夏の山登りは暑すぎた。
朦朧としてきた。フラリと身体が前のめりに傾いだ。
「危ないですよ」
意識が戻ると眼前に奈落があった。
「わ!」
高橋は恐怖でその場に座り込んだ。
「大丈夫ですか?」
転落を止めてくれた青年が心配げに高橋をのぞきこんだ。
「ありがとう、居眠りをしたようだ」
「立ったままで? そうだ、コーヒーでも沸かしましょう」
青年はリュックを下ろし、中から携帯コンロに小鍋、ペットボトルなどを取り出し、湯を沸かし始めた。
「へえ、わざわざ水からコーヒーを淹れるのか」
「ええ、淹れ立てのコーヒーの香りが好きなので」
「学生さんはのんびりできていいねえ」
「いえ、これでも仕事中ですよ」
「え? どんな?」
「今はハイキングコースのゴミ拾いがメインですね」
「じゃあ、前は?」
「この山に点在する別荘の販売と管理……名目上は今もそれが仕事なんですが。そんなことよりコーヒーが入りましたよ」
夕暮れが迫りつつあった。
「君がいなければ、転落死していたな。ありがとう」
「いえ。それより暗くなってきました。夜道の下山は危険です。ウチの営業所に泊まっていきませんか?」
高橋は青年の申し出を受け入れた。
青年の会社の事務所はレンガ作りで中はログハウス風だった。
高橋は室内を見回した。
青年の親切心に信者っぽさを感じたので、教祖の顔写真とかの宗教団体らしき物があるかと思ったのだが何もなかった。
壁に貼ってある大きな地図が目立つだけである。
近寄ってみると、六甲山系のハイキングコースを網羅した地図だった。
「ハイキングコースが沢山あるんだね。君はこのコース全部のゴミを拾うのかね?」
「ええ、別荘が点在しているので、ほとんどの山道を歩きますから」
キッチンから声がした。
「はい、夕食」
皿に山盛りのカレーとご飯二つを持って青年がキッチンから出て来た。
向かい合わせに座っての夕食が始った。
宗教系の人間ではないにしろ、高橋はこの青年の正体を知りたくなった。高橋は彼の仕事、ゴミ拾いをキーワードに、この青年の本当の姿を知るべく質問を始めた。
「リストラのためにゴミ拾いなどをさせる会社もあると聞く……」
と言いつつ高橋は青年の反応をうかがった。
「ボクは、ゴミ拾いが、会社の純然たる社会貢献目的だと信じてやってます。
ところでどうして背広のまま山に登ったのですか?」
「悩み事があると、高いところで考えるクセがあるんだ。
背広姿は会社から直行で来たからだ!」
「悩みって?」
「仕事上の悩みに決まっているだろうが!」
「私は商社マンだ。世界中で物を売り歩いてきた。ところが突然、広島のレジャーランドへの出向か、転職かの選択を迫られた!」
「が、その結論を出す前に眩暈を起こして君に助けられた。フッ、無様」
「レジャーランドですか。ボクなら喜んで行ってしまいますけどね」
「君みたいなのんびりした性格と子供に好かれそうな体形の人間には向いている仕事かもしれん。だがな、私は物を売るのが生き甲斐なんだ。何でもいい、物を売る仕事がしたいんだ!」
高橋は青年の言い方にカチンときて、テーブルをガツンと叩いた。
「物を売るですか……」
「明日、ボクと一緒に仕事をしてくれませんか?」
「ゴミ拾いをか?」
「いえ、別の社会貢献です」
「明日か……。いいだろう。上司に決断を報告するのは明後日でいいんだからな」
「じゃあ、明日は早いので、早速ベッドの用意します」
高橋は青年が用意した簡易ベッドに寝転がったが、なかなか寝つけなかった。
真夜中になった。
パラリと音がした。
そこに目をやると地図が剥がれていた。
その地図の下の壁に何かあるのが、月明かりで見えた。高橋は興味にかられ地図の所にいき、ライターの火をつけた。
「毎日三十キロも歩かせやがって、どついたる……ハイキングコースのゴミ拾いなんて社会貢献を提案した野郎を殺してやりたい……ゴミ野郎……恨むぞ……社長は悪魔……怨念……会社なんか潰れちまえ……」
地図の下の壁、ほぼ全面に恨み文字が刻まれていた。
「それだけは見られたくはなかったです……」
振り返ると、青年が立っていた。
「何なんだね、これ?」
「ここに送り込まれ、辞めていった人達が刻んだものです」
青年は画鋲を拾い、再び文字を地図で覆い隠した。
「実は、高橋さんがおっしゃった通り、ここは現在、リストラ用の事務所にもなっているのです」青年はため息をついた。
「今の社長は、先代社長の意図をねじ曲げて、不要社員をここに転勤させ、毎日三十キロの山道のゴミ拾いを強いて、自ら辞めていくように仕向けたのです」
「君もなんだね」
「いえ、純粋に社会貢献していた時期に来ましたから。違います」
「明日は早いんです。もう寝たほうがいいですよ」青年はベッドに戻った。
高橋はよけい眠れなくなった。
「木下さん、おはよう!」
次の日の早朝、高橋は子供たちの声で叩き起こされた。
「何だ?」
高橋は眠い目を擦りながら、すでに準備を終えている青年に聞いた。
「仕事です。摩耶山頂上まで、小学校のハイキングの引率の手伝いです。女先生ばかりなので、男手が必要なんですよ。着替えて下さい、行きますよ」
着替えなんてない。高橋はまた背広で登る羽目になった。
高橋は列のしんがりを務めた。
市ガ原を通り、天狗道を登って摩耶山頂上を目指す。昨日と同じ山道だった。
昨日と違い、曇りだったこと、青年から水をもらったので、どうにか頂上まで辿り着けた。
高橋はヘトヘトになってベンチに腰掛けた。そこへ青年がやってきて、小学生達に向かって言った。
「みんな、集って! 今日はこのオジサンがとっても面白い話をしてくれるよ!」
「そんな約束してないぞ!」
高橋は青年の勝手な言動にうろたえ、拒否した。
「でも、集まってしまいましたから」
「どんな話をすればいいんだ?」
「世界中の国の話。いろんな国で物を売ってきたんでしょ。できるはずです」
「まあな」
「このオジサンは世界中のどんな国の事でも知ってるよ。
だからみんな、自分の好きな国の質問をしてごらん!」
途端に子供たちの手が上がった。
「ボクはイタリア!」
「私はロシア!」
「オレはカナダ!」
「分かった、順番に話そう。まずはイタリアから……」
高橋が話を始めると、子供たちは目を輝かせて、身を乗り出し聞き始めた。
「飲み物を買ってきます。喉が乾くでしょうから」
青年は高橋の肩をポンと叩いてから茶店に向かった。
子供たちは目を見開いて高橋の話に聞き入った。
青年が缶コーヒーを手にして戻ってきた。
青年は缶コーヒーを渡しながら高橋の耳元で囁いた。
「売っているじゃないですか!」
「え、何を?」
「子供達に夢をですよ。みんなの目がキラキラしているじゃないですか!」
午後、子供達はロープウエイで下山したので、帰りは二人きりだった。
「広島に行くことにしたよ」高橋は決意を語った。
「子供たちに夢を売るレジャーランドにしてみせるよ」
「そうですか、それは良かった!」
「ところで君に質問がある。君は何故、歩き続けるのかね?」
「数キロ登っただけで山道三十キロがどれぐらいの苦行なのか私には分かった。なぜ辞めない?」
「ゴミ拾いの社会貢献を提案したのがボクだったからです」
「その贖罪のために君は歩き続けているのか?」
「いえ。組合交渉の結果、あの事務所の社員は一人と決まったので、ボクさえ辞めなければリストラで送り込まれる人はいなくなるからですよ」
木々の間から神戸の街が見えてきた。
「じゃあ、ここでお別れです」
青年は高橋に握手をしたあと、踵を返して、山の方へと歩き始めた。
「ありがとう。君に会えてよかった……」
高橋は青年の背中に手を振り続けた。
覚悟を決めて広島のレジャーランドに出向した高橋は、子供達に夢を売る企画を数多く実現させ、観客動員数増に貢献、数年後にはレジャーランドの専務に就任したそうな。人には己の思ってもみなかった才能がるようで、
まずは、めでたし、めでたし。
挿絵の多い電子小説第3弾です。略称を<デノヴェタ>で統一することにしました。