第1話 女神降臨
ついカッとなってやった。今はむらm……反省している。
深夜、ふと目覚めた俺は、腕の中で眠っているルーリィのつややかな金髪を撫でた。
「ん……ふにゃ……」
すると彼女の頬が緩んだ。
俺はこの幸せな時間に感謝する。
そして俺は、何とはなしにその時のことを思い出していた。
歯牙ないサラリーマンの最後の夜のことを。
☆
半年続いていた仕事のプロジェクトが終わり、実に三ヵ月ぶりとなる定時帰宅で電車に乗り、地元の駅の久々に訪れた常連の書店で、いつもの親父(同好の士)に取り置きをしておいてもらった、イエスなんとか的な本を購入し、自宅であるアパートに急いでいた休日の話だ。
茶色い紙袋に包まれたそれを大事に抱きしめて、辺りに油断なく視線をちらつかせる。
久々のご褒美タイムだ。誰にも邪魔をさせる訳にはいかない。
誰かに奪われるかもしれないという、そんな観念に襲われていた俺は、おそらく、余裕をなくしていたのだろう。
それは、アパート近くの路地裏に入り込んだ時に現れた。
「おい、ちょっと君っ!」
その声とともに、腕をつかまれる。
「うおぁっ!」
俺は思わず悲鳴を上げた。そして腕をつかんでいる人物を見やる。
そいつは黒い服を着ていた。その胸元には無線らしきものをつけ、腰には警棒と、拳銃を差している。
銃刀法が施行されている日本において、唯一合法的に拳銃を所持できる人間が二人。
つまり――
「お、俺何もやってないっすよ!」
――おまわりさんだ。
「ははは、何かやってる人はね、みんなそういうのさ」
厳しい顔をして腕をつかんでいるおまわりさんの隣に立っている、もう一人のおまわりさんが朗らかに言った。
だけど目は笑っていない。真剣だ。
そしてその視線は俺が抱きしめているイエスなんとか的な雑誌が入っている紙袋に注がれている。
「マ、マジでやってねぇっす! 冤罪っす!」
「ははっ、まだ君が何をしたって言ってるわけじゃあないんだけどね」
トラップだ。汚い、さすがおまわりさん汚い。
「あの書店おっさん、売っちゃいけないもの売ってるって噂されててねー。そしたらそこで買物したお兄さん、出てきてから後挙動不審だったからさー。最初、万引きでもしたのかなーって俺ら話してたんだけど、もしかしてあのおっさんから、買っちゃいけないもの買ったりしてないよね?」
あの親父なにやってんだ! マークされてんじゃねぇか!
「それでも僕はやってない……」
ぎゅっと紙袋を抱きしめた。
「じゃあ、その中身見せて?」
今まで黙っていた腕をつかんでいたおまわりさんが、怖い顔をして言う。
ギリギリとつかんでいる腕に力がこめられ、痛みが増していく。
こ、これって違法捜査じゃねぇの?
と言おうとしたところで、さわやかなおまわりさんが、
「中島さん、一週間前に小6の娘さんが痴漢にあってんですよー。それ以来、外に出るのが怖くなっちゃっててー。まあ、その痴漢は俺たちが全力挙げて検挙したんだけどね。あの時の中島さん怖かったなー」
「子供に手を出すような輩は絶対に許さん」
いてぇ。いてぇって中島さん。ほ、骨折れる、折れちゃうっ!
「ここだけの話、その痴漢に拳銃ぶっぱなしちゃったんですよ。幸い弾逸れたし、事情が事情なんで俺ら全員、総力上げてもみ消しましたけど」
困る。そんな不祥事暴露されても、困る。てか、マジでいてぇ。
「で、見せてくれるな?」
俺は、中島さんが 囁くように(ドスを効かせて)言い、陥落した。
おずおずと中島さんに捕まれていない方の手でさわやかおまわりさんに渡す。
「じゃあ、中身確認するよ」
そうやって、乱暴に封を切った瞬間だった。
『ぱんぱかぱーん☆』
場違いな幼い子供の声が響き、――時が止まった。
「うえぃ?」
急に動きを止めたおまわりさんに驚いて、喉が変な鳴き声を発した。
中島さんの腕から力が抜けたのか、簡単に抜け出すこともできた。
『あたしが来たよ!』
そんな俺に、上の方から声がかかる。
思わず見上げると――そこは天国だった。
死んでもいい。そう思わせるような、極上の光景。
俺はそれに言葉を失って、ただ茫然と立ち尽くす。
ほろり、と涙さえ零れ落ちた。
その極上の光景に塗りつぶされた意識とは裏腹に、身体の方は正直に反応する。
常ならば、恥じていたのかもしれない。しかし、この時の俺はそれを恥とは思わなかった。
そう思う、余裕すらなかったのだ。
光り輝くようなその姿は、俺の網膜を一瞬で焼き付かせ、問答無用と言わんばかりに脳みそを刺激する。
その刺激は体中を電流さながらに駆け巡り、血液を沸騰させて、一瞬にしてすさまじい快楽が背筋から股間へと走り終えた。
「あなたが、神か?」
そしていわゆる賢者タイム。落ち着きを取り戻した肉体が、精神に追いつき、気づけばそんなことを口走っていた。
『そうだよ! 女神のルーティアス・リィーリンだよ。みんなルーリィって呼ぶよ。でもなんか、君イカ臭いねぇ』
「それはあなた様が原因かと。あなた様の御姿は、業を背負う私にとっては毒にほかなりません。何卒ご自愛を」
『あたしの姿?』
そういって、ルーリィは自分の体を見下ろし、そして――
『な、なんでぇぇぇぇ!?』
悲鳴を上げた。
そうして自らの平な胸と、つるりとした下腹部を慌てて手で隠す。
しかしもう遅い。推定年齢9歳ほどの女神の裸身は、淡いピンク色の先っぽはおろか、奥の奥まで俺の脳みそに刻み込まれたのだ。
なにせ、空に浮かびながら仁王立ちしていたのだから。
『ふ、ふぇぇ。もうお嫁にいけないよぅ』
地上に降りてしゃがみ込むことで体を隠し、さめざめと泣きだしたルーリィの後ろに回ってしゃがみ込む。
『ど、どこみてるのぉ』
お尻だが。
とは言わなかった。立ち上がり、スーツのジャケットをかけてやる。
彼女はそれで体をくるみ、すんすんと鼻を鳴らす。
しばらく彼女の啜り声とジャケットに包まれた裸身を堪能していたが、ふと止まったままのおまわりさんを思い出した。
見ると中島さんは俺の腕をつかんだ形のまま止まっている。
この光景を見られたら、きっと中島さんに射殺されてしまうな……
ぬるぬるべたべたとしたパンツの中身に不快感を覚えながら、そんなことを考えていると――
視界の端で女神が立ち上がった。
ジャケットで固く身を包み込みこんだルーリィは涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした顔で俺を見やり、そして言った。
『責任、とってくだしゃい』
俺はと言えば、ジャケットの裾から除く小さな膝と華奢なふくらはぎを、細い足首と、可愛らしい足の指を十分に堪能した後――
「よころんで!」
どこぞの居酒屋よりも元気よく、そう言い放ったのだった。