サルルサの秘密 ~見ざる、聞かざる、言わざる~
とある街角にある『サルルサ』はケーキの美味しい洋菓子店である。
住宅街と鎮守の森の境目にあるが、昔からの常連と密かな口コミで客足が絶える事がない。そこのオーナーパティシエの早乙女蓮がこの店を継いだのは4年前、
父の早乙女江が突然、海外に移住したいといいだしたのがきっかけである。
「蓮、ごめん。父さんのわがままをかなえてくれ」
「なんだよ、そのわがままって」
「お菓子をつくるには、才能が必要だと思うんだ」
「父さんのつくるお菓子は美味しいじゃないか」
「そりゃぁ……爺さんたちの残したレシピに忠実に、少しも配合を変えずにつくっているからな」
「それだけじゃ、美味しいものはつくれないだろ」
「父さん、本当は理系人間なんだ。温度や湿度、季節や配合、事細かに爺さんたちの作っていた菓子を記録して、同じものを作ろうと努力してこれまでやってきた……」
「うん」
「でも、疲れたんだ」
「うーん」
「お前たち、蓮と心は感覚で爺さん達と同じ、いや、それにオリジナルの工夫をくわえて、違うお菓子を作れるだろう?」
――父さん、気づいていたのか……。
「サルルサは、爺さんとサルサがいっしょにつくっていった店だ」
「うん」
「父さんさ、サルサといっしょに育ったようなものだからさ」
「うん」
「これまで、がんばってきたけど……本当に自分の好きな事、やりたいんだ。もう年だしさ」
「そうだな」
「蓮……」
父親の期待をこめた眼差しに息子の蓮は何も言えなかった。結局父は願いをかなえ、いまでは、母と共にフランスの片田舎で植物の研究をする生活をおくっている。
本来早乙女家は和菓子の老舗だったが、祖父の早乙女蒼の代に洋菓子を作り始めた。
そのきっかけは猿のサルサである。
早乙女蒼は昭和30年代当時、老舗の跡取りとしてはめずらしく大学へ進み、大学時代はヨット部に所属していた。卒業しても時々OBとしてヨットに乗ったり、先輩たちのヨットに乗せてもらったりするのを楽しみにしていたのである。
5月の潮風が心地よいその日、蒼は先輩の所有しているクルーザーに乗って釣り糸をたれていた。そして、浪間にただよう猿をみつけた。その猿は死んだようにみえた。しかし、クルーザーに拾い上げ水を吐かせてみると息をふきかえしたのである。
猿を助けたのは蒼であるし、その猿の蒼を見つめる目つきが知的で助けを求めているように見えたのでそのまま自宅へ連れ帰り、そしてその猿はサルサと名付けられ、蒼が50になるまで17年間を早乙女家の一員として過ごした。
蒼の長男である早乙女江は、猿のサルサが早乙女家に来たときはまだ3歳であった。家業に忙しい両親に代わって江と一緒に遊んだり勉強をみてくれたりしたのはサルサである。そう、サルサは異様に賢い猿であった。言葉をしゃべる事は終生なかったが、あっという間に言語を覚えて身振り手振りと、メモ用紙とホワイトボードに文字を書く事によって意志の疎通ができるようになった。
そのサルサによると、彼は違う世界からこの世界に迷い込んでしまったらしい。
サルサの世界には5つの大陸があり、そのうちの一つは獣人の大陸で種族ごとに集落や、里、国をつくっている。サルサは猿の獣人だが、普段は人間に耳と尻尾がついている姿をしている。その耳と尻尾は自分の意志でつけたり消したりできるそうだ。もちろん種族の元となった猿には自由に変身できるし、3か月に一度の真の満月のときには、心身ともに野生の本能に戻る事もできた、との事だ。
そのサルサがなぜ、海に浮いていたかというと……向こうの世界の海で遭難したのだそうだ。サルサの世界では、海はいつも荒れていて海の獣人しか自在に船をあやつれない。その時はたまたま、操縦士である海の獣人が前日の飲みすぎで気をゆるめ居眠りをしたせいで、船を大きくゆらして何人もの乗船客が海になげだされた。
海に流されると助かる事は難しく、そのまま溺死をしてサークルになり海の墓場に流されていくらしい。サルサの世界では亡くなると死体はのこらず、光の粒となり後にはサークルが残されるので、そのサークルを埋葬するのである。海で亡くなった場合は必ず海の墓場にサークルが流れつくので、そこには合同の墓所があるという。
サルサの場合は、もう命はないものとあきらめていたのに、蒼に救われて喜んでいたら、なぜか猿の姿のまま変身できず言葉も話せず困ってしまっているとの事だった。
毎朝新聞を読みテレビとラジオを視聴し、自宅にある大量の本を読破してこの世界の知識を吸収したサルサは、早乙女家以外の人間には猿として接する事にしたらしい。
3歳の江はサルサから『内緒』 『見ざる、聞かざる、言わざる』という言葉と実践を心と体に叩き込まれた。そして、早乙女家の家訓である『見ざる、聞かざる、言わざる』は、弟子としてお菓子の修行にきた職人にも固く守られる事となる。
サルサは大変賢い猿であった。そして、優れた舌の持ち主でもあった。サルサの助言と共に切磋琢磨して開発していく事で、サルルサの洋菓子は他の追随を許さぬものとなった。
「美味しいものは幸せの始まりだ」
「いつか、このケーキを我が一族の者に食べさせたい」
サルサは、自分の家族の事はいわなかった。もう、あきらめていたらしい。でもいつの日か、家族の縁に繋がるものに食べてもらえる日がきっとくるから、それを楽しみにしているのだといっていた。 サルサのおかげでサルルサの洋菓子は進化した。
早乙女家にサルサがきて17年後、早乙女蒼が50歳、早乙女江が20歳の時、サルサは静かに息をひきとった。
亡くなった後サルサは光の粒となり、サークルが一つ残された。その光の粒はサークルのまわりをしばらくまわっていたが、そのままスルスルとサークルに吸い込まれ、あとには、ほのかに光をはなつサークルがひとつのこされていた。今、サークルは早乙女家の仏壇に祖父母の位牌とともに並んでいる。
今年、『サルルサ』のオーナーパティシエ、早乙女蓮は29歳になった。
もうすぐ結婚する予定である。結婚相手は乙女小路桔梗という清楚な雰囲気の女性で、たまたま、蓮が店員としてお店にでるとなぜか買い物にくる彼女と出会う事がよくあった。かわいいし目をひかれるしこんな彼女がいるといいなと思いつつ、お客様としての対応をしていた。
が……、初夏のある日、蓮が友人ともらったチケットでバラ園を見に行った時に、その友人と彼女が同じ会社に勤めている事がわかり、そのまま彼女の友人をふくめたダブルデートで親交をふかめ、わざとはぐれた先で交際を申し込み、付き合うようになった。
付き合いはじめはドキドキと些細な事にときめき、最近は側にいるのが当たり前のようになってきて、彼女なしの人生は考えられない……という事で、遊覧船で夕日をみながらプロポーズをした。彼女が代休と有給を続けてとった平日の夕方、きれいな夕日をみながら
「僕といっしょに人生を歩んでもらえませんか。愛しています」
蓮は、桔梗の顔をみながらささやいた。
「ありがとう」
桔梗はうれしそうにつぶやき、頬に一筋の涙をこぼした。蓮はそっとポケットからとりだした箱から指輪をとりだすと彼女の指にかざり二人はそのまま肩をよせて海を眺めた。言葉はなくても気持ちはつうじ、他にあまり人もいなくて沈む夕日をみる二人は幸せだった。
さて、結婚するにあたって蓮は、桔梗に『サルルサ』の秘密を明かす事にした。
彼女を家に招き、仏壇の前に連れて行くと
「なぜ、ここにサークルが!」
桔梗がおどろいて声をあげた。
「サークルを知っている?」
「えぇ、これは……」
「獣人が亡くなった時に後に残すもの?」
「え、えぇ、正確には違う世界で亡くなった人たち……人も獣人も含めて異世界で亡くなった人が残すものなの」
「異世界……」
「あの、信じられる?」
「あぁ、『サルルサ』のケーキはもともと猿の獣人であるサルサと、祖父の早乙女蒼が考えたものが元になっている」
「猿の獣人がこちらの世界に来ていたの?」
「海で遭難して、気づいたらこちらの世界だったらしい。海で祖父が助けてそのまま17年間、家族として暮らした。父が20歳の時に亡くなったから僕は会ったことはないのだけれど……」
「なんてこと……」
そして、蓮と桔梗はお互いになんとなく話してなかったことを話しあった。つまり、桔梗は、本来宝玉から精霊女王として生まれるはずだったが、世界のはざまからこちらの世界に魂と宝玉の大部分といっしょにきてしまい人間として生まれた事と、従兄弟の双子の子供という事になっているが、宝玉から生まれた桐、精霊のカミィを育てていること、異世界との行き来が今は自由自在にできることなどである。
踊るコビトについても小さな声で付け加えた。
「異世界からかえってきたらコビトがいっぱい視えるようになった?」
「そうなの」
「僕のも視える?」
「えぇ、蓮さんのコビトはとても紳士なの」
「いつか、コビトが視られるといいな」
「ほんとうに……?」
「君の視ている世界がみてみたい」
「ふふっ、ありがとう」
「好きだよ」
「わたしも……」
蓮と桔梗は、蓮の弟の心が帰ってくるまで仲良く時をすごし、心から「僕の前では、いちゃいちゃしない!」と言われるまでずっとひっついていた。
「ごめん、引っ付いているのに気付かなかった」
「あーあー、そうですか。まだ、手をつないでいますけど!?」
「えっ」
「あーごめん」
無意識に手をつないでいた二人は、あわてて手を離すとお互いをみつめあった。
「だ、か、ら。俺のいないとこでやってよ」
「あっ、お茶いれてくるよ」
「手伝います」
「彼女は、こちらに座って! 少し離れないと頭さめないよ。ほら、兄さん」
「あ、あぁ、悪いな。それと、彼女、サークルの事知っていた」
「えぇ! どういうこと?」
「彼女から聞いて。お茶いれてくるよ」
驚く弟に桔梗が簡単な説明をすると、心はあっさりと信じた。蓮と心の兄弟は、祖父母や父から四六時中サルサの話を聞かされて育ったらしい。時折たずねてくる古株の弟子たちも懐かしそうにサルサの話をするので、不思議な出来事も世の中には存在するのだと思うようになったそうだ。
「兄さん、異世界に行き来できるなら、サークルを猿の国にもっていってあげるといいんじゃないの?」
「そうだな。サルサも喜ぶな」
「フランスに電話しよう」
「えーと、時差はどうだっけ?」
「いいよ。かけちゃえ」
という事で、フランスにスカイプを使って連絡することになった。電話で直接話をすると混乱するかもしれないので、まずはメールで簡単に用件というか、内容を端的に連絡してそれからスカイプで話をした。
「父さん」
「は、はじめまして。早乙女江と申します。このたびはお日柄もよく」
「あー、ばか。父さん。何言ってるんだよ」
「いや、あの」
「母さんは?」
「出かけてるんだよ~」
「じゃ、さ、サルサのサークルの事なんだけど猿の国に帰していい?」
「それは、もちろん。だけど……」
「僕と心もいっしょにいって見届けてくるから」
「あ、あの父さんも行き、行きたいな……」
「父さん、フランスじゃないか。今度結婚式はそちらでもあげるから、その時に異世界に連れて行ってくれるって」
「えっ、サルサの故郷、連れて行ってもらえるの?」
「あぁ、いっしょに墓参りにいこう」
「そ、そうか……う、う、ぅぅぅ……」
「…………」
「良かったな、父さん」
「う、うん」
その後、涙ぐみながら色々と話をしたい様子の早乙女江とのスカイプをあっさりと断ち切り、3人は改めてゆっくりとお茶を飲んだ。
「あの、お父様、良かったのかしら?」
「いいんだよ。話が長いし……」
「今頃、じんわり喜んでるよ」
「いいお父様なのね」
「まぁね」
善はいそげという事で桔梗は、持ち運び用の結界をひらくと魔法陣をとりだした。
「わぉー、なにこれ?」
「これが、魔法陣……」
「こちらの世界での時間的経過はほとんどないので、すぐ行って帰ってくる事ができます」
「丸い魔法の絨毯……みたいだな」
「そんな感じかもしれませんね」
「ちょっと、待って。持っていくものがあるんだ」
蓮と心は同時に立ち上がると何かを取りにいった。
そして、3人を乗せた魔法陣は、そのまま精霊の国の宮殿の一室に到着した。その後、最長老のリヨンとともに猿の国へとわたり猿の国の王に会った。
猿の国の王は、突然の精霊女王の訪問に緊張した様子であったが、その訪問の目的を聞くと、宰相に過去帳をもってこさせた。
早乙女江が3歳の時に遭難しているから約44年前、こちらの世界では、1万6千年ほど過去の話になる。そんな昔の話の記録があるかどうか心配であったが、サルサは王族であった。当時の王の弟にあたり、優れた才能の持ち主でありながら遭難し、死亡したということで記録に残されていた。
「はるか昔のご先祖さま……ですか」
猿の王がつぶやいた。
蓮が包んでいた白布からサークルをそっととりだすと、そのサークルはきらきらと輝きだし、サークルから光の粒があふれだした。そして、王宮の窓から死の精霊が飛び込んできた。
「わ、な、なに?」
「コビト?」
「死の精霊だ」
「なぜ? いまごろ?」
「神官は?」
「神官をよべ!」
「いや、精霊さまがいらっしゃる」
「精霊女王さま」
猿の国の獣人たちが慌てふためき、あたりは騒然となった。
桔梗と精霊の最長老は、目をあわした。そして、桔梗がサークルに手を差し伸べ、
「お疲れ様でした」
サークルに向かってつぶやくと、サークルから淡く半透明になった猿の獣人があらわれた。
「精霊女王さま、感謝いたします」
桔梗に向かって深々と一礼した猿の獣人サルサは、蓮と心のほうを向き
「早乙女家には本当に世話になった。ありがとう。」
と一礼をした。
「江のことが心配だ、よろしく頼む」
まるで、父が子供を心配するかのような表情に蓮と心が同時に
「大丈夫です。まかせてください」
声をそろえて答えた。
その後、サルサは猿の国の王に向かうと
「良い治世を頼む」
「おまかせください。ご先祖様」
猿の王がひざまずいて胸に手をあて頭をさげた。まわりにいた猿たちも皆跪き、サルサを見守っている。
「精霊女王さま」
「良いのですか?」
「はい」
「では、良い旅を」
桔梗がサルサに祝福をおくると、まばゆい光がサルサをつつみ死の妖精が周りをクルクルとまわった。光の花があちらこちらに飛び散っていく。
「ありがとうございます」
サルサはとても良い笑顔で一礼すると光の粒となり、死のコビトに連れられて去って行った。きれいな光だった。後にはサークルが残されたが、もう淡い光はまとっていなかった。
「良い光だった」
「久々にみる美しさだった」
「良い生き方をされたのだろう」
猿の獣人たちの間から称賛の声があがっている。そんな中、蓮は王に向かい一冊の冊子とケーキの箱を差し出した。
「いつの日か、一族に食べてもらいたいとサルサが残したお菓子のレシピと彼の考案したシュークリームです」
「これをご先祖さまが?」
「こちらの国の言葉で書かれていますから」
「ありがとう」
猿の王は、シュークリームをひとつ取るとそのまま口にして涙をぼろぼろとこぼした。
「このように美味しい物はたべたことがない。違う世界で心細かったであろうになんとありがたいことか……」
さめざめと泣く王を落ち着かせ、その日の夜はサルサの想い出話をしてふけていった。
蓮と心は、サルサの話に大変詳しかった。二人の祖父母と父がいかにサルサを大切に想っていたかがしのばれて、猿たちのこころは暖かくなった。
そしてこれから先、早乙女家と猿の国は、時の流れの違いを乗り越えて長く親交を続ける事となる。