ちょっと昔とこれからの日々
フラッドルの秋は日が落ちるのが早い。
秋の夜長に昔馴染みが自然と集まり、ささやかな酒宴が催されていた。
場所はビロウ・ヴェロが提供し、彼の甥に当たるユリアン・セージ、旧友であるフリオニール・リブラ・インブリウム。そしてその妻、トーリ・サイ・インブリウム。本来であればビロウとユリアンの妻も参加するべきなのだろうが、四人の顔ぶれをみると肩をすくめて料理だけ置いて下がっていった。
トーリはむしろ妻たちのほうに寄っていこうとしたが、ビロウに首根っこを掴まれて凄まれた。
「お前はこっちだ」
「間男扱いか、私は」
それぞれ個別に顔を合わせることはあっても全員が一堂に会するのは久方ぶり。
そして全員が集まれば、自ずと話すことは昔語りになっていく。
「今でも時々、トーリがやってきた時のことを思い出すんです」
あれはびっくりしたなあ、とユリアンが懐かしそうに目を細める。
トーリがしみじみとした様子で返す。
「ユリアンには感謝してる。
あれで扉を開けたのがビロウだったら門前払いだったろうからね」
「だろうね」
「ああ、間違いなく追い払ってた」
当然のごとく続く賛同の声にトーリは肩をすくめる。
ビロウは当時のことを記憶の中から引っ張り出した。
...あの頃、俺は仕事の度重なる重責で大変なことになったので休暇をもぎ取って別荘にこもることにした。こもる前にフリオニールにも声をかけていた。来るかどうかはあまり気にしてなかったが、フリオニールも来た。
しばらく気の置けない友人と預かったユリアンとで伸び伸び生活できると思ったのに。
なぜか居候がもう一人転がり込んできた。
二日でアブクド(フラッドルのアルファベット)が書けるようになった居候、トーリ。
あっちではトーリは識字者だったようで、赤ん坊に文字を教えるよりは容易い。案外応用もできるようで、突拍子もない単語を作ってはフリオニールが爆笑している。なんだ松リンゴって。そんなもんないぞ。
『フリオニール、ビロウ、ユリアン、********?』
トーリが何か聞いてきた。
「ああ、トーリが、俺たちが何歳かだってさ」
「そういえばトーリの歳も聞いてなかったな」
フリオニールがイングル(という言葉らしい)で俺たちの年を教える。
トーリはびっくりしている。
何だ?俺たちは若く見られることが多いが、そんなに驚かなくてもいいだろう。
トーリの返事を聞いたフリオニールも驚いている。
「ビロウ...トーリって25歳らしいよ」
ウソだろ!?未成年...俺より年下!?
ユリアンと目を見合わせる。
しばらく俺たちは混乱状態にあったが、トーリが細かく計算しようと言ってきた。らしい。
トーリのブレスレットは向こうで言う時計らしく、あっちでは一日が24時間らしい。
こちらでは27時間だ。
まずそこからして違う。
もしかしてトーリはこちらで言う25どころか16くらいになるんじゃないだろうか。
そうしたら俺たちよりユリアンのほうが年が近い。
フリオニールもそこに懸念を覚えたらしく。
「あれー、未成年に酒勧めちゃったかも...」
うっすら冷や汗かきながらつぶやいていた。
ユリアンくらいの年の奴なら、保護するのは当然だ。
ちょっと俺も行動を思い返して反省した。
大人げなかったかもしれない。
『****、****?』
トーリが、黒板を持って計算を促した。
すらすらと数字を書いていく。
幸い、あっちとこちらの数字はあまり変わらないらしい。
24×365=8760
フリオニールが訳してくれる。
一日24時間、365日で8760時間。
トーリのところでは8760時間で一歳年をとるらしい。
あれ?
ここにきてようやく俺たちもトーリと俺たちが使っている単位と暦が違うことに気づいた。
フリオニールが矢継ぎ早に情報をすり合わせていく。
時間の単位だけは同じだったので、それを軸に計算を進める。
トーリはあまり見ない方法で計算をしていた。
筆算というらしい。
これ見た目に分かりやすいな。
計算の結果をまとめると、以下のようになった。
トーリ年齢:あちらの一年・一歳。
フラッドル年:フラッドルの一年
フラッドル年齢:フラッドルの一歳。フラッドルは一年で二回歳をとる。
トーリ年齢(時間/一歳):24×365=8760
トーリはあちらで25歳なので219000時間。
フラッドルの一年は、一日27時間、482日で13014時間。
こちらでは一年に二回歳をとるから
フラッドル年齢(時間/一歳):27×482÷2=6507
本当はもっと細かい計算をしなければならないんだろうが、それをやると終わりそうにないのでやめた。
で、トーリはフラッドルで何歳かというと、
219000時間÷6507時間=33.6フラッドル年齢。
トーリは地味に俺より年上だった。
でもユリアンと同じくらいでないと知ってほっとした。
この計算だと、こちらの成人年齢27歳がトーリの成人年齢20歳くらいに相当するようだ。
応用して計算を続け、俺たちの歳も伝えてみた。
フリオニールは36歳なのでトーリ年齢で26.7歳。
俺は29歳なのでトーリ年齢で21.5歳。
ユリアンは15歳なのでトーリ年齢で11.1歳。
あちらの想定していた年齢と近くて、トーリもほっとしたようだった。
しかし...ああ焦った。まったく人騒がせなやつだ。
『*****、****?』
にんやり笑いながら、トーリが腹の立つ口ぶりでなんか言ってくる。
フリオニール、通訳しようとしなくていい。こいつ絶対悪口言ってる。
なんとなく、不合理に年下というだけでバカにされている気がする。
ぶん殴ろうとしたがフリオニールに止められてしまった。
トーリが来て四ディート目の朝。
朝食後、トーリの様子がおかしかった。
食べ終わったらすぐに食器を洗いに行くのに、今朝に限っては頭を抱えたまま動こうとしない。
ユリアンが心配して近づくと、
「できる、捨てる、ほしい、きれい、布」
と、単語を繰り返していた。
捨てることができるけどもきれいな布?
頭抱えてるのに布が欲しいなんて、頭にでも巻くのだろうか。
フリオニールが近づいて、もう少し詳しく話を聞いている。
「捨てても良い、清潔な布が欲しいみたいだ。ちょっと取ってくる」
「布なんてどうするんだ?頭でも痛いのか?」
お互いに意思疎通する意志さえあれば、案外母国語を押し通しても雰囲気は伝わるらしい。悪口しかり、心配然り。
「待て」
いや、待てってお前。
犬じゃないんだから。
そう思ったのに反して、俺の鼻はトーリから血のにおいをかぎ取った。
思わずトーリの顔色をうかがう。
そこにいつものくそふてぶてしい顔はなかった。
「...っつ」
「...!...トーリ、大丈夫なのか?怪我したのか!?」
トーリはうっとうしそうに人差し指を口の前にもっていく。
フリオニールから聞いて意味は知っている。
『黙れ』だ。
そのフリオニールもまだ帰ってこない。
「黙れってなんだ!?お前顔が蒼いじゃないか、立てるか?医者にいけるか?」
立たせようとしたところで血ににじんだ服が目に入る。
俺は血が苦手だ。見るだけで真っ青になる。
そんな俺が血の匂いには敏感なのは皮肉だ。
視界の端にフリオニールが帰って来たのが見えた。
「フ、フリオニール!大変だ!い、医者呼ばないと!」
思い返してみるとあの時は半分恐慌状態だった。
「トーリ!早く止血しろ!何黙って座ってるんださっさと脱げ!」
「ちょ、ビロウ、落ち着けって!」
「放せフリオニール。トーリが心配じゃないのかよ!?」
フリオニールが俺を押さえつけるために布をユリアンに放り投げた。
ユリアンお前もなんか言ってやれ!
「トーリ、ダイジョブ?」
「ダイジョブ、ダイジョブ」
ユリアンはそう言えばあんまり騒ぎ立ててなかったな。
「ダイジョブなわけあるか!あれだけ血のにおいしてるくせに!フリオニールいい加減放せ!」
フリオニールは首をかしげているトーリとユリアンを困ったようにちらっと見やって。
俺に向かって落ち着かせるように笑った。
「ビロウ、トーリがダイジョブって言うんなら本当にダイジョブだ」
そんなわけあるか!と口を開く前に俺は機先を制された。
「...女性なら2モース(ひと月相当)に1回はあるものなんだから」
は?何言ってるんだこいつ。
「...あー、トーリ?」
「何?フリオニール」
「いつものゲームだ。
君が女性なら両手を上げて。
君が男性なら片手を上げて」
何をそんな今さら...?
そして両手を上げたトーリを見て、おれの意識も両手を上げた...
…とりあえず、ひやっとしたことや自身の意識が降参した時のことまで思い出してしまった。
みな当時のことを思い返していたのか、薄笑いが漏れる。
「あの時のビロウは傑作だったな」
「...まったく何度も何度も蒸し返しやがって。大体あれはお前が女らしくないから悪いんだ」
「だがユリアンは気付いていたぞ?」
「俺はトーリがトイレについて聞いてきたあたりで気づきましたが...そういえば、フリオニールさんはいつから気付いてたんですか?」
「え?ビロウよりは早くに気づいてたけど?」
「そりゃあそうでしょうけど」
「ユリアン...お前まで...」
身内に刺されがっくりと肩を落とす。
「本当に気づいてたのか?」
「ビロウじゃあるまいし、舐めてもらっちゃ困るな、奥さん」
「フリオニール!念を入れて馬鹿にするな!」
「まあまあおじさん。拗ねない拗ねない」
「怪しいとは最初から思っていたよ?でも確信に変わったのは...ほら、二ディート目の夜にみんなで順番に風呂入ったとき」
「「「風呂?」」」
「いやでもおかしいだろ、あの時来てた服は体の線が分かりにくいやつだったはずだ」
「それは俺も覚えてます。あれだけじゃあ分からないんじゃないかな」
「自分で鏡見てもぱっと見男だと勘違いしそうになったのに...」
「いや、みんなそんな剣幕で言われてもね...」
「じゃあ、何が決め手だったんだ?」
代表するようにトーリが尋ねる。
「うーん、あえて言うなら、におい?」
「は?」
「いや、トーリから風呂上がりの女のにおいがした」
「うわあ」
「「経験値の差か...」」
納得したようなすねているような表情のトーリと、にんまり笑うフリオニール。
ビロウとユリアンは生ぬるいものを見る目で夫婦を見やった。
「...息子もそういう経験値ありそうだなあ」
少し遠くを見やるようにトーリがつぶやく。
「いや、お前ん所の息子は、まずシスコンを直せ。それからだ」
「アカデミーでも有名ですよ、うちの学生も騒いでました」
「ああ、アカデミーにも顔出してたんだっけ。妹の顔見るためだけに」
ユリアンは当時のアカデミーの騒ぎを面白おかしく話す。
夫婦の娘が自分を訪ねてわざわざ専科に挨拶しに来たこと。
そこで起こった娘への突然の求婚合戦。
「あの子はすぐに保護しましたけど、どこからともなくやってきた彼が、あっという間に求婚者たちを片付けてしまったのには驚きました」
「息子は相変わらず万能だなあ」
「本当にな。将来軍部に入るって言ってたが、後ろ盾がいるなら言えよ?上に話し通しといてやるから」
「あー...ビロウ、本人があいさつしに来たら会ってやってくれればいいよ。
あんまり構うと巻き込まれるよ?」
「そうだぞ、あの子結構人使い荒いから」
「いやな情報だな...」
将来本当にその息子に顎で使われる立場になることを、ビロウはまだ知らない。
「...それに引き換え、お前のところの娘はお前に似ず普通でまっとうな女の子に育ってくれて、俺はほっとしている」
つまみの干し肉をかじりつつ、ビロウが話を振る。
「そうかなー?蔡にもよく似てると思うけど?」
父親としては別の意見もあるようで。
ユリアンも首肯する。
「物事の割り切り方なんかは結構似てるんじゃないですか?」
「え...あんなにかわいい子がトーリ2号になるのか?」
「なんだその言い方。私に失礼だな...っつーかユリアン、割り切り方って?」
「ああ、この前偶然見かけたんですが…」
求婚者「俺を愛さない貴女の幸せなんていらないでしょう?」
娘「貴方の存在と私の幸せの間に何の関係があるの?」
「本気で不思議そうに、一刀両断でしたね...」
「ああ、あの子、結構後先考えず言っちゃう子なんだよ...」
「そうか...儚そうに見えるけど、トーリの娘なんだな...」
「そういう輩との接触を許すとは...息子もまだまだ未熟ってことかな」
「そうはいうがフィル、そこまで万能になられても困る」
「そうですよフリオニールさん。娘さん嫁ぎ遅れちゃいますよ?」
「上等!むしろ嫁にはやらん!」
「あ、本気の眼だ...」
後にユリアンは、フリオニールさんとその息子は、よく似ていましたよ...と語る。
それは娘(妹)の花嫁姿に号泣した二人を宥め疲れた後の言葉だったという。
だがそれらは今よりちょっと先のこと。
今の時刻はまだ宵の口。
愛妻手作りの料理を肴に、彼らの酒宴はまだまだ続いていくのであった。
そして彼らは走っていきます。
ところどころでちょっと難儀しつつも、
きっといろんな人を巻き込んで、笑いながら。
完結。
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