ちょっと長めの新婚生活
俺ことフリオニール・リブラ・インブリウムは最近ようやく精神の落ち着きを取り戻した愛妻のトーリ...いや、蔡の、その悩ませた原因を理解していた。
そして俺にも蔡にもそれの対処ができないことも。
蔡はこの世界にやって来た経緯から、「いつまた消えるかわからない」と言い訳して当初どんな相手の誘いにも乗ることはなかった。かろうじて俺やビロウ、ユリアンその他妻帯者と食事するくらいだった。
別のところから来たのは、既に疑っていない。彼女が身に付けていたブレスレットは今の技術でどうこうできる代物ではなかったからだ。なんでも、太陽の光りを蓄えた力で動く時計らしい。十二しか区切りがないが、あれ好事家に売れば三ヤガル(四~五年)は遊んで暮らせると思う。教えたら売り払いそうなので教えてないが。
最初こそ単に最上の観察対象であった彼女は、すぐに生きるなかで必要な存在に変わった。最初は観察対象を誰かに取られまいとすぐ手が伸ばせる位置に置いたつもりだったが、今になって振り返ると既に囲いこみに入っていた気がしないでもない。
足かけ三ヤガル、口説き通して事実婚まで認めさせて。売り言葉に買い言葉で入籍まで持っていった俺は我ながら頑張ったと思う。
彼女を誰かに渡すつもりはなかったし、さらに言うなら元の世界にも返すつもりはなかった。
床を共にする前と後では、本人の感覚的に妙な安定感があるらしい。
港に錨を下したような。
そうだというならもっと早くに抱いておけばよかった。
意外に彼女はこの世界に馴染んでいなかったらしい。危ない危ない。
妊娠がわかった後の彼女は躁鬱を繰り返していた。普通の妊婦でさえ初めての出産は精神を病むことがある。
「フリオニール、万一のときはこの子を頼む」
ひとしきり泣いた後、大きくなった腹を撫でながら、壊れてしまいそうな顔で蔡が笑う。
少しでも彼女の精神負担を和らげることはできないかと色々考えた。
彼女がやって来た当時のことを振り返ると、彼女はこちらに来た時自分の触れていたものは持ち込んでいた。ならば話は簡単だ。
彼女がどこかに行く前に張り付いていればいい。
四六時中どこかに触れていれば、いつ何時呼び戻されようと問題ない。
彼女がいるところに自分も付いていけばいいだけのこと。
という趣旨の提案をした結果、蔡本人にかなりうっとうしがられてしまった。はっきりウザイからやめろと言われた。(ウザイとは鬱陶しくて気に障るうえに対象を叩き潰したくなる苛立ちを表すことらしい。一つ勉強になった)
それでも触れあうことで精神は多少和らぐはずだと説き伏せてべったりくっついた。三ディート(三日相当)くらいくっついていただけだが、彼女の方が先に音を上げた。風呂だろうがトイレだろうがプライベートがない状態は、彼女には結構きつかったらしい。
いまさら肌を隠す必要もなかろうに、かなり拒否された。
もうとっくに籍は入れてるんだからと宥めてみたが、三ディートが限界だった。俺としては面白かったんだがなあ。
その出来事から少し開き直ることができたらしく、何とか出産。
比較的安産らしかったので少し安心した。
産後暫くは、息子を本当に片時も離さなかった。大人げないが妬けた。
息子が三歳になって三ディートにわたって高熱を出したときには、周囲が慌ててベッドに叩き込むほど憔悴していた。彼女はちょっと見には分かりにくいが、あれで繊細な所もあるのだ。
彼女についていてやりたかったが、うわ言で息子を頼まれたのに無視したのがバレたら俺が殺される。彼女を義姉に任せ、俺が主に息子を看ていた。
そして熱が収まった息子は前より元気なくらいだったが、彼女は以前よりも注意深く息子を見守っている。
時折物思いにふける様子を見ると、まだ「もしも」を考えているのだろう。
しかし、以前よりも俺は楽観していた。床入りした際にこちらに錨を下ろしたのなら妊娠し出産した今となっては、元の世界に戻されるのも難しいほどに、彼女とこの世界の絆は強まっているはずだ。
もっと強くなるように頑張ろうかなあ。
幸い息子は手がかからないし。
息子もいいけど彼女に似た娘も欲しいな。子供は授かりものだというから娘も欲しいとねだってみようか。
にやにやしているとビロウから冷たくツッコミ入れられた。
うるさい。お前のところだってかなりの万年新婚夫婦だろうが。
雑談のなかでビロウの奥方の話になった。何でも奥方が最近すごい占い師に出会ったらしい。
占い師自身は占い師だと名乗ったわけではないらしいが、一目見ればぴたりとその人の得意なものが分かるという、何とも胡散臭い代物。
しかし事前に調べた様子もなく占いを受ける本人も知らない技術を知らせることもあるとか。
ふむ。機会があったら探してみるか。
と思っていたらあっさり機会はやってきた。
蔡と二人で町を歩いていたら、ユリアンと男が話していた。ユリアンはその人物に食ってかかっていた。
あの基本穏やかなユリアンが。珍しいこともあるものだと遠巻きにしていたら、こちらに気づいたユリアンが蔡を引っ張って男の前に連れだした。
なんだなんだと話を聞いてみたら、占い師殿は蔡を他の世界からやって来たとあっさり断定した。
ユリアンは目を白黒させていたから彼がしゃべったわけではないらしい。
ビロウは見てもらったことはないと言っていたし、奥方は蔡の事情を知らない。
知るはずのないことをピタリと当てる。うわさ通りだなと感心していると、蔡がためらいながら質問をした。
「私がなぜ他の世界から来たと思われますか」
「見ればわかるんです。ステータスに表示されてますので」
「ステータス?...ロールプレイングゲームのような?」
「ああ、そういう比喩懐かしいなあ。
俺も異世界人なんですが、実は人のステータスが見える能力がありまして」
「それはまた...便利ですね」
「よろしかったらそこらでお茶でも」
「それは看過できないな」
「フィル」
蔡に言外に窘められるが占い師を睨むことは止めない。
この占い師、ふざけたこと抜かしやがる。
「彼女は俺の奥さんでね。彼女を誘うなら俺も一緒に居させてもらうよ」
占い師は面白いものでも見ているように目を細める。
「ああ、既婚者であることは分かってますよ。
いや、奥さんとは同郷でしてね。同郷のよしみでわかることを教えておこうと思ったんです」
「彼女と同郷である証拠は?」
単に教えるだけならナンパ紛いの誘いをする必要はない。
『うわあ称号「頭脳労働」、「お似合い夫婦」に状態「威嚇」が加わって補正「鵜の目鷹の目」が出てきた。初めて見た』
なんかぼそぼそ呟いた占い師の言葉に、蔡がぶはっと噴き出した。
「フィル、あれヤパネ(日本語)で間違いない...ステータスが見えると言っていましたが、人をはばかるようなものなのですか?」
「いいえ、プライバシーにかかわるから、言ってもいいものかと思いまして」
「...ああ、なるほど。ユリアン、フリオニール。
五カツレ(六メートル相当)離れて。聞き耳立てるのは構わないから」
彼女が愛称でなく呼ぶときは、かなり本気だ。不本意だが一度肩を抱いてから離れた。
『素直な方たちですね。特に旦那さん』
『内心穏やかじゃないでしょうけどね。我慢してもらいます』
『では早速ですが、貴方にはほとんど補正がないようですね』
『でしょうねー』
『でも「ちょっと幸運」、という補正がありますね。この世界で貴方は老衰でしか死ねませんよ』
『それはどういう?』
『えーっと、くじ運とかでの幸運というより、命の危険に対して限定的に働く幸運らしいです。
つまり、貴方を殺そうとしてもそれを阻む要因が必ずいて防いでくれます』
『へえ』
『ただ、ちょっとというのが...たとえばあなたが刃物で刺されたとします。
刃物は急所をそれるか、大量に出血しても誰かが必ず助けてくれます』
『...刺されないという幸運ではないんですね』
『みたいです』
『ほかに補正ってあります?』
『残念ながら...』
『そうですか...』
『何か聞きたいことはありますか?』
『...私はこの世界に突然やってきたんですが、今後突然還ることはあるかどうかわかりますか』
『アーちょっと言いにくいのですが...それはないと思いますよ?
というのも、貴方のステータスの中に、「異世界からの花嫁」というのがあってですね』
『へ、返品不可・・・』
『なのでもう他の世界に行くことはないと思われます。この世界に骨を埋めて下さい』
『ちょ、ひどいな』
『笑顔が戻って何よりです』
『ええ、ありがとう。ちなみにあなたの補正は?』
『ステータス閲覧と言葉に不自由しないぐらいですよ』
『私通じなくて大変でした...』
『俺も文字書けるようになるまで苦労しました』
『この世界、統一言語ってないですからね。気分はバイリンガルですよ』
『ですよねー。あ、そうそう、貴方のお子さんなんですが』
『はい、なんかステータスに出てます?』
『あなたの他の称号に「チートの母」というのがあってですね。
興味があるので今度お子さんに会わせて下さい』
『ああ、いいですよー。これで携帯でもあれば連絡しやすいんですけどね』
『だね、機械文明は日本のほうが発達してたなあやっぱり。
ハイ、これ俺専用ライン。ここに書いてる店の親方に連絡くれればすぐ会いに行くんで』
『ありがとー。ああ、この店ね。うん覚えた。』
『え覚えるの?』
『うんだって、』
「蔡」
『...私の夫嫉妬深いから』
『まあここまで全編日本語だからね。そりゃあ心配するって』
『じゃあまた』
『あ、おれも帰れない組だから。気が向いたら呼んでくれ』
『りょーかーい』
和やかに別れる占い師。だがそんなことはどうでもいい。
「蔡」
「はいはい」
ようやくこちらに振り向いた彼女は、その顔にめったに見ないほどの笑みを浮かべていた。
気に食わない不快だ腹が立つ。
その笑顔が魅力的であればある程、それを浮かべさせたのが俺でないのが腹立たしい。
苦り切った俺の顔を見て不審がるどころか彼女は笑みを深め、
え?
彼女の笑顔が大写しになったかと思うと、そのまま離れた。
唇に余韻。
...え?
俺は今ものすごく間抜けな顔をしてるだろう。
すぐに気を取り直した俺はユリアンを放置してそのまま彼女を近場の泊まり場に連れ込み...
まあ、一息ついたところであの一連の内容を聞いた。
要約すると、彼女はもうこの世界からいなくなることはないとのことだった。
彼女が珍しくも道端で自分から愛情表現をしたのも、それが嬉しかったらしい。
そう、喜んでくれたのだ。
元の世界に戻れないことを嘆くのではなく、俺とこの世界で生きることを。
そして異世界に連れて行かれる恐怖を味わわないことを。
こうして、彼女の最大の悩みは一掃された。
心のどこかに巣食っていた疑念が吹っ飛んで爽快だと彼女は笑った。
と、いうことは、あの時の笑顔は...
「ずっと君の傍にいられるとわかって嬉しかったのさ、フリオニール」
その言葉だけで第二ラウンドに突入するのは十分だった。
娘が生まれた真相(笑)