2-1.血も縁も時も世界も繋がらない妹に敵はいない!
1巡目はゲームオーバー。
2巡目に入ります。なので、2-1。ループ物のお約束、ちょっと前の世界の記憶がある世界。
自我に目覚めた瞬間、1つの言葉が頭に浮かんだ。
長かった。
長かったという言葉を100乗しても足りないほど、長かった。
――気がする。
まるで、数億年にも及ぶ前世が、俺の人生を押しつぶしているかのような、――気がする。
今にも、自分と言う存在を見失いそうになる。それほどまでの、魂の磨耗。
それでも、俺は探さないといけない。
見つけないと、助けないと。彼女を。
そのために、俺はもう一度――
◆◆◆◆◆
真夏の太陽が足元のコンクリートを熱していく。
まるで熱鉄板の上を歩いているような気がして、気が遠のいてくる。今年一番の暑さになると、朝のニュースで知ってしまっているのが、それに拍車をかける。
俺は滴る汗を拭いながら、熱の地獄と化した街を歩き続けていた。
探し物をしていた。
探し物が何かを探す。そんな探し物をしていた。
俺の落ち着かない視線が違和感を見つける。
数十メートル前方で、流れる人の波が裂けていた。俺はゆっくりとその違和感へと近づいていく。
裂けた人の波の中で、一人の子供が地面に両手をついて俯いていた。
年は小学生ほどに見える。小柄だ。いたいけな子供が体調不良に苦しんでいる姿は、見るものの良心をうずかせる。だが、誰も手を貸そうとはしない。
子供の格好が、声をかけることを躊躇わせるのだ。
この煮えたぎるような暑い日に、長袖の黄色いパーカーにジーンズ。さらには、頭に赤いニット帽までかぶっている。まるで、冬の日を歩くための格好だ。そして、その赤いニット帽からこぼれる金色の髪が異様すぎる。どういう理由であれ、この子供が普通ではないということを感じさせる。
「どうしたの?」
俺は吸い寄せられるように子供に声をかけた。
遠巻きに心配していた大人たちが、少しばかり安心した様子を見せて去っていく。良心は痛んでいたものの、リスクのせいで動けなかった人たちだ。
子供は俺の声を聞き、僅かに顔をこちらへ向けた。
恐ろしく病的な顔をしていた。本来ならば整っているであろう美貌が、極度の体調不良で醜く歪んでいる。真っ黒の隈ができており、頬はこけ、表情に気力がない。
だが、それでも不思議な魅力を持った子供だった。状態が悪すぎて性別が判断し難かったが、微かな胸のふくらみから女の子ということがわかる。肌は不純物の全くない白で、この真夏の太陽に晒されているのを見るのが痛々しいほどだ。そして、金色の髪。髪は染めたものかと思っていたが違うようだ。近くで見ると綺麗過ぎるブロンドヘアーなのだ。その日本人離れした顔立ちと肌を合わせて考えると、地毛かもしれない。外人である可能性も考えたほうがよさそうだ。
少女は俺を見て、目を見開いた。
喜んだような、悲しんだような、驚いたような、複数の感情が混ざった顔だ。
「大丈夫? えーっと、キャンユーヘルプ――」
「――いえ、日本語で大丈夫です。ただ、暑くて、眩暈がして……」
少女は日本語で答えた。
俺は安心した。
俺の英語の成績は最低クラスだ。
うちの家は有名な良家で、現実離れしているほどの徹底的な教育を俺に施したが、俺はそれを徹頭徹尾に拒否した。逆に、勉強嫌いとなってしまったわけだ。
だって、あいつらまじありえない。いまどき、家にテレビもなければゲームもないなんて正気じゃない。漫画とアニメが大好きな俺にとっては、息ができないのと同じだ。気づいたら、家出してたほどだ。
だから、よかった。
不勉強な俺は、日本語を喋ることに安心して、その手を引いて近くの喫茶店まで歩いた。
まずは、冷房の効いた部屋で、冷たい飲み物を飲んでもらおう。
話はそれからだ。
◆◆◆◆◆
俺は良いことをした、はずだ。
ただ、良いことをしたら、良いことが待っているなんてルールは、この世にない。
というよりも、良い人のほうが馬鹿を見る。そんなことのほうが多い世の中だ。
今、そんな世界の教訓を、俺は噛み締めているところだった。
「ここに放っておかれても困ります」
目の前の子供はそう言った。
この子とは、飲食店のテーブルを一時間ほど前から共に囲んでいるわけだが、俺はいますぐにでもこの席を立ちたくて仕方がない。
「……困るって、何が?」
俺は鬱蒼とした気持ちで彼女に答えた。
「私、帰るところもない上に、無一文ですから」
「へ、へえ、それは大変だねぇ」
「ここで見放されたら、また行き倒れるだけです」
「…………」
「だから、お兄さんについていくことに決めました。人助けをするなら最後までお願いします」
「…………」
俺は無言で携帯へと手をのばす。
「無言で携帯をとりださないでください! あ、1を押すな!」
110の、11あたりで携帯を子供にはたかれて取り落としてしまう。
「だって、最後までって言うから、警察までちゃんと送り届けるよ?」
身元不明の迷子を警察に届けるという、一般市民として正しいことを、俺はしようとしているだけだ。それに何の不満があるって言うのだろう。
「そういうことじゃありません。血も涙もありませんね、あなたは。今までの話の流れから、察してくださいよ。こう、警察には厄介になれない特殊な事情を抱えた感じがしませんでしたか?」
目の前の子供は、まるで俺を悪いことをしたかのように肩をすくめる。
「それを察したくない俺の気持ちも、察して欲しいんだけど……」
「あなたは私の抱える犯罪チックな背景を察しながらも、それに気づかないふりをすると。あなたはか弱い少女を見捨てると、生贄に捧げると。犠牲にすると。見殺すと。そう言うのですね」
責め立てられる理由はないはずだ。
ないはずなのに、俺は今、推定小学生程度の女の子に理由もなく責め立てられ続けている。
「……はあ。まず事情を聞きましょうか」
「ふむ、いいでしょう」
少女は待っていましたと言わんばかりに踏ん反り返る。
「…………」
「ん、んー。えーと……」
だが、少女が踏ん反り返っていたのもつかの間で、急に困ったような顔に変わる。
「…………」
「あ、ちょ、ちょっと待ってください」
指で「T」の字をつくって、休止を要求する少女。
「いや、考える時間が必要なのはおかしいでしょ! ないの!? 背景!!」
つっこまざるを得なかった。
「もう! 子供ですからうまく喋れないんです。饒舌じゃないんです。語彙が少ないんです。舌足らずなんです。お話しする前に色々と考えなきゃいけないんです!」
「バリバリ饒舌だよ!?」
「気のせいです。勘違いです。私はさっきまで見慣れぬ街と見慣れぬ人々に戸惑いながら、右往左往、心臓ドキドキでろくに喋られもしませんでしたよ」
「嘘付けよ。はぁ……、わかった。わかったよ。で、事情は? どんなのを思いついた?」
「うーん、マフィアが狙っている「ブツ」を持って逃亡中の少女とか、どう思います?」
「別に、いいんじゃないのか?」
「じゃ、逃亡中の少女でいきます。あれは一昨日の話です。某国の研究所で働いていた父に忘れたお弁当を届けるところから話は始まります。アポイントメントもなく父の研究所に訪れた私は、興味本位で立ち入り禁止区域まで足を進めます。なんと、そこには知ってはいけない非人道な様々な研究が行われていたのです。それは身寄りのない子供を使った、脳実験。そこではESPの研究が行われていて――」
出だしからして落第点な感じである。
「――迫りくる暗部の追っ手! 友の裏切り! 次々と明かされていく、私の出生の秘密! そして――」
しかし、本人はお気に入りの様子だった。
俺の冷めた目線も知らずに熱弁している。
「――最後に辿りついたのは東の端にある「日本」という国。そこには私と同じ運命を背負いし「兄妹」がいるという淡い希望を心に秘め、この街を歩き続けていたのです。そして、私の最後の「ESP」を振り絞り、見つけたのがあなた……。というわけです。助けてください、運命軸を共に歩む「呪われた子供」よ」
「断る。他をあたれ」
しかも、その話では俺までもがエスパーになっている。そんな覚えはない。
ない。――ないはずだ。
「はぁ!? ふざけないでくださいよ! ここまでやらせといて、飽きたらポイですか!?」
「キレたいのは俺のほうだっつーの!」
「はぁ、こんな器量の狭い男に助けられるなんて私は不運です」
「俺もこれ以上ないくらいの不運を噛み締めているところだ」
「おや、奇遇ですね。ところで、お名前は?」
「そんな奇遇を装って名前を尋ねられても、答えるわけがない。おまえが俺の名前を知るときは、それすなわち、警察に電話をかけるときだ」
「ちなみに私の名前は冠理倫子です」
「おまえ、俺の名前知ってるだろ!?」
ちなみに、俺の名前は「冠理倫太郎」である。
倫子と倫太郎とか、普通に怖い。
「生き別れの妹です」
「おまえみたいな妹がいてたまるか!」
「…………、ははっ、冗談ですよ。本当は全然違います。私、ハーフですし」
「冗談じゃすまねえ! 普通に怖いわ!」
「やだなぁ、あなたの携帯いじっただけですよぉ」
いつのまにか、俺の携帯電話が見当たらない。よく見れば子供は、右手をテーブルの下に隠した状態でせわしなく動かしている。いじりまくりである。
「いじんな、返せ!」
俺は子供の右手を軽くチョップする。子供は笑いながら携帯電話を俺に返す。
「もうー、観念しましょうよー。ちょっと、お家まで連れてってもらって、寝床と食事と衣服を提供するだけじゃないですかー」
「衣食住舐めんなよ。というか、家には家族がいるから、無理に決まっているだろうが」
「え、家族いるんですか? こう、両親は海外出張中とか、天涯孤独の身とか、一人暮らしを始めたばかりとかじゃないんですか?」
「おまえは俺を何だと思っているんだ」
「こんな得体の知れない不審な金髪少女を助けるからには、そのくらいの用意は当然です。じゃないとうまく話が進まないに決まっているじゃないですか。もー」
「え、怒られてんの、俺? なんで?」
「仕方ありません。隠遁生活でも我慢しましょう。ああ、隠れるのは得意ですからご心配なく」
「それ不法侵入に不法居住だからね。言っとくけど、俺は君を警察に通報するのに何の抵抗もないから」
「ふっ、警察なんて国家権力の犬程度の介入でこの私が何とかなるとでも?」
「…………」
なかなか強気である。
とりあえず、携帯電話を取り出す。
「あ! だから、無言で携帯はやめてください!」
「あ、もしもし」
「こいつ、まじでかけやがりました!」
「なあ。なんか、おまえ好みの変な金髪少女拾ったんだけど、いらない?」
ちなみに電話の相手は警察ではない。
俺の男友達の一人である。
「てか売り飛ばそうとしてません!?」
「あとで、ラーメン奢るから頼むよ」
男友達は電話の向こうで焦っている様子だった。どうも乗り気ではないようなので、飯で釣ろうとしてみる。
「いや、お引取り!?」
当たり前だ。
しかし、それでも男友達から良い返事はもらえない。それどころか、まるでこの世の終わりのような悲痛な声で状況を説明してくる。
「え、今、あいついんの? ごめんごめん、え、ごめんじゃすまないって?」
この男友達には妹がいる。かなり過激な性格をした妹さんだ。
その妹が電話をかけた先にいたようで、今の会話内容が漏れてしまったらしい。
「…………」
自分の兄が「金髪少女」を欲しがっているなんてことになったら、空気は確実に凍りつくこと必至である。
「…………、んー、ごめん」
俺は謝罪した。
そして、けたたましい悲鳴と共に電話は切れてしまった。
「今、悲鳴が聞こえたような気がしましたが……」
「ああ、惜しいやつを亡くした」
『亡くした』はさすがに冗談ではあるが、下手をしたら腕の一本は折れてそうである。
それほどまでに、友人の妹は過激なのだ。
「一体誰に電話を?」
「俺には頼もしい親友がいてな。運動神経抜群で頭もよくて、困ったやつは見捨てられない超お人好しのイケメン。さらに実家は大金持ちで、一人暮らし中という超優良物件だったのだけど……」
「それは絵に描いたような人ですね。しかし、その方に一体何が?」
「そいつには、また絵に描いたような完璧な妹がいてね。そんな完璧のお兄ちゃん大好きな妹だその子が丁度、家に居合わせていたみたいなんだ。ちょっと厳しい性格の子でね。さっきの会話を聞かれて、えらいことになったみたいだ」
「あー、それはお気の毒ですねぇ」
「我が親友は、絶対に不幸なやつや困ったやつを見捨てられないから、おまえをうまく押し付けられると思ったんだが。どうもタイミングが悪かったようだ」
薄幸のヒロインと正義の味方の相性は抜群だ。残念でならない。
「それはあきらめて自分で面倒を見なさいという天啓ですね」
「俺はもう、おまえを置いて全力疾走で逃走することを視野に入れている。言葉には気をつけろよ」
「ちょ、え!? いやいやいや、まじなんですよ! まじで、困っているんですって!」
俺の現実的で冷たい態度に、少女は身を乗り出す。
「ここの代金は俺が持ってやるし、イケメンの住所と電話番号を書いた紙も置いておく。うまくやれ。これで俺は何のあとくされもなく去れるな」
「もう席を立とうとしてる!?」
俺はもう腰を上げていた。
財布から少女の分の代金を取り出してテーブルに置く。ついでに、親友の個人情報が漏れまくっている紙も置く。
「じゃあ、家出も大概にしとけよ」
「ちょ、ちょっと、私も出ますよ!」
少女はその代金と紙を持って同じく席を立つ。
俺と少女は仲良く会計を済ませる。
喫茶店から出た俺には行くところがあった。
正確には、行かなければいけなかったところがあった。
「俺はこっちだ。というか塾だ。というか遅刻だ」
「ユー、もう休んじゃいなヨ」
「…………」
「ぁ痛!」
俺は無言で少女の頭を叩いた。
「そして、おまえが行くべき方向はあっちだ。その住所と電話番号に嘘偽りはない。さあ、行くがいい。そして、空から降るなりベランダに引っかかるなり、血まみれで訪問するなり、朝起きたら隣で寝ていたりするといい」
「えー、そりゃありがたいですけどね。私としてはお兄さんのほうが良いといいますか、なんといいますか……」
「俺はおまえに興味がない。というよりも不利益を被りすぎて、もう付き合ってられない」
まず塾での俺の信頼が失われた。これでも、無断欠席をしたことはないのだ。今日の欠席の理由は「人助け」のはずだったが、今となってはそんな気は全くしないので、ただの無断欠席である。
さらには、時間と金銭が現実的に失われた。
「仕方ありません。今回は鴛噺円太さんのところで我慢しますか」
俺の気持ちを少女は理解したのか、やけにあっさりと引き下がる。
「ああ、そうしろそうしろ。俺は急ぐ、じゃあな。二度と会うこともあるまい」
しかし、引くのなら追う理由もない。俺は少女に背中を向ける。
「でも、たぶんまた会いますよ」
「……あぁ、そう」
少女は予言する。
軽い皮肉だろう。俺は対して気にもせず受け流す。
「ではまた」
「じゃあな」
俺らはこうして別れた。
俺は塾へと無言で歩いていく。
後に、俺は後悔する。
なにせ次に出逢うとき、少女は死体である。
簡単に言うと、今月の生贄は彼女だったということ。
だから、俺は何に代えても彼女を守らなければならなかった。
絶対に離れてはいけなかった。
それがこの世界の分岐点。
一度目は出逢うこともなく見殺した。
そして、今度は出逢ったにもかかわらず見殺した。
もはや言い訳をしようがない。
俺はまた彼女を助けることができなかった。
俺に残されていた、たった一人の家族を。たった二人の自分を。
助けることができなかった。
ちなみに、俺はその日、塾を休んだ。そういう気分にはなれなかったのもあるが、やはり少女の行く末が気になったてしまっのだろう。
その余った時間にそれとなく紹介した親友、鴛噺円太の家まで訪ねた。
ただ、そこに少女はいなかった。
いなかったのだ。