番外編 ノトーリアス
時間軸を少し遡って、イリカと守が出会う直前に起きていた出来事です。
――ノトーリアス・ビアイジ。彼は巨体で知られるマンタイガー族の中でもずば抜けて身体が大きかった。身長は二百六十センチを越え、体重は百五十キロほど。村一番の豪腕として名を馳せていた。優秀な闘士として将来を有望視されていたが、意外にも彼が選んだのは商いの道だった。
大規模な市場が開催され、賑わうスラティ。その中のとあるテントに、大きな男の影が入っていった。
「おう、オヤジ。一人ばかり見繕って欲しいんだが」
「あいよ。希望は?」
「シグリス語の読み書きが出来る、とびきり若いのを頼む。いたぶり甲斐がありそうなのをな。種族、男女は問わない」
下衆な笑みを引っさげてノトーリアスは注文した。
そんなリクエストにも全く動じずに、店の男は「了解」と事も無げに言った。
ノトーリアスがやってきたのは、奴隷商人の仮設店舗。二週間に一度の『スラティ・マーケット』は奴隷商にとっても大きなビジネスチャンスなのであった。
五分も待たずに奴隷商の男は奴隷を何人か連れて店の奥から戻ってきた。
「説明はいるかい?」
「いや、いい。少しじっくり見せてくれ」
ノトーリアスはそう言うと、六人並んだ少年少女を鋭い眼光で睨みつけた。
六人はそれぞれ「ひっ」と小さな悲鳴をあげたり、目の端に涙を浮かべたりと怯えた反応を見せた。
そんな中、ケットシーの少女は、恐れるのは失礼だと思ったのか、怯みながらも懸命に涙を堪えている様子だった。
「オヤジ。このケットシーはいくらだ?」
そのいたいけな姿がノトーリアスのお眼鏡に適い、早速店主に買取の意思を見せた。
「そいつは並んでる中でも一番もの覚えがいいからねえ。それにまだ男を知らないから割高になるよ?」
「御託はいいからさっさと値段を言え」
「ちょっとは売り込みくらいさせてくれよ。……七十万ルドだ」
(十五歳前後で処女。顔も少し子供っぽいが、かなり良い部類だろう。ケットシーというのがマイナス要素だとして、相場は六十万前後か。足元を見られたな)
一般的にマンタイガーは、強靭な肉体を持つ代わりに頭が良くない種族として認識されていた。しかし一瞬のうちにそこまで思考を巡らせたノトーリアスは、むしろ賢しいと言えるだろう。だてに商人を目指しているわけではなかった。
「このションベン臭いガキが六十五万だと? 俺がマンタイガーだからってナメてんのか? ああ!?」
マンタイガーを侮ったということを逆手に取り、威圧的な態度に出ることによって値段を下げようと試みるノトーリアス。
自分の一喝で店主が竦んだのを見て、追撃の一言を放った。
「五十万だ」
「おいおい、無茶言わないでくれ。そんな値段で売ったら商売あがったりだ」
「五十五万」
依然として殺気満々のノトーリアスは、低い声で短くそれだけ呟いた。
店主はそんなノトーリアスを見て、この相手に相場以上の値段を吹っかけることは出来ないことを悟った。
「……わかったよ。悪かった、降参だ。相場ぴったし六十万ルド。これで手を打ってくれ」
「よし、成立だ」
店主の言葉に納得したノトーリアスは、アイテムボックスから布の袋を六つ取り出した。
それを店主に渡すと、店主は一つ一つ中身を確かめて、引き換えに首輪をノトーリアスに手渡した。
受け取った首輪をその場でケットシーの少女に付けると、「ついて来い」とだけ少女に告げて、そのまま店を出た。
今年で三十歳を迎えるノトーリアスは、五年前に成人の儀を済ませて、すぐに村を出た。寿命がヒューマンよりも若干長いマンタイガーは、世間的には二十五歳で成人とされていた。彼の同級はみな傭兵や戦士を目指すべく、成人の儀を終えても村に留まって力を蓄えていたが、彼は周りの制止を文字通り振り切って、商人になるべく資本金や商人になるために必要なものを集める旅に出た。そして五年という月日を経て、ようやく商人として旗揚げする準備が整った。
身体が大きいノトーリアスは、当然歩幅も常人の数倍あった。彼が普通に歩いているだけで、ケットシーの少女――イリカは、ついていくのが精一杯だった。
三十分ほど走らされたイリカは、ノトーリアスの館に到着する頃には膝が笑っていたが、そんな様子を主人に見せたら叱られると思い、気丈に振舞った。
しかしノトーリアスはイリカが無理をしていることに気が付いていて、やはりこの奴隷を買ったのは正解だった、と密かに思った。
彼が商人としてスタートするのに足りなかったものは、身の回りの雑用や、膨大になる商品の陳列や記録を手伝う者であった。売り物を扱う作業になるゆえ、信頼のおける者を雇うか、奴隷を買うかの二択だったが、マンタイガーのノトーリアスには前者の選択肢は有り得なかった。だから奴隷商まで足を運んだのだが、彼にとって奴隷を買うメリットは他にもあった。気性の荒いマンタイガーは、社会に適合するため、みな多かれ少なかれ自分の破壊衝動を抑えて生活していた。だから殆どの者が戦いに身を投じてその衝動を解消しているが、商人を目指すとなるとそういうわけにもいかなかった。そこで奴隷だ。奴隷には人権なんて無いし、勢いあまって殺してしまっても罪には問われない。だから破壊衝動の良いはけ口になるとノトーリアスは考えていた。
「この物置が貴様の部屋だ」
館に着くなり、イリカはそうノトーリアスに告げられた。
彼が言うように、どこからどう見ても物置でしかないその部屋は、これから売り物になるであろう品々で埋めつくされていて、小柄な人が一人ぎりぎり横たわれるほどのスペースしかなかった。埃っぽかったりカビ臭かったりはしなかったが、当然ベッドや机などは無く、ボロボロの布が一枚あるだけだった。
「いいか、ここにあるのは全て商品だ。一つでも傷つけてみろ。貴様にその何倍もの痛みを味わわせてやろう」
ノトーリアスの忠告に、「わかりました」と感情の無い声でイリカは答えた。
「それと、これが今日の晩飯だ。初日だから奮発しておいてやったぞ」
そう言ってノトーリアスは、イリカにコップ一杯の水を渡した。
これに対しても、イリカは「ありがとうございます」とだけ力無く返事をした。
「仕事が出来たら呼びつけるから、いつでも対応できるようにしとけ」
イリカの返事を待たずに、ノトーリアスは物置に背を向けて去っていった。
扉が閉められ、主の足音が遠ざかったのを確認したイリカは、手にしていたコップを地面に置いて、自分の膝に顔をうずめた。
「怖いよう……」と声を殺して、買われた時から我慢していた涙を流した。
五分ほどそうして溜まったものを吐き出していたが、ノトーリアスの一声でそれも中断さぜるを得なくなった。
「おい、クソガキ! ワインセラーに入ってるボトルの中身をグラスに注いで今すぐ持って来い!」
イリカは慌てて涙を服でこすって「は、はい!」と答えた。
物置にワインセラーはひとつしかなく、またその中にもボトルは一本しかなかったので、勝手の知らないイリカでも迷わずに見つけることが出来た。
しかしワイングラスがなかなか見つからず、イリカは焦って倉庫中を探すことになってしまった。
一方、ノトーリアスは居間のソファにふんぞり返って気分良く葉巻を燻らせていた。
「奴隷も買ったし、商品の仕入れもうまくいっている。第一店舗『ノトーリアス・サッグス』のオープンも間近だ」
後はそうだな、とノトーリアスが呟いた。
「苦労して手に入れた『翻訳コニャック』を飲んでインタープリターを身につけるだけだな」
その頃、イリカはようやく探し物を見つけることが出来た。と言ってもイリカが見つけたのは、ワイングラスではなくて、ただのコップだったが。ちゃんとしたグラスはワインセラーの真上にあったのだが、館はマンタイガー用に設計されていたので、身長が百五十センチちょっとのイリカには目に入らなかった。
「えっと、ボトルの中身をグラスに注いで……」
イリカはボトルの栓を抜き、中の液体をこぼさないように丁寧にコップへ注いだ。普通の大きさのワインボトルなのに、中身は意外にもコップ一杯に納まってしまうほどしか入っていなかった。
いざ持っていこうと立ち上がったところで、主からまた声がかかる。
「テメーのコップも洗いに持って来い!」
それを受けて、イリカはまだ口をつけてなかったコップに目を落とした。
「これが、夜ごはん……」
奴隷商人の元では、口が裂けても豪勢とは言えないものの、飢えることはない程度の食事は与えられていた。奴隷を無闇にダメにしたくなかったのだろう。
しかし、買われてからは、奴隷を生かすも殺すも主次第。この時点でノトーリアスは、イリカを殺す気など毛頭も無かったが、イリカは与えられた一杯の水から今後の生活を想像してしまい、絶望に涙がこぼれた。
そうしていると、なかなか来ないイリカに腹を立てたノトーリアスの怒号が飛んできた。
「なにトロトロやってんだ!? 一分以内に持ってこないとその首ひねりちぎるぞ!」
「急がなきゃ……」とイリカは、涙でぼやけた視界でコップを手にとって、一気に飲み干した。
すると次の瞬間、イリカの頭に激痛が走った。眩暈がして上下左右の感覚もおぼつかなくなった。
(なに、これ……。まさか、毒? でも、早く、持って行かないと……)
激しい吐き気、一歩進むたびに吹き出る嫌な汗。しかしそんな異常事態にも、主の恐怖を原動力に、イリカはもう一方のコップを持って物置を出た。
フラフラとした足取りで、ようやく主のいる部屋にたどり着いたが、それが限界だった。
ガラスの割れる音で、自分が今なにをやってしまったのか、イリカは理解した。
目の前でマンタイガーの大男が呆然としていた。
しかしそれも一瞬。すぐにその顔は怒りに染まり、イリカに詰め寄ってきた。
「×××××××!」とイリカにはわからない言葉(恐らく彼の母国語だろう)でノトーリアスは叫び、横たわるイリカのわき腹に容赦のない蹴りを入れた。
その一撃でイリカは戻しまいそうになるが、ここで吐いたら殺されるのがより確実になると思い、死に物狂いで耐えた。
ノトーリアスは腹をおさえてうずくまるイリカの首根っこを掴んで、力のままに投げ飛ばした。
館の窓を破って外に放り出されたイリカは、このままでは死んでしまうと思い、主が追いかけてくる前に、唯一使える治癒魔法を自分にかけた。痛みや眩暈が少し治まったが、すぐにノトーリアスが現れた。
今度は背中から踏みつけられ、首を絞めるようにして持ち上げられた後、さっきと同じように投げ飛ばされた。
マンタイガーのでたらめな力で、体重の軽いイリカは数十メートル先の人ごみに放り出された。
相当なスピードで飛んでいたイリカは、宙を舞っている間に死を覚悟したが、意外にも衝撃なく着地した。
「おい、大丈夫か? 一体どうしたんだ?」
目を開けると、そこには心配そうに覗き込む男がいた。この人がわたしを助けてくれたんだ、とイリカはぼんやりと考えていると、遠くからノトーリアスの怒号が聞こえてきた。
行かなきゃ、とイリカは男の腕から飛び降り、謝罪の言葉を残して、怒りに狂う主の元へ戻っていくのであった……。