目的地
「落ち着いたところで色々と聞きたいことがあるんだが、その前に」
「はい!」
「地面に座るのはよせ……」
首輪を付けるなり再び床に正座するイリカに、ため息をつきながら守は言う。
「では立ってます!」
笑顔のまま元気良く立ち上がったイリカに対し「いや、そういうことじゃなくてだな……」と守は頭をおさえる。
「いいか、まず言っておきたいことがある。俺はお前を奴隷として扱うことはない」
「どういうことですか?」
ポカンとした様子でイリカが訊ねる。
「そうだな、俺のことは兄だと思ってくれ」
「そんな、恐れ多いです」
「徐々に慣れてくれればいい。それまではお前の落ち着くように接してくれて構わないが、一つだけ覚えておいてほしいことがある」
「覚えておいてほしいこと……ですか?」
「お前は今日から俺の家族だ。それを忘れないでくれ」
それを聞いたイリカは「ご主人様……!」と頬を赤くして、目の端に嬉し涙を浮かべる。
「というわけで、家族のお前には地面に座ったり、妙に遠慮してほしくない」
「……わかりました、そう言っていただけるなら」
イリカはおずおずとベッドに向かい、ゆっくりと腰をかける。相当安物のベッドなのか、四十キロにも満たないイリカの体重でもスプリングが小さく軋む。
「無理強いして悪いな」
「いえ、とても嬉しいです。ありがとうございます、ご主人様」
笑顔で返してくれたイリカを見て、守は安心する。
「さて、本題だが」
「はい、何なりと聞いてください! 頑張ります!」
「ここは日本からどれくらい離れた場所にあるんだ?」
「……ニホン、ですか? ごめんなさい、わからないです」
守の問いに答えられなかったイリカは、落ち込んだように耳が垂れ下がる。
「ああ、いや、わからないならいいんだ。考えてみれば俺だって日本からアメリカがどのくらいの距離か聞かれてもわからないし」
そんなイリカを見て、守は慌ててフォローする。
「それじゃあ、イリカはどこで日本語を勉強したんだ? かなり流暢だけど」
「ニホン語……? わたしが喋れるのは、奴隷教育で覚えたシグリス語と、わたしの出身地の言葉のボリジア語だけですよ?」
今度は守の質問の趣旨が伝わらず、イリカは首を傾げる。
そしてこのイリカの返答に、守は自分なりの仮説を立てる。
(そうか、こっちでは日本語のことをボリジア語って言うのか。イリカはこっちに住んでいた日本人の子孫ってところだな。それにしては髪が綺麗な赤色だけど……)
気になることはあったものの、ある程度は合点がいった守は、イリカに次の質問をぶつける。
「じゃあ次な。触れた物や人の情報が頭に浮かんでくることがあるんだけど、これは何でかわかるか?」
「えっと、ドロップアイテムや装備品などは持つだけで大体どういうものか理解できるようになってますけど、その仕組みまではわからないです。生まれた頃からこうでしたので、あまり意識したことなかったです」
この地域では通常のことなのか、と守は考え、更に続ける。
「声が聞こえることは?」
「『アナウンス』のことですか? レベルが上がった時などに流れるのですが、私はまだ数える程しか聞いたことないです」
「これも普通なのか……。そうだ、さっきも言ってたけどレベルって?」
「その人がどれくらい強いか教えてくれるものです。高ければ高いほど強いです。……ご主人様は別みたいですが」
(猪や鹿を倒した時にレベルってのは上がっていったな。どれだけ敵に勝ったかで決まるのか。しかし誰がどうやって……うーん)
守が無い知恵を絞って思考を重ねていると、今度はイリカから質問の声があがる。
「あ、あの。ご主人様はもしかしてラストリアの外から来たのですか?」
「ん? 多分そうだと思う。アジアの日本っていう国からきた」
「す、すごいです! 大陸の外から来た人、初めて見ました!」
イリカは驚きと興奮に目を輝かせている。
「外国人ってこっちじゃ結構珍しいのか。ビヨンドなんとかっていう大会に参加したら連れてこられたんだが」
「ビヨンドなんとか、です?」
それを聞いたイリカは、心当たりがあるような反応を見せる。
「あれ、もしかして知ってるのか?」
「はい。あ、わたしが知っているのは大会ではありませんが、『ビヨンド』という単語はよく聞きます。今ラストリアで話題のギルドの名前が『ビヨンド・ボーダー』ですので」
「ギルド?」
「えーと、パーティの大きいのがギルドです。『ビヨンド・ボーダー』は最近できた戦闘系ギルドで、メンバーの皆さんがとっても強いことで有名です」
「戦闘系……ビヨンド……。どうすればそのギルドの奴らに会えるかわかるか?」
二つのキーワードがピンときたらしく、守は『ビヨンド・ボーダー』に興味を示す。『パーティ』という単語も守は聞き覚えが無かったが、文脈から人の集まりであることを察したので追求はしていない。
「海辺の町『リントフ』に彼らのギルドハウスがありますので、そこまで行けばメンバーの誰かには会えると思います」
「歩いて行ける距離か?」
「二週間ほどかかりますが、行けない距離ではないです」
よし、と守は勢いよく立ち上がる。
「明日、その『リントフ』へ向かって旅立つ! この辺の地理は全然わからないから、道案内を頼む!」
胸を張って宣言した割には、人任せな発言である。
しかし、そんな守の丸投げっぷりにも、イリカは嬉しそうに「はい!」と返事をする。
「あ、俺の質問は以上だ。ありがとうな、イリカ。すごく助かった」
守は礼を述べながら、イリカの頭に手を置く。
「えへへ、少しでもご主人様のお役に立てたなら幸せです!」
イリカは気持ち良さそうに目を細めながら、健気にそう答える。
「さて、これからの方向性が決まったところで飯にするか」
ジェットコースターのような目まぐるしい展開の連続で、守はこれまですっかり空腹を忘れていたが、昼にこの世界に来てから何も口にしていない。
「はい、食堂は部屋を出てすぐ右にありました」
イリカはベッドから飛び降りてそう言うと、「いってらっしゃいませ」と頭を下げる。
「なに言ってんだ。お前も来るんだよ」
「……? 何も食べないのに食堂の席を埋めるわけにはいきません」
不思議そうな表情を浮かべてイリカが答えると、それを聞いた守もイリカと同じような表情になる。
「腹減ってないのか?」
「いえ、そんなことはないです。ご主人様が残したものを少し分けていただければ……」
またそれか、と守は少し悲しくなる。奴隷の価値観に染まってしまっている少女を、絶対に正してやろうと再び強く誓う。
「いいから行くぞ」
「いえ、ですが……あっ」
守は問答無用でイリカの小さな手を取ると、そのまま食堂へ向かう。
イリカは頬を赤く染めて恥ずかしそうにしたが、力強く包んでくれている守の手を小さく握り返した。