マンタイガー
「×××××××××!」
少し離れた場所で、全身が虎模様の大男が日本語ではない言語で喚いている。
「なあ、おっちゃん。あの虎のオッサンは何て言ってるの?」
「『ふざけるんじゃねえ! アレを手に入れるのにどんだけ苦労したと思ってるんだ!』だな」
「××××××××!」
商人が通訳をしている間も怒号は止まない。
「今度は?」
「『いきなりヘマしやがって! 早くこっち来い! 気が済むまで殴らせろ!』だな。そろそろ通訳料とるよ?」
「うへー、そいつは勘弁。……それじゃ、おっちゃん色々とありがとう」
「あまり首をつっこまない方がいいぞ。奴はマンタイガーだ。ヒューマンのお前さんじゃ到底敵わん」
商人の警告を背に、守は怒鳴り声が聞こえる方へ歩を進める。
(おっちゃんにはまだ聞きたいことあったけど、あの子も日本語が話せるみたいだし大丈夫か)
「へいへいそこの虎男さん。何をそんなに怒ってるの?」
「!」
大男の目の前に到着した守は、軽い調子で言う。
言葉は通じなくとも守の口調からは明らかな挑発が感じられる。
それを受けて大男の全身を覆う体毛が天をつくように逆立ち、更に怒気が濃くなる。
――マンタイガー族。読んで字のごとく、虎のような外見の種族である。非常に大きく成長する種族で、成人したマンタイガーの平均身長は二メートル四十センチ。見た目からも想像できるような『怪力』もこの種族の主な特長の一つだが、なんと言ってもマンタイガー最大の強みは『スピード』である。現存するとされている種族では最速との呼び声も高く、その圧倒的スピードから繰り出される体術は大陸随一とされる。
当然守はそのことを知らず「やけに体毛の濃いオッサンだったな」と後に語る。
「弱い者いじめとは感心しないね。俺と一勝負しない? てかオッサン強そうだし、もしかして選手?」
「×××××!」
「あー、やっぱ何て言ってるかわかんないや。もういいから拳で語り合おうぜ」
守がファイティングポーズを取って、それに倣いマンタイガーも構える。一触即発の空気。
「ま、待ってください……!」
しかしその時。投げ飛ばされた少女がいつの間にか守の隣に来ていて、震え声で闘いを止める。その声を聞いて、守もマンタイガーも戦闘体勢を少し緩める。
「わたしが、いけないんです。ご主人様の、大切な飲み物を、こぼしてしまったから……だから……」
「関係ないな。俺がこのオッサンと闘いたいだけだ」
守は少女の言葉を遮って断言する。
「で、でも……」と少女は続けようとするが、それを止めるように守は少女の頭に手を乗せ、顔をまっすぐ見て満面の笑みを見せる。
少女は今にも泣きそうな顔で守を見つめ返したかと思うと、その場でうつむいてしまう。自分のために闘ってくれる優しい人が、無残に痛めつけられるのを見るのは耐えがたかったのだろう。
マンタイガーがいかに強力な種族であろうと、彼らはむやみやたらに暴れまわったりはしない。確かに気性は荒い者が多いが、彼らもラストリア大陸の一住民なのだ。きちんと所属国の法は守るし、正常な倫理観を持っている。今回のケースも、奴隷である少女が粗相をしたから仕置きをしただけ、というラストリア大陸では至って普通のことなのである(少女が投げ飛ばされた先にいた守には迷惑きわまりないが)。しかし、現代日本で育ってきた守には奴隷という概念がわからないし、何より年端もいかない少女を大の男がいたぶっているのを見逃すほど冷徹な人間でもない。
少女の頭から手を放すと、守はすかさずマンタイガーとの距離をつめる。
マンタイガーは、その不意打ちのような守の動きにあっけにとられ、対応が遅れる。
守はその隙を狙って無防備な顎に渾身のハイキックを叩き込むと、マンタイガーは大きくよろめく。
「×××××××××!」
マンタイガーは雄たけびをあげ、頭を振って体勢を整える。
何と叫んだかは守には理解できなかったが、向けられたその鋭い眼光からは「殺す」と言われているように感じる。
「まじかよ、完璧に入ったぞ今の……」
必殺の手ごたえを感じながら倒れないマンタイガーに、守は驚愕する。と同時に、今までに無い強敵との出会いに血が滾っていく。
守は第二撃を打ち込むべく、マンタイガーに向かって突進する。
が、次の瞬間。守は腹部に衝撃を受け、後方に五メートルほど吹き飛んでしまう。
(見えなかった……!?)
守は地面に着地すると同時に受身を取り、すぐに構え直す。凄まじい衝撃だったが、寸前で腹筋に力を入れることができ、骨や内臓には届いていないようだ。
(俺が目で追えないほど速く動ける人間がいるとは……。まだまだ広いな、世界は!)
どこか嬉しそうでもある守だったが、頭は至って冷静であり、今度こそ動きを捕捉せんとマンタイガーの一挙一動に目を張っている。
マンタイガーはマンタイガーで、先の一撃で守が倒れなかったことが不思議だったのか、驚いた表情を見せている。
しかしそれも数瞬。マンタイガーはすぐにまた攻撃体勢に入る。ガードを眼前で固めて、限りなく前傾姿勢になるが、二メートル後半はあるだろう巨体はそれでもなお大きく見える。
(この構えはボクシングか? しかしさっきの機動力は一体……?)
守が分析していると、マンタイガーが小刻みにジャンプを繰り返し始める。
「×××」
そして短く何かを呟いたかと思うと、守が瞬きする間に三メートルはあった距離を一気に詰めてきて、守の顔面に向かって突きを繰り出す。
「だああああ!」
「××!?」
それをすんでのところで察知した守は、引いていたのでは間に合わないと判断して、マンタイガーの拳が加速しきる前に自ら頭を差し出して、勢いが少ない時点で受け止める。
だがいくら勢いが弱いとはいえ、拳をまともに頭で受けているわけだからダメージは決して少なくない。
現に軽い脳震盪を起こした守は一瞬隙を見せたが、マンタイガーは二度も続けて自分の技が阻止され、少なからず動揺してしまい追撃のチャンスをみすみす失う。
脳震盪から復帰した守は、突きっぱなしだったマンタイガーの腕を取り、関節を極めにいく。
マンタイガーの大きさの前では見劣りしてしまうが、守も人間としてはかなり大柄な部類に入る。しかし戦い方を知らぬ人間であれば、守と同じように体格に恵まれていても、太いマンタイガーの腕を極めることは到底不可能だっただろう。
だが守は己の体格にあぐらをかくことはせずに、日々鍛錬を重ねている。その結果、一メートル近い体格差をものともせずに腕十字固めが極まる。
「×××××××××!」
マンタイガーは苦痛に顔をゆがめ、大声をあげる。
このままタップで終わりだ、と守が勝ちを予感した、その時である。
「……×××!」
マンタイガーが再び何かを呟く。
すると極まっているはずの右腕ごと守を持ち上げて、そのまま全体重を乗せて腕を地面に振り下ろす。
これには守もたまらずに技を解き、慌てて距離をとる。
(またこれか。さっきは嘘みたいに速くなって、今度は馬鹿力。呼吸法の一種か?)
すぐに呼吸を整えて先の攻防を分析する守。
しかし、対するマンタイガーは息を切らして、消耗しているように見える。
――実際彼は相当に疲労している。速度を瞬間的に五倍増加させるスキル『ライド・ザ・ライトニング』を二度、腕を一振りする間だけ腕力を十倍にまで増幅させるスキル『ファイト・ファイアー』も二度使わされて、彼の体力は限界に近い。騒ぎに駆けつけたギャラリーも相当な数になってきていて、この様子だと警備兵が止めにくるのもそう遠くないと予想する。これからこの町を拠点にして一旗上げようと企んでいる彼にとって、それは好ましくない。そこで、彼は対峙している妙なヒューマンにある提案を持ちかけることにする。
「×××××××××、××××××」
息を整えようとせず、構えもとらないマンタイガーを見て、闘いは終わったのだと守は感じ取る。
冷静に話す様子から、自分に何かを伝えようとしているのは察したが、いかんせん守には言葉が通じない。
少し迷った挙句、マンタイガーに手のひらを向けて差し出すジェスチャーで「ちょっと待って」と伝え(うまく伝わったかはわからないが、話すのを止めたので大丈夫だろう)、ギャラリーに混じってうずくまっている猫耳の少女の姿を探し出して、近づいて行く。
「終わったよ。ちょっと手伝ってくれるか?」
「……え?」
守が優しく声をかけると、少女は涙で濡らした大きな黄金色の瞳をまんまるにして、びっくりした様子を見せる。
「あのオッサンの言葉わかんないからさ、通訳してくれない? 怖いだろうと思うけど、頼む」
守は商人のおっちゃんも探したのだが、騒ぎに巻き込まれまいと姿をくらましたのか、どこにも見当たらない。
「は、はい……。構いませんが、あの、大丈夫ですか?」
「ん? ああ。余裕とまではいかなかったけど、多分勝ったから問題ない」
恐る恐る守の様子を伺う少女だったが、目立った怪我は見当たらない。そのことに少し安堵する彼女だったが、守の怪我を心配して「大丈夫ですか?」と聞いたのに、違う風に受け止めた守の返答に気付いて、こそばゆい気持ちになる。
少女を連れてマンタイガーのもとに戻った守は、小さく頷いて話を再開するように促す。
「×××××××××、××××××」
そのジェスチャーもきちんと察したのか、マンタイガーが静かにしゃべり始める。
「よし、じゃあ通訳頼む」と傍らの少女に守は言う。
「『もう互いに体力が限界だろうし、このまま続けていたら警備兵が介入してくるだろう。お前が何をいきなり突っかかってきたかはわからんが、ここは手打ちにしないか?』」
「×××、××××××××××」
「『もちろん、タダで引いてくれとは言わない。無茶苦茶なものでなければ、お前の要求を一つ呑もう。オレはこう見えてこの辺りの者には顔が利くぞ』とご主人様は言っています」
俺はまだ全然闘えるけどな、とぼやきながらも守は力強く頷く。
「それじゃあ今後彼女をいじめないでやってくれ、それだけでいいから」
通訳してくれ、と守は少女に目配せをする。
少女は少し照れくさそうにしながら、守が言ったことを丁寧に話していく。
「×××、×××××」
「×××××××××××」
「『残念ながらそいつは乗れない相談だ。こいつは今日六十万ルドで買ったばかりの奴隷だからな。そうホイホイ渡せるものじゃない』とご主人様は言っています……」
猫耳を垂らして、落ち込んだ様子で守への返答を通訳する少女。
「いや、別に彼女をよこせって言ってるわけじゃ……」
「××××××××、××××!?」
守がそう言いかけると、マンタイガーが守の腕のほうを指差して、興奮気味に何かを訴えてくる。
「えっと……『腕に付けてるから気付かなかったが、それはもしかして隷属の首輪か!?』とご主人様は言っています」
「これ? 確かそんな名前だったような気がするけど……。あ、持てばいいのか」
アーティファクト 隷属の首輪
種族・出自に関わらず首輪を付けた対象を奴隷として使役することが出来る
「お、どうやらそうみたいだ」
「×××、××」
「×××××××!?」
「『彼女をお前に譲る代わりに、その首輪をオレに譲ってくれないか!?』とご主人様は言ってます!」
マンタイガーはともかく、少女の方も猫耳をピコピコと動かして嬉しそうにそう伝える。
「いや、首輪なんて要らないから別にいいけどよ、俺は奴隷なんて……」
「×××××××××!」
守の言葉を最後まで待たずに、少女はマンタイガーに伝えてしまう。尻尾までゆっくりと左右に振り始めている。
返答を受けたマンタイガーは、遭遇してから初めて見せる笑顔を浮かべて、少女の首に手をかける。
守はギョッとして飛びかかる体勢を取るが、すぐにマンタイガーは少女から離れる。どうやら少女の首輪を外しただけのようだ。
すると今度は守の方に向かってきて、その首輪を差し出す。
レア 服従の首輪(妖精猫)
この首輪を付けたケットシー族を奴隷として使役することが出来る
守はそれを受け取ると、自分が持っていた方の首輪をマンタイガーに渡す。マンタイガーは、首輪を手にすると「確かに」とでも聞こえてきそうなしたり顔で守を見つめた後、踵を返して人ごみの中へ消えていく。
それとは対照的に、猫耳の少女は、先刻まで主人だったはずのマンタイガーをちらりとも振り返ることはなく、花が咲きそうな笑顔で守の元にぱたぱたと駆け寄ってきたのであった。
――獲得アイテム――
服従の首輪(妖精猫)
――スキル詳細――
Aライド・ザ・ライトニング 五秒間、速度を500%増加させる
Aファイト・ファイアー 攻撃する際に一度だけ腕力を1000%増加させる