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~最後の夜~

京・本能寺―――甲斐国の武田氏を滅ぼし、その戦功で駿河国を得た徳川家康がその礼に安土城を訪れ、その接待が終わった後、織田信長は長子で織田家の現当主・信忠とともに備中国(びっちゅうのくに)(現在の岡山県西部)は高松城で毛利軍と対峙している羽柴秀吉の応援に向かうため、手勢を率いてここ『本能寺』に滞在しているのだ。

「ふー・・・ったく、疲れたなぁ」

さきほどまで朝廷の使者がこの本能寺を訪れ『ある申し出』を行った。彼女はそれに対して明確な返答をしなかった―――後々、面倒なことになるかもしれないが、毛利討伐を控えた今は無視しておきたかった。

信長は楽な服装に着替えて自室に向かい、小姓衆に茶器の用意をするよう命じた。







茶の用意がされた部屋で、信長は火の明かりを受けながら来客を待っていた。心静かに相手を待つ信長は、物思いに耽っていた。

(思えば、オレの人生は常に危機が隣にあったなぁ)

父・信秀の後を継ぐと、国内の反対勢力が蜂起。それを制したと思えば東の今川義元が侵攻。桶狭間でそれを破り、上洛を果たしたかと思えば妹婿の挙兵、二度敷かれた包囲網―――

常に自分の前には危機が立ちはだかった。しかしその都度天運に救われ、好機を引き寄せて危機を突破してきた。

もう、理想は手の届くところまで来ている。乱世を制する最後の一手を打つための今回の西国出陣・・・その前に、ここで茶席を設けたのは自分でも知らぬうちに一息入れたいという気があったのかもしれない。

部屋で一人待つ信長。襖の外から聞こえてくるのは虫の音のみ―――だったが、こちらに近づいてくる足音があった。小姓たちには近づかぬよう命を下している為、ここに来るのは今宵招いたただ一人の客人のみである。

「入れ」

「はっ」

襖が開き、入室してきたのは、彼女がかつて愛した男の面影を残す青年。

「母上。信忠参りました」

「ま、肩の力抜け。母が茶を淹れてやるからよ」

織田弾正忠家当主・織田信忠―――信長が生涯で唯一愛した男との間に儲けた、唯一の実子であった。






信長が茶を淹れ、信忠が飲む。久しぶりの親子だけの時間。静かな時が流れていく・・・

「まずは・・・甲州征伐の儀、大儀だったな」

「いえ。母上の後詰があったからこそ、ああいった思い切った攻めができたのです」

甲州征伐軍の総大将として織田・徳川・北条軍を率いた信忠は、信長より『深入りは避けよ』と命を受けていたが、彼は自身で得た情報をもとにして命を破って深入りを行い、結果的にこの素早い行軍が武田家を滅ぼす原因となった。

「ところで母上・・・聞きたいことがあるのですが」

「なんだ?」

信長は息子と顔を合わせた。その表情から、なんとなく彼が言いたいことが分かった。それは、これまで彼が何となく避けてきた事柄―――

「父上の話を、して頂きたいのです」





信忠の父―――生駒吉乃は、彼が生まれて間もなく病死している。少年期、信忠は何度か父親について母に聞こうとした―――しかし、その度に母は少し寂しそうな表情を浮かべるのだ。だから聞けなかった。

常に豪快で、常に強気なあの母にあんな寂しそうな顔をさせる、見ることの叶わなかった父が許せなかったのかもしれない。だから、自然と避けるようになったのかもしれない。

でも―――

「私も三法師が生まれ、人の親となりました。これを機に―――というわけではありませぬが、今まで知らぬうちに避けてきたことについて、知るいい機会だと思ったのです。自分の父はどのようなお方だったのかを・・・あの、母上?何か可笑しなことでも・・・?」

「・・・そうか、吉乃のことか。フフフ・・・」

肩を震わせて笑い出した母に怪訝な顔の信忠。信長は信忠を置いてひとしきり笑うと、目尻に溜まった涙を拭って語りだした。

「いや、なに。オレとアイツが初めて会った時の事を思い出して笑いが込み上げてきてな・・・」

何せ初めての出会いは、自身が彼に夜這いをかけたところから始まったのだったから―――







「なんというか・・・母上らしゅうございますな」

「ククク、お前もわかっているだろう。この母は欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる女だぞ」

呆れたように呟く息子に、母は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「天下とて、最早我が手の中にある」






そう語った母は、翌朝炎の中に消えた。

明智光秀、謀反。所謂本能寺の変の発生である。

事変の起こりたるを聞きつけた信忠は、ただちに母を救うべく宿所としていた妙覚寺を出陣しようとした矢先、一人の老人が転がり込んできた。京都所司代の村井貞勝である。

「上様御宿泊の本能寺は焼け落ち、上様も御自害あそばしました・・・殿は、直ちに京を脱出なされませ。今は落ち延び、雌伏して明智討伐の機を待つべし」

事実、信忠の叔父である織田長益(有楽斎)や水野忠重(徳川家康の叔父)山内康豊(後の土佐藩初代藩主・山内一豊の弟)らは信忠と同行していたが脱出して生き延びている。理由は不明だが光秀は京を封鎖しておらず、当時彼らはそんな事を知る由もないが信忠も彼ら同様脱出できた可能性はあった。

貞勝の進言に、しかし信忠は頭を振った。

「光秀ほどの者が、かのような大事を起こしたのだ。母上を討ち取っていながら、この信忠を討ち漏らす様なまねはすまい」

信忠には自負があった。信雄・信孝などの弟達は数多くいるが、自分だけが唯一母と血を分けた子であると。貞勝の進言通り、岐阜まで脱出できるかもしれない。

しかし、織田信長と血の繋がった子として仇に背を向けて逃げるわけにはいかなかった。

(敵討ちは三介や三七に任せればよい。雑兵どもに討たれるは無念なり)

「二条新御所にて明智勢を迎え討つ!」






二条御所に籠城した信忠軍を、明智軍は容赦なく攻め立てた。信忠軍は、福富秀勝や野々村正成、斎藤利治らが勇戦して防ぎ、幾度も敵勢を押し返したが、一万余りの明智軍に対し、千五百ほどの信忠軍は次々と討たれ、ついに御所に火が放たれた。

信忠も最期を悟り、自らの遺体を床下に隠すよう準備をさせた。明智軍に自らの遺体が晒されぬように。

最期の時が着々と迫る中、信忠の脳裏に浮かぶのは昨夜の母との最期の会話。

(昨晩はこの信忠の生涯で、最高の夜であったやもしれん。胸のしこりが取れた、スッとした夜であった)

幼少の砌より、ふとした時に何やら違和感を覚える時があった。昨晩、母から父の話を聞かされた時、その違和感が違和感でなくなり、自らが『あるべき姿』であると悟った。

(人は、貴賤問わず両親があってこの世に生を受ける。しかしわしは父上を知らずして育ち、二十余年。それまで半身で生きてきたのだ。だが、父上の事を知り、わしにも両親がいることを心より知り、ようやくひとりの人間になれた・・・)

炎が信忠らのいる間にまで迫ってきた。いよいよだ。

「父上に拝謁を仕らん」

「は?」

「・・・なんでもない。新介、あとは手筈通りに」

「・・・ははっ」






織田信忠。

織田信長の長男として生を受け、長篠の戦いの後は織田家の家督を譲られ当主となる。

数々の戦いで総大将として織田軍を率い、特に武田勝頼を滅ぼした甲州征伐では先発軍を率いて信長の意向に背く判断を下し、結果として後発軍を率いていた信長が武田領に入る前に勝頼を天目山にて自刃に追い込み、信長から「天下の儀も御与奪」と称された。

享年二十六歳。弟の信雄・信孝が息子の三法師を擁した家臣筋の羽柴秀吉に敗れて従属・自刃に追い込まれていく中、もし彼が生きていれば・・・と早世が惜しまれた人物である。


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