~切欠(下)~
藤津栄治
鷹村家の本家筋の当主の長男。聖一同様弓道を嗜んでいるが、その腕は聖一にはるかに劣っており、そのことから彼に嫉妬と劣等感を抱いている。プライドが高い。
鷹村家の本家当主の姓は『藤津』という。昔から弓で生計を立てていた鷹村家同様、藤津家も大名家の弓道師範を務めてきた。
その藤津家の当代当主の一人息子・藤津栄治も幼いころより弓道を嗜んできた。しかし残念なことに、彼は弓の才能には恵まれなかった。
弓の老舗の家柄に生まれながら、弓の才能に恵まれなかったという劣等感に輪をかけたのが、同い年の聖一の存在であった。
分家の出でありながら同世代でも卓越した弓の腕を持つ彼の存在は、彼に暗い影を落とした。
(くそっ・・・分家のくせに、俺より優れているなど許せん!)
栄治は『ある場所』で息を潜め、時間が来るのを待っていた。あともう少しで日付が変わる。『侵入』の為に確実に邪魔が入らない時間を待っていた。
(あいつさえいなければ・・・俺は他の分家のクズ共から後ろ指を指されることもなかったのに!)
幼いころより、なんどやっても聖一には勝てなかった。天賦の才というものがあるのだろうか、栄治がどれほど努力しても彼には勝てなかった。
「消してやる・・・」
彼が手に携えている古そうな書物。その表紙には『時空書・基礎編』と書かれていた。
「うぐっ!」
建物に侵入した栄治は見回りをしていた守衛の男性を気絶させて鍵が開いていた部屋に放り込むと、不法侵入したとは思えぬほどの堂々たる足取りで目的の場所まで歩く。調べた結果、この建物の深夜の守衛は1人のみであった。その1人さえやり過ごせば、侵入はし放題であった。
「さぁてと・・・消えてもらうぜ、聖一」
彼が立ち止った目の前にそびえる引き戸。その上に取り付けられた木の板にはこう記されていた。
『古書保管室』と。
藤津家にはこんな昔話がある。
――――遠い昔・・・藤津家の当主に娘がいた。
それはそれは大層美しい娘で、後漢を起こした劉秀を指す言葉として知られる『嫁を娶らば・・・』とは陰麗華ではなく、藤津家の地元では彼女を指したほどであったという。
美しく聡明で、誰からも慕われた彼女はやがて長じて近隣の有力な大名家の嫡男の正室として嫁いだ。子宝にも恵まれ、優しい夫との間で穏やかな時間が流れて行った・・・
しかし、彼女をよく思わない人間もいた。それは彼女の夫の母であった。彼女は若い時からその美貌で知られた人だったが、同時に自尊心の高い人でもあった。
自分よりも美しいと評判の藤津家の娘に嫉妬した彼女は、嫁を消し去ることに決めた。しかし、ただ殺すわけにもいかない。彼女は息子の嫁・・・大名家嫡男の正室が殺されたという醜聞を広めるわけにはいかなかった。
そこで彼女が藤津の娘を確実に消すために用いたのが『時空書』。対象の人物を時空の彼方に消し去る方法が記されているといわれている呪術書・・・
藤津家の歴史書を紐解いてみると、その娘がある日突然姿を消したと記されてある。栄治はそれを『時空書』の呪術が成功して消されたのだと考えていた。
栄治が『ある場所』に侵入したのと同じ夜、聖一は学校の寮の一室にいた。自宅暮らしの彼だが、学校の寮に友人がいるのでたまに泊りがけで遊びに行く事があるのだ。今日は弟妹が学校の自然教室でしばらくいない事と、久しぶりにひかりの両親が帰ってきたため、聖一は家を空けて友人の部屋に遊びに来ていたのだった。
「ふ、あ~あ・・・聖一ぃ、そろそろ寝ないかぁ」
「ん、そうだね。もう3時か・・・」
基本的にこの学校の校則は緩い。寮生以外でも許可をとれば宿泊が出来るし、布団を用意して貰える。その上テレビゲームなどの娯楽の品も持ち込むことができるのだ。
「明日も学校だしな。いい加減寝ないときついぜ」
「そうだね、おやすみ・・・」
友人がベッドに上がり、聖一も用意された布団に潜り込んだ。電気を消すと、すぐに寝付ける友人の寝息が聞こえてくる。聖一も横になり、明日に備えて目を閉じた・・・
「やっと見つけたぞ・・・」
栄治はこの数日、深夜の学校に忍び込んで探していたものがあった。実は図書室で探し物をしているときに映っていた影がひかりが言っていた霊なのだが、そのことを彼女が知ることはないだろう。
彼が手にした本。これもまた古めかしい本で、表紙には『時空書・実践編』と記されていた。栄治が実家から持ち出したのは、時空を旅する為には何を用意したらよいかなどの説明書。今回の書はそれを用いて時空の扉を開けるための方法である。この2冊がないと意味をなさないのである。
栄治は途中で購入したナイフを取り出して、基礎編を見ながら図形を床に刻み、次に実家で密かに用意していた儀式に必要な材料を燃やした粉を図形の隅に盛っていく。
「ったく・・・面倒なことさせやがる」
悪態をつきながら、彼は作業を続けていく。最後に自分の血を垂らして、図形の中心に対象の人物の名前を書く。
「そして、この・・・実践編に書かれてある呪文を唱えれば、終わりか・・・」
彼はしっかりと『鷹村聖一』と描き、図形の前に坐して実践編を開いた。そして、静かに呪文を唱え始める・・・
まだか。
まだ終わらないか。
呪文を唱え始めてからどれくらいの時間が経っただろう。さすがの彼も焦りが見え始めた。遠くから先ほど彼が打ち倒した守衛や、彼に呼ばれて駆け付けたのであろう、複数の人間の足音が聞こえる。間違いなく自分を探しており、普段は人が寄り付かないのであろう、この地下にある古書保管室にも駆け付けるのは時間の問題かもしれない。
「―――地下は探したか!?」
「いや、まだだ!」
(不味い!)
他の階は探し終えたのか、それとも人が増えて地下まで回る余裕ができたのかは知らないが、どうもここにも捜査の手が伸びたようだ。
―――だが、運は彼に味方したようだ。警備の人間が地下の階段を降り始める前に、呪文を唱え終えたのだ。
(そして最後に、消したい人間の名を唱える――――!)
歓喜の瞬間が、訪れようとしていた―――
「消えろ・・・鷹村、聖一」
唱え終えると同時に、図形が光りだした。確実に警備員が気が付くだろうが、そんなことはどうでもいい。図形の中心からゆっくりと菱形の穴が開き、星空を散りばめた夜空のような空間が顔を出す。だが―――
(なぜ、オレの前に―――?)
そう思う間もなく、
彼は掃除機のような吸引力を持つ穴に吸い込まれ、空間に引きずり込まれていった。
―――実は時空書には『基礎編』『実践編』の他にもう一冊ある。それは『時空書・取扱説明編』という。鷹村家の地下書庫にあり、本家の栄治はもちろん聖一もその書庫の存在は知らない。取扱説明編はこう記されている。
『―――実践編に記されている通りの方法では、自分も引きずり込まれる。図形の真ん中に記す場合の血は、時空空間に送り込みたい人間の血を使う事』
過去の藤津家当主に変わり者がおり、時空空間を旅することを趣味としたという。実は歴史書の娘が失踪した日と同日に、その姑も失踪したという。大名家の歴史書からも藤津家の歴史書からもは消されているが、自分の家のもう1冊の歴史書を見た彼はなぜ呪術をかけた姑も消えたのかを調べ、その理由を突き止めて記したのが取扱説明編である。
ともあれ藤津栄治と鷹村聖一は現代日本から消え、2人は現代版の神隠しとして日本中を騒がせることになるのだが、一風変わった日本の戦国時代に辿り着いた聖一には知ることのない話である。
今回の~切欠~の上下編は、聖一がどんな経緯でこの一風変わった戦国時代に降り立ったかを書いた物です。
徳川家康に拾われた聖一。さて栄治は・・・?
なんだか軽い感じで読んでいただくのがこの短編集なのですが、ちょっとシリアス寄りになってしまった・・・
ところでこの藤津栄治と鷹村聖一、そして那須野ひかり。
3人合わせて・・・・(笑)