~榊原康政編~
地球温暖化が叫ばれる現代日本でも、戦国時代でも夏はもれなく熱いものらしい。城下町を康政と歩き、手拭いで汗を拭きながら聖一はそんな事を思った。
「暑いね~」
隣を歩く小柄な少女―――榊原小平太康政もいつもの元気よさは鳴りを潜め、ウンザリした様子である。輿にさげている竹筒から水を飲んで、水分補給しながら聖一を見上げて口を開いた。
「ねぇお兄ちゃん。ところでどこに行くの?」
「ああ、そういえば話してなかったけ?ちょっとしたお使いだよ」
目的を話さなかったというよりも、城門から出ていく聖一を見つけた康政が『お兄ちゃん弱っちいからボクが護衛してあげる!さぁさぁ早く早く!』と言って同行を申し出て、話す間もなく引きずられていったのだが。
「お大の方様にお気に入りのお茶菓子を買ってくるよう命じられてね。そのお使いだよ」
「お大の方様、甘いものが大好きだもんね!ボクもお茶の相手をさせて頂くことがあるんだよ♪」
先ほどから彼らの会話に出てくる『お大の方様』とは家康の実母で、実家と婚家の政治的な理由で夫と離縁させられた後は、久松俊勝に嫁いでいた。しかし桶狭間の戦いの後、夫の俊勝は家康に合力し、三河国西郡の城主となっていた。そして現在、お大の方は俊勝の勧めで娘(家康)と一緒に暮らしている。
「あ、そこのお店なんだよ」
聖一が一軒の店を指さすと、隣を歩く少女の口から小さく「うげ」という声が漏れた。振り返ってみると、康政はひきつった表情を見せていた。
「・・・どうしたの?平ちゃん」
「い、いや~?なんでもないよ~?」
聖一はそんな康政の様子に首をかしげながらも、店の中に歩みを進めた。康政は迷っている様子だったが「待ってよー」と後に続いた。
「はい。話はお城から伺っておりますゆえ、少々お待ちを・・・」
対応に出た店主にお大の方からの使いと名乗ると、商品を取るために奥に引っ込んでいった。店主を待つまでの間に店内で腰かけて待っていると、お盆に湯のみと団子が乗ったお皿を乗せた少年がやってきた。彼は確か店主の息子だったと記憶している。
「鷹村様、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
彼は慣れた様子で、聖一にお盆を差し出す―――しかしお茶もお団子も1人分だ。
「ねー!五郎!ボクのはー!?」
その事に気が付いたのか、康政が少年に向かって叫んだ。
(そうそう、康政のは・・・って『五郎』?)
康政に『五郎』と呼ばれた少年は、振り返ると少女に向かって舌を出した。
「へーんだ!小平太、お前にやる菓子なんてねぇよーだ!」
「な、なんだとー!」
『むがーっ!』といった様子で立ち上がった康政は、指を五郎と呼ばれた少年に向けて突きつけた。
「五郎、表に出ろっ!この間の決着をつけてやるっ」
「上等だ、小平太ぁ!」
康政は肩を怒らせて出ていき、五郎も前掛けを投げ捨てて店を出ていった。いきなりの展開について行けず、聖一はその背を視線で追うしかできなかった。
「・・・2人とも、怪我するなよー」
でも2人の間には嫌悪感ではなく、言うならば『喧嘩友達』といった雰囲気を感じ取ることができ、自然と笑みが浮かんだ。
「うふふ、そうなのよ~。『大須賀屋』の息子の五郎君と平ちゃんはとっても仲良しでね~♪」
城に戻った後、お大の方のお茶の相手をしながら先ほどの顛末を話すと、彼女はニコニコと笑みを浮かべながら口を開いた。
お大の方は恐らく30半ばほどの年齢ながら、少女のように無邪気な性格でコロコロとよく笑う。天真爛漫とはこの方の為にある言葉なのかな、と聖一は時々思う。
「そうですか。平ちゃんもああいう自然体でいられる同い年の友達がいる事は、とてもいい事だと僕も思います」
徳川家の中でも康政に近い歳の者はいないわけではないが、彼ら彼女らは康政を武将・榊原康政として扱う。彼らは表面ばかりで康政の内面を見ている者が皆無なのだ。そう言った意味では、五郎の様な感情をぶつけ合う人物は貴重だし、その友達を大切にしてほしいと思う。
(あいつは・・・なんで僕を憎んでいたんだろう)
現代日本に残してきた友達『だった』男を思い出す。昔は弓のライバルとして切磋琢磨してきたはずだった。それがある日を境に彼は自分を憎むようになった―――
「あら・・・?どうしたの、聖一君?」
お大の方がキョトンとした様子でこちらを見つめてくる。それに「なんでもないです」とだけ返した。
榊原康政(1548~1606)
徳川四天王の1人で徳川十六神将・徳川三傑にも数えられる功臣。通称は小平太。後に従五位下式部大輔に任ぜられる。1548年に榊原長政の次男として生まれた。兄に榊原清政がいるが、病弱だった彼を差し置いて榊原家の当主となる。
三河一向一揆鎮圧戦での武功を皮切りに、主君家康とともに数々の大戦に参戦して勝利に貢献。家康の関東移封後は上野国館林城(現在の群馬県館林市)を任される。関ヶ原の戦いでは家康本隊と離れて秀忠隊に属し、武功を挙げることは叶わなかった。この後、家康から水戸への加増転封を打診されるが、上記の理由に加えて館林からの方が江戸(徳川家居城)に参勤しやすいという理由で辞退する。この態度に感銘を受けた家康は『自分は康政に借りがある』という神への誓いを証文として彼に与えた。そしてこの証文が後に将軍家の逆鱗に触れた榊原家を窮地から救う事になるのだが、これは彼の与り知らぬことである。
この作品では徳川家の元気印・マスコット的存在として登場する。聖一によく懐き、彼を兄として慕っている。
大須賀康高(1527~1589)
通称は五郎佐衛門。史実では徳川家康の家臣として登場するが、始めは榊原康政とともに三河一向一揆で一揆方に付いた酒井忠尚に仕えていた。しかし忠尚が家康に背くとこれに従わず康政とともに家康に味方する。
高天神城の戦いや天正壬午の乱、小牧長久手の戦いなどで活躍し『徳川二十将』に数えられる人物である。同僚だった康政は娘婿でもあり、娘が生んだ子・忠次が大須賀家を継いだ。
この作品では和菓子屋の息子、康政の喧嘩友達として登場する。今後、本編でも登場する予定。