「こんな国やってられるか!」と出ていった伯爵、その後
【お願い】
作品へのツッコミやご意見はもちろん大歓迎なのですが、できましたら本文に書かれていない設定を補完して、その設定を前提にツッコむのはご勘弁くださいませ(汗)
「この国ではこういう制度なんだな」と、まずは作中の設定で読んでいただけると大変助かります。
それは、王太子の婚約者が正式に発表された直後のことだった。
「陛下。これは、あまりにも我々を侮辱しておられるのではありませんか」
謁見の間に呼ばれた名門クレメンス伯爵は、眉間に深く皺を寄せて国王を見上げていた。
その場には、ほかの王太子妃候補の親族たちも集まり、固唾をのんで二人のやり取りを見守っている。
「我が娘は何年もの間、王太子妃候補として励んでまいりました。王家から求められた教育を受け、将来、王太子殿下を支えることになっても恥じぬよう努力を重ねてきたのです。それを――」
伯爵は一度、言葉を切った。
「候補ですらなかった、つい先頃まで貴族ですらなかった令嬢を、突然婚約者になさるとは」
周囲がどよめく中、国王は表情を変えなかった。
「……そのことについては、申し訳なく思っている。もちろん、候補となっていた令嬢たちには王家から相応の補償をする」
そう言って、国王は集まった者たちを見回した。
「これまで王太子妃候補として受けてもらった教育についてもそうだ。今後の縁談についても、本人たちが望むなら王家からできる限りの助力を――」
「それで済むとお考えなのですか?」
伯爵が言葉を遮った。
「我が娘がどれほど傷ついたと思っておられる」
「……分かっている。私にも娘がいる。今回のことについては、本当にすまないと思っている」
「では、もう一つ確認したいのですが。王太子殿下がその令嬢を選ばれた理由は、一目惚れだったと聞いておりますが」
「……ああ」
国王は少し言いづらそうに答えた。
「きっかけは、そうだ」
周囲から、再びざわめきが起こった。
伯爵の表情がさらに険しくなる。
「では本当に、王太子妃としての教育を一切受けていない令嬢を、殿下が気に入ったという理由だけで婚約者になさったと?」
「その点も含め、選定に至った事情は先ほど説明したはずだ。彼女にも相応の教養はある。それに今後、必要な教育は――」
「今後? 我が娘たちは、その『今後』のために何年も前から準備してきたのですよ」
伯爵が鼻で笑った。
「王家から求められたからです。王太子殿下の妃となる可能性があるからと、娘たちは時間を費やしてきた。それを、一目惚れした女性が現れたからすべて白紙にする?」
伯爵の言葉に、謁見の間にいた貴族たちの中にも目を伏せる者がいた。
国王は反論することなく、息を吐いた。
「……今回の件で、そなたたちに不満があることは理解している。だからこそ、王家として可能な限りの――」
「いえ、もう結構です。我が家門は、このような侮辱には耐えられません」
伯爵が一歩前へ出た。
「爵位を返上いたします」
一瞬、謁見の間が水を打ったようになり、次の瞬間、大きなどよめきが起こった。
「な……」
国王も目を見開いた。
「待て。どうしてそうなる。婚姻の話と爵位は別だろう」
「我が家は何代にもわたり、王家に仕えてまいりました。それは王家を信頼していたからです」
「ああ、クレメンス家の功績は理解している。だから――」
「しかし、その王家がこれほど軽率な判断をなさるというのであれば、もはや仕える理由はございません」
「……伯爵。爵位を返して、その後どうするつもりだ」
「隣国へ参ります」
「隣国へ……移住するというのか?」
「ええ。以前より領内の産物を通じて、隣国の商人たちとは付き合いがございます。あちらで商いを始めるつもりです」
国王はしばらく黙っていた。
「……本当にいいのか。長年、そなたの家が治めてきた領地だぞ」
「承知しております。ですが、一度生まれた信用への疑いは、そう簡単に消えるものではありませんでしょう。私の気持ちは変わりません」
伯爵は迷いなく答えた。
国王はなおもしばらく伯爵を見ていたが、やがて深く息を吐いた。
「……そうか。分かった。正式な手続きを進めよう」
「感謝いたします、陛下」
伯爵は深々と頭を下げた。
そして謁見の間を出ていくとき、その顔にはどこか晴れやかな表情すら浮かんでいた。
伯爵を見送った者たちは、誰も何も言わなかった。
そしてクレメンスは娘を連れ、隣国へ渡った。
王太子は、王太子妃候補ではなかった令嬢との婚約をそのまま進め、やがて彼女を妃として迎えた。
それが、数年前のことである。
隣国へ渡ったクレメンスは、それまで領地経営の中で築いていた商人たちとの人脈を頼りに、商会を立ち上げたという。
もともとクレメンス領では織物の取引が盛んだった。品質を見る目もあれば、どの品がどこで売れるのかも知っている。
長年、領地で培ってきた経験を活かして始めた商売は、順調に軌道へ乗った。
隣国でも名を知らぬ者はいない大商会――とまではいかなかったものの、複数の店を構え、多くの使用人を雇える程度には成功していたそうだ。
娘のアリアナもまた、隣国の社交界ではよく知られた存在となった。
元王太子妃候補として身につけた教養と作法に、生まれ持った美貌もある。
夜会へ出れば声をかける男は絶えず、縁談も次々に舞い込んだ。
順風満帆だった。
――ここまでは。
「お父様! あまりにも釣り合いませんわ!」
ある日、アリアナがそう訴えてきたのだという。
縁談そのものは、山ほど来ていた。
裕福な商家の跡取り。新興貴族の次男や三男。地方に領地を持つ男爵家や子爵家。それに、爵位こそ持たないものの莫大な資産を持つ家の息子。
決して悪い縁談ではない。
むしろ今のクレメンス家の立場を考えれば、十分すぎるほどのものもあった。
しかし、アリアナは納得しなかった。
「わたくしは王太子妃候補だったのですよ! 少なくとも由緒ある伯爵家、それも嫡男でなければ。侯爵家ならともかく、これではあまりにも……!」
クレメンスもまた、娘の言葉をもっともだと思った。
そこで今度はこちらから、いくつかの高位貴族の家へ縁談を持ちかけた。
だが、返ってくる答えはどれも似たようなものだった。
――アリアナ嬢ご本人に問題があるわけではない。
――ただ、外国から移り住んだ商家との婚姻では、家にとって政治的な利点が少ない。
――嫡男の妻として迎えるには、家格の釣り合いが取れない。
丁寧な言葉を重ねてはいたが、要するに断られているのだ。
そこでクレメンスは考えた。
問題は、我が家に爵位がないことなのだ、と。
ならば、再び爵位を得ればいい。
そう考えたクレメンスは、隣国王へ叙爵を願い出た。
しかし――。
『外国から移住して数年の者に、領地と爵位を預けるには功績が足りぬ』
返ってきたのは、そんな言葉だったらしい。
そして今。
「信じられますか、陛下!」
クレメンスは国王の目の前で、顔を真っ赤にしていた。
「私はあの国で税を納め、現地の者たちを何十人も雇っております! それだけ貢献しているというのに、まだ功績が足りぬと言うのですぞ!」
「……そうか」
数年ぶりに帰ってきたと思えば、これである。
久しぶりに見るクレメンスは、以前よりずいぶんふくよかになっていた。いや、商人としての貫禄がついた、と言うべきか。
少なくとも、隣国で食うに困っている様子ではなさそうだ。
国王は額を押さえながら尋ねた。
「それで……今日は何をしに来たのだ」
「陛下ならば、私の有用性を十分ご理解いただけるものと思いましてな」
「まあ……領主として無能だったとは思っていないが」
「でしょう!」
クレメンスは嬉しそうに一歩前へ出た。妙に顔が近い。
「ですから、爵位をお返しいただきたい」
謁見の間にいた者たちが、一斉に息を呑んだ。
国王はしばらく何も言えなかった。
やがて額に当てていた手を下ろし、クレメンスをまじまじと見る。
「クレメンス。そなた……爵位が何なのか、本当に分かっているのか?」
「もちろんですとも。王家に貢献した者へ、その功績に応じて与えられる地位でしょう」
「それだけではない」
国王は即座に否定した。
「爵位とともに渡すのは、名誉だけではない。領地だ。その土地に暮らす民だ。そして、領地を支える家臣たちだ。急に領主を代えられて、彼らが困惑すると思わんのか」
「ええ。ですから、以前の領地すべてとは申しません。一部でも――」
「簡単に言うな。そなたが出ていったあと、どれほど大変だったと思っている」
爵位を返したからといって、翌日から何事もなかったように領地が回るわけではない。家臣の再配置から財政、取引先との契約、新しい統治者が決まるまでの管理まで、残された側には山ほど仕事が残った。
また、長年クレメンス家を中心に築かれてきた人間関係も、一から繋ぎ直す必要があった。
「そなたは爵位と領地を返せば、それで終わりだったのだろう」
「それは……正式な手続きを踏んで――」
「手続きを踏めば、残された者たちが困らないとでも? その立て直しに、誰が力を尽くしたと思う?」
「……新しい領主では?」
「それもある」
国王は一度、言葉を切った。
「だが、大きく力を貸したのは王太子妃だ」
「……は?」
クレメンスがぽかんと口を開けた。
「王太子妃が、ですと?」
婚約を発表した当初、王太子妃はまだ必要な教育の多くを受けていなかった。
だが彼女は、自分が王太子に選ばれたことで、それまで王太子妃候補だった令嬢や、その家々に少なからず影響を与えたことも理解していた。
クレメンス家が爵位を返上した件についても、自分には責任の一端があると言い出したらしい。
本来ならば、そこまで背負う必要などなかった。それでも彼女は、旧クレメンス領の立て直しに関わった。
「王太子妃は商家で育っていた。中でも布地や織物については、幼い頃から馴染みがあり、知識もあってな」
そこで養家である公爵家が抱える商会と旧クレメンス領をつなぎ、織物を新たな販路へ乗せた。
今では以前よりも取引先が増え、領内の収入も安定している。
「そなたは爵位を、功績を上げればもらえる褒美のように考えているようだが」
国王は呆れたように息を吐いた。
「違う。こちらが預けるのだ。土地を。民を。そして王家の名の一部を」
「……」
「私は、そなたが爵位を返上したことを責めているのではない。あの時は正式に受理した。だが、一度自ら返したものを、娘の縁談のためにもう一度寄越せという話は別だ」
国王はクレメンスを見据えた。
「なぜ、そんな理由で再びそなたに領地を預けられると思う?」
「娘のためを思うことが、それほど悪いことでございますか!」
「悪くない」
国王は即答した。
「だが、娘を思う父親であることと、領民を預かる領主であることは別だ」
クレメンスは何も言えなかった。
国王は椅子にもたれ、疲れたように息を吐く。
「話は終わりだ。爵位を返すつもりはない。旧領にも、すでに新たな統治体制がある」
「陛下!」
国王は護衛へ目を向けた。
「クレメンスを出口まで」
「お待ちください! 陛下、私は――」
なおも声を上げるクレメンスを見ながら、国王はもう一度、額に手を当てた。
◆
政務室へ戻った国王は、椅子に腰を下ろすなり深いため息を吐いた。
「はぁ……」
「お疲れ様です、お父様」
向かいに座っていた王女ルチアが、少しだけ同情するような顔をした。
「まさか、本当に爵位を返してほしいと言いに来るとは思いませんでした。わたくし、てっきり新しい取引の話でも持ってきたのかと」
「私も最初はそう思ったのだがな。商売の話から始まって、最後に爵位を出してきた」
「あら。なかなかの手腕ではありませんか。さすが商人」
「言ってやるな」
国王は苦笑した。
「それにしても、まだあの婚約を一目惚れだけで決めたと思っていたとはな」
ルチアは肩をすくめ、手元の紅茶へ口をつける。
「確かに、今の王太子妃は商家の生まれですけれど、わたくしが彼女を推薦したのですよ?」
「そうだったな」
「そもそも婚約を正式に発表した時点では、すでに公爵家の養女でした。公爵家も彼女の人柄や能力を認めたうえで養女に迎えていますし、あの家との婚姻であれば貴族たちも納得するだろうと、散々話し合ったではありませんか」
「……最初のきっかけが一目惚れだったことは否定できんがな」
「それは殿下に言ってください」
ぴしゃりと言われ、国王は苦笑した。
「そもそも、アリアナ嬢は殿下のお好みではなかったと思います」
「そうなのか?」
「ええ。わたくし、学園で何度かお話ししたことがありますけれど……以前、『王女殿下は学園生活をずいぶん満喫していらっしゃいますのね』と、笑顔で言われたことがありまして」
「ああ……」
「わたくしが学園へ通っていたのは、将来王家に仕えることになる者たちを知るためでもありましたし、身分にかかわらず優秀な人材を見るためでもありましたのに」
「結局、お前の好みも入っているではないか」
「でも、結果的にはよかったでしょう?」
ルチアはカップを置いた。
「今の王太子妃は、遅れていた教育にもきちんと追いつきました。それどころか、自分の得意分野ではすでに結果も出しています」
「まあ、クレメンスには今さら言っても聞かんだろうな」
「でしょうね」
父娘は顔を見合わせ、小さく息を吐いた。
◆
隣国へ戻ってから、しばらく経った頃のことだった。
「なぜです……取引を減らすなどと!」
クレメンスは、応接室の机に身を乗り出した。
向かいに座るのは、これまで何度も大口の取引をしてきた商会の主人だった。
これまでクレメンス商会へ任せていた量の一部を、別の商会へ回したい。そう告げられたのだ。
「我が商会に、何か問題がありましたか? 品物の質ですか。それとも納期に不備でも?」
「いえ。そのどちらでもありません」
「では、なぜです? 私はもっと商会を大きくし、この国へ貢献しなければならない。ですから、取引を減らされては困るのですよ」
「そのお話は、もちろん耳にしております」
商人が答える。
「我が国の国王陛下へ叙爵を願い出られ、それを断られた。その後、祖国へ戻り、以前ご自分で返上された爵位をもう一度求められたとか」
「ああ、ご存じでしたか。ならば話は早い。娘のためにも、私は――」
「ええ。ですから、取引を減らすことにしたのです」
「……待ってください。どうしてそうなるのですか」
「そのままの意味ですよ、クレメンス殿」
商人は困ったように息を吐いた。
「余計なお世話かもしれませんが、我が国の国王陛下や、祖国の王家について、これ以上あまり悪く言われないほうがよろしいかと」
「私は間違ったことなど言っていない。あったことをそのまま話しているだけでしょう」
「ええ。事実なのでしょう」
商人は少しの間、クレメンスを見つめていた。
「ですがね、長年仕えた王家との関係が悪くなった途端、あちらこちらでその話をされる。その姿を見れば、我々も何かあった時には同じように語られるのではないかと、不安を覚えるのですよ」
「それは……私は、商談のために必要な経緯を話しただけで……」
「承知しております。ですが、こちらにも取引先を選ぶ事情がございますので」
商人は立ち上がり、扉へ向かった。
「待ってください。私はこれからさらに実績を作らなければならないのです。爵位を得るためにも――」
商人はそこで足を止め、振り返った。
「クレメンス殿。一度生まれた信用への疑いは、そう簡単に消えるものではありませんでしょう」
クレメンスは何も言えなかった。
商人は一礼すると、応接室を出ていった。
あとに残されたクレメンスは、閉じた扉をしばらく見つめていた。
そこへ、再び扉が開いた。
「ああ……どうした、アリアナ」
「先日お話ししていた縁談の件ですわ。お断りしましたの」
「なっ……アリアナ。あの家は何代も続く名門だぞ」
「そうですが、子爵ではありませんか」
アリアナは当然のように言った。
「やはり伯爵家以上でなければ。それに、お相手はもう少し長身の方がよろしいですわ」
「長身……?」
「ええ。夜会で並んで歩くのですもの。わたくしと釣り合う方でなくては」
「……そうか」
クレメンスは、それ以上何も言わなかった。
【補足】
作中では、王太子妃決定後、クレメンスを含む王太子妃候補の家々には、王家から選定に至った事情を説明しています。クレメンスはスルーしましたが(汗)
なお、本来「王太子妃候補」はあくまで候補であるため、通常の選考で別の候補者が選ばれた場合、落選した令嬢たちへ今回のような補償が行われるわけではありません。
今回は、長年候補として準備してきた令嬢たちではなく、候補外だった女性を王太子妃に選んだことから、王家側もその影響を考慮し、例外的に補償や今後の縁談への助力を申し出ています。
国王、太っ腹ぁ!!(笑)
また、王太子妃となった女性は婚約発表時にはすでに公爵家の養女となっています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
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ちなみに、今回登場した国王と王女ルチアは、拙作『王命を受けた親の末路〜娘は幸せになります〜』に登場した二人と同一人物です。
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そういえば、王太子の婚約では揉めなかったのかな? と思い、今回描いてみました。




