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短編

サンタクロース労働組合

作者: みき
掲載日:2026/06/20

 北極第三配送センターの正門前で、ニコ・クラウスは立ち尽くしていた。


 十二月一日、午前八時。サンタクロース養成学校を卒業して、記念すべき初出勤の朝である。真新しい赤い制服。糊のきいた白い襟。母が縫ってくれた名札には「サンタ番号12060 ニコ」と刺繍されている。鏡の前で三十回練習した「ホッホッホ」も完璧だった。


 完璧だったのだが。


 門の前には、赤い服の男たちが百人ほど座り込んでいた。全員が立派な白髭をたくわえ、全員が手にプラカードを掲げている。


 『サンタにも残業代を』

 『一晩で世界一周は人権侵害』

 『煙突がないなら玄関を開けろ』

 『トナカイは消耗品じゃない』


 そして正門には、巨大な横断幕。


 『全世界サンタクロース労働組合 無期限ストライキ決行中』


「あの……すみません、今日から配属の新人なんですが」


 ニコがおずおずと声をかけると、座り込んでいたサンタたちが一斉に振り返った。百対の老眼が、若者の顔をじろじろと検分する。やがて人垣の奥から、ひときわ大柄なサンタがのっしのっしと歩み出てきた。髭は腰まで届き、その先端は三つ編みにされている。胸の名札には「組合執行委員長 バルト・ユールソン 勤続三一二年」とあった。


「新人か」


「は、はい。ニコ・クラウスです。本日付で第三センター配属に」


「そうかそうか。ようこそ北極へ」バルト委員長はニコの肩に丸太のような腕を回した。「ちょうどよかった。お前、今日から交渉係な」


「……はい?」


「経営側との団体交渉の担当だ。次回交渉は明後日。資料はあとで渡す。頑張れよ、若いの」


「ちょ、ちょっと待ってください。僕、今日が初出勤で」


「知ってる。だからお前なんだ」


 委員長は遠い目をして、雪原の彼方を見た。


「ここにいる連中はな、全員、夢を配りすぎた。三百年も『良い子にプレゼントを』とやってると、頭の中まで聖夜になっちまう。経営側に『子どもたちの笑顔のためです』と言われると、それだけで全部頷いちまうんだ。前回の交渉なんか、賃上げ要求しに行ったはずが、なぜか全員サービス残業の誓約書にサインして帰ってきた」


「それは交渉じゃなくて敗北では」


「だからお前だ。お前はまだ夢に染まってない。先月まで下界で就活してたんだろう? 世間を知ってる。労働基準法も知ってる。あと、ここだけの話──」委員長は声をひそめた。「誰もやりたがらん」


「本音が出ましたね」


「ホッホッホ」


「笑ってごまかさないでください」


 こうしてニコ・クラウス、二十四歳、サンタ歴0日は、初出勤の朝、全世界サンタクロース労働組合の交渉係に就任した。辞令も、研修も、心の準備もないままに。


 組合事務所は、配送センターの裏手にあるカマボコ型の倉庫だった。中はストーブの熱気と、煮詰まったココアの匂いと、サンタたちのため息で満ちていた。


「まず現状を頭に叩き込め」


 バルト委員長が壁のホワイトボードを叩く。そこには折れ線グラフが描かれていた。右肩下がりの線に『世界煙突普及率』、右肩上がりの線に『プレゼント平均単価』と書いてある。二本の線は一九八〇年代のあたりで無情に交差していた。


「いいか、新人。わしが現役バリバリだった頃は、どの家にも煙突があった。煙突ってのはな、サンタにとっての社員用通用口だ。それが今はどうだ。煙突普及率、先進国で四パーセント。あっても薪ストーブ用の細いやつで、わしの腹はどうやっても通らん。去年なんか、フィンランド支部のヤッコが煙突に挟まって、レスキュー隊に救出された。ニュースになった。『不審な赤い服の男』として」


「見ました、そのニュース」


「代わりに増えたのがオートロックだ。タワーマンション。顔認証。スマートロック。防犯カメラ。わしらは正規の配達員だぞ? なのに毎晩、不法侵入すれすれの綱渡りだ。魔法でドアを抜けるたびに、セコムが作動せんかと心臓が縮む。五十階建てのタワマンで一戸ずつ配るのに何分かかると思う? エレベーターは深夜は省エネモードで一基しか動かん」


 奥に座っていた痩せたサンタが、ぼそりと付け加えた。


「私は先週のシミュレーション訓練で、宅配ボックスに入れたら『サイズオーバーで扉が閉まらない』と機械に怒られました。クリスマスプレゼントですよ? 夢ですよ? 夢がサイズオーバーって何なんですか」


 事務所のあちこちから、深い深いため息が漏れた。


「そして、これが一番の問題だ」


 委員長はグラフの右肩上がりの線を、太い指でなぞった。


「プレゼントの中身だ。なあ新人、わしが若い頃、子どもたちが手紙に何と書いてきたと思う? 『木馬がほしい』だ。木馬だぞ。木を削って、たてがみをつけて、赤い鞍を塗ってやれば、子どもは三年遊んだ。原価は木材と愛情だけだった」


 委員長は懐から一通の手紙を取り出し、震える手で広げた。


「これが今年の手紙だ。読んでみろ」


「ええと……『サンタさんへ。ゲーミングPCがほしいです。グラボはRTX5090で、CPUは最新の、メモリは64ギガ、モニターは240ヘルツでお願いします。あと光るキーボード』……」


「いくらだと思う」


「……ざっと六十万円ですね」


「木馬六百台分だ!」委員長の拳がホワイトボードを直撃し、グラフがひしゃげた。「昔は木馬でよかったんだ。今はゲーミングPCだぞ! しかも『サンタさんへ。課金がしたいので一万円分のギフトカードください』なんてのもある。夢の配達人が、いつから決済代行業者になった!?」


「お、落ち着いてください委員長」


「これで予算は据え置き、人員は削減、納期は十二月二十四日の一晩のみ。時差を使って地球を西へ西へ飛び続けても、実働三十一時間。休憩は実質ゼロ。各家庭に置いてあるミルクとクッキーが唯一の補給だが、本部はあれを『福利厚生』に計上して食事手当を出さん。おまけに最近は健康志向とかで、豆乳と米粉クッキーの家が増えた。わしは普通の牛乳が飲みたい」


 最後のは完全に私怨では、とニコは思ったが、口には出さなかった。


「最後に、お前に見せておきたいものがある」


 委員長に連れられて向かったのは、センター隣接のトナカイ厩舎だった。暖かな小屋の中、八頭のトナカイが干し草を食んでいる。その一番奥、間仕切りされた個室の前に「面会は静かに」と札が下がっていた。


 中にいたのは、赤い鼻のトナカイだった。ただし、その有名な鼻は今、明滅していた。点いたり、消えたり、点いたり。蛍光灯の切れかけのように。


「ルドルフだ」委員長が小声で言った。「鼻が光るせいで、三百年間ずっと先頭を飛ばされ続けた。霧の夜も、嵐の夜も、全部あいつが先頭だ。代わりはいない。プレッシャーで、二年前から鼻の光が不安定になった。今は週二回、雪だるまの産業カウンセラーの面談を受けてる」


 個室の隅では、白い雪だるまが小さな椅子に座り、メモ帳を構えていた。


「ルドルフさん、今日はどんな気分ですか」


「……また十二月が来る」ルドルフは干し草に顔を埋めたまま、くぐもった声で言った。「目を閉じるとGPSの音声が聞こえるんだ。『ルートを再検索します』『ルートを再検索します』って。僕はナビじゃない。トナカイなんだ。それなのにみんな、僕の鼻しか見ない。『ピカピカの君の鼻』って歌まで作られて。あの歌、サビの部分で僕がいじめられてた過去を全世界に晒してるって、誰か気づいてる?」


「お辛いですね。その気持ち、もう少し聞かせてください」


 雪だるまカウンセラーが頷く。ニコは胸が締めつけられた。子どもの頃、あんなに楽しく歌っていたあの歌は、当事者にとっては公開された人事評価といじめの記録だったのだ。


「な?」厩舎を出ると、委員長が言った。「これがわしらの職場の現実だ。夢の裏側には、誰かの過労がある。わしらはクリスマスを潰したいんじゃない。クリスマスを、ちゃんと続けられる仕事にしたいんだ」


 その言葉に、ニコは初めて、名札の重みとは別の重みを肩に感じた。


「……分かりました。やります、交渉係」


「おう。ちなみに交渉手当は出ん」


「組合がそれを言いますか」


 二日後。交渉の場は、北極本部ビル最上階の会議室だった。聖夜配送ホールディングス──サンタ業務を統括する経営側である。


 長机の向こうに座っていたのは、銀縁眼鏡の女性だった。元クリスマス妖精、現執行役員、メリッサ・フロスト常務。下界の経営大学院でMBAを取得したという、北極でもっとも恐れられる存在だ。


「それでは第四回団体交渉を始めます。組合側、要求をどうぞ」


 ニコは震える手で要求書を読み上げた。配達員の増員。実働時間の短縮。煙突閉鎖環境手当の新設。オートロック対応の魔法研修の業務時間内実施。トナカイのメンタルヘルスケア体制の拡充。そして、プレゼント予算の適正化。


 メリッサ常務は最後まで聞くと、にっこり微笑んだ。


「素晴らしいご要望ですね。ですが一つ、お忘れではありませんか」彼女は両手を広げた。「夢は、プライスレスでございます」


「出た」と組合側の席で誰かが呻いた。


「子どもたちの笑顔に、値札はつけられません。サンタクロースとは職業ではなく、生き方。労働ではなく、愛。ゆえに残業という概念は存在せず、存在しないものに手当は払えません。これは経営判断ではなく、哲学です」


 同席したベテランサンタたちが、早くも目を潤ませて頷きかけている。「そうだよなあ、愛だよなあ」と呟く声まで聞こえる。委員長が慌てて両隣の脇腹を肘でつついた。


 ニコは深呼吸して、持参した分厚いファイルを机に置いた。


「常務。愛だとおっしゃるなら、伺います。昨年度、配達中の煙突挟まり事故は世界で千二百件。屋根からの滑落は三千件。オートロック前で立ち往生して朝を迎え、職務質問を受けた案件が四百件。これは愛の結果ですか? それとも労災ですか?」


「それは……各サンタの自己研鑽の不足であり」


「自己研鑽で煙突は太くなりません。次に、プレゼント単価。この十年で平均単価は八倍。一方で予算は据え置き。差額は各サンタが『夢の自己負担』として補填しています。常務、ご自身の言葉を借りれば、プライスレスとは『値段がつけられないほど尊い』という意味のはずです。『請求書を出すな』という意味ではありません」


 会議室が静まり返った。メリッサ常務の眼鏡が、きらりと光った。


「……新人さん、お名前は」


「ニコ・クラウス。サンタ番号12060です」


「覚えておきましょう。ですが、回答はノーです。今年のクリスマスは予定通り実施。条件変更はなし。あなた方がストライキを続けるなら──クリスマスは、中止になるだけです」


 その一言が、世界を揺るがすことになる。


 『サンタクロース、無期限スト突入。クリスマス中止の可能性』


 ニュースは瞬く間に世界を駆け巡った。下界のテレビでは連日、北極第三センターの門前が中継された。プラカードを掲げて座り込む赤い集団。コメンテーターたちは好き勝手に論評した。


「夢を人質に取るとは何事か」

「いや、彼らも労働者だ。正当な権利だ」

「そもそもサンタの雇用形態は何なのか。業務委託なら偽装請負では」


 SNSでは「#サンタに有給を」と「#子どもに罪はない」が同時にトレンド入りし、殴り合いを続けた。トイザらスの株価が乱高下し、各国の親たちは「最悪、自分で買うしかないのか」と財布の中身を確かめ、改めてゲーミングPCの価格に絶句した。一部の親から組合宛てに「むしろよくぞ言ってくれた。希望欄の高額化、我々も限界でした」という匿名の連帯メッセージが届いたのは、誰も予想しない展開だった。


 しかし、ニコの心は晴れなかった。


 夜、彼は一人で厩舎に向かった。ルドルフの個室の前に座り、持ってきた人参を柵越しに差し出す。


「……眠れないのかい、新人くん」


「ルドルフさんこそ」


「十二月はいつもこうさ」赤い鼻が、弱々しく一度光った。「ねえ、新人くん。君はどうしてサンタになったの」


 ニコは少し黙ってから、答えた。


「六歳のクリスマスに、もらったんです。手袋を。うちは貧乏で、高いものは頼めないって分かってたから、手紙に『あったかいてぶくろ』って書いた。届いたのは、ただの毛糸の手袋でした。でも、左右で編み目の数が違ってて、ところどころ不揃いで……ああ、これは工場の品じゃない、誰かが僕のために編んだんだって、子どもながらに分かった。あれが嬉しくて。僕も誰かに、ああいうものを届けたくて」


「……いい話だ」ルドルフはふっと笑った。「三百年前は、そういう手紙ばかりだったんだよ。あったかい手袋。木馬。リボン。栗が一袋でもいい、なんてのもあった。僕らはそれを運ぶのが誇りだった。重さの問題じゃないんだ。六十万円のPCが重いんじゃない。『これじゃなきゃ駄目、最新じゃなきゃ駄目、隣の子より良いやつじゃなきゃ駄目』っていう気持ちが、橇を重くするのさ」


 ニコは、自分の手袋を見た。今も使っている、あの不揃いな毛糸の手袋を。


「……ストライキ、間違ってるんでしょうか。僕たちは、子どもたちを傷つけてるだけなんでしょうか」


 ルドルフは答えなかった。ただ、鼻がもう一度、今度は少しだけ強く光った。


 ストライキがこう着する中、経営側は密かに動いていた。


 十二月十八日、聖夜配送ホールディングスは緊急記者会見を開き、メリッサ常務が高らかに宣言したのである。


「今年のクリスマスは、予定通り実施します。配達は、こちらが行います」


 常務の背後のスクリーンに映し出されたのは、赤く塗装された配送ドローンの大群だった。機体側面には白字で『Santa-X』。作戦名「スマート・クリスマス」。GPSで全戸を巡回し、AIが最適ルートを算出し、プレゼントを玄関先に置き配する。「ホッホッホ」は機体スピーカーから再生される。声優はオーディションで選ばれた。


「人手に頼る時代は終わりました。これからは、夢もDXの時代です」


 組合事務所のテレビの前で、サンタたちは凍りついた。


「わしらの……代わり?」


「三百年勤めて、ドローンに?」


 ニコも青ざめた。これが世に言う「スト破り」か。しかも相手は疲れも知らず、残業代も要らない機械の群れだ。委員長だけが、腕を組んで画面を睨み、低く言った。


「……まあ見てろ。クリスマスってのはな、そんなに甘い現場じゃない」


 委員長の予言は、テスト飛行初日に的中した。


 まず、ドローンは煙突に入れなかった。これは想定内である。想定外だったのは、玄関先への置き配が「クリスマスの朝、子どもが起きる前に親が回収してツリーの下に置き直す」という追加業務を全世界の親に発生させたことだった。テスト地域の親たちから苦情が殺到した。「午前三時にドローンの羽音で子どもが起きた。『サンタって機械だったの?』と泣いている。どうしてくれる」


 次に、AIの最適ルートは確かに最適だったが、それは「配送効率」の最適であって「夢」の最適ではなかった。Santa-Xは靴下を認識できず、プレゼントを玄関マットの上に正確に置いた。雨の日も置いた。ミルクとクッキーには見向きもしなかった。ある家の子どもが窓から身を乗り出して「トナカイさんは?」と尋ねると、機体は0.2秒で音声回答した。『トナカイハ、当社ノ配送網ニハ、含マレテオリマセン』。子どもは泣いた。


 とどめは、十二月十九日の夜だった。テスト飛行中のSanta-X三百機が、北欧上空でオーロラの磁気嵐に巻き込まれ、GPSを失い、一斉に「ルートヲ再検索シマス」を連呼しながら同じフィヨルドの上をぐるぐると旋回し始めたのである。回収には丸二日かかった。ちなみにこのニュースを厩舎のテレビで見たルドルフは、「……『ルートを再検索します』、僕以外が言われてるの、初めて見た」と呟き、その夜は三百年ぶりに熟睡したという。カウンセラーの雪だるまは「他者も完璧ではないと知ることは回復の重要な一歩です」とカルテに記した。


 作戦名「スマート・クリスマス」は、四日で凍結された。


 会見で記者に敗因を問われたメリッサ常務は、初めて原稿から目を上げ、絞り出すように言った。


「……配達は、できました。ですが、クリスマスは、配達できませんでした」


 それは経営側がはじめて口にした、ほとんど敗北宣言に近い言葉だった。そして奇妙なことに、この一言を聞いた組合側のサンタたちは、誰も快哉を叫ばなかった。代わりに、なんとも言えない顔で目を伏せた。自分たちの仕事が機械に奪われなかった安堵と、自分たちが止めているものの大きさを、同時に突きつけられたからだった。


 その翌朝である。郵便室に、手紙の雪崩が起きたのは。


 異変が起きたのは、十二月二十日の朝だった。


「委員長! ニコ! 大変だ、郵便室に来てくれ!」


 駆けつけた二人が見たものは──手紙の山だった。郵便室の床から天井まで、封筒が雪崩を起こしている。北極郵便局の配達ペンギンが、汗だくで台車を押しながら叫んだ。


「まだあるよ! 世界中から! 全部、宛名は『サンタクロース労働組合さま』!」


 組合宛て? プレゼントの希望ではなく?


 ニコは山の一番上の封筒を取り、開いた。覚えたての世界共通読解魔法で、つたない文字が立ち上がってくる。


 『サンタさんへ。ニュースをみました。サンタさんがつかれていることをしりませんでした。ぼくのプレゼントはいいから、サンタさんはちゃんとねてください。フィンランドより オンニ(7さい)』


 隣の封筒。


 『サンタさんへ。まいとしトナカイさんににんじんをおいていたけど、ことしはサンタさんのぶんのおにくも おいておきます。ストライキがんばってください。おうえんしています。パパが「だんたいこうしょうはろうどうしゃのけんりだ」といっていました。ブラジルより マリア(8さい)』


 その隣。


 『サンタクロースろうどうくみあいのみなさまへ。わたしはきょねん、ゲームきをおねがいしました。でもほんとうは、なんでもよかったです。サンタさんがうちにきてくれたっていうことが、いちばんのプレゼントだったから。くつしたのなかみは、ぜんぶおまけです。だからむりしないでください。にほんより はると(9さい)』


 ニコの後ろで、鼻をすする音がした。振り返ると、バルト委員長が三つ編みの髭をぐしゃぐしゃにして泣いていた。いつの間にか郵便室に集まっていたサンタたちが、一通、また一通と封筒を開けては、滂沱の涙を流している。三百年配達を続けた老サンタが、肩を震わせて言った。


「……『くつしたのなかみは、ぜんぶおまけ』だと。おい。わしらは、おまけを運ぶために、命を削ってたのか」


「違うだろ」別のサンタが手紙を握りしめた。「わしらが運んでたのは『サンタが来た』っていう、その一晩そのものだったんだ。それを……それを、わしらのほうが忘れかけてた」


 手紙は最終的に二百万通を超えた。その中には、子どもたちだけでなく、かつて子どもだった大人たちからのものも混ざっていた。『四十年前、貧しかった我が家に来てくれてありがとう。あの夜があったから、私はサンタを信じる大人になれました』──。


 その日の夜、組合は緊急集会を開いた。議題はひとつ。「それでも我々は、橇に乗るか」。


 採決は、挙手だった。二百本の手が、ためらいなく挙がった。ストーブの灯りに照らされた赤い腕の森を見渡して、バルト委員長は言った。


「よし。飛ぶぞ。ただし──タダでは飛ばん。ニコ、最終交渉だ。今度は、勝てる」


 十二月二十二日、最終交渉。


 会議室の机の上に、ニコは要求書ではなく、手紙の束をどさりと置いた。


「常務。まずこれを読んでください。話はそれからです」


 メリッサ常務は眉をひそめながら一通目を開いた。二通目で眼鏡を外した。五通目で席を立ち、窓の外を見るふりをした。十二通目で、ハンカチを取り出した。元クリスマス妖精である。効かないはずがなかった。


「……っ、ずるいですよ、こんなの」


「ずるくありません。これが我々の運んでいる『商品』の正体です。子どもたちは、六十万円のPCを待ってるんじゃない。サンタを待ってるんです。そしてサンタが潰れたら、この手紙の宛先は、永遠になくなる。常務、夢がプライスレスだというなら──夢を運ぶ者を、使い潰さないでください。それが経営の仕事のはずです」


 長い、長い沈黙のあと、メリッサ常務は着席し、ペンを取った。


「……協定書の草案を。一条ずつ詰めましょう」


 その日まとめられた『北極労使協定』は、のちに「世界一あたたかい労働協約」と呼ばれることになる。主な条項は以下の通りである。


 第三条 煙突閉鎖環境手当を新設する。オートロック物件の配達には加算手当を支給する。

 第四条 魔法解錠研修は業務時間内に実施し、受講費は会社負担とする。

 第五条 配達は二交代制とし、地球を東回り班と西回り班に分割する。これに伴いサンタを増員する。

 第七条 各家庭のミルクとクッキーは「善意」であり福利厚生に計上しない。食事手当を別途支給する。なお豆乳・米粉等への変更に対する苦情は受け付けない(健康は大事)。

 第九条 トナカイに専属カウンセラーを常駐させる。先頭飛行は輪番制とし、ルドルフの鼻は「機材」ではなく「個性」として扱う。例の歌の歌詞については、本人の意向を尊重し「みんなは最初ちょっと意地悪だったが深く反省している」旨の注釈を公式に付す。


 そして、世界中の家庭に最も大きな影響を与えたのが、これだった。


 第十二条 翌年より、プレゼント希望欄に「予算上限」欄を設ける。子どもは希望の品とあわせて上限額を記入するものとし、上限を超える希望についてはサンタが「同じくらい嬉しい何か」に裁量で置き換えることができる。


 調印式で、バルト委員長とメリッサ常務はがっちりと握手した。常務は最後に、ぼそりと言った。


「……ニコ・クラウス。来年、本部の労務管理部門に来る気はありませんか。あなたのような人が、こちら側にも必要です」


「お断りします」ニコは即答した。「僕、まだ一軒も配達してないので」


 十二月二十四日、午後十時。


 協定発効後、初のクリスマス・イブ。西回り班の橇の手綱を、ニコは握っていた。先頭はルドルフ──ではなく、今夜は輪番でダッシャーが務め、ルドルフは三番手で気楽そうに脚を回している。鼻は安定して、あたたかく光っていた。


 二交代制のおかげで、橇には余裕があった。タワマンではオートロックを正規の魔法手順で抜け、煙突のない家では手当をもらいながら堂々と鍵穴をくぐった。豆乳の家では深呼吸してから飲んだ。健康は大事だ。


 夜明け前、最後の一軒。小さな古い家の、小さな靴下の横に、手紙が置いてあった。来年用の、新しい様式の手紙だ。希望欄にはこうあった。


 『ほしいもの:あったかいてぶくろ。よさんじょうげん:サンタさんがつかれないくらい』


 ニコは、しばらくその場に立ち尽くした。それから袋の中を探り、用意していた品とは別の包みを、そっと靴下の横に置いた。中身は毛糸の手袋。北極への帰り道、休憩時間に(そう、休憩時間ができたのだ)ニコが自分で編んだ、左右で編み目の数が違う、不揃いの手袋だった。


 橇に戻ると、ルドルフが振り返って笑った。


「いい顔してるね、新人くん。初配達、どうだった?」


「最高です」ニコは手綱を握り直した。「残業ゼロで、この気持ちなら──来年も、その先も、ずっと飛べます」


 橇が朝焼けの空へ昇っていく。北極では今ごろ、仕事を終えた東回り班が、課税対象外の現物給与ではない、手当で買った熱いココアで乾杯しているはずだ。


 メリークリスマス。そして、すべての働く者に、定時の祝福を。


ニコ・クラウスは、サンタクロースのモデル聖ニコラウスからきています。


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