18話 ~名前~
うっ、と一瞬言葉に詰まる。
隊長になら、すべてを話してもいいかもしれない。
(でも……ただでさえ窮地の立場にいるこの人に、私のもろもろまで背負わせていいのかな?)
いや、今はダメだ。
まだ、記憶喪失のフリを続けなくちゃ。
「あはは……バカみたいな話、ですよね。すっぱだかで誰もいない集落にいて」
否定も肯定もしないで、ごまかすように苦笑いした。
「正直、一般常識ですら、よくわかっていないんです。さっき聞いた、ここの国の女王様のお話だって……まったく覚えていないんですよ。この国の名前ですら」
ヘタに知ったかぶりをすると、どこかでボロが出るかもしれない。
だから、もうすべて覚えていないことにしてしまおうと、開き直って言った。
隊長は、あっけにとられた表情で私を見た後、同情するように眉をひそめた。
「それって……かなり重度の記憶喪失じゃない」
「ええ……そう、ですね」
自分のことながら、よくここまでペラペラでたらめが言えるなぁ、とあきれつつ、首を横に振った。
「えぇと……私の話はイイとして、その、隊長さんは」
「エリアス」
「……えっ??」
突然でてきた聞きなれない単語に、フッと視線を上げる。
隊長は、赤ワインのような深みのある瞳を、ゆったりと細めた。
「もう隊長じゃなくなっちゃったから。エリアス、って呼んでくれるかしら」
土に汚れてもなお美しい金髪を、サラリと後ろにかきあげて、隊長――いや、エリアスはニコッと笑った。
「だから、あなたの名前も教えてくれると嬉しいわ」
「あ……な、名前……!」
まいった。
名前。名前――どう、しよう。
もちろん、前の世界での本名はある。
でも、今まで聞いた彼らの名前と比較しても、あきらかに世界観にそぐわない。
「じっ……じ、実は、名前も覚えていなくって……!」
「え……自分の名前も!?」
「そ、そうなんです! だから、その……えっと、この辺りで一般的な女性の名前って、どんなのですか?」
「そうねぇ……ハナ、ミラ、レオニー……そのあたりかしら?」
エリアスが、首をかしげながら、指をひとつずつ折って名前を上げていく。
(今の名前の中だと……一番、違和感がないのは……)
ハナ、ミラ、レオニー。
この中なら、私が望むのはひとつだ。
「えっと……じゃあ、ハナでお願いします」
「え、いいの? そんな決め方で」
「ええ。名前がないのは、なにかと不便ですし」
いかにも外国人、という名前だと馴染めないし、自分としても名乗りやすい。
ハナ。
この世界での私の名前は、今この時から、ハナだ。
決めてしまえば、なんとなく心も軽くなった。
「えっと……エリアスさんは、釈放されたらどうするんです?」
「そうねぇ。この国にはもういられないから、実家に帰ろうかしら」
「実家……領地がある、って言ってましたよね」
「ええ。ここからだと、馬車で休み休みでもひと月くらいかかるかしら。うちの両親は変人だし……叩き出されるかもしれないけど」
「そ、そんなまさか……アハハ」
どこまで冗談なのかわからなくて、あいまいに笑ってごまかしつつ、おずおずと尋ねた。
「あのー……もしよろしければ、私もついていきたいなー、なんて……」
「あら、だってあなた、記憶喪失なんでしょう? うちの実家は王国の外れ、へき地の方だし……身内を探すのなら、国の中かもっと町を中心に回った方がいいんじゃないかしら」
エリアスは、眉をひそめて不可解そうに私を見た。
まずい。疑われてる。
ウッと一瞬言葉に詰まったものの、なんとかそれっぽい言葉をひねり出す。
「えっと……その、き、記憶喪失なのを利用されて、どんな目に遭うかもわかりませんし。とりあえず、周囲の状況がつかめるまで、信頼できる人のそばにいたいなぁ、って……」
苦しい。
苦し紛れの言い訳だ。
しかし、私の言葉を聞いて、エリアスはビクッと震えた。
「えっ……し、信頼できる? あたしが??」
彼は、目を見開いて、信じられないと言わんばかりに体を震わせている。
思ってもいないところに反応されて、キョトンと首をかしげながら言った。
「え、あっ、はい。見ず知らずの私を拾ってくれましたし、服とかも頂いちゃいましたし……それに私、【黒魔術を使う魔女】って怖がられてるみたいじゃないですか。それなのに、今もふつうに接してくださってますし」
なににビックリされているのかわからず、感じたままを伝えた。
すると、エリアスはとたんにウロウロと視線をあっちこっちに向けて、いたたまれなさそうに自分の髪に手をやっている。
「そ、それは……王国の兵士隊長として、困ってる人を助けるのは当然だから、で」
「ええ、本当に助かりました。ブラウくんとグリューくんにもお世話になりましたし……あ! 彼ら二人は大丈夫だったんでしょうか」
ふと、少年兵の二人のことを思い出した。
今まで自分のことにいっぱいいっぱいで、すっかり忘れてしまっていた。
確か、一緒になって国に入ったことは覚えているし、城に招かれたときも同行していたと思うけれど、その後はどうしただろうか。
「ああ、安心して。二人は無事よ。他の部下たちと同じく、記憶がないフリをさせておいたから」
「え……でも、二人はあの時のことを覚えていたんですよね? 証言してもらえば」
唯一の目撃者だ。
私と違って、兵士というからには身元もしっかりしているんだろう。
だったら、いろいろ話してもらえれば、有利になっていたんじゃないだろうか。
「ダメよ。……あの二人はまだ小さい。巻き込むわけにはいかないもの」
エリアスは、眉をギュッと悲しそうに下げて、座ったまま仰ぐように天井を見上げた。
「言ったでしょ? 今回のことは図られていたんだ、って。……女王は、あたし一人を処分したいだけなの」
暗い地下の牢屋。
鉄柵の向こうに置かれたロウソクの頼りない炎だけが、ゆらゆらとお互いの表情を浮かび上がらせる。
「あの二人には、あたしを超える素質があるわ。……立派な兵士になってほしいのよ」
彼の横顔を、ジッと見つめた。中性的な美しい顔の、特に印象的な赤い瞳が、パチリ、と瞬きする。
こんなにイイ人なのに、女王はいったいなにが気に入らないんだろう。
私がなにも言えずに見つめているのに気づいてか、彼はやや申し訳なさそうな表情でこちらを見た。
「まぁ、あなたも巻き込んでいる時点で、偉そうに言えたものじゃないけどね」
「えっ……いえ、私は、別に」
「優しいのね。……ありがとう」
牢に放り込まれてから、ずっと悲しみと寂しさに彩られていたエリアスの顔に、ようやく、柔らかい微笑みが浮かんだ。
(ひとりで……ぜんぶ、背負いこむつもりなのかな)
これほど責任感が強く、しっかり者の彼を処分したいだなんて、いったいなにを考えているんだろう。
いくら前の王と関わりが深い家系とはいえ、有能な者は手元に置いておきたい、と思うものじゃないだろうか。
(いや……そんな、できた人間ばっかりじゃないよね)
部下が有能であればあるほど、ねたみや憎しみが増してしまう場合もある。
不毛な足の引っ張り合いというのは、どんな世界でもあることなのかもしれない。
人間の感情って、どうしてこうもままならないんだろう。
「うぅぅ……この後、いったいどうなるんだろう……」
「そうねぇ……でも、大丈夫よ。殺されることはないでしょうし」
「エッ……私、そんなヤバい感じに罰せられる可能性があるんですか!?」
今後どのくらい牢屋で拘束されるのかなぁ、程度のつもりで吐き出した言葉に、思いもよらないセリフを返されて動揺した。




