【転の部】二人の世界(物理的結界)に侵入した罪
『我は災厄。我は終焉。恐怖せよ、そして平伏せよ。我の炎が全てを焼き尽くすまで……』
ヴォルカニック・ドラゴンは、己の登場演出に自信を持っていた。
千年の眠りから覚めた直後の咆哮。圧倒的な熱量。眼下に広がる人間たちの絶望に染まった顔。
完璧だ。これこそが「ラスボス」のあるべき姿である。
彼は期待していた。人間たちが泣き叫び、命乞いをする様を。あるいは、勇者と呼ばれる者たちが震えながら剣を向けてくる様を。
だが。
その期待は、頭上から降ってきた二つの「殺意の塊」によって粉砕された。
ドォォォォォォンッ!!
爆音と共に、ドラゴンの左右に二人の人間が着地した。
黒の軍神ゼギウスと、白銀の聖女リリアナである。
着地の衝撃だけで地盤が沈下し、ドラゴンはバランスを崩してよろめいた。
『ぬ……? なんだ貴様らは。我の御前であるぞ……』
「あー、くそっ。最悪だ」
ゼギウスは、ドラゴンの言葉を完全に無視して頭を掻いた。
その鉄仮面の奥からは、どす黒いオーラが漏れ出している。
「(あと少しだったんだ。あのまま勢いに任せて告白し、あわよくば連絡先交換、そして週末のデートの約束まで取り付ける完璧なシミュレーションが出来ていたのに!)」
彼は純情な青年としての悔しさを、すべて魔力に変換した。
その結果、彼の周囲の空間がミシミシと悲鳴を上げ始めた。
「あら、奇遇ねゼギウス。私も今、虫の居所が悪いの」
リリアナもまた、優雅に髪を払いながら、氷点下の視線をドラゴンに向けていた。
「(せっかく彼と見つめ合い、熱い吐息(爆風)を感じていたのに。ムードぶち壊しじゃないの、このトカゲ)」
二人はドラゴンの鼻先で顔を見合わせた。
言葉はいらない。
「邪魔だから消そう」。
その一点において、敵対していたはずの二人の思考は完全にリンクした。
『き、貴様ら……我を無視するとは……』
「うるさい」
「黙ってて」
ドゴォッ!!
ゼギウスの裏拳と、リリアナの蹴りが、同時にドラゴンの顔面に突き刺さった。
右頬と左頬に、核弾頭級の衝撃。
伝説の竜の巨体が、ゴムまりのように空中に浮き上がる。
『ブベラッ!?』
情けない悲鳴を上げながら、ドラゴンは数キロメートル後方へ吹き飛ばされた。
山脈に激突し、岩盤にめり込む。
『な、なんだ今の威力は……!? 人間ごときが、この我に傷を……!?』
ドラゴンは混乱した。痛い。すごく痛い。
だが、恐怖の本番はこれからだった。
「行くぞ、リリアナ。……俺の獲物は渡さん(いいところを見せたい)」
「ふふ、勝手なこと言わないで。私の獲物よ(頼りがいがあるわ素敵)」
二人の影が消えた。
次の瞬間、ドラゴンの眼前に二人が現れていた。
「せいっ!」
ゼギウスが大剣を振るう。
単なる物理攻撃だが、そこに込められた「恋の不完全燃焼エネルギー」が、ドラゴンの硬度な鱗を豆腐のように切り裂いた。
『ギャアアアアア!』
「隙だらけよ!」
リリアナが細剣で突く。
一秒間に数百発の高速突き。
ドラゴンの全身のツボというツボに、正確無比な激痛が走る。
『ヒィィィィッ! タンマ! タンマだ人間!』
ドラゴンは涙目で叫んだ。理不尽すぎる。
だが、二人の猛攻は止まらない。それどころか、奇妙な現象が起き始めていた。
普段は敵対しているはずの二人の攻撃が、なぜか噛み合っているのだ。
ゼギウスが右から斬れば、リリアナが左へ誘導する。
リリアナが空へ打ち上げれば、ゼギウスが叩き落とす。
まるで長年連れ添った夫婦のような、阿吽の呼吸。
「(な、なんだこの感覚は!? リリアナと……繋がっている気がする! これが、初めての共同作業!?)」
ゼギウスは戦慄し、そして陶酔した。
ケーキ入刀ならぬ、ドラゴン入刀である。
「(すごわ……言葉を交わさなくても、私のしたいことが彼には伝わっているのね! これが運命の赤い糸!?)」
リリアナもまた、鮮血の舞踏の中で恍惚としていた。
戦場という名のダンスフロアで、ドラゴンというサンドバッグを挟んで、二人は愛を確かめ合っていた。
『(誰か助けてくれェェェェ!!)』
被害者はドラゴンただ一頭である。
彼は悟った。この二人は、関わってはいけない人種だと。
災厄級モンスターとしてのプライドをかなぐり捨て、彼は翼を広げた。
『わ、我は帰る! 二度とここには来な……』
「逃がすかよ」
「逃がさないわ」
二人の声が重なった。
ゼギウスの左手に漆黒の闇が、リリアナの右手に純白の光が収束する。
「リリアナ、合わせられるか?(俺のカッコいいところを見てくれ)」
「ええ、もちろんよゼギウス(私達の愛の結晶ね)」
本来、相反する属性である「闇」と「光」。
混ぜれば対消滅を起こして暴発するのが魔法の常識だ。
しかし、二人の「相手への好意(特大)」という共通項が、奇跡の融合を引き起こした。
黒と白の魔力が螺旋を描き、絡み合い、そして灰色ではなく――なぜか毒々しいほどのショッキングピンク色に輝き始めた。
「喰らえぇぇぇぇ!!」
「消えなさい!!」
二人が同時に放つ。
合体魔術『天地乖離する愛の狂騒曲』。
……技名は今、ゼギウスが即興で考えた。
ピンク色の極太ビームが、空へと逃げようとしたドラゴンを直撃する。
『なんでぇぇぇぇぇ!? なんでピンク色ぉぉぉぉぉ!?』
ドラゴンの魂の叫びは、光の彼方に消えた。
肉体が崩壊し、魔石すら残さず、原子レベルまで分解されていく。
大陸全土を揺るがすほどの爆発。
しかし不思議なことに、その爆風はハート型を描いて空へと昇っていった。
◇
静寂が訪れた。
伝説の邪竜は、出現からわずか数分で、歴史からも物理的にも抹消された。
荒野に二人、並んで立つゼギウスとリリアナ。
戦いの高揚感(と動悸)で、二人の肩は激しく上下している。
「……やったな、リリアナ」
「ええ……やったわね、ゼギウス」
ゼギウスは恐る恐る、隣のリリアナを見た。
戦闘後の乱れた髪、紅潮した頬、汗ばんだ肌。
それらが夕日に照らされて、神々しいまでに美しい。
「(か、可愛い……! 共闘した高揚感もあって、今の彼女は最高に輝いている! 今だ、今なら言える気がする!)」
ゼギウスは勇気を振り絞った。
ドラゴンを倒した今、もう邪魔者はいない。
「リリアナ、俺は……!」
彼は一歩踏み出し、手を伸ばした。
リリアナもまた、期待に満ちた瞳で彼を見上げる。
「(来る……! ついにプロポーズの言葉が……!)」
しかし。
その言葉が紡がれる直前、無粋な音が響き渡った。
『全軍、撤退ィィィィ!! これ以上ここにいたら巻き込まれて死ぬぞォォォ!!』
『退けェェェ! 作戦中止だ! あの二人から離れろォォォ!!』
両軍の本陣から、撤退を告げる銅鑼とラッパがけたたましく鳴り響いたのだ。
ドラゴン討伐の余波で地形が変わりすぎ、これ以上の戦闘継続は不可能と判断されたのである。
「あ……」
ゼギウスの手が空を切る。
兵士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、戦場の空気が「解散」へと向かう中、ここで告白するのはあまりに空気が読めていない。
彼は社会人(将軍)として、ギリギリの理性を保ってしまった。
「(くそっ、時間切れか……! またしても、言えずじまいか……!)」
ゼギウスはガックリと肩を落とす。
しかし、リリアナは微笑んでいた。
彼女は、ゼギウスの「あ……」という言葉と伸ばされた手を、「人目があるから、続きはまた今度」という合図だと解釈したのだ。
「ふふ、そうね。今日はもう『お開き』にしましょうか」
リリアナは背を向け、去り際にウインクを投げた。
「また会いましょう、ゼギウス。……次の『戦場』で、続きを聞かせてちょうだい?」
その言葉に、ゼギウスの心臓が跳ね上がった。
それは事実上の「次回の約束」だった。
「あ、ああ……! 必ずだ! 首を洗って待っていろ(とびきりのお洒落をして行くからな)!」
「ええ、楽しみにしているわ(素敵なプレゼントを期待してるわ)!」
二人は背を向け、それぞれの陣営へと歩き出した。
夕焼けに染まる二人の背中は、どこまでも晴れやかだった。
ただ、その背景にある「ドラゴンが消滅した跡地」と「更地になった平原」を除いては。
(続く)




