【承の部】愛の熱量は、時に物理的な災害となる
戦場において、最も不幸なのは誰か。
それは英雄でも将軍でもない。彼らの巻き添えを食う、名もなき兵士たちである。
カルディナ大平原の端、深さ五メートルほどの塹壕の底で、帝国軍の伍長と、王国軍の小隊長が肩を並べて震えていた。本来なら殺し合うべき敵同士だが、今は「生存」という共通の目的のために、固い絆で結ばれていた。
「……なぁ、帝国さんよ。予備の干し肉、持ってないか?」
「悪いな王国さん。さっきの衝撃波で背嚢ごと消し飛んだよ。……それより水筒の水、残ってるか?」
「蒸発したよ。三回前の爆発でな」
二人は虚ろな目で空を見上げた。
そこでは、世界の終わりみたいな光景が繰り広げられていた。
――ズガァァァァァンッ!!
――ドォォォォォォォンッ!!
黒い雷と白い光線が交差するたび、衝撃で雲が散り、気圧が乱高下する。
これは戦争ではない。
神話の再現か、あるいはただの災害だ。
「なぁ……あいつら、何が不満であんなに殺し合ってるんだ?」
「さあな。領土問題か、宗教上の対立か……」
兵士たちは真面目に議論していた。
まさか、あれが「初デートにおける会話のドッジボール」だとは、夢にも思わずに。
◇
上空五百メートル。
黒の軍神ゼギウスは、焦っていた。
「(くそっ、投擲作戦は失敗した! いや、あんな華麗に避けられるとは思わなかった。リリアナの反射神経、人間離れしすぎだろ! 好き!)」
ゼギウスは内心で頭を抱えていた。
遠距離からの物理的なアプローチが通じないなら、次はどうするか。
彼はふと、リリアナの薄着(に見えるドレスアーマー)に目を留めた。
ここは吹きっ晒しの平原。季節は初冬。
上空の風は冷たいはずだ。
「(そうか……寒いよな、リリアナ。冷えは女性の大敵だと、田舎の母ちゃんも言っていた。ならば、俺が温めてやらねば!)」
気遣いのできる男アピール。
ゼギウスは、自身の持つ魔力属性の中でも、特にカロリーの高い「炎」を選択した。
彼は左手を突き出す。
指先から溢れ出したのは、焚き火のような生温いものではない。地獄の業火そのものである。
「寒かろう、リリアナ! 俺が今、温もり(超高熱)を届けてやる!!」
発動した魔法は、広域焼夷魔術『灼熱地獄の抱擁』。
本来は敵軍を一瞬で灰燼に帰すための殲滅魔法だ。
空が真紅に染まり、数千度の炎の津波がリリアナへと押し寄せた。
「(これで少しは暖かくなるはずだ! どうだ、俺の優しさ(火力)は!)」
対するリリアナ。
視界を埋め尽くす紅蓮の炎を前に、彼女はまたしても頬を染めていた。
「(まぁ……! 今度は真っ赤な炎!? まるで千本の真紅の薔薇を贈られたみたい!)」
彼女の目には、業火が薔薇の花束に見えていた。
恋のフィルターとは恐ろしいものである。
「(情熱的ね、ゼギウス。でも、あまり熱すぎると火傷しちゃうわ。……少し、頭を冷やしてあげなきゃ)」
それは彼女なりの駆け引きだった。
押してダメなら引いてみろ。熱烈なアプローチには、クールな対応で焦らすのが大人の女性というもの(恋愛指南書知識)。
「ありがとう、ゼギウス。でも、今の私には少し刺激が強すぎるわ!」
リリアナが細剣を一閃させる。
切っ先から放たれたのは、絶対零度の吹雪。
氷雪系最上位魔術『氷の女王の口づけ(ダイヤモンド・ダスト)』。
ジュワアァァァァァァァァッ!!!!
極熱と極寒が衝突した瞬間、凄まじい水蒸気爆発が発生した。
大量の白煙が戦場を覆い尽くす。
発生した衝撃波が、地上で震えていた兵士たちのテントや武器、そして「もう帰りたい」という微かな希望ごと吹き飛ばした。
「(くっ、氷魔法で相殺された!? 『お前の優しさなんていらない』ってことか!? いや、あの流し目……『焦らないで』というメッセージか!?)」
ゼギウスは混乱しながらも、爆風を切り裂いて突撃した。
遠距離がダメなら、接近戦だ。
もはやなりふり構っていられない。
ガィィィィンッ!!
空中で、魔剣と聖剣が激突する。
火花が散り、その余波だけで空間に亀裂が入る。
二人は鍔迫り合いの形となり、顔と顔が数十センチの距離まで接近した。
「(ち、近い! リリアナの顔が近い! まつ毛長い! 肌きれい! どうしよう、どこを見ればいいんだ!?)」
ゼギウスはパニックになり、視線を泳がせた。
その挙動不審な動きは、リリアナの目には「次の攻撃箇所を探る獣の眼光」として映った。
「(ふふっ、そんなに私の全身を舐め回すように見て……。戦いの最中に私のことしか考えられないなんて、可愛い人)」
リリアナは妖艶に微笑むと、鍔迫り合いの反動を利用して空中で回転。
ダンスを踊るようなステップで、ゼギウスの側面へと回り込む。
「捕まえてごらんなさい、私の軍神様!」
「(待ってくれリリアナ! まだ連絡先も聞いてないんだ!)」
二人は空中で高速機動戦闘を開始した。
側から見れば、光と闇が螺旋を描きながら上昇していく神々の戦い。
だが、当人たちの意識は完全に「追いかけっこ」である。
「ははは、待てよー!」(ゼギウス:必死の形相で斬撃を飛ばす)
「うふふ、こっちよー!」(リリアナ:笑いながら光弾をばら撒く)
流れ弾が山を削り、川を蒸発させ、生態系を破壊していく。
地上では、両軍の将軍たちが頭を抱えていた。
「おい、どうなってるんだ! 作戦目標の『砦の制圧』はどうなった!?」
「無理です閣下! 砦は五分前に溶けました!」
「じゃあ撤退だ! これ以上ここにいたら、我々が全滅する!」
戦争という名の舞台装置が崩壊していく中、二人の「デート」はクライマックスを迎えようとしていた。
「(よし、こうなったら奥の手だ。俺の故郷に伝わる、求愛の舞(に見える剣技)を見せてやる!)」
「(もう、焦れったいわね。そろそろ私の方から決めて(キスして)あげようかしら!)」
ゼギウスの魔剣が漆黒に輝き、リリアナの聖剣が黄金のオーラを纏う。
互いが必殺の一撃(愛の告白)を放とうとした、その時である。
ズズズズズズズ……ッ。
空気が、変わった。
二人の甘い魔力とは異なる、もっとおぞましく、古臭い殺気が戦場全体を覆ったのだ。
「「……ん?」」
二人は同時に動きを止め、視線を下に向ける。
戦場の中央、マグマ溜まりと化した大地が盛り上がり、巨大な亀裂が走る。
そこから這い出してきたのは、全長三百メートルを超える異形の影。
燃え盛る溶岩の皮膚、鋼鉄をも噛み砕く顎、そして背中には山脈のような翼。
伝説の災厄級モンスター、「ヴォルカニック・ドラゴン」。
かつて一国を一夜にして滅ぼし、歴史の彼方に封印されたはずの怪物が、二人の戦闘によるエネルギー干渉で目を覚ましてしまったのだ。
『グオォォォォォォォ……ッ!!』
ドラゴンの咆哮が轟く。
それは単なる鳴き声ではない。衝撃波となって広がり、逃げ惑う兵士たちをなぎ倒した。
『騒がしい……あまりに騒がしいぞ、矮小なる人間どもよ……我の眠りを妨げた罪、万死に値する……』
ドラゴンは威厳たっぷりに言葉を紡ぎ、圧倒的な強者としての風格を漂わせた。
通常なら、ここで人類は絶望し、英雄たちが決死の覚悟で挑む場面だ。
だが。
運が悪かった。
あまりにも、タイミングが悪すぎた。
ゼギウスとリリアナは、空中で凍りついていた。
恐怖で動けないのではない。
彼らの脳裏を占めていたのは、全く別の感情だった。
ゼギウス:「(あと三秒……あと三秒あれば、『好きだ』って言えたのに……!!)」
リリアナ:「(今、最高にいいムードだったのに……!!)」
二人の視線が、ゆっくりとドラゴンに向けられる。
そこには、慈悲も、畏敬も、恐怖もない。
あるのはただ、純度一〇〇パーセントの「殺意」のみ。
「おいトカゲ」
「ちょっと爬虫類」
ドス黒いオーラが、二人の体から噴き出した。
それは、先ほどまでの「殺し合い(じゃれあい)」とは質の違う、本気の、心底不機嫌な殺気だった。
「「空気、読めや」」
世界最強のカップル(予定)が、共通の敵を見つけた瞬間だった。
(続く)




