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【起の部】開戦、あるいは世界一迷惑な求愛行動

 大陸暦一〇二五年。

 世界は二つの巨大な力の衝突によって、きしみ音を上げていた。

 東の軍事帝国ガレリア。

 西の聖王国ルミナス。

 長きにわたり覇権を争う二大国は、大陸中央部に位置する「カルディナ大平原」を主戦場とし、幾度となく干戈を交えてきた。

 そして今日。

 歴史書に「第七次カルディナ会戦」と記されることになる、一大決戦の幕が上がろうとしていた。

 空は鉛色に淀み、大地は数万の軍靴によって震えている。

 張り詰めた空気の中、帝国軍の最前線に立つ重装歩兵の若者が、震える声で隣の古参兵に尋ねた。

「……なぁ、おい。今日は『アイツ』が出るって噂、本当なのか?」

「馬鹿野郎、滅多なことを口にするな。心臓が止まるぞ」

 古参兵は顔面を蒼白にし、兜の紐をきつく締め直した。

 その指先は、小刻みに震えている。

「いいか、空を見ろ。あの異常な魔力の渦を。……間違いない。今日のお出ましだ。帝国最強の悪夢、『黒の軍神』閣下がご出陣だ」

 兵士たちが畏怖を込めて見上げる先。

 帝国軍陣地の中央に、その男は立っていた。

 身長二百センチメートル超。

 全身を、光すら飲み込む漆黒のフルプレートメイルに包んでいる。

 背中には、大の男三人がかりでも持ち上がらないであろう巨大な魔剣「断罪者エクスキューショナー」を背負い、ただそこに立っているだけで周囲の空間が歪んで見えた。

 帝国軍大将軍、ゼギウス・ヴォルガノ。

 単身で城塞都市を陥落させ、一睨みでドラゴンを気絶させたという伝説を持つ、生きる戦略兵器である。

 周囲の側近たちすら、彼の発する圧倒的な殺気オーラに押され、呼吸すらままならない状態だった。

「(……どうしよう。胃が痛い)」

 しかし。

 鉄仮面の下で、ゼギウス本人は泣きそうな顔をしていた。

「(緊張で吐きそうだ。今日の俺、変じゃないか? 鎧の光沢は十分か? マントに皺は寄ってないか? さっき食べたミントタブレットの効果はまだ続いてるか?)」

 ゼギウスは内心でパニックになっていた。

 彼が放っているとされる殺気の大半は、単なる「初デート前の極度の緊張」からくる冷や汗のようなものである。

 ゼギウス・ヴォルガノ、二十八歳。

 職業、軍神。

 趣味、押し花。

 彼女いない歴=年齢。

 彼は生まれた時から魔力が強すぎた。「おぎゃあ」と泣けば産院の窓ガラスが全て割れ、ハイハイをすれば床が抜け、初めての恋文を渡そうとしたら緊張で紙が自然発火してボヤ騒ぎになった。

 そんな人生を送ってきた彼にとって、戦場こそが唯一の職場であり、そして唯一の「出会いの場」でもあった。

「閣下……! ご武運を!」

 副官が必死の形相で敬礼する。

 ゼギウスは重々しく頷いた。

「うむ。……行くぞ」

 兜の音声増幅魔法のせいで、彼の声は地底から響くような重低音となって周囲を威圧した。

 副官が「ヒッ」と短い悲鳴を上げて腰を抜かす。

 ゼギウスは心の中で「ごめんね」と謝りつつ、戦場の中央へと歩を進めた。

 彼が歩くたびに、地面がめり込み、黒い雷光が奔る。

 帝国兵がモーゼの海割れのように道を開ける。

 その視線の先。

 広大な平原を挟んだ向こう側に、一騎の騎士が待っていた。

 白馬に跨り、白銀のドレスアーマーを纏った女性。

 輝くプラチナブロンドの髪を風になびかせ、宝石のような蒼い瞳でこちらを見据えている。

 王国軍守護者、「白銀の聖女」リリアナ・エヴァーガーデン。

「(ああっ! リリアナだ! 今日も素敵だ!)」

 ゼギウスの心拍数が急上昇する。

 同時に、彼の周囲に展開されていた防御結界(無意識)が過剰反応し、半径五メートル以内の草花が一瞬で枯死した。

「(今日の鎧は、先月の会戦の時とは違うな。少し装飾が控えめで、機動性を重視しているのか? その機能美、たまらない! ポニーテールも凛々しくて最高だ! 好きだ!!)」

 ゼギウスは感動に打ち震えた。

 一般人なら即死レベルの魔力放出量だ。

 対するリリアナもまた、愛馬から降り、優雅な動作で細剣を引き抜いた。

 その所作一つ一つが洗練されており、戦場の殺伐とした空気を一変させるような美しさがある。

 ゼギウスとリリアナ。

 二人の距離は、およそ五百メートル。

 常人ならば声も届かぬ距離だが、彼らには関係ない。

「来たわね、ゼギウス」

 リリアナが呟く。

 風魔法に乗せられたその声は、鈴を転がすような美声となってゼギウスの耳元に届いた。

「(うわぁぁぁ名前呼ばれたぁぁぁ! 俺の名前呼んだ! 今呼んだ! 録音したい!!)」

 ゼギウスは歓喜のあまり、魔剣を握る手に力が入りすぎ、柄の部分に指の跡がめり込んだ。

 傍から見れば、敵将を前に殺意を高める鬼神の姿である。

「(落ち着け俺。今日こそは想いを伝えるんだ。言葉で伝えるのはハードルが高すぎる。噛んだら死にたくなる。だから、俺は行動で示すと決めたんだ!)」

 ゼギウスは大きく息を吸い込む。

 そして、魔剣「断罪者」を天高く掲げた。

「(俺のありったけの魔力を込めて……この想いの大きさを、可視化して届ける!!)」

 ドクン、と大気が脈動した。

 空が急激に暗転する。

 ゼギウスの剣先に、漆黒の球体が生成された。それは瞬く間に膨張し、直径五十メートルを超える巨大な闇の太陽へと変貌する。

 帝国兵が悲鳴を上げた。

 王国兵が神に祈りを捧げた。

 それは、どう見ても戦略級殲滅魔法。

 一つの軍団を消し飛ばして余りある、死の宣告だった。

「受け取れェェェェリリアナァァァァ!! これが俺の、溢れんばかりのまりょくだァァァァ!!」

 ゼギウスが剣を振り下ろす。

 

 ズオォォォォォォォォォッ!!!!

 解き放たれた闇の奔流は、龍のあぎとのような形状をとり、大地を削り取りながらリリアナへと殺到した。

 魔法名『深淵よりの求婚アビス・プロポーズ』。

 彼は徹夜でこの魔法陣を組み上げた。術式の中には、微細な文字で「I LOVE YOU」という古代ルーン文字が数千個隠されているのだが、当然ながらそんなものは誰にも読めない。ただの破壊光線である。

 迫りくる死の波。

 しかし、リリアナは逃げなかった。

 それどころか、彼女の白い頬は紅潮し、瞳は興奮に潤んでいた。

「(……凄まじいプレッシャー。肌がリリ付くわ。並の男なら、私と目が合っただけで逃げ出すのに)」

 リリアナもまた、深刻な男運のなさに悩んでいた。

 強すぎるがゆえに、「高嶺の花」どころか「高嶺の要塞」扱いされ、誰も寄り付かない。

 そんな彼女にとって、手加減なしの全力(殺意)をぶつけてくるゼギウスは、唯一自分を「女(たいとうな敵)」として見てくれる存在だったのだ。

「(挨拶もなしにいきなり極大魔法なんて……ふふっ、そんなに私が恋しかったのね、ゼギウス!)」

 彼女の脳内変換回路は、今日も絶好調だった。

 彼女には、迫りくる闇の龍が、花束を抱えた巨大なワンちゃんに見えていた(重度の幻覚)。

「いいわ、その情熱! 私が受け止めなくて、誰が受け止めるというの!」

 リリアナは細剣「聖約コヴェナント」を構える。

 繊細な刀身に、聖なる光が集束する。

「『聖女の拒絶ノー・サンキュー』!!」

 彼女が放ったのは、物理障壁と魔力相殺を兼ね備えたカウンター技。

 技名は拒絶だが、彼女の内心は「もっといじめて(もっとかまって)」という倒錯した喜びで満ちていた。

 カァァァァッッ!!!!

 闇と光が激突した。

 音速を超えた衝撃波が、同心円状に広がる。

 両軍の最前列にいた兵士たちは、枯れ葉のように宙を舞った。

「ぎゃああああ! まだ開戦のラッパも鳴ってねぇぞぉぉぉ!」

「帰りたい! 田舎に帰って畑を耕したいぃぃぃ!」

「あいつら二人だけで別の星でやってくれぇぇぇぇ!」

 兵士たちの魂の叫びは、爆風にかき消される。

 地面がえぐれ、地形が変わる。

 だが、粉塵の晴れたクレーターの中心で、二人は満足げに見つめ合っていた。

「(ふぅ……防がれたか。さすがリリアナ。俺の愛を受け止める器量は十分ということか!)」

「(いきなりあんな激しいのを撃ってくるなんて……やっぱりこの人、素敵だわ)」

 周囲は地獄絵図。

 しかし二人の周囲だけ、ピンク色のハートマークが見えるような錯覚(実際に魔力の残滓がハート型に漂っていた)が起きていた。

 ゼギウスは次の一手に出る。

 懐の亜空間収納から、きらりと光る物体を取り出した。

「(遠距離からのアプローチ(魔法)だけじゃ足りない。やはり、プレゼント(物理)攻撃だ!)」

 彼が取り出したのは、古代遺跡で発掘された短剣『虹の涙』。

 国宝級のアーティファクトである。

 ゼギウスはこれを「リリアナへの贈り物」として用意した。普通ならうやうやしく箱に入れて渡すべきものだが、彼にはそんな常識はない。

 ここは戦場。

 渡す手段は「投擲」一択である。

「リリアナァァ! これをお前にやるぅぅぅ!!」

 ブンッ!!

 剛腕から放たれた短剣は、マッハ3の速度でリリアナの眉間へ飛来した。

「(なっ……あれは『虹の涙』!? 伝説の至宝じゃない! それを投擲武器として使い捨てるなんて……!)」

 リリアナは驚愕し、即座に身を捻って回避する。

 ヒュンッ。

 数本の髪の毛を切り落とし、短剣は遥か後方の岩山に着弾。

 ズドドドドド……ッ!!

 岩山が崩落し、轟音と共に地図から消滅した。

「(なんてお金のかかった攻撃なの……! 『君を倒すためなら、財産なんて惜しくない』ってこと!?)」

 リリアナは頬を赤らめ、熱い吐息を漏らす。

「もう……そんなに私を夢中にさせて、どうするつもり?」

 彼女はうっとりとした表情で、崩れ去った山(数秒前までそこにあった自然遺産)を見つめた。

 こうして、世界で一番迷惑な逢瀬が幕を開けたのである。

 両軍の兵士たちが、涙目で白旗を用意し始めていることも知らずに。


(続く)


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