第4話「それ、絶対言っちゃダメなやつ ・4 それでも、朝は来るから 」
仕事がエクストラハードモードでも、過去最大級の失恋をしようとも、
それでも朝はやってきます。
気持ちを奮い立たせて、出社した瑛士を待ち受けていたのは……
どんなに最低な気分の時でも、朝の通勤ラッシュはいつも通りに容赦ない。
電車に揺られながら、窓に映った自分の顔を見て、
瑛士は「うわ……」と、心の中で小さく声を上げた。
(——目、ちょっと腫れてるな)
昨晩は全く泣かなかったかと言えば、嘘になる。
それでも気持ちを誤魔化しながら、無理やり浅い眠りを繰り返しているうちに、いつの間にか朝を迎えていた。
(……まぁ、そりゃそうだよな)
一日であれだけのことがあったのだから——
こうしていつも通りに会社へ向かっているだけでも、
「よくやってる方だよな、俺……」と、自分を励ましたい気持ちになる。
クローゼットに押し込んでいた紙袋も、
ゴミ箱のシャンプーや化粧品も、合鍵も、朝のうちに全部片付けた。
それでも心の整理は全く追いついてはいないが、
少なくとも表面上は、いつも通りに装えているはずだ。
* * *
オフィスに入ると、空調とPCの排熱の混じった独特の匂いに包まれる。
その匂いに、自分が「チーフディレクターの榊原さん」としてコーティングされていくような気がした。
「おはようございます」
挨拶しながら自分の席に向かうと、ひと足先に来ていた新堂が、くるりと椅子ごと回転した。
「おはよーございま……?」
一瞬で目つきが変わる。
いつものヘラヘラした笑顔ではなく、仕事モードの、相手を値踏みするような鋭さ。
(やっぱり、バレるよな)
瑛士は慌てて眼鏡を押し上げて、目元を隠そうとした。
「サカキさん……あんま寝てないんじゃないっスか?」
「多少は、寝ましたよ」
「多少って言い方が、もうダメそうなんスけど」
新堂はじっと瑛士の顔を見る。
腫れぼったいまぶたに、少しだけ赤くなった白目。
そして何か言いかけて——やめた。
その代わりに、机の端にあったコンビニ袋をガサゴソと漁って、一つの缶を取り出す。
「はい、ブラックでいいスか」
「ありがとう……買ってきてくれたんですか?」
「いや、来る時なんか嫌な予感するな~って思いながら、まとめて買っておいたんスよ。
今日も、長くなりそうじゃないっスか?」
「まぁ……この状況で、何も無いわけがないですからね」
昨晩拾いきれなかったログの確認。
イベント設計の再検討。
サーバー班との見直し会議……。
課題は山積みだ。
「じゃ俺、とりあえず朝会までに、昨夜の修正版のログ、ざっと出しときますわ」
「ありがとうございます。……僕はその前に、仕様の確認をしておきます」
「ちなみに……」
新堂は瑛士の顔を覗き込んだ。
「はい?」
「その寝不足の理由は……聞かない方がいいんスよね?」
「……そんなに酷い顔してますか?」
新堂もそれ以上は言わずに、自分の席に戻った。
でも瑛士に向けられた視線は
『無茶しないでくださいよ』
そう言ってくれている気がした。
モニターに自分の顔が映り込まないように、瑛士は素早く電源を入れた。
* * *
朝会は、いつも通りに淡々と進んだ。
「サーバー班、昨日のイベントインスタンスの件、続報お願いします」
進行役のプロジェクトマネージャーの声に、サーバー担当が一歩前に出る。
「昨夜の修正反映後、イベント用サーバーの負荷グラフは安定しています。
中断パターンを何度か流しても、メモリが異常に積み上がる事象は確認されませんでした」
プロジェクターに映ったグラフは、昨夜見た「右肩上がりの崖」ではなく、
なだらかな丘を描いていた。
(……山は、潰せたか)
「現時点では、予定通り明日のイベント開催は可能と判断しています」
「ありがとうございます。バトル側から、補足ありますか?」
「うっス」
手を挙げて一歩出た新堂は、いつもの調子で話し始める。
「昨日のHP管理まわり、戦闘終了処理が、どんな中断でも必ず走るように直しました。
それに合わせて、ボスの行動パターンをちょっとだけいじってます」
「戦闘テンポに影響は?」
「ない……ようにしたつもりっスけど、
そのへんはディレクターさんに触ってもらって、最終判断を」
一瞬、視線が探るように瑛士に向かう。
「——わかりました。僕の方で確認します」
声だけは、普段通りの調子を保てているはずだ。
今、この部屋の中にいる誰も、瑛士に昨晩何が起きていたかなんて知らない。
知らせる必要もない。
ここでの自分は、チーフディレクターであって、
私生活で何があったかなどは関係ないのだから——
サーバー班の報告に続いて、運営チームのメンバーが一歩前に出た。
「運営側から、課金アイテム不具合の件です」
声のトーンが沈んでいるが、それも仕方のないことだろう。
「該当時間帯に有償アイテムを使用して、
正しく効果を得られなかったアカウントに対しては、
アイテム代金の全額返還と、お詫び分の上乗せ補填を考えています」
サーバー班のリーダーが続ける。
「……了解です。ログからの抽出は、こちらでやれます。
使用タイミングとイベント状態を突き合わせれば、
アイテムだけ消費されて終わったプレイは切り出せるはずです」
話が一段落したところで、皆の視線が自然と瑛士に集まった。
最終的に、「どこまで補填するか」「どこまで謝るか」を決めるのは——
チーフディレクターである、瑛士だ。
「……わかりました」
軽く息を吸って、口を開く。
「基本方針はそれでいきましょう。
『被害者』を、一人も取りこぼさないようにお願いします」
「はい」
運営メンバーが、ほっとしたように頭を下げた。
「告知文の草案は、このあと共有します。
プレイヤー向けの文言、チェックお願いできますか?」
進行役からの確認に、瑛士はしっかりと答える。
「もちろんです。変に言い訳せずに、しっかりと非を認める文章にしましょう」
昨夜の不具合は、予期せぬ実装ミスではあるが、
仕様の想定を詰めきれなかった、自分の責任でもある。
そのツケを、今からきちんと払いにいくのだ。
会議が終わり、自分の席へと向かう。
そんな一人になった心の隙間に——。
(……沙耶には、何一つ返せなかったくせに)
ふと、心のどこかで、そんな冷めた声が響いた。
それでも仕事を選んだ自分には、今ここでやるべきことがある。
瑛士は、自分を責める心の声を押し殺して、デスクに向かった。
* * *
自分の席に戻ると、新堂がさりげなく声を掛けてきた。
「サカキさん」
「なんです?」
「……今日、メシでも行きません?」
「昼ですか?」
「いや、夜。どーせまた夜までやるでしょ、これ」
あっけらかんと言う。
「俺、特に予定ないんで。
なんか美味いもんでも食いに行きません?」
「……別にいいですけど」
「おし、決まりっスね!
……あ、愚痴りたくなったら、なんでも聞きますよ」
こういう時、新堂はあっさりと心の内側に入り込んでくる。
その距離の詰め方が嫌に感じないのも、彼の才能のひとつなのだろう。
「——僕が愚痴る前提なんですね」
「愚痴んない人ほど、後でドカーンとやらかしますからね」
「……どこかのサーバーみたいに、ですかね」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして新堂は一瞬だけ、真面目な顔をした。
「……これも余計なお世話でした?」
「いえ。ありがたいですよ」
本当に、と心の中で付け足す。
昨夜、ひとりで冷めたハンバーグを片付けたことも。
暗い部屋の中で、合鍵を握りしめたまま、何度もスマホの連絡先を開いては閉じたことも。
誰かに話すつもりはない。
ただ、黙って隣にいてくれる人がいる、というだけで——
少しだけ、胸のつかえが取れる気がした。
「……では、今日の進捗次第で。
日付が変わる前に終われたら、何か食べに行きましょうか」
「お! じゃあ俺、今日はブーストかけてやるっス。
今日の最重要ミッションは……
『ディレクターさんのメンタル保全』ってことで!」
「……なんですか、そのミッションは」
瑛士は呆れ顔になった。
「へへっ、重要でしょ?
なんたってアイソジーンは、しっかりもののディレクターさんで保ってるようなもんっスから」
くだらないやりとりをしながら、自分の席に戻る。
モニターを点けると、昨夜のまま残しておいたログビューアが立ち上がった。
赤いエラー行は、もうほとんどない。
——大丈夫だ。
「ゲームの方」は、ちゃんと動いている。
瑛士は、空になりかけの缶コーヒーを一口あおった。
胸の奥の空洞はまだ、埋まってはいない。
けれどそこに、仕事と、仲間と、いつもの騒がしい日常が、
少しずつ流れ込んで、温めてくれている気がした。
瑛士は眼鏡をクイっと持ち上げると、自分の指示を待っているモニターに向き合った。
* * *
モニターの向こうに広がる『ティルナ』の世界。
ケルトの森、古の遺跡、そして——
画面の向こうで冒険しているプレイヤーたち。
「……俺が作った世界で、誰かが笑ってくれてる」
それが、彼の選んだ道だった。
沙耶との未来は、失った。
でも、このゲームは確かに動いている。
——ただ、この時の瑛士は、まだ知らなかった。
やがて自分が、この『世界』の中に囚われることを。
そして、一人の少女と出会い、
もう一度「誰かを守る」意味を知ることを——。
でも、それはまた、別の物語。
// End of this commit.
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
さて、瑛士くんの失恋エピソードはここで一区切りです。
彼がこの先どうなるのか、気になった方は——
ぜひ本編『異世界で待ってた妹は、モーニングスターで戦う魔法少女(物理)だった件』も読んでみてください。
瑛士くんが「ゲームの世界に閉じ込められる」とは、一体どういうことなのか。
そして、彼が「もう一度誰かを守る」とは——?
その答えは、本編で明かされます。
もちろん、スピンオフだけでも楽しめますし、
本編だけでも問題なく読めます。
でも、両方読んでいただけると、
「あ、ここ繋がってる!」
という発見があって、二倍楽しめるはずです。
……ちなみに、瑛士くんが「ストレートのロングヘアが好き」というのも、今後発表する別の作品内で明かされる伏線になってます。
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