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【第2章・2話完結】ゲームは夜に作られる  作者: 未知(いまだ・とも)
第1章

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第3話「それ、絶対言っちゃダメなやつ・3  戻れない夜」

社内の仲間たちと、無事にトラブルを回避した瑛士。

今日は恋人の誕生日を祝う、ちょっと特別な夜を迎えます。


最高に幸せな一日に、突然の通知が……。

その日、世田谷にある瑛士のマンションには、バターと肉の焼けるいい匂いが満ちていた。


テーブルの上には、スーパーで買ってきた小さめのホールケーキと、

沙耶が好きな、ちょっと高めのスパークリングワイン。

そしてサラダにスープと、彼女が腕によりをかけたご馳走が並んでいる。


照明はいつもより少しだけ落として、ダウンライトにしてある。

そのせいか、いつもの1LDKのリビングも、少し特別な空間に見えた。


「……よし、できた」


沙耶はフライパンのハンバーグをお皿に移し、その上にジュっとソースをかけた。


「おお……美味そう」


「でしょ! 今日は気合い入れて作ったんだ」


そう言って、沙耶はちょっと照れたように笑った。

エプロンの下は、濃紺のワンピース。

普段はカジュアルな服装が多い彼女だが、今日は少し主役の装いをしている。


「沙耶のハンバーグ、楽しみにしてたんだよ」


瑛士はそう言って、沙耶を後ろから抱きしめた。


頬に触れる、絹のように触り心地の良いまっすぐな髪。

初めて会ったとき、サラサラと揺れるその髪に目を奪われたことを思い出す。


挿絵(By みてみん)


振り向いた沙耶は嬉しそうに笑い、二人は軽くキスを交わした。


(これは……完全に、「そういう」タイミングの夜だよな)


瑛士は、自分の心臓がいつもより少しだけ高鳴るのを意識していた。


沙耶も、自分も、二十代後半を迎えた。

「付き合ってそろそろ何年」とか、

「次の誕生日でいくつになる」とか、

そういう数字が、なんとなくお互いの頭の片隅に残る年齢だ。


今夜は沙耶の二十六回目の誕生日。

そして——


(指輪、買っちゃったんだよな……)


寝室のクローゼットの引き出しには、小さな箱が一つ。

渋谷のデパートで買って、紙袋ごと突っ込んである。


渡す言葉は、まだうまく形になっていない。

でも、少なくとも「今日はこのままで終わるつもりはない」という決意だけは、胸のどこかに固まっていた。


「はい、瑛士くんの分」


皿をテーブルに並べ終えて、沙耶が向かいの椅子に腰を下ろす。

スパークリングワインの栓を抜くと、ポン、と小気味よい音が部屋に響いた。


「じゃ、改めて」


二つ並べたグラスに黄金色の液体が満ちていく。


「沙耶、誕生日おめでとう」

「ありがとう」


グラスを軽く合わせて、一口——。

炭酸と爽やかな甘さが喉を滑り降りていく。


「どう? ハンバーグ」


「美味いな。……これ店に出せるレベルだよ」


「それ、いつも言うよね?」


「本当にそう思ってるよ、沙耶のハンバーグは美味い」


「嬉しい……。あのね」


「ん?」


「来年もさ、その次の誕生日も……

 こうやって一緒にご飯食べられたらいいなって、ちょっと思ってた」


沙耶は幸せそうに笑みを浮かべた。

そんな他愛のない言葉を交わしながら、穏やかな時間が流れる。


ナイフがお皿に当たる音、時々、窓の外を走る車の音。

テレビはつけていない。

その代わりにBGMとして流しているのは、昔二人でよく遊んだゲームのサントラだ。


「ねぇ」


「うん?」


「瑛士くんてさ——」


フォークを持ったまま、沙耶は少しだけ言葉に詰まった。


「この先もずっと……ゲーム作ってるの?」


「……たぶん、そうだと思う」


即答に近い返事だった。


「だよね」


「うん。好きだし……他に、したいことも思いつかない」


沙耶は、少しだけ視線を落としたあと、またいつものように笑った。


「じゃあ、身体だけはちゃんと大事にしなきゃね」


「それも、いつも言われてる気がする」


「事実だからしょうがないじゃん」


そんな、この先の「未来」を意識した会話の端々。

そこには、言いたくても簡単には言えない思いが込められているのを感じる。


(ああ、今日こそは……俺の方からちゃんと言ったほうがいいんだろうな)


『結婚……しようか……』


瑛士の胸の奥で、決意の言葉が形になりかけた、その時——。

テーブルの上で、瑛士のスマホが震えた。


仕事用チャットの通知だと言うことは、音だけで分かった。

最初は気づかないふりを決め込もうと思っていたが、こう何度も鳴るのは、無視できない何かが起こった、ということだ。


嫌な汗が背中をつたう。


「……ごめん。ちょっと見させて」


画面を覗き込むと、サーバー班のグループチャットに、緊急マーク付きの通知がゾッとする勢いで連投されていた。


《至急:有償アイテム効果の反映不具合》

《消費されるのに付与されない報告が多数》

《付与ログが薄い。表示だけの可能性もあるので切り分け中》

《SNSで「金返せ」増加。スクショ拡散》

《チーフ判断が必要です。通話よろしいですか》


(……最悪だ)


そこには想定できる中でも、一番目にしたくないワードが並んでいた。

ユーザーのお金が絡む不具合は、「バグりました、直しました」では済まない。

信用ごと吹き飛ぶレベルのトラブルだ。


「会社?」


沙耶の声が、いつもより少しだけ低く聞こえた。


「……うん。ちょっとだけ、電話してきていい?」


「いいよ。ダメって言ったって、するでしょ」


いつかと同じ台詞。

だけど今回は、笑いの感情が混じっていなかった。


瑛士は立ち上がり、キッチン横の狭い廊下に出てから、通話ボタンを押した。


「——榊原です」


『すみません、夜分に。今お時間よろしいですか』


電話の声は予想通り、少し震えていた。


「状況、お願いします」


『今日から販売を始めた有償強化アイテムに対して、《使用すると消えるのに、ステータスが上がらない》という報告が立て続けに来てまして』


「……それ、最悪ですね」


『はい、SNS上でもスクショ付きで拡散されてます。一刻も早く、火消ししないと……』


胃のあたりをぎゅっと掴まれたような感覚がした。

リアルにお金が絡んでいる分、課金周りのトラブルが一番タチが悪い。


「原因は?」


『まだ特定できてません。

 サーバー側か、クライアント側か、ロールバックで済むかどうかも……』


また、自分が出なければいけない案件か。

瑛士は目の前が暗くなるのを感じた。


『すみません、本当はお呼びしたくなかったんですが、

 イベントを止めるか、アイテム販売を止めるか、

 あるいは一旦全部止めるかの判断が、どうしても現場だけでは……』


瑛士はしばし俯いて、考えつく限りの対応策と、その結果を思い描いた。

今直面しているトラブルにも、沙耶に対しても。


「……わかりました」


今ここで「行けません」と言えたら、どんなに楽になることか。


——でもそれはきっと、

瑛士という人間ではない、別の誰かの生き方だ。


「すぐ行きます。それまで、ログと再現手順の洗い出しをお願いします」


『了解しました』


通話を切る。

狭い廊下に、自分のため息だけが広がった。


しばらく天井を見上げてから、リビングに戻る。

沙耶は、フォークを皿の上に置いたまま、こちらを見ていた。


「行くんだよね」


問いではなく、確認の声だった。


「……ああ」


「理由、聞いてもいい?」


「有償アイテムが、バグってるらしい。

 ここは会社の信用に関わるところだから、放ってはおけないんだ……」


どんな言葉も、言い訳にしかならないのはわかっている。


沙耶はしばらく黙っていた。

次に彼女が口を開いた時、その声は驚くほど静かだった。


「ねぇ、瑛士くん」


「何?」


「......仕事と私、どっちが大事なの」


怒鳴り声でも、泣き声でもない。

ただ、限界を越えた人間が、最後に確認をするかのような声色だった。

胃の底に、冷たく重い何かが押し当てられるような感覚。


(そう来るよな……)


こんな台詞は、ドラマの中だけのものだと思っていた。

でも、実際に大切な人から向けられると、こんなにも重くて、痛いものなのか。


(まさか、自分が言わせる側になるとは——)


「どっちも大事、っていうのはナシね」


用意したセリフを、先回りされてしまった。


「それ言われたら、たぶん今日の私は、納得できないから」


(どっちも大事に決まってるだろ……)


そう言いたいが、かろうじて踏みとどまる。


ゲームは誰かの時間をもらって、その対価に『楽しさ』を返すものだ。

そのための責任を、自分で選んで背負ってきた。


でも。


目の前にいる彼女からも同じように、

いや、もしかしたらそれ以上に、大事な時間をもらってきたはずだ。


その両方を天秤に乗せて「どっちが大事か」なんて比べられるわけがない。

……はずなのに。


言葉を選ぶ時間が欲しかった。

けれど、サーバーのログは待ってくれない。


「ごめん」


気づくと、口が勝手に動いていた。


「……今は、仕事」


ようやく絞り出したその言葉は、自分でも驚くほど弱々しかった。

沙耶は、ほんの一瞬だけ目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。


「そっか」


それだけ言って、立ち上がる。

皿の上には、食べかけのハンバーグがまだ半分残っていた。


「今日は……ありがとね」


「沙耶——」


「ううん、いいの。わかってたから」


笑っている。

だけどその笑いは、さっきまでと違っていた。


「こうなる日が、いつか来るって」


フォークとナイフを揃えて置き、エプロンの紐を解きながら、彼女は言った。


「瑛士くんが仕事好きなの、知ってるし。そういうところ、好きになったんだし」


「…………」


「でもね、こっちのHPもそろそろゼロなんだよ。

 心の中の、大事なところが削られすぎて……もう限界」


軽い比喩のように言われたその一言が、一番刺さった。


こんな時にまでゲームを例に持ち出すな、と言いたかった。

いや、でもそれが一番自分に伝わると思われているということか。


……そんな自分が嫌になった。


「行きなよ、急ぎなんでしょ」


「ごめん……戻ったら、ちゃんと話そう」


「——ゲーム、頑張ってね」


今にも泣きそうな面持ちの沙耶のことは心配だったが——

瑛士は迷いをグッと飲み込んで、オフィスへと急いだ。


 * * *


会社での数時間は、いつものようにあっという間に過ぎ去った。


ログの確認。

アイテムの使用タイミングとステータス更新処理の整合性チェック。

一時的な販売停止の判断。

SNSでくすぶり始めている不満の声に対応するための、運営メンバーと文面のすり合わせ。


「DB (データベース)更新が絡んでる可能性があるから、単純ロールバックは危険ですね」


「はい、影響ユーザー数が多すぎます。今日は『補填を行う』というメッセージを出して、明日の昼までに個別ログの解析を——」


「分かりました、責任は僕が持ちます。運営名義で告知を出して、販売は一旦止めましょう」


そんなやり取りを機械的に繰り返しながらも、頭のどこかでは別のログが延々と流れていた。


——ごめん。

——今は、仕事。

——ゲーム、頑張ってね。


気がつけば、時計は午前一時を回っていた。


「……ひとまず、ここまでですね」


「お疲れさまです。ありがとうございました、榊原さん」


「続きは明日の始業からで。今日は各自、少しでも寝てください」


皆に労いの言葉をかけながらも、一刻も早く沙耶の元に戻ろうと、瑛士は急いでオフィスを出た。


 * * *


マンションに戻ると、廊下の照明だけがついていた。

リビングのドアを開けた瞬間、違和感に気づく。


——冷たい。


温かな食事の名残りはもう消えていて、代わりに冷えた空気と、わずかな洗剤の匂いだけが漂っていた。

食べかけの料理は片づけられ、皿は綺麗に洗われてシンクに積み重なっていた。


(……静かだ、もう寝てるのか)


視線を横にずらして、瑛士はハッとした。


キッチンの横のゴミ箱には、見慣れたものが乱暴に突っ込まれていた。

沙耶が使っていたシャンプーのボトルと、ボディクリーム。

化粧水の、小さくて可愛い瓶。


そこから、ぎこちなく視線を外し、玄関の方を見る。

さっきは気づかなかったが、靴箱の横に並んでいたはずの彼女のパンプスがない。


(帰ったのか!?)


リビングに戻る。

ローテーブルの上に、小さな銀色の小物が見えた。


沙耶に渡していた合鍵だ。


「……ああ」


目の前が暗転するかのような衝撃を感じて、その場にしゃがみ込む。

だが、瑛士はハッとして、仕事用のPCを確認しに走った。


電源は落ちている。

モニターも、キーボードも、マウスも。

出て行った時のままで、荒らされてはいなかった。


(よかった……)


そうだ、いくら感情に任せても、沙耶は物に当たるような人じゃない。


だが安堵した自分に、次の瞬間、吐き気がした。

彼女の行方よりも先に——真っ先に確認したのが、そこなのか。


沙耶の部屋着がかかっていたはずのハンガーも、空っぽだ。

洗面所の棚からも、彼女のポーチが消えている。


ここで瑛士はようやくスマホを取り出し、通話画面を開くと「沙耶」と表示された名前をタップした。

しかし数コールのあと、ぷつりと音が途切れた。


——着信拒否。


それは分かりやすいほどの、きっぱりとした拒絶だった。


唇が震えた。

でも、不思議と涙は出てこなかった。


(……そうだよな)


瑛士は沙耶に電話をする前に、まずPCを確認しに行った。

その順番を選んだ時点で、二人の関係はとっくに限界を迎えていたのかもしれない。


リビングに戻る。


冷蔵庫を開けると、ラップをかけられた皿がひとつ置かれていた。

中には食べかけのまま残されていたハンバーグと、彩りのいい付け合わせの野菜。


椅子に座り、レンジで温めた皿をテーブルに置いた。

湯気の向こうに、さっきまでの光景がぼんやりと重なる。


人生で最高に幸せな一日になる、はずだった。

そうできる選択肢も、自分には選べたのに——。


フォークを刺して、機械的に咀嚼する。


「……うまい」


誰に聞かせるでもなく、ぼそりと呟く。

食器を片付けて、テーブルを拭く。

椅子を戻す。

いつもの夜と同じように、一人で淡々とこなすルーチン。


最後に、リビングの照明を落とす。


寝室に入ると、瑛士はクローゼットの引き出しを開けた。

小さな紙袋が、そこにある。

中の箱には一度も触れないまま、そっと引き出しを閉じる。


眼鏡を外し、スーツとシャツを無造作に脱ぐと、ベッドに倒れ込んで天井を見上げた。

疲れているはずなのに、頭は妙に冴えていた。

でも、身体はもう起きていられないと言っている。


やがて、ゆっくりと瞼が重くなっていく。


誕生日の夜。

渡せなかった指輪と、二度とロールバックできない一言。


「……ごめん」


誰に向けたのか分からない謝罪を、小さく呟いて。

瑛士は、一人で眠りに落ちていった。


// TODO: Continue in next chapter.


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今回は……自分で読んでても、ちょっと胸が痛くなってしまう展開でした。

瑛士くん、ごめんよ……w


沙耶の「仕事と私、どっちを選ぶの」も、

瑛士の「今は仕事」も、

どっちも最高に「言っちゃダメ」ワードの二連発でしたね。


そして一度口から出た言葉は、二度とロールバックできません。


次回、瑛士くんはどこまでメンタル復活できる(できるのか?)でしょうか——

お楽しみに!

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― 新着の感想 ―
絶対に言っちゃいけないけど、言ってみたい言葉でもある。 リアルの俺なら確定で血を見そうだけど…。 前回も言ったけど、このすれ違う雰囲気、石田衣良先生のIWGP外伝ルージュノワールだったかな?を個人的…
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