第1話「それ、絶対言っちゃダメなやつ・1 束の間の幸せ」
※現場の空気を伝えるために専門的な用語も出てきますが、最後に『読んで楽しい用語解説』をご用意いたしましたので、ふわっと雰囲気で読んでいただいて大丈夫です。
ゲームは、夜に作られる。
プレイヤーがログインして、笑ったり泣いたりしているその裏で——
どこかの開発室では、誰かが画面にかじりつきながら、必死に世界のバランスを調整している。
バグレポートが飛び交う夜。
サーバーが悲鳴を上げる夜。
誰かの「楽しい時間」のために、誰かの睡眠時間が削られていく……。
そして、そんな夜の積み重ねの先に、一本のゲームが世に出る。
これは、そんな愛しい『夜』の数々の物語——。
。*❅┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈❅*。
心地のいい風が、ほんのりと潮の匂いを運んでくる。
ここはお台場のデックス東京ビーチ。
東京湾に面した木製のテラスには、買い物袋を提げたカップルや家族連れが行き交っている。
都会的な海の絶景を前に、手すりにもたれて写真を撮っている人も多い。
三階にあるカフェの窓際席からは、レインボーブリッジと東京湾が一望できた。
ガラスに映る店内の明かりと、外の海のきらめきが重なって、少しだけ夢の中にいるような気分にさせてくれる。
榊原瑛士はふと、ここの名称がDECKSであることを思い出した。
彼は渋谷にあるゲーム会社で、新作MMORPG『ロード・トゥ・ティル・ナ・ノーグ』の制作に携わっている。
デックスと聞くと、つい頭の中でDEX (器用さの能力値)が浮かんでしまうのは、職業病だろうか。
器用さ、敏捷性、クリティカル率。
その数値を小数第三位まで詰めて調整した夜のことを思い出して、思わず苦笑いした。
瑛士の役職はチーフディレクター、
ゲーム全体の方向性の決定と、最終判断を預かる立場だ。
数字も仕様も、トラブルも……
最後は全部、ディレクターである彼のところに集まってくる。
だからこそ、
今日みたいに全てを忘れていい時間は、砂漠のオアシスのように貴重だった。
「……ね、こうやってカフェに来て、海見ながら座ってるとさ」
向かいの席で、髪の長い女性がストローでカフェラテをかき混ぜながら言う。
彼女は沙耶。
大学時代に知り合って、気付けば一番長く一緒にいる相手になっていた。
恋人だけど、親友に近いような、不思議と落ち着く距離感だ——と、瑛士は思っている。
「ちゃんとデートしてるって感じするよね」
そう言って、沙耶は機嫌良さそうに笑った。
窓越しの陽射しを受けて輝く、栗色のストレートヘアが美しい。
「それって、俺がいつもちゃんとしてないみたいな言い方だけど」
そう返しつつ、足元に置いた紙袋に目を落とす。
久しぶりの買い物で、服や靴——ついいろいろと買いすぎてしまった。
「だって瑛士くん、普段のデートって、
なんかコンビニでお菓子買って、家でゲームか映画じゃない?」
「まあそうだけどさ」
苦笑しながら、コーヒーを一口。
「なにニヤッとしてるの?」
沙耶がカップを傾けながら首をかしげる。
「いや、デックスって見ると、命中+3%とか……つい考えてしまって」
「……は?」
「ゲームでは器用さとか、命中率って意味があるんだ」
沙耶は吹き出した。
「……ほんと、そういうとこだよね」
「何が」
「仕事のこと、いつも忘れないんだなって……
でも、嫌いじゃないよ、そういうとこ」
「嫌いじゃないとか言って……思いっきり呆れてない?」
「そんなことないよ」
沙耶は瑛士の指に手を伸ばした。
瑛士も優しく微笑んで、彼女の手を握り返す。
恋人の体温を感じる、そんな何気ない時間に、仕事の疲れが癒されていく。
「でもさ、わりとレアだよね。こういうデート」
「まぁ……そうかも」
正直にうなずくしかない。
「休みの日は疲れてるからって、大体どっちかの家でまったりして。
——てか、一日ちゃんとお休み取れたことも、あんまりないじゃん?」
「確かにな、ティルナノに関わってからは」
窓の向こうでは、薄暗くなり始めた海の向こうに、ビルの灯りが煌めき始めていた。
「ねぇ、このあとさ」
握った指に、きゅっと力を込めて沙耶が言った。
「……うち、来ない?」
「いいの?」
「うん。今週も瑛士くん、毎日帰り遅かったじゃない?
だから今晩は、ハンバーグでも作ってあげようかなって」
脳裏に、肉汁の滴る手作りのハンバーグが浮かんだ。
喉の奥が、ごくっとなる。
「うん……食べたい」
「じゃあ決まり!」
沙耶の手料理に舌鼓を打って、その後は……二人きりで甘い時間を過ごすのも悪くない。
二人は顔を見合わせて、少し照れくさそうに笑った。
「この後、もうちょっとだけお店見てから帰ろっか」
「そうだな。なにか、デザートになるものでも買っていく?」
「瑛士くんはデザートより、ゲームの方がいいんじゃない?」
「……いや、いくら俺でもそれは」
軽い冗談を言い合ってカップに口をつけた、そのとき。
瑛士のポケットの中で、スマホが震えた。
嫌な予感がして、反射的に取り出す。
画面に表示されたのは、会社のチャットアプリ。
送り主は、サーバー担当のエンジニアだった。
《榊原さん、今どこにいますか》
《すみません、緊急の件です。少しだけお時間いいですか》
目にしただけで、胃の辺りが冷たくなる。
「……会社から?」
顔を上げると、沙耶が、もうわかっているという目をして瑛士を見ていた。
「ちょっとだけ、電話してきていい?」
「いいよ。どうせダメって言っても、するでしょ」
返事はあっさりしているのに、語尾にかすかな棘が混じっていた。
「ごめん、すぐ戻る」
瑛士はそそくさと店の外に出る。
通路の端で息を整え、発信ボタンを押した。相手はすぐに出る。
「——もしもし、榊原です」
『すみません、休日に。今、少し大丈夫ですか』
受話器の向こうの声から、緊張感が伝わる。
「ええ。何が起きました?」
内容は、予想した通りだった。
明日から開始されるイベント用サーバーの負荷ログが、ピーク時の想定をすでに超えていた。
このままでは本番が始まった瞬間、開始直後のアクセス集中だけでシステムが悲鳴を上げるかもしれない。
『今のまま同じ構成で本番を迎えるか、
イベントの規模を絞るか、あるいは一度見送るか……
設計レベルでの、ご判断をいただきたくて』
これは確かに、現場だけでは判断できない次元の問題だ。
「原因はもう特定できてますか」
『いえ……まだです。
すみません、本当はお呼びしたくなかったんですが——』
「いいえ。呼んで正解です」
短くそう言ってから、少しだけ空を見上げた。
レインボーブリッジの向こうでは、夕焼けの紅がゆっくりと夜に溶けていく。
もし明日、同じことが起きたら——
落ちるのはサーバーだけじゃない。
イベントそのものと、会社への信頼だ。
——そして、それはディレクターである自分の責任になる。
分かっている。分かってはいるけれど。
一瞬、沙耶の哀しげな顔が脳裏に浮かんだが、瑛士は振り絞るようにして言った。
「……分かりました。三十分で、会社に行きます」
深くため息を吐いて、瑛士は再びカフェに戻った。
席では、沙耶が窓から海を見ていた。
さっきより、ほんの少しだけ暗い表情で。
「行くの?」
「……うん」
情けないほど、短い返事しかできない。
「今日は絶対、会社からの呼び出しはないって言ってたよね」
「そうなんだけど、緊……」
「『緊急の件』なんでしょ?」
用意していた言い訳を、先に言われてしまった。
カフェの店内は、変わらず賑やかだ。
隣の席のカップルは楽しそうに話に熱中しているし、
窓の外では、観光客らしき家族が仲良く記念撮影の準備をしている。
幸せそうな風景の中……
瑛士たちのいるテーブルだけ、色を失っているかのようだ。
「……ごめん」
それでも、出てくる言葉はそれしかない。
沙耶は少しだけ顔をしかめたあと、ふっと息を吐いた。
「ううん。いつものことだもんね」
「……すまない」
彼女はカフェラテのストローを弄びながら、窓の外を見た。
「わかってるんだけどさ。
——何度もやられると、やっぱりちょっと、キツいかな……ドタキャン」
その「ちょっと」に、どれだけの重みが詰まっているかを考えたくなくて、瑛士は視線をそらした。
「……ごめん」
ティルナノの開発が始まって以来、自分はいつも謝ってばっかりだ。
瑛士はそんなことを考えた。
「いいよ、もう行きなよ」
彼女はそう言って、椅子の背にかけていたジャケットを羽織った。
「ハンバーグは、また今度。ね?」
「……うん」
二人は店を出て、別々の方向に歩きだす。
振り向いて見ると、小さくなっていく沙耶の背中には寂しさが隠しきれていなかった。
それでも、瑛士には会社に向かう以外の選択肢はなかった。
* * *
渋谷のオフィスビルに着く頃には、窓の外はすっかり暗くなってた。
本当なら、今頃は沙耶と二人で、お台場の夜景を眺めていたかもしれなかったのに。
エレベーターの鏡に映った自分をちらっと見る。
普段よりめかし込んだコートに、革靴。
ブランドのロゴが入った紙袋。
(……何をしてたかバレバレだな)
自嘲気味に目をそらしながら、フロアの扉を開ける。
中では、休日であるにも関わらず、数人のメンバーが既に集まっていた。
「お疲れさまです……って、サカキさん、それどうしたんスか」
真っ先に反応したのは、新堂だった。
エナジードリンクの缶を片手に、こちらを見て目を丸くする。
「どうしたって、何が?」
「いやだって、なんか……ピシッとした格好してるじゃないっスか」
「たまにはこういう格好もしますよ」
新堂はニヤニヤしながら、瑛士の全身に目をやる。
「ジャケットに革靴ね……あー、はいはい」
「……なんです、そのはいはいは」
「デート、でした?」
あまりにも自然に核心を突いてくる。
「……まぁ、そんなところです」
「すんません、マジで。完全に『また今度』案件っスね、これ」
『また今度』——
それはまさしく、さっき沙耶に言われた言葉だ。
電話越しに会話でも聞かれていたのかと、瑛士はドキッとした。
「いいんです、いつものことなので」
そして、無理やり仕事用のテンションに切り替える。
「——ログの状況、どうなってます?」
「あーはい、こっちっス。サーバー班が盛大に胃を痛めてるんで、見てあげてください」
新堂が立ち上がって、瑛士をモニターの前に案内する。
歩きながら、背中越しに、ぼそっと付け足した。
「……彼女さん、怒ってないといいっスね」
「どうかな……」
瑛士は自嘲気味にため息をつきながら、軽く首を捻った。
// TODO: Continue in next chapter.
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【開発現場ミニ用語集】
◆ デックス東京ビーチ
東京湾岸にあるリア充(※死語かもしれない)御用達スポット。
カップルと家族連れと観光客で賑わう、キラキラした海沿いのショッピングモール。
本来は「おしゃれな夜景とショッピングを楽しむ場所」だが、ゲーム関係者にとっては「Dexterity(デクスタリティ・器用さ)」が頭を離れず、結局仕事を忘れられない場所でもある。
◆ 渋谷にあるゲーム会社
瑛士たちの務める中堅ゲーム会社、『IsotopeGene』のこと。
略称はアイソジーンだが、
某掲示板では「イソジン」だの「愛人」だの言われがち。
住所的には渋谷だが、一般的に思い描かれる『渋谷のオフィス』のイメージとは、多分違う。
◆ MMORPG (エムエムオーアールピージー)
「大人数同時参加型オンラインRPG」のこと。
一人で遊ぶRPGと違って、大量のプレイヤーが同じ世界にログインし、動き回り、チャットし、好き勝手にサーバー負荷を上げていく。
プレイヤーにとっては「みんなで冒険できるワクワクする世界」だが、開発者にとっては「24時間365日、目を離すと何かが燃えている世界」でもある。
◆ ログ
ゲームやサーバーがこっそり残している「行動記録」のこと。
誰がいつログインしたか、どの処理にどれくらい時間がかかったか、エラーがどこで出たか……そういう情報が全部ここに残る。
プレイヤーからは見えないが、開発者にとっては「昨夜、何が起きていたか」を教えてくれる日記帳のようなもの。
ただし読み返して楽しい日記ではなく、気が重くなる方の日記である。
◆ サーバーの負荷
「ゲーム世界を動かしているコンピュータが、どれくらいしんどい思いをしているか」を示す、ざっくりした指標。
プレイヤーが一斉にログインして暴れまわるほど、サーバーのCPUやメモリは悲鳴を上げていく。
本来は深夜になると落ち着くはずだが、人がいなくなってもここが妙に高いままだと、開発者の心拍数も高くなる。
◆ イベント用サーバー
ゲーム内で開催される「特別な催し (イベント)」専用に用意された世界。
期間限定のボス戦や、お祭りコンテンツなどをここで動かす。
プレイヤーにとっては「わくわくお祭り会場」だが、運営と開発にとっては「睡眠時間と引き換えの祭り」になりがち。
◆ 本番
ここでは「実際のプレイヤーが参加する本当のイベント」のこと。
テスト環境でのトラブルはまだ笑い話で済むこともあるが、本番で同じことが起きると、笑えない。
「本番落ちました」は、開発・運営にとって最恐のホラー用語の一つ。
◆ チーフディレクター
ゲーム開発における全体責任者。
ゲームの方向性・仕様の最終決定を行い、トラブルが発生したときに「どうするか」を決める人。
良くも悪くも、最後に矢面に立つ役。
多くの場合、「恋人とのイチャイチャタイム」より「ゲームの安定稼働」を優先しなければいけない宿命を背負っている。
◆ サーバーが落ちる/イベントが落ちる
サーバーが落ちる:ゲームの中の世界全体が落ちて、ログインできなくなること。
イベントが落ちる:イベント用の仕組みや専用ワールドだけが壊れて、肝心のお祭り部分が機能しなくなる状態。
第1話で瑛士が呼び出されたのは、後者の危機。
◆ 「また今度」案件
本来は「今度ゆっくりね」という社交辞令寄りのフレーズだが、
「たぶんその『今度』は来ない」という予感も込みで使われがちな危険なワード。
この話の時点で、すでに瑛士と沙耶の間には何回か発生している模様。
第1話では、新堂が瑛士の服装を見て
「今日はデートだったのに、緊急呼び出しで全部リセットされたんだな」
と即座に察している。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
いもモー本編を書いているうちに、ついいろいろと現役時代のことがフラッシュバックしてしまい(笑)、このシリーズが生まれました。
そう、このお話はフィクションですが、かなりの部分が作者の実体験を元にしたものでもあります。
お台場でのデート、デートを引き裂く電話、恋人よりも仕事を取った夜……。(遠い目)
今となっては笑い話ですので、それらを面白いストーリーに変えて、お届けできたらと思います!
ちなみに、瑛士のような男とうまく付き合うコツは……
「笑顔で見送り、帰ってくるまでは自分の時間を楽しむ」
これに尽きると思います。
こういう男は何があっても、結局仕事するんだから(笑)。
次回、瑛士を待ち受けるトラブルとは……お楽しみに!




