プロローグ
「この世界はいずれ、崩壊する」仮面の男はそう言った。
今思い返しても、鮮明に思い出すことができる。
業火に燃えるアパート。
その炎に照りつけられる打刀【龍尾】、妻の刀を持つ仮面の男。
それをただ見ている自分。
「僕はそれを阻止する勇者、貴方はそれを阻むステージ1のボス、いや中ボスといったところかな?
カガチさん──
いずれこの行いも正義だったと歴史に刻まれることだろう。
僕の名前はそのときに知ればいい」
理解する必要などない。奴の問答などいらない。
俺はただ、妻の刀を取り返せれば、それでいい。
だから、俺はここに戻ってきた。
銃弾の炸裂音と閃光が乱反射する。
「そっちに行ったぞ籠目」
「イや、たすケテ」人に似た鳴き声をあげるソイツの、一音一音がどうにも不快でならなかった。
「ハイ!姐さん」籠目は椿が打ち漏らした数体を処理するために、鉄塊のような槌を引っ提げてソイツらを追いかける。
「あ、」連携もクソもあったものではない。それぞれが好きなように動く。それがこの「椿班」での方針らしい。
そのせいもあって、暗がりで身を潜めていた一体がひょっこりと顔を出したせいで、後ろで控えていた荷物持ちの皐がひっくり返ったように慌てふためいた。
──ソレは顔面の頭骨を露出させたような乳白色の異形な顔面を持つ。
「こんナ私を愛シてよ」
「ちょ、ちょっと、こっちにも来ちゃってるんですけど!!」
脈絡のない鳴き声を発するソレに、無駄にデカい巨体を揺らす。食料などが詰まった背嚢と一緒に少年皐さつきは顎の贅肉をガタガタと揺らす。
「ご勘弁ご勘弁」そう言いながら、手に持ったお玉を振り回す。せめてもの抵抗なのだろう。
──ソレは触れずに物を動かしたり、火炎を吐くなどの異能を持つ。
しかし、そんな抵抗もソレにとっては、食事を誘惑的に見せているだけだろう。だらだらと鋭い牙の隙間から涎を溢しながら、念力で鬱陶しいお玉を取り上げる。
「あああ!!!」
小枝のような細い前足を一歩、一歩と近づける。
「い、いや、いやいやいや!!」
「ん?あれ??」
「無事か皐くん」
「カガチさん!!!」眼前に皐が目にしたのは、氷塊に閉じ込められたソレの姿だった。
──ソレは人の声を真似た鳴き声を放つ殺戮の怪物である。
「好キよアナた、たたた......」
「黙れ」いまだに口を閉じない怪物に刀を振り降ろし、止めを刺す。いや、停止させる。これ以上動かないように。
氷漬けにされていた首が滑り落ちる。
「下がっていてくれ」
「よろしく頼んます」怯えた皐はそそくさと、通路の蔭へと逃げていく。じゃらじゃらと吊り下げた調理器具を打ち鳴らしながら。
「少しは気にしてやったらどうなんだ。姉弟なんだろう椿さん」黒いセーラー服に身を包んだ赤い眼鏡がトレードマークの少女──
椿は自身の愛銃へと弾丸を込める。
「は!知るかよ、あんなへなちょこ肉団子。付いてこれなくなったら、捨て置くまでさ。それより他人の心配してる場合かよ【元最強】」そう煽る椿の視線の先には、群れがいた。その中には、二回りほど大きな個体が我が物顔でにらみを利かせていた。
──能面。突如として出現し、我々の家を奪った怪物に人々はそう名付けた。
「成りかけか?もうしばらくしていれば【般若】になっていたかもな、あの【豺狼】」群れの頭目と思われる【豺狼】と目が合う。凄まじい憎悪と殺気が伝わってくる。
「アイツはウチがやる!」
まるで体毛の逆立ったネコ科のように、殺気に殺気を送り返す。
「じゃ、取り巻きは私がやりますね姐さん」意気込む椿に呼応して、隣に立つ籠目もまた気合を入れなおしていた、のだが──
「いや、アレは俺がやる。悪いが譲ってくれ。コイツを馴染ませるのに、丁度よさそうなんだ」カガチは自分の付けている黒い光沢を帯びた【面具・牛若】を指さした。
「ウチに露払いをさせようってのか?」
面具と眼鏡をつけていても分かる。鋭い椿の眼光が刺さる。だが、それでもこちらも引く気はない。
「ッチ、まぁいいや。【元最強】殿のお力を垣間見るチャンスだしな。
これで腑抜けた野郎だったり、半端な野郎だったら、ウチ自ら追い返してやる」
「せいぜい姐さんに気に入られるように頑張れよ、おっさん」
励ましか、脅迫か。
否、どちらも必要はない。
必要なのは憎悪だけ。憎悪の焔に薪をくべろ。
「さっさと終わらせよう。時間がもったいない」
──世界は唐突に、変化するものだ。我々は常に備えなければならない。
***
時は遡り──自宅。
「頭痛が痛ぇ」頭痛が痛い。バカのような言葉をついてしまったと、内心恥じるがそんな羞恥心を覚える資格すらないことを、そのあとに思い出す。
「まだ酔ってるのか」窓の外を見ると、高い高い天井、閉ざされて久しい天の蓋。そこに整列した【天井灯】が茜色に光り、昼過ぎを知らせていた。
ズキズキと内側の、脳みそから響く。
二日酔いだ。
迎え酒が必要だと、ちゃぶ台の上に置かれた酒瓶の中から、当たりの酒瓶をまさぐったが、どれも空虚な音がするだけ。
仕方なくのっそりと体を持ち上げ、眠たい目を細めた先にあったのは、空の酒瓶の乗った小さなちゃぶ台と誰もいない座布団が一枚。
「あぁ-揺れてる気がする」と頭を抱えていると、室内の証明が揺れだした。
本当に揺れている。
「あ、地震」と、ほどなくして止まった。
垂れ下がった照明の紐の振り子が次第に弱まって、止まった。
それにしても眠たい。
あくびを一つ。
「酒が、なくなったか」凝り固まった肩や腰を伸ばそうと、一本だけになってしまった腕を伸ばす。
まだ眠たい顔を引き延ばすと、ぼうぼうと無造作に伸びた髭に気が付いたが剃る気にもなれない。
《髭ぐらい剃りなさいよ、顔は意外と悪くないんだから》
どこからかそんなため息混じりにも、いたずらっぽくはにかむ顔が見えた。
「つっても、面倒なもんは面倒......」
部屋の中には自分、ただ一人。
「......買いにいくか」恥も外聞もない。髭なんてのは伸びたままでも問題はない。死ぬわけでもないのだから。
起き上がり、部屋の隅にある箪笥へと足を伸ばす。
何の変哲もないタンスだが、一番下の段を引いて、いくつかの替えの服、下着なんかを退かす。と、引き出しのそこを軽くたたいて、板を取り出す。
タンスの二重底に隠してあるのは、花と蝶の柄のギフト缶と一本の打刀うちがたな。
そのうちのギフト缶のほうを手に取ると、取り付けられたダイヤル錠の下一桁一つをずらして開ける。
中身の、増えることのない紙幣と硬貨をいくらか取ると、また締め、ダイヤルの下一桁を一つずらす。
片腕での生活にも慣れたものだ。
「......」
赤銅色の鞘と柄を握り、引き抜くとそこにあったのは、鈍色に照る美しい刀身。大丁子乱れに逆心のある乱れが混じり、表情豊かな刃文を見せている。
美術品、工芸品としての価値は相当にあると窺える。
刃に反射する。
《いつ見ても綺麗ね》
「あぁ、そうだな......」
片手になった右手が微かに震えた。
打刀を仕舞い、ギフト缶を仕舞い、板を戻して、服を戻す。そしてなにもなかったようにタンスを戻す。あふれ出たものを整理するように。
鼻で吸い、口で吐く。
「はぁ......」
玄関横に煩雑に置かれたちいさな鍵を取り、扉を開けると赤い花のキーホルダーが鈴とともに揺れ、鳴った。
「いってきます」狭い部屋の中をぐるりと見渡すが、返事はやはり、ない。
空虚な無音が返ってくるばかりであった。
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