表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラビッツ  作者: 無傷な鏡
94/367

〇九三 ちっぽけな正義感


 テムス農園での朝の仕事を終え、タヌとラウルはヒシリウ川(サイノ川)の土手に座って景色を眺めていた。


 薄曇りの空の所々に、青空が覗いていた。


 対岸のサムイコク側の岸には、何羽もの水鳥たちの姿が小さく見えている。


 穏やかな時間。


 この日はテムス夫妻が市場で野菜や果物を売ることになったので、二人は、つまり、暇だった。


 それは、いつも一生懸命働いてくれる二人を休ませたいという、テムスの優しさでもあった。


「こうして何も考えないで過ごすのも、悪くない」


 タヌがそう言うと、


「嘘つけ」


 ラウルは呆れ顔でツッコミを入れる。


「うん?」


 タヌが首を傾げると、


「朝からずっと、何か考え事をしてるように見えるんだけど」


 ラウルはその心を見透かすようにタヌを見、片頬に笑みを浮かべた。


 図星だった。


「ラウルには敵わないや」


 タヌは苦笑いを浮かべる。


「俺にはお見通しだ」


 ラウルがそう言うと、タヌはため息をつき、


「やっぱり辛いんだ。蛮兵たちが罪のない人たちを襲ってるっていうのに、何もしないっていうのは」


 と、今の気持ちを言葉にし、その顔に苦渋の色を浮かべた。


 タヌの気持ちはよくわかる。


 ラウルも同じ気持ちだ。


「タヌの気持ちはわかる。でも、服従の儀式までは大人しくしてるってのが、ミカル様からの依頼だし、俺たちはそれを受け入れたわけだからね」


 そう応えてラウルもため息をつく。


「うん、わかってる。感情に流されちゃだめだね」


 タヌは素直にそう返事を返した。


—感情に(とら)われないこと。


 これは、父ナイから教わった術の基本だ。


 まだまだ修行が足りないな・・・


 タヌはふーっと長い息を吐く。


 あの夜、ドゴレからの情報とミカルからの伝言を伝えると、バケじぃは目を閉じ、しばらく思案した後に目をかっと見開くと、


「ときは来たり!」


 と声を張り上げ、ビシッとそれを告げたのだった。


 それからバケじぃは目の前にいる、タヌ、ラウル、そして十人のリーダーたちに向かってニヤリと笑ってみせた。


「バケじぃ、かっこつけてんじゃねぇよ。意味わかんねぇ」


 ギルが冷めた眼差しでケチをつけると、


「うるさい!お前はいちいち茶々を入れるんじゃない!」


 バケじぃはそう言い返し、


「タヌ、ラウル、お前たちならわかるじゃろう」


 と二人に目を向けた。


「うん」


 タヌは頷き、


「いよいよ、ラドリアを目指すんだね」


 ラウルはそう答え、その目を輝かせた。


「えっ」


 ギルを始めとしたリーダーたちはそのやり取りを聞いて目を丸くした。


「どういうことだ」


 ギルが尋ねると、


「服従の儀式までの間、ラビッツの行動を控えるという、ミカルからの依頼は喜んで受け入れる。じゃが、こちらがミカルの依頼を受け入れる条件として、ミカルにはこちらからの要求を呑んでもらう」


 バケじぃは真面目な顔をして告げたのだった。


「要求?」


 ギルが怪訝な眼差しを向けると、


「そうじゃ。服従の儀式こそ、我々霊兎族が決起するにふさわしい舞台なのじゃ」


 バケじぃは重々しい口調でそう言い、


「俺たちラビッツはそこで反旗の狼煙を上げ、護衛隊にも一緒に立上がってもらうってことだよね」


 と、タヌが補足した。


 護衛隊と一緒に立ち上がる。


 まさに一大事だった。


「おっ・・・」


 ギルは言葉を失う。


「そうじゃ。ミカルが二人と約束したことを、果たしてもらうんじゃ」


 バケじぃはそう言ってタヌとラウルに目を向ける。


 タヌは黙って頷き、


「ミカル様もそのつもりだと思う」


 ラウルはそう言ってミカルに期待した。


「すべての都市の護衛隊が立ち上がるか、それはわからぬが、それでも、ここしかわしらが立ち上がる舞台はない」


 バケじぃはそう訴え、


「俺もそう思う」


「俺もだ」


 タヌとラウルの二人はそれに同意した。


 ドゴレ率いるイスタル護衛隊と接触したギル、ヒーナ、グラン、パパンの四人には思い出す光景があった。


—我々の命をこの二人に捧げようではないか!


 タヌとラウルを前にしてドゴレはそう叫び、


—おおー!」


 隊士たちは一斉に胸の前で拳を握り締め、雄叫びを上げたのだ。


 そのとき感じた誇らしい気持ち。


「大丈夫だ。護衛隊はみんな立ち上がるさ」


 ギルは自信満々にそう言う。


 バケじぃは広間に集まるリーダーたちを見渡し、


「服従の儀式がこの世界を終わらせる引き金となるのじゃ。そして我々ラビッツは、この時を待っていたのじゃ。よって、蛮兵襲撃は終了じゃ。そして服従の儀式の日に備え、ラビッツの活動は訓練のみとする」


 と、断固とした口調でその方針を告げた。


「蛮兵たちが兎人を食ってても、何もしないってことか?」


 ギルがぶっきらぼうに尋ねると、


「そういうことじゃ」


 バケじぃは眉間に皺を寄せた真剣な眼差しでギルを見、ゆっくりと頷いた。


 それも大きな仕事をするためなのだ。


「仕方ねぇな」


 ギルは素直にその方針を受け入れ、ギル以外のリーダーたちにも異論はなかった。


 しかし、ただ一人、ヒーナだけは納得しなかった。


「じっとしている間、罪のない人たちが何人殺されるんだろうね」


 ヒーナがその不満を口にすると、


「目先の罪悪感で、大局を見失ってはならない」


 バケじぃは厳しくヒーナを咎めた。


 そんな言葉でヒーナは納得しない。


「でもさ、目の前で襲われている人がいても助けちゃいけないんだろ。見殺しにしろってんだろ。そんなひどいこと、どうしてできるんだよ!」


 ヒーナは言い返しながら感情を高ぶらせ、その怒りの感情をバケじぃにぶつけていた。


 バケじぃは顔を歪めてヒーナを怒鳴りつける。


「でももへったくれもない!ラドリアから親衛隊が派遣されて来るのじゃ。ただでさえ優秀なラドリアの兵士の中でも、精鋭を集めた親衛隊じゃ。しかもその親衛隊を率いているのが、悪名高きあのアクなのじゃ。迂闊(うかつ)なことはできないぞ。万に一つでも、我々が親衛隊に見つかることがあってはならんのじゃ。もし、親衛隊に見つかることがあれば、ラビッツはそこで終わりじゃ。今までのお前たちの努力も水の泡じゃ。ヒーナ、よく考えよ。わしらは何の為に今まで血の滲むような努力をしてきたのか・・・蛮兵を襲撃するのは、その先にある決起に向けての準備に過ぎなかったはずじゃ。目先の罪悪感に囚われて、ラビッツが壊滅させられることがあるのなら、それこそ本末転倒なのじゃ。そして今、我々が決起する千載一遇のチャンスがやってきたのじゃ。それが服従の儀式じゃ。このチャンスを逃してはならんのじゃ。お前がラビッツの一員でなければ、お前の命だ、好きにすればいい。しかし、お前はラビッツの一員だと言うことを忘れてはならない」


 そのバケじぃの叱責の言葉を、広間にいるリーダーたちは深く肝に銘じた。


 しかし、それでもヒーナは納得しなかった。


「目の前の一人の命も救えないで、世界を変えられるわけないだろ!」


 ヒーナは涙目でそう言い返し、バケじぃを睨んだ。


 バケじぃは困惑した表情でふーんっと鼻から息を大きく吐き、温かな眼差しでヒーナを見る。


「ヒーナ、お前の気持ちは痛いほどわかる。しかし、私情に駆られて千載一遇のチャンスを逃してはならんのじゃ。お前のそのちっぽけな正義感は捨ててしまえ」


 バケじぃが穏やかに諭すと、ヒーナは落ち着きを取り戻し、黙って俯くのだった。


 そして、どうにもならないことを悟ったヒーナは、


「わかったよ」


 そう不機嫌に応え、納得できないまま、バケじぃの方針を受け入れたのだった。


 タヌにはヒーナの気持ちが痛いほどわかった。おそらく、ラウルにしても、ギルにしても、その場にいる誰もがヒーナと同じ気持ちだったろう。


 見て見ぬ振りなんかしたくない。


 そのヒーナの純粋さが、彼女の魅力でもあった。


 それが、ヒーナの優しさだった。


 しかし、バケじぃが言った通り、感情に流されて大局を見失ってはならないのだ。


 タヌはヒーナに声をかけた。


「ヒーナ、その気持ちは大切にしていいと思う。でも、俺たちが目指しているのは、その先の世界だから・・・」


 タヌのその優しい眼差しと温かみのある声に、ヒーナは堪えきれなくなる。


「タヌ・・・」


 ヒーナはタヌの胸にしがみつき、肩を震わせ泣いた。


 タヌはそんなヒーナの背中をぽんぽんと一定のリズムで優しく叩き、泣きやむのを待つのだった。


 あれから一週間、ラビッツはイスタルから姿を消した。


 そして、タヌとラウルは毎日テムス農園で汗を流し、二日に一度は市場で野菜や果物を売っているのだった。


「ヒーナ、大丈夫かな」


 タヌは川面を流れる枯葉を目で追いながら、そう呟いた。


「気になるのか」


 ラウルが訊くと、


「うん。繊細(せんさい)な娘だから」


 タヌは心配そうな表情に優しい笑みを浮かべて頷いた。


 そんなタヌの優しさは、タヌにとって唯一の弱点なのかも知れない。


 ラウルはそう思った。


「まぁ、ギルもついてるし、大丈夫だろ」


 ラウルがあっさり言うと、


「そうだね」


 タヌは笑顔で相槌を打つのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ