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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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〇八六 二人を守るために


 ジウリウ川の土手から急いで戻ったシールとマーヤの二人は、すぐにダレロのいる執務棟に向かった。


 執務棟の開けっぱなしの玄関から中に入ると、薄暗い棟内のひんやりとした空気に気持ちが引き()まり、緊張感も高まってくる。


 執務棟には神官と教官の執務室があって、二人は入り口の広間の奥にある二つの通路の右側、教官の執務室が並ぶ通路へ入っていった。


 コンッ、コンッ・・・


 シールはダレロの部屋をノックする。


「誰だ」


 中から声がして、


「シールです」


 そう応えると、マーヤは「ふぅ」と短い息を吐いてから、


「マーヤも一緒です!」


 とハキハキと告げた。


「入れ」


 と声がして、シールはドアノブを押して中に入る。


 ダレロの執務室は簡素だった。


 部屋の奥にダレロが座る執務用の机があり、その横に書類棚が置かれているだけだった。


 二人はダレロの机の前に並んで立った。


 その顔は強張っていて、その目には強い決意が感じられる。


 ダレロは椅子に座り、背もたれに体を預けてお腹の上で手を組み、リラックスした様子で二人を迎えた。


「どうした?」


 ダレロは二人の強張った顔に気づき、その緊張をほぐすために柔和な笑顔を浮かべる。


 シールはマーヤを横目で一瞥(いちべつ)してから、


「あの・・・」


 と話し始めるが、なかなかその先の言葉が出て来なかった。


 勢いで来たのは良かったが、言い方を間違えたらきっと相手にされない。


 そう思ったら、シールはどう言えば良いのかわからなくなる。


 シールの思い詰めた表情に、


「何か、大事な話があるんだろ?」


 ダレロは優しく声をかける。


「あの・・・」


 シールは話の切り出し方をいろいろ考える。


 でも、何も思い浮かばなかった。


 隣に立つマーヤはじれったそうにシールを見つめている。


「シール、余計なことは考えないほういい」


 ダレロがそう言うと、その言葉でシールは吹っ切れた。


 気づけば、


「私たちをイスタルへ行かせてください!」


 と叫んでいた。


 そして頭を深く下げていた。


「イスタルへ行かせて下さい!」


 マーヤもそう言って頭を下げた。


 二人の姿からその必死さが伝わってくる。


 しかし、


「うん?」


 ダレロは目をパチクリさせて首を傾げるのだった。


「イスタルに何をしに行くんだ?」


 ダレロはその目的を(たず)ねる。


 突然イスタルに行きたいと言われたら、そりゃ首を傾げたくもなるものだ。


 シールは顔を上げ、


「私たちはイスタルに行かなければならないのです」


 真剣な眼差しでそう訴え、


「絶対に行かなきゃいけないんです!」


 マーヤも同じく必死に訴えた。


 ダレロはふっと息を吐き、


「だから、何をしに?」


 と、改めて尋ねる。


 だが、二人は即答できなかった。


 正直に答えたらまずいんじゃないか。


 そんな不安がよぎったのだ。


「どうした?」


 黙って答えない二人にダレロは苦笑いするが、その眼差しは優しい。


 そこにダレロの人柄が表れていた。


 その人柄がわかっているからこそ、こうしてここに来たんじゃないか。


 シールはダレロには正直であろうと思った。


 きっとダレロ様ならわかってくれる・・・わかってくれますように・・・


 シールは心の中でそう祈る。


「先ほどアク様から聞きました。イスタルではラビッツを名乗る者たちが蛮兵(ばんぺい)を襲っていると。そしてそのラビッツに、ラウルとタヌがいると聞きました」


 シールが話すのを聞きながら、ダレロは小刻みに何度も(うなず)いた。


「それで、イスタルに行ってどうする気だ」


 と尋ね、ダレロはシールの目を真っ直ぐに見つめた。


 一瞬、シールは答えるべきか迷ったが、


「私は二人を守りたいのです」


 と答えていた。


 マーヤはシールのその度胸に驚いた。


 背信の罪を負っている二人を守るなんて言ったら、それだけで背信の罪を言い渡されかねない。しかし、マーヤはそこにシールの強さを感じた。


「私もタヌとラウルを守りたいです!」


 マーヤもはっきりと自分の想いを口にしていた。


 ダレロは驚いた顔で二人を交互に見る。


 二人の強い眼差しに、ダレロは二人の覚悟を感じた。


「お前たちは自分が何を言っているのか、わかっているのか」


 ダレロは真顔で二人に問いかける。


「わかっています」


 シールは迷いのない眼差しでそう答え、


「もちろんです」


 マーヤもそう言って胸を張る。


 ダレロは呆れ顔で微笑み、


「あの二人を守ったら、お前たちも罪を問われるぞ。しかも、大罪だ」


 と警告した。


「大丈夫です」


 シールが自信を持って応えると、


「大丈夫とはどういうことだ?」


 ダレロはそう返して首を傾げる。


 そんなダレロを見て、


「バレないように二人を守りたいと思います」


 シールはそう言って悪戯っぽくその目を輝かせ、


「ダレロ様に迷惑はかけません」


 マーヤがそう付け加えるのだった。


 二人の真っ直ぐな想いを感じると、


「ふぅ」


 ダレロは短く息を吐いて表情を緩め、口元に笑みを浮かべた。


「お前らが守らなくても、二人は大丈夫だと思うけどな」


 ダレロは右手の人差指でこめかみを掻きながらそう応える。


 そんなダレロの態度を二人は嬉く思う。


 ダレロは一言も、タヌとラウルを守ってはいけないとは言わなかったし、二人を否定するような言葉を言っていないどころか、〝二人は大丈夫〟とさえ言っているのだ。


 シールはほっとした。


 ダレロはきっとわかってくれると信じてはいたけれど、教官の立場では背信の罪を着せられた二人の存在を肯定することは難しいのではないか、そう思ってもいたから、ダレロが自分たちの思いを否定することなく、ちゃんと受け止めてくれたことは有難いことだった。


「アク様は並みの霊兎(れいと)ではございません。しかも、精鋭を集めた親衛隊が一緒だとすれば、二人はまったく大丈夫じゃありません」


 と、シールは反論した。


「なるほど」


 ダレロは(あご)をつまんで考えるようにしながら宙を見つめる。


「だから、私とお姉ちゃんがイスタルに行って、アク様から二人を守ります」


 マーヤはそう訴え、思案するダレロにイスタル行きを認めるよう促した。


 ダレロは顔を上げ二人を見る。


 シールにしろ、マーヤにしろ、その想いは理解できるし、二人の武術の腕前も申し分ない。しかし、あの二人を守ることは危険なことだ。それを認めて良いものだろうか・・・


 ダレロには迷いがあった。


 そのダレロの迷いに気づいたシールは、


「私とマーヤの心配はいりません」


 落ちつた口調でそう言い、


「そうだな」


 ダレロは納得したように頷くと、


「たしかに、お前とマーヤ二人でなら、アクと互角に戦えるかも知れないな。しかし、私が懸念しているのは勝ち負けの話ではない。タヌとラウル、あいつら二人は背信の罪に問われている身だ。二人を守ることができたとしても、守った時点でお前たちは大罪を犯したことになる。そのことを懸念しているんだ」


 と、その懸念を口にした。


 だが、シールに迷いはない。


「それでも構いません。そのために私とマーヤは男子に交じって修行に励んできたのですから」


 シールがそう答えると、その言葉を継ぐように、


「だから、今行かなければすべてが無駄(むだ)になってしまうんです」


 と、マーヤは強く訴えた。


「そうか」


 ダレロは宙を睨み、黙り込む。


「ダレロ様、お願いします」


 二人は必死の思いでダレロに頭を下げた。


「お前たちは、帰って来ないつもりか」


 ダレロは二人の本心を尋ねる。


 シールはその言葉にハッとさせられた。


 シールが考えていたことは、イスタルへ行くこと、ラウルとタヌを守ること、それだけで、後のことは考えていなかったからだ。


「そこまでは考えていませんでした」


 シールは正直に答える。


 そのシールの返事に頷き、ダレロは落ち着いた口調で自らの考えを述べた。


「お前たちが陰ながらタヌとラウル、二人を守る事ができるのなら、それが一番だろう。しかし、万が一、アクと戦うことになれば、もうラドリアへは帰って来られないぞ。合理的に考えれば、アクと戦うことになったら、ラビッツに入ってタヌやラウルと一緒に戦うべきだろうな」


 ダレロがそう言うと、二人は目を見開いて驚いた。


 まさかダレロがラビッツへの加入を勧めるなんて、思いもしなかったからだ。


 一瞬後、


「なーるほどぉ!」


 マーヤはパッと明るい顔になって喜んだ。


 シールはダレロのその意見に心から感謝したが、それには無理があると思った。


「しかし、そうなるとトマスに危険が及ぶと思います。おそらく教会は、トマスを人質にして私たちをおびき出し、ラビッツを壊滅させようとするでしょう」


 シールは冷静な意見を述べ、それを聞いて、


「そっかー。そうだね」


 マーヤはがっくりと肩を落とした。


 ダレロはそんなマーヤを微笑ましく思いながら、シールの意見に感心してしまう。


「一瞬でそこまで見通せるとはさすがだな、シール。つまり、お前たちがラドリアへ帰ってくるつもりなら、危険を犯してはいけないということだ」


 ダレロのその言葉は、二人に現実を突きつけるものだった。


「そうですね」


 シールは(うつむ)きがちにポツリと応える。


 そんなシールの反応を見て、ダレロは二人に再考を促した。


「タヌとラウルを守ればトマスに危険が及ぶ。トマスのことを考えれば、あの二人のことを信じて何もしない方がいいと思う」


 ダレロは穏やかに二人を(さと)す。


「・・・」


 二人はすぐには返事ができなかった。


 ならば、と、


「それでも、イスタルへ行くか?」


 ダレロは厳しい表情でその意志を問う。


 トマスのことを考えれば、行かない方がいいかも知れない。


 でも、心が求めているのだ。


 二人は目を見合わせ、互いの意志を確認する。


 そして、


「行きます」


 シールはきっぱりと答え、


「行かなかったら一生後悔するもん」


 マーヤは泣きそうな顔でその意志を伝えた。


 その迷いのない想いに、ダレロはただ頷くしかなかった。


「そうか」


 ダレロは優しい眼差しで二人を見る。


「もし何もしないで二人がアク様に殺されることがあれば、私は死んでも死にきれません」


 シールは正直に自分の想いを伝えた。


「うむ」


 ダレロがシールの想いを受け止めるかのようにゆっくりと頷くと、


「私はタヌに会いたいんです!」


 マーヤは思わずそう叫んでいた。


 そう思いっきり叫んでから、マーヤは〝しまった〟という顔をして頬を赤らめ俯くのだった。


 ダレロはそんなマーヤが可笑しくて、思わず右手で口を押さえ「クククッ」と笑ってしまう。


 人を動かすのは理屈ではなく、素直な想いなのだろう。


 そう思うと、難しく考えることが馬鹿らしくなる。


「マーヤ、お前の良さはその無邪気さだ」


 ダレロは笑顔で言う。


「あ、は、はい・・・」


 マーヤは恥ずかしくてまともにダレロの顔を見ることができなかった。


 そんなマーヤを見て、シールも心を開く。


「ダレロ様、私もマーヤと想いは一緒です。私もラウルに会いたい。ラウルが生きていることをこの目で確かめたいんです。だから、どうしてもイスタルに行きたいんです」


 シールは頬を微かに赤らめながら、切々と訴えた。


 その揺るぎのない二人の想いに、ダレロはタヌとラウルを(うらや)ましくさえ思った。


「なるようなれ、か」


 ダレロはそう言って微笑んだ。


「はい。なるようになれ、です」


 シールは嬉しそうにダレロの言葉を繰り返し、


「タヌとラウルは私たちで守ってみせます!」


 マーヤは揺るぎない眼差しでそう言うのだった。


 ダレロも覚悟を決めたようだ。


「わかった。それじゃ、イスタルにお前達二人を派遣する適当な理由を考えてみるとしよう。ただし、少し時間をくれ」


 ダレロはそう言ってシールを見、マーヤを見る。


 ダレロのその表情が清々しかった。


「時間が掛かるのですか」


 今すぐにでもイスタルに行きたいシールは微かに焦りの色を浮かべ、そう聞き返していた。


 ダレロはそんなシールに微笑み、


「ま、怪しまれないための時間だと思ってくれ。念のため、他の教官からの同意も得ておこうと思う。少なくとも親衛隊が出発するにはもう少し時間がかかるだろうから、それまでには何とかするつもりだ。安心してくれ」


 と説明し、何も心配はいらないことを伝える。


 シールはダレロの笑顔に胸を()で下ろし、


「ありがとうござます」


 と、感謝の言葉を述べ頭を下げた。


 その横で、マーヤも黙って感謝の気持ちを込め頭を下げていた。


 ダレロはそんな二人を微笑ましく見ながら、ふと訊いてみたくなる。


「しかし、なぜ私のところに来たのだ?私は教官だ。背信の罪を犯した二人を罰する側の人間だ。下手をすると、あの二人を守ると言葉にしただけで、お前たちは背信の罪に問われたかも知れないのだぞ」


 と。


 シールはマーヤを横目でチラッと見、それからダレロを直視し真顔で答えた。


「ダレロ様には、ラウルやタヌと同じ血が流れている。そう感じるからです」


 シールはそう言い、意味深な笑みを浮かべた。


「お前には敵わんな」


 ダレロが頭を掻きながら苦笑いを浮かべると、


「ダレロ様にそう言っていただけるとは、光栄ですわ」


 シールは悪戯っぽく胸を張ってみせるのだった。


 部屋を去る二人の背中に向かってダレロは声をかける。


「必ず帰って来いよ。お前たちだって、私の可愛い教え子なんだからな」


 ダレロの言葉に二人は振り返り、


「はい」


 シールは感謝の眼差しで頷き、


「やっぱり?そう思ってました!」


 マーヤはそう言ってニコニコするのだった。


 ダレロは心の底から二人の無事を祈らずにはいられなかった。


「イスタルの護衛隊隊長をドゴレと言うのだが、そいつは味方だ。そいつに会ってみるといい」


 ダレロはそう言って、さりげなく、タヌとラウル、二人の現状を知るドゴレの名を伝えた。


 ダレロの温かい言葉に、二人は背中を押された気がして胸が熱くなる。


「ありがとうございます」


 二人は改めてダレロに頭を下げ、部屋を後にした。


 執務室は急に静かになる。


 ダレロは二人が去った後の閉じたドアを見つめ、


「なるようになる、か・・・」


 そう(つぶや)き、二人の想いがタヌとラウルに届くことを願うのだった。


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