〇七六 緊急事態
ラドリア精鋭養成所。
コンクリの執務室は異様な緊張感に包まれていた。
コンクリが金色に輝く豪奢な椅子に座り、その右脇に従者が一人立っている。そして高位兎神官七名と、コンクリに呼ばれた護衛隊隊長ミカル、そして親衛隊隊長アクが、コンクリを前にして立っていた。
そこに「ダレロ様をお連れしました」と言って、コンクリのもう一人の従者が入って来た。
執務室内の張り詰めた空気に、ダレロはただならぬ事態が起こったことを察し表情を引き締めた。
ダレロを連れてきた従者はコンクリの左脇に立ち、ダレロは黙ってミカルの隣に立った。
「これでみんな揃ったな」
コンクリは静かな眼差しで集められた高官たちを見渡した。
「スペルスから緊急の連絡があった」
そう言うと、コンクリは右側に立つ従者に目配せをした。
従者は軽く辞儀をし、報告を始めた。
「五日前の正午、スペルスの教会前広場において、爬神軍の手により、公開による大量処刑が行われました」
従者は緊張で顔を強張らせ、スペルスで公開処刑が行われたことを告げた。
—公開による大量処刑。
その言葉に、その場にいる高官たちは混乱した。
公開による処刑などというものは今まで行われた事はなかったし、聞いたこともなかった。ゆえに、聞き違いではないかと半信半疑になる者もいたし、思考が止まってしまい、ただ唖然とする者もいた。
ミカルは眉間に皺を寄せ宙を睨む。
ダレロは何か思い詰めた表情で従者の次の言葉を待ち、アクは大きく目を見張り、まさに思考停止状態に陥っているのだった。
そんな高官たちの表情を確認しつつ、従者は報告を続けた。
「これにより、数千人のスペルス住民が処刑されたようです。処刑の様子は、筆舌に尽くし難い恐ろしいものだったと報告されています。広場に集まったスペルス住民に対し、爬神軍の指揮官が〝お前たちは罪を犯した〟、そう一方的に宣告した上で、無差別に住民を処刑したとのことです。処刑の方法は、例えば、住民の目を一つひとつ抉る、舌を引き抜く、骨を折る、腹を割いて内臓を引っ張り出すなどの行為を行ったうえで、息絶える前に、頭を地面に叩きつける、もしくは手で握り潰すなどして殺すか、直接頭部を食い千切って殺した後、その体の残りの部分はあえて蛮兵に食べさせるといったもののようです。スペルスの教会前広場は阿鼻叫喚の地獄と化したということです。そして、爬神軍指揮官は処刑の最後にこう告げたということです」
ここで従者は大きく息を吸ってから、ゴリキ・ド・ゴリキの放った言葉を伝えた。
「ドラゴンを恐れよ、我が爬神族を恐れよ、さもなくば、神は怒り狂い、いつでも血の雨を降らせるだろう・・・と」
従者は重々しくそれを告げると、
「報告は以上になります」
そう言って一礼し、報告を終えた。
報告を聞いた高官たちに言葉はなかった。
ただ驚愕し、唖然としていた。
あり得ない事態が起こってしまった事に、何をどうして良いのかわからなかった。
そんな重苦しい空気の中、武官であるアク、ミカル、ダレロにはそれぞれの受け止め方があった。
アクは爬神教の信奉者であり、力の信奉者である。
そのアクにとってスペルスで起こった公開処刑は、まさに爬神軍の力をまざまざとみせつけるものだった。
この世界は力がすべてだ。
アクにとって、爬神族はただ恐れ崇める存在だった。
爬神軍がラドリアでも処刑を行うことになったら・・・
そう思うと、ただ恐ろしかった。
だからこそ、爬神軍のいう罪というものが何を指しているのか、アクは気になった。
もし、それが何なのかわかれば、爬神軍がここで公開処刑を行うことを決める前に、何か手を打つ事ができるかも知れない。
アクは爬神族の怒りを鎮めるためにはどうすればいいのか、それしか頭になかった。
ミカルは爬神軍による蛮行に憤りを感じていた。
どんな罪があって、スペルスの人々が公開処刑されなければならなかったのか、ミカルは納得できない。
その残虐な光景をスペルスの護衛隊はどういう気持ちで見ていたのだろうか。
ミカルはスペルスの護衛隊隊長であるミズホのことが気になった。
ミズホとは常に連絡を取り合い、タヌとラウルが立派に成長した暁には一緒に立ち上がろうと誓った仲でもあったからだ。
本来なら、教会に報告がいくと同時に護衛隊隊長である自分にも一報が入るはずなのに、今回はそれがなかった。
ミカルはそこに嫌な予感がしていた。
ダレロが感じたのは、いよいよ世界が動き出したということだった。
爬神軍の処刑方法を見ると、あきらかに霊兎族に対し恐怖心を与えることを目的としている。
それは爬神軍の指揮官の言葉によく表れている。
なぜそれをしなければならないのか。
リザド・シ・リザドは何を恐れているのか。
そう、リザド・シ・リザドは何かを恐れているのだ。
ふと、ダレロの目にタヌとラウルの姿が浮かんでくる。
リザド・シ・リザドが恐れるものは、我々にとっての希望に違いない。
ダレロはそう思った。
そして、
爬神軍指揮官が〝いつでも血の雨を降らせるだろう〟と告げていることから、他の都市でも処刑を行うつもりなのがわかる。それが、霊兎族が立ち上がる〝きっかけ〟になってくれれば・・・
そう願わずにはいられなかった。
コンクリは無感情な眼差しで高官たちの反応を見ながら、統治兎神官コンミンの死を知らせた。
「スペルスの統治兎神官であるコンミンは、公開処刑のあまりにも残虐な光景に耐えられず、その最中に息を引き取ったということだ」
コンクリは冷静に伝えたが、コンミンの死は高位兎神官たちに衝撃を与えた。
「あの、コンミン様が・・・」
嘆きの声を漏らしたのはマーレだった。
マーレはコンミンがまだラドリアの高位兎神官でラベルと名乗ってい頃の教え子だった。
マーレの目から涙がこぼれる。
「マーレよ、お前の悲しみはわかるが、泣いている暇はない」
コンクリは真顔でマーレを見つめ、厳しい言葉をかけた。
「はい、わかっています」
コンクリの威厳のある声に、マーレは感傷に浸っている場合ではないことに気づかされると、さっと涙を拭いて顔を上げ、コンクリに真っ直ぐな視線を向けた。
コンクリはマーレの視線を受け止めると、
「今回の事態により、統治兎神官を失ったスペルスは混乱している。マーレよ、その混乱を鎮めるのがお前の役目だ。お前はスペルスに行くが良い」
と、重々しい口調で命じた。
「それはどういうことでしょうか」
マーレは突然のことに困惑してしまう。
自分がスペルスに行ったところで、誰も自分の言うことを聞いてくれないだろう・・・
そんなマーレを厳しく見つめ、
「マーレよ、お前をスペルスの統治兎神官に任命する」
コンクリは反論を許さない強い口調でそう告げたのだった。
「女である私に務まるでしょうか」
マーレは素直にその不安を口にする。
霊兎族の歴史の中で女性の統治兎神官が存在したことはないはずだった。
マーレにはそれが何よりの不安だった。
「今のスペルスの混乱を鎮められるのは、コンミンを良く知るお前しかいないだろう」
コンクリが穏やかな口調でその理由を伝えると、
コンミン様を慕っている自分だからこそできる仕事・・・それならば・・・
マーレは覚悟を決め、
「わかりました」
と、スペルスの統治兎神官に就くことを受け入れたのだった。
その場の誰もが、マーレが統治兎神官としてスペルスを治めることに納得していた。
それだけマーレは信望の厚い人柄だった。
「それにしても、コンミン様がショックのあまり命を落とすとは、それほどまでに酷い光景だったということですね」
ダレロが神妙な面持ちでそう発言すると、コンクリは厳しい目つきでそれに頷いた。
「護衛隊はどうしていたのでしょうか」
ミカルが気になるのは、やはりミズホのことだった。
コンクリは大きなため息をついてミカルに視線を向ける。
「隊長であるミズホは、処刑が執行される直前に爬神軍の指揮官に斬りかかり、惨殺されたそうだ。そのミズホの指示の下、護衛隊は処刑中、身動き一つしなかったということだ」
コンクリのその言葉に、ミカルは衝撃を受けた。
まさか、と思った。
あれほど時が来るのを楽しみにしていたミズホが我慢できずに斬りかかったということは、それだけの状況だったということだ。
「と、いうことは、護衛隊は処刑をただ見ていたということですね」
ミカルは無意識に隊士たちの様子を確認していた。
「そういうことだ」
コンクリはきっぱりとそれを認めた。
その場にいた隊士たちは、ミズホと共に戦いたかったはずだ。おそらくミズホに止められたのだろう。そのうえで、ミズホは自らの命を散らすことで、護衛隊のプライドを守ってみせたのだ・・・
そのミズホの想いに、ミカルは胸を震わせた。
「いずれ爬神軍はラドリアにもやってくると考えられますが、爬神軍の目的は何でしょうか。我々の犯した罪とは一体何なのでしょうか」
アクは恐る恐る、公開処刑を行う爬神軍の意図を尋ねた。
「まさしく我々霊兎族を罰する事が目的だ。七年前、ここラドリアで起こった惨劇が、我々霊兎族全体に大きな影響を与えてしまったということに、ミザイ・ゴ・ミザイは気づいたのだろう。そこに我々の罪がある、ということだ」
コンクリは真顔の厳しい表情で淡々とそう答えた。
アクに答えるコンクリの〝気づいたのだろう〟という言葉に、ダレロはなぜかしら引っかかった。まるでコンクリがラドリアの惨劇を肯定しているかのように聞こえたからだ。
「そうでしょうか。あれは気狂いの仕業ということで、特に影響はなかったと思いますが」
アクは首を傾げる。
コンクリは厳しい表情の口元に微かな笑みを浮かべ、ミカルとダレロに視線を移すと、
「お前たちはどう思う」
と、二人に見解を求めた。




