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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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〇七二 元老になる者として


 そこに至る議論を聞いた上で賛成できないと言うタケルに、ムサシは苛立ちを覚えた。


 それは悩み抜いてやっと出せた答えを否定されたことに対する、単純な怒りだった。


 その場の空気が一変した。


 トノジ、ミノル・タヌカ、キヨス・ミザワは驚きの目でタケルに目を向けた。


 アジも驚愕してタケルを見る。


 アジにとって、大人たちが出した結論を否定するなんて考えられない事だった。


「なぜだ」


 ムサシはその真意を尋ねる。


 タケルはムサシの怒りを感じ、伏し目がちに答える。


「神に選ばれし者などというのは、まやかしでしかないからです。実際は働かされるだけ働かされて神兵の餌になるだけの惨めな生贄じゃないですか。それがわかっていて賛成することはできません」


 タケルは正直な想いを告げた。


 それはムサシだってわかっていることだった。


 タケルの個人的な想いを否定するつもりはない。しかし、ムサシが尋ねているのは、元老の跡を継ぐ者としての現実的な意見なのだ。


「お前の言っていることは間違ってはいない。その思いは大切だろう。しかし、奉仕者が不足してしまえば、爬神様の逆鱗に触れてしまうだろう。それがお前には想像できないのか。サムイコク自体が消滅させられる危険性があるのだぞ。それでもお前は、今のままの志願制を続けろと言うのか」


 ムサシは厳しい表情で俯くタケルに問いかけるのだった。


 いつものタケルなら何も言い返さず終わったかも知れない。


 このとき、タケルは三人のことを思っていた。


 タヌ、ラウル、ギル。


 彼らはラビッツとして戦っている。


 命を捨てて。


 世界を変えるために。


 それがなぜ自分にできないのか。


 そのやるせない想いが、今、タケルを突き動かしていた。


「私は奉仕者をリザド・シ・リザドに送ることさえ、やめるべきだと思っています。国を守るために生贄を差し出すのではなく、生贄をこれ以上差し出さないために戦いたいのです。そして、リザド・シ・リザドにいる奉仕者たちをも救いたいのです」


 タケルは自らの意志を伝え、毅然とした眼差しでムサシを見つめた。


 タケルのその言葉は、元老家の跡取りとして決して口にしてはならない言葉だった。


「ばかもの!」


 ムサシはとっさに声を荒げ、タケルに手を上げていた。


 バシッ!


 タケルの頬を打つ音が室内に響き渡る。


 タケルは爬神様に対して剣を抜くと言っているのだ。


 ムサシは補佐官たちの前で、タケルのこの発言を容認することは断じてできなかった。


 タケルは打たれて赤くなった頬を気にすることなく、真っ直ぐな眼差しでムサシを見つめ続け、


「今イスタルでは、ラビッツを名乗る者たちが、蛮兵たちを襲撃しているという報告があったはずです。父上の(さげす)む兎人でさえ、勇気を持って、蛮兵たちの非道に立ち向かっているというのに、なぜそれを我々ができないのでしょうか」


 と、その想いをぶつける。


 ムサシがタケルのその想いを受け入れることはない。


「それは後先を考えない下等な人種だからできることだ」


 ムサシが怒りで声を震わせそう吐き捨てると、


「・・・」


 タケルは返す言葉がなく、俯いて肩を落とすのだった。


 何を言っても無駄(むだ)だと思った。


 自分の考えは、いずれ元老の職に就くものとして許されるものではないだろう。


 尊敬する父ムサシの怒りは当然だし、父を悲しませることなど口にしたくはなかった。


 だが、今のタケルにはどうしてもあの三人と一緒に世界を変えたいという思いがあった。その思いが強かった。


 その思いに正直でいたい。


 だから、嘘はつけなかった。


「お前は自分の立場がわかっているのか。お前はいずれ元老となって西地区を治め、サムイコク全体を守らなければならない人間なのだぞ。その人間が、そんな浅はかなことを考えるとは何事だ。下等な兎人どもに影響されるとは何事だ。お前の判断一つで、サムイコクが滅びることになるかも知れないのだぞ。元老家の人間として、爬神様に反旗を翻すようなことを口にするのは断じて許されない」


 ムサシは怒りを露わにし、タケルを強い口調で叱責した。


「・・・」


 タケルは自分の想いを吐き出したからだろうか、それとも、この場で自分の想いを吐露したことに対して後悔しているのだろうか、俯いたまま返事をしなかった。


 ムサシはそんなタケルの姿に、自分の若い頃を重ねて見ていた。


 妥協を知らないひたむきな正義感。


 その真っ直ぐな眼差し。


 ムサシはふーっと大きく息を吐くと、(さと)すように語りかけた。


「お前はまだ若い。その情熱は大切にするがいい。しかし、元老というのは、正義を振り(かざ)すだけでは務まらない仕事なのだ。元老に就く者には、常に全体に目配せをしながら、清濁併せ呑むバランスが求められる。これからお前も色々経験する中で、そういうことを学んでいきなさい。わかって欲しいのは、お前がまず考えなければならないのは、サムイコクを守り、維持するということだ。そのために犠牲になる者が出るのはやむを得ないことなのだ。私は決して民を虐げようとは思わない。しかし、すべての民を等しく幸せにすることなどできないのだ。時に鬼となる覚悟こそ、元老という職に就く者に求められるものなのだ。タケルよ、私にできることは、非情な決断の中で、民の気持ちをコントロールし、哀しみでさえ幸福感に変える努力をすることなのだ」


 ムサシはそう言って、タケルの肩に手を置いた。


 タケルは自分の肩に置かれた手の温もりに、ムサシの優しさを知る。


—奉仕者には神に選ばれし者の称号を与え、残った家族には報奨金を与え祝福する。


 それも、哀しみを幸福感に変えるためのムサシなりの優しさなのだろう。


 父上の言っていることは正しい。それはわかっている・・・


 しかし、タケルは溢れ出る得体の知れない感情をどうしていいかわからなかった。


 この場にいる者たちは、ムサシの言葉に胸を打たれていた。


 西地区の元老として、またサムイコクの元老の一人として、ムサシが皆から尊敬されるのは当然のことだった。そして、タケルはそのムサシの跡を継ぐ者なのだ。若いのだから、妥協を許さない正義感を貫こうとするのも悪いことではない。これぐらい正直で真っ直ぐな性格だからこそ、将来が期待できるのだ。若いうちはたくさんもがき苦しんでいい。


 ミノル・タヌカやキヨス・ミザワは優しい眼差しでタケルを見つめた。


「ムサシ様のおっしゃると通りですよ。我々が一人ひとりの幸せを考えるのは当然です。しかし、ときには辛い妥協も必要になります。その中で、できるだけ民が苦しみを感じることがないように導くのが、我々の役目なのです」


 ミノル・タヌカは優しく声をかけ、


「タケル様のその熱い想いは、是非、大切にしてください」


 キヨス・ミザワも温かい言葉をかけるのだった。


 二人が優しく声をかけたのに対し、トノジは何も言わず、タケルを冷静に見つめていた。


「みんな、すまない。今日はこれで解散だ」


 ムサシがそう言うと、ミノル・タヌカとキヨス・ミザワはタケルを好意的に見ながら退室し、トノジはタケルを冷たく一瞥(いちべつ)するだけで、ムサシに真顔で一礼し、アジを連れ部屋を出たのだった。


 ジベイ家の屋敷はテドウ家の裏にある。


 帰り道、トノジはアジに尋ねた。


「お前はどうなんだ」


 突然そう言われても、アジには何のことだかわからない。


「どうって?」


 アジは首を傾げる。


「タケルのように戦いたいと思うか」


 トノジは率直にアジの気持ちを確かめる。


 トノジのその質問に、アジは言葉に詰まってしまう。


 アジの想いもタケルと同じだった。


 思うのはタヌ、ラウル、ギル、三人のことだ。


 命を捨て、世界を変えるために戦う彼らへの憧れ。


 だから、あの場できっぱりと〝戦いたい〟と発言したタケルのことを、素直にかっこいいと思った。


「どうだ?」


 トノジはもう一度訊く。


 アジは大きく息を吸ってから、


「私はいずれタケルを補佐する人間です。タケルと想いは一つです」


 そうきっぱりと答えた。


 トノジはその答えに呆れ、


「愚かな」


 と吐き捨てた。


 その冷たい言い方にアジは背筋が寒くなる。


「どうしてですか?」


 思わずその理由を尋ねていた。


「お前の使命は、タケルにただ従うことではない。サムイコクを守るのがジベイ家の使命だということを忘れてはいけない。もし、タケルが道を誤りそうになったら、それを正すのがお前の大切な役目だ」


 トノジは冷たく言い放つ。


 トノジの言葉は正しい。


 アジもその通りだと思う。


「はい」


 アジは素直に頷いた。


 そのアジに、トノジは厳しい表情のまま言葉を続ける。


「それに、テドウ家にはヘイタもいる。タケルが道を外したときは、ヘイタを立ててテドウ家を守ることだ」


 トノジの言葉には情の欠片もなかった。


 冷徹な現実的判断。


 それがジベイ家の人間に求められているものだった。


「・・・」


 アジは言葉を失ってしまう。


「ジベイ家にもセジがいるということを忘れるな。もし、お前がタケルと共に道を外すことがあれば、私の跡をセジに継がせ、お前を排除する。わかるな?ジベイ家にとって大切なのは個人の想いではないぞ。外に対してはサムイコクを守り、内に対しては秩序を守ること。それがジベイ家の使命だということを忘れてはならない。私情に流されず、その務めを果たすことだ。それを肝に銘じておけ」


 トノジは厳しい口調でそこまで言ってアジの反応を窺った。


 アジは焦点の定まらない目で俯きがちに歩いていた。


 そんなアジにトノジは弱さを見る。


 返事もせずただ俯いているアジに、


「わかったな」


 トノジは苛立って念を押す。


 だが、


「・・・」


 アジはそれに返事をすることができなかった。


 なぜだか「はい」という言葉が出てこなかった。


 俯きながら、両手の拳をぎゅっと強く握りしめる。


 アジが返事をしないことをトノジは不快に思った。


「アジ兄ちゃーん、遊ぼー」


 背後遠くからヘイタの無邪気な声がした。


 その声を、トノジの隣を歩くアジは聞こえない振りをして、ジベイ家の門の中へ消えていった。


「アジ兄ちゃーん」


 ヘイタがなおもアジの名を呼ぶと、


「ヘイタ、アジは忙しいのよ」


 とたしなめるクミコの声が聞こえた。


 アジは無意識にクミコの声がした方へ目を向けていた。


 その目に映るのは、庭に植えられた木や草花、屋敷を囲む石塀、そしてその上に見える青い空だった。


 日差しは柔らかで風も優しい。


 その穏やかな光景の中にアジはクミコの姿を思い浮かべ、なんとも言えない寂しげな笑みを浮かべるのだった。


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