〇〇六 ラドリアの惨劇 父ナイの死に様
そのナイの突然の言葉に、タヌは驚いた。
「えっ・・・」
タヌにとってそれはあまりにも唐突なことだった。
いつか仇を討つとわかっていても、それは漠然としたいつかであって、それが今、はっきりと目の前に突きつけられるとは思いもしなかった。
ナイは話を続ける。
「明日、お前も知っている通り、ここラドリアで献上の儀式が行われる。その儀式において間違いなく、ハウルは爬神族使節団に対し剣を抜くだろう。私は同志として、ハウルと一緒に立ち上がろうと思う。私はその場にいる神兵、蛮兵たちを皆殺しにする。それが母さんの死に対する弔いだ」
ナイは覚悟を決めた眼差しではっきりと、神兵、蛮兵を皆殺しにすることを告げた。
その声音に、ナイの決意の強さが込められていた。
いよいよその時が来たんだ・・・
そう思ったら、タヌの胸の鼓動が激しく高鳴った。
「僕も戦う!」
タヌは思わずそう叫んでいた。
しかし、ナイはそれを一蹴する。
「ダメだ」
ナイは反論を許さない口調できっぱりと拒絶した。
「どうして?俺だって蛮兵に復讐するために稽古に励んできたんだよ」
タヌは必死に自分の想いを訴える。
母さんの仇を討つために今まで修練を積んできたのに・・・
タヌはどうしても父ナイと一緒に戦いたかった。
そんなタヌの想いをナイはもちろん知っている。しかし、ナイがタヌに術を教えてきたのは、ユーリの仇を討たせるためではなかった。
「母さんの仇を討つのは父さんの務めだ。お前は、お前が命を懸けるべきときが来るまで、しっかりと生き続けるんだ」
ナイは厳しい口調でタヌを諭す。
タヌは納得できずに俯いて、両の拳をギュッと握り締める。
「タヌ、お前はお前の術を極めるんだ」
ナイのその言葉。
「・・・」
タヌは強く目を瞑り、込み上げてくる感情を必死に堪えていた。
「明日、お前はタタルと一緒に教会前広場に行く。そして、私の最期の姿を目に焼き付けるんだ」
ナイは落ち着いた口調でそう告げる。
父さんの最期。
その現実が突きつけられたとき、タヌの堪えていた感情がぐーっと溢れ出した。
「父さん、死なないで・・・」
タヌは声を震わせ、ナイに抱きついた。
その目から止めどなく涙が溢れ出す。
ナイは寂しげな眼差しでタヌの頭を撫でると、ひとつ大きく息をし、微かな笑みを浮かべた。
それから、タヌをちゃんと座らせると、厳しくも静かな口調で言い聞かせる。
「泣くな、タヌ。どんなときでも感情に流されてはいけない。感情を流すのだ。それが術の基本だ。それを忘れるな」
それはナイがいつも言っている言葉だった。
しかし、タヌの悲しみで満たされた心には、何も入ってきはしない。
「父さん、死んじゃ嫌だよ・・・」
そう言って涙を流すタヌ。
ナイはその悲しみの感情を受け入れない。
「この鍛冶場はタタルに譲った。お前にはしばらくラドリアを離れてもらう。スペルスにいるタタルの親戚にお前を預かってもらうことにした」
ナイはタヌの悲しみを突き放すようにそう告げた。
「えっ」
タヌは驚きのあまり呆然とした表情でナイを見つめる。
父さんや母さんと暮らしたこの場所を離れるなんて嫌だ・・・
タヌはそう思った。
「明日の夜、タタルがお前をラドリアから連れ出すことになっている。すべて手はずは整えてあるから、お前は何も心配することなく流れに任せるんだ。いいな」
ナイはそう言い、頑としてタヌの気持ちを受けつけなかった。
すべてが決められていて、もうそれに抗うことなんてできないんだ・・・
タヌはもうどうにもならないことを悟った。
そこにある悲しみと絶望。
「父さんは僕を捨てるんだね・・・」
タヌは力なく呟いた。
タヌのその何とも言えない寂しげな佇まい。
ナイの表情が微かに歪む。
「私はお前を捨てるのではない。父として、ひとりの人間として、そしてラドリアの戦士の末裔として、その死に様をみせて死ぬつもりだ。それが私からお前に与えられる最後の教えなのだ。もし、私の死に様が無様だと思うのなら、私のことを父親だと思わなくていい。そのときは、私のことは忘れてしまいなさい」
ナイはきっぱりとそう告げ、悲愴な眼差しでタヌを見つめるのだった。
ナイの言葉は、父として、ひとりの人間として、ラドリアの戦士の末裔として、その揺るぎない覚悟を表していた。そして、その言葉にはタヌに対する想いが込められていた。
「父さん・・・それでも・・・」
タヌの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
タヌが受け入れられないのは無理もないことなのだ。
まだ十歳の少年なのだから。
ナイはタヌの手を握ると、温かく包み込むような笑顔をみせ、
「タヌ、強くなれ。いいな。お前にはお前に与えられた宿命がある。そのために生きるんだ」
そう力強く言い聞かせるのだった。
ナイのその愛情深い眼差しに、
「父さん・・・」
タヌはそれ以上言葉が出てこなかった。
タヌはナイの胡座をかいた足に突っ伏し、肩を震わせ泣いた。
ナイはそっとタヌの背中に手をおき、タヌが泣きやむまで見守り続けるのだった。
翌日、教会前広場を取り囲む群衆の中に、タヌはいた。
朝起きたら、ナイの姿はなかった。
タタルに肩車をされたタヌは、群衆の中にナイの姿を探す。
献上の儀式は始まっていて、粛々と進められていた。
「タタル、父さんいない?」
タヌは小声でそう言ってタタルの白色の髪をギュッと握る。
「イタタッ。ぼっちゃん、この人混みの中で師匠を探すのは難しいです」
タタルは顔をしかめながら、嫌がることなく丁寧に答えるのだった。
もちろん、小声でだ。
タヌは父ナイの姿が見つけられなくて焦っていた。
「ちゃんと探して!」
タヌはタタルの耳に口を近づけ小声で声を荒げる。
いつもは決してわがままを言わないタヌが声を荒げるなんて、それは珍しいことだった。
だからこそ、タタルはタヌの気持ちが痛いほどにわかるのだ。
「わかりました」
タタルはそう言うと、群衆を掻き分け最前列へ出る。
そこから広場を囲む向こう側の群衆にナイの姿を探してみることにしたのだ。
すると突然、
「おおっ!なんだ!うわっ!」
タヌの右側の群衆からどよめきの声が上がった。
タヌはそのどよめきに驚いて声の方に顔を向ける。
すると、群衆の中からひとりの霊兎が飛び出し、献身者の檻の中に飛び込んでいく姿が見えた。
銀色の髪、その後ろ姿には見覚えがあった。
ハウルおじさん?・・・
それは間違いなくハウルの姿だった。
タヌが檻の中の様子を見ようと目を凝らすと、ハウルが檻の中のひとりの女性に向かって剣を抜く姿が見えた。
血飛沫があがり、ハウルは返り血で赤く染まる。
檻の周りにいた蛮兵と隊士が慌ててハウルを追って檻の中に駆け込んでいく。
そしてその次の瞬間、体の前面を血に染めたハウルが、檻の中から柵を蹴って飛び上がり、鬼の形相で檻の外にいる神兵に襲いかかったのだった。
その壮絶な光景に、
「おじさん!」
タヌは思わず叫んでいた。
ハウルは剣を巧みに使い、神兵の喉を突き刺すと、その崩れ落ちる神兵の体を蹴って、別の神兵に襲いかかっていくのだった。
—父さん!
どこからかそんな声が聞こえた気がした。
怒り狂った神兵たちがハウルに襲いかかる。
そのときだった。
群衆の中から赤褐色の霊兎が飛び出し、ハウルを襲う神兵の一人を斬り倒したのた。
その霊兎こそ、タヌの父ナイだった。
「父さん!」
タヌはそう叫び、無意識にタタルの髪の毛を強く握り締めていた。
髪がむしり取られるんじゃないかと思った。
でも、それどころではなかった。
タタルはナイの姿を見て、
「し、し」
師匠!と叫びそうになって、慌てて自分の口を押さえた。
神兵を斬り倒しながら、ハウルは突然現れたナイの姿を見て一瞬驚いた顔をしたが、次の瞬間にはすべてを理解したような笑みを浮かべ、ナイに頷いてみせるのだった。
ナイは神兵たちの中に突っ込んでいき、次々と神兵を斬り倒した。
密集した中でも、流れるようなしなやかさで襲い来る神兵や蛮兵を躱し、躱す流れで次々と斬り殺していくのだった。
ハウルもナイに負けじと神兵に正面から斬り込んでいき、鋭い動きで神兵を倒し、邪魔する蛮兵たちを斬り捨てていった。
広場が血に染まっていく。
ナイはハウルと共に戦っていることが嬉しくてたまらなかった。
私が求めていたのはこれだ。この感覚なのだ・・・
ナイは死の間際にいるこの瞬間に、生きていることの充実感を噛みしめるのだった。
「タヌ、しっかりと父の死に様を目に焼き付けるんだぞ!」
ナイはそう叫びながら、襲い来る敵に向かっていく。
広場の混乱は続いた。
タヌは父の姿をしっかりと目に焼き付けていた。
優雅な剣さばきで神兵や蛮兵を斬り倒していくナイの姿。
そのしなやかな身のこなし。
ナイの通った後を、神兵、蛮兵問わず、バタバタと倒れていくのだった。
そんな中、教会の方から突如として一本の矢が飛んできて、ハウルの背中に突き刺さるのが見えた。
「あっ・・・」
タヌは驚き目を見張る。
そんなタヌの視線の先で、ハウルは倒れ込んだところを爬武官にその首を落とされたのだった。
ハウルの頭部がゴロゴロと地面に転がるのが見えた。
タヌはその光景に心臓が抉られるほどの恐怖を感じた。
タヌが無意識に矢の飛んできた先へ目を向けると、教会堂の入り口に立つコンクリが弓を構え、もうひとつの矢を放つところだった。
「父さん!あぶない!」
思わずタヌは絶叫していた。
しかし、その声はナイには届かなかった。
音もなく空気を切り裂いて飛んできた矢は、
ブスッ!
ナイの右肩に突き刺さった。
ナイがよろめいたところに蛮兵が一斉に斬りかかり、ナイは矢が刺さったまま、襲い来る蛮兵たちの繰り出す太刀を必死に躱し、払い、そして斬り殺していった。
ナイは血だらけになりながらも戦うことを諦めなかった。
しかし、その気力も尽きようとしていた。
ハウルの首を落とした爬武官が怒りの形相で走ってきて、ふらふらのナイの頭を鷲掴みにしたかと思うと、
「ギィエエエ!」
怒声を上げながら、ナイの頭を握り潰したのだった。
ブシャッ!
爬武官の握り締めたその指の隙間から血飛沫が上がる。
爬武官はナイの体をその場の群衆に晒すように、握った拳を高々と突き上げた。もはや肉の塊に過ぎないナイの体が、その手の下でダランと揺れた。
そして、爬武官はその場にいる蛮兵に向かってナイの体を投げ捨てたのだった。
蛮兵たちはナイの肉に食らいつき、ナイの体はあっという間にバラバラにされた。
その信じられない光景を目にし、タヌの心は張り裂けた。
「よくも父さんを!」
感情が爆発して何も考えられなくなる。
「俺が相手だ!」
タヌはそう叫ぶとタタルの肩から降り、広場へ飛び出そうとした。
「ぼっちゃん、ダメです!」
タタルはそう叫んで慌ててタヌの腕を強く掴んだ。
「タタル、行かせろ!」
怒鳴るタヌに、
「ダメです!師匠に怒られます!」
タタルはそう怒鳴り返していた。
タタルは暴れるタヌを引きずりながら、群衆を掻き分け広場を後にしたのだった。
ハウルとナイがその場で惨殺されると、群衆のざわめきが静けさに変わった。
広場には神兵や蛮兵の死体がごろごろと転がっていた。
未だかつて誰も見たことのない凄まじい光景。
しかし不思議なことに、ナイとハウルに斬りかかった隊士たちに、死者がひとりもいなかったばかりか、傷を負った者すらいなかったのである。