〇五九 希望の星
ラドリア精鋭養成所の東側、通りを挟んだ向こう側に護衛隊隊舎がある。
その隊長室に武術教官ダレロは呼ばれていた。
隊長室のテーブルに隊長のミカルとダレロは向かい合って座っている。
テーブルの上には果実酒の入ったボトルが置かれ、二人は酒を飲みながら語り合っていた。
こうして二人きりで酒を酌み交わすのは久しぶりだ。
「あれからもう五年になるのか」
ダレロが感慨深く呟いた。
「もう五年か」
ミカルはそう相槌を打ちながら酒を口に運ぶ。
「あの二人は元気にしてるか?」
ダレロはしみじみと尋ねる。
「元気にしてるらしいぞ。聞いたところによると、大分逞しくなっているそうだ」
ミカルはそう答えると、嬉しそうにぐいっと酒を呷った。
「そっか」
ダレロは安堵の笑みを浮かべる。
「あの二人が心配か」
ミカルは言いながら、手に持つコップに酒を注ぐ。
「もちろんだ。可愛い教え子だからな。それに、捜索の目が急に厳しくなったから、そりゃ、心配にもなるさ」
蛮狼族監視団は勿論のこと、霊兎族の教会に対しても、タヌとラウルを一刻も早く見つけ出すようにリザド・シ・リザドから通達が出されていた。
当初、タヌとラウルが逃げたとき、リザド・シ・リザドがそのことを重く受け止めるとは思われていなかった。もし二人が危険人物なら、ラドリアの惨劇の後、すぐに処刑するよう求めていたはずだからだ。リザド・シ・リザドが二人を意識するようになったのはおそらく二人が逃亡してからだ。その理由はわからないが、未だに二人の捜索を諦めないということは、それだけリザド・シ・リザドがあの二人を怖れているということを示している。
だからこそ、監視団はピリピリしているし、護衛隊も厳しい対応を迫られているのだった。
「護衛隊はどう対応しているんだ?」
ダレロはさり気なく訊いてみる。
護衛隊には治安を維持するための様々な活動があり、その中に機密の活動もあるのだが、タヌとラウル、二人の捜索は機密の活動に含まれているため、ダレロもその状況についてはほとんど知らなかった。
「もちろん捜索は行っている」
ミカルはそう答え、難しい顔をした。
「ラドリアになんていないのに、探すふりをするのもなかなか大変だな」
ダレロはミカルに同情した。
「ま、怪しまれないためだ。それに、あの二人が突然ラドリアに帰って来ないとも限らないからな。そのときは監視団よりも先に、我々が二人を見つける必要がある」
ミカルはコップに注いだ果実酒の表面を揺らしながら、その面に反射する光を見つめ、タヌとラウルがラドリアに帰ってくる日のことを思う。
「さすがだな、ミカル。しかし、問題は二人が暮らすイスタルだ」
ダレロはミカルの対応に安心すると同時に、イスタルにいる二人を気にかけた。
「ドゴレがちゃんと目を光らせてるよ」
ミカルはそう言いながらコップの酒を口に運ぶ。
ドゴレというのは現イスタル護衛隊隊長であり、ラドリアの精鋭養成所で暮らしていたときはミカルやダレロと寮の部屋が一緒で、共に青春時代を過ごした気心の知れた幼馴染みだった。
「なるほど。イスタルにはドゴレがいたな」
ダレロはドゴレの名を聞いて安堵し、
「コンドラに気づかれないように、秘密裏にタヌとラウルを見守っているのだそうだ。たとえ監視団が二人を見つけたとしても、ドゴレがなんとかしてくれるだろう」
ミカルは自信を持ってそう言うのだった。
タヌとラウルをイスタルに逃がして以来、ミカルは二人のことをずっと気にかけていたし、年に数回、ドゴレから二人の様子や置かれている状況を暗号で受け取っているのだった。しかし、内容のほとんどが〝問題なし〟の一言で、二人の様子が詳しく伝えられるのは年に一回あるかないかだ。それくらい慎重なやり取りを二人はしている。
ダレロはミカルの言葉に安心しながらも、
「しかし、イスタルの護衛隊の中にも、あの二人を罪人と見做す奴がいるんじゃないのか?爬神教にとって背信の罪は最大の罪だからな」
と、懸念を示した。
護衛隊にとって教会の命令は絶対であり、まして最高兎神官のコンクリから〝背信の罪〟を宣告された二人を、罪人として見ないほうがおかしいのだ。
しかし、その懸念は杞憂というものだった。
「そういう奴は当然いるだろう。しかし、そういう奴に情報を漏らすことはない」
ミカルは胸を張って答え、
「そりゃそうか」
ダレロは自らの懸念が愚問だということに気づいて苦笑いする。
「ラドリアの惨劇のあの日以来、我々護衛隊は変わってしまった。表向きは当然変わっていないように見えるだろうが、ナイとハウル、あの二人がしたことは、ここラドリアだけでなく、他の都市の護衛隊隊にも大きな衝撃を与えた。隊士たちの誰もが、このままでいいのかと自問しているはずだ。そして、護衛隊ほどではないが、一般の人々にも少なからず影響を与えていると、私は思う」
ミカルはしみじみそう言い、あの日のナイとハウル、二人の姿を思い出し胸を熱くするのだった。
それに呼応するかのように、ダレロもあの日のことを思い出し胸を熱くした。
「そうだな。ナイとハウルの二人は、力が支配するこの世界において、何も考えることなく、ただドラゴンや神人に命を捧げることが生きることのすべてだと思い込んでいた我々の目の前で、その力の象徴である神兵とその番民である蛮兵を、数十人も斬り殺してみせたんだからな。それはただの衝撃じゃなかった。間違いなく、それを見ていた普通の人々の心をも揺さぶっただろうし、それは感情を伴って他の都市へも広まっていっただろうからな」
ダレロは感慨深い面持ちであのとき受けた衝撃を言葉にし、ミカルの意見に同意した。
「我々霊兎族は見えないところで変わり始めている」
ミカルはそう言って宙を見つめ、
「きっかけさえあれば・・・」
ダレロは思い詰めた表情で呟いた。
人々が信じて疑わない当たり前の世界を変えるということは、どれだけ大それたことだろう。しかし、あの日、ナイとハウルによって衝撃を与えられた世界は、すでに目に見えないところで綻び始めている。その小さな綻びは、何かのきっかけで大きな力に変わるかも知れないのだ。
「きっかけ・・・」
ミカルはそう声を漏らし、自分が待ち望んでいるのもそれだと思った。
「まぁ、焦ることもない。そのときは必ずやってくる。あの二人が、必ずきっかけを作ってくれるはずだ」
ダレロはそう言ってミカルに真っ直ぐな視線を向け、
「それは間違いない。二人は我々を導く星なのだから」
ミカルが力強くそう応えると、
「つまり、二人は我々霊兎族の希望の星ってことだな」
そうしみじみと言い、柔らかな笑みを浮かべるのだった。
「ああ。だからこそ、イスタルの護衛隊はあの二人を命懸けで守るはずだ。ドゴレもそれをわかっている」
ミカルは自信を持ってそれを断言した。
「しかし、ドゴレとも長らく会ってないなぁ」
ダレロは昔を懐かしみ宙を見つめる。
「お前は教官の道に進んだからな」
ミカルはそう言って〝しょうがない〟といった顔をし、そして感慨深く言葉を続けた。
「もしお前が教官になる道ではなく、護衛隊を選択していたなら、ラドリアの護衛隊隊長は私ではなく、お前だったはずだ」
ミカルは迷いなくそう言う。
そのミカルの言葉にダレロは驚いた顔をし、すぐさまそれを否定した。
「そんなことはない。護衛隊の隊長に相応しいのはお前だ、ミカル。私は治安を守るよりも武術を教えている方が性に合ってるんだ」
ダレロは困り顔でそう応え、その顔を見て、
「お前がそう言うなら、そう言う事にしておこうか」
ミカルはそう言って酒の注がれたコップをダレロに向かって掲げ、
「間違いなくそうだ」
ダレロがそう返し、酒の注がれたコップをミカルに向かって掲げると、二人は息を合わせるようにコップの酒を一気に飲み干すのだった。




