〇五五 仮病
「セジ、どうしたの?」
クミコは原っぱで寝そべるセジを見つけて驚いた。
高台の西側にある原っぱはお気に入りの場所で、クミコはヘイタを連れて散歩に来ていた。
「セジ兄ちゃん、遊ぼ!」
ヘイタはセジを見つけると嬉しそうに駆け出した。
原っぱに仰向けに寝転がり、目を閉じて柔らかな西陽を全身に受けて気持ち良さそうにしていたセジは、自分にかけられた声に気づくと静かに目を開け、ゆっくりと上体を起こした。
そこにヘイタが抱きついた。
セジはヘイタの頭を撫でながらクミコを見、クミコと目が合うと、気まずそうに目を逸らした。
「今日はイスタルの市場に行ってるはずじゃなかったの?」
クミコに問われ、なおバツが悪くなる。
クミコが話しかけている最中も、ヘイタはセジの肩を掴んで揺らし、「あそぼ、あそぼ」と話しかけ続けていて、セジはクミコに意識を向けながら、ヘイタの髪の毛をクシャクシャッとするなどして、手だけでヘイタの相手をする。
「具合が悪くて今日はやめにしたんだ」
セジは苦し紛れにそう答えた。
「うそ、元気そうじゃない」
クミコは当然信じない。
「そう見えるだけさ」
セジが口元に皮肉めいた笑みを浮かべると、
「仮病だ、仮病だ」
と、ヘイタがからかった。
セジはヘイタの両手を優しく掴むと、リズムを取るように上下に振りながら、
「俺は忙しいんだ」
と言い訳をする。
セジはヘイタにそう言い訳をしたが、それはクミコに対しての言い訳だった。
「忙しい人はこんなところで昼寝なんてしてません」
クミコは腰に手を当て、セジの言い訳を否定する。
その口調はセジを非難しているようにも聞こえるが、それはセジもタケルたちと一緒に仲良く行動して欲しい、というクミコの気持ちの表れだった。
「そうだそうだ」
ヘイタがクミコに同調すると、セジは笑顔でヘイタのホッペを優しくプニプニとつまんでからクミコを見上げ、真面目な顔で自分の考えを伝えた。
「イスタルにはあまり興味がないんだ。タケルは庶民の暮らしを知ることが治安維持のためにも大切だって言うけど、わざわざ庶民の中に紛れなくても、庶民の暮らしはわかると思うんだ。しかも、サイノ市場ならまだしも、イスタルだからね。兎人のことなんてどうでもいいよ。だから今日は申し訳ないけど、行かないことにしたんだ」
それはセジの正直な思いだった。
だからクミコにもそれは否定できない。
「ふーん」
クミコは何となく納得して、セジの右隣に腰掛ける。
「セジ兄ちゃん、遊ぼーよー」
ヘイタはセジの左手を両手で掴んでブランコのように左右に大きく振る。
ヘイタの相手をするよりも、クミコとちゃんとした会話がしたいセジではあったが、ヘイタの相手をしないといつまでもちょっかいを出してくるので、しっかりとヘイタの相手をすることにした。
「ヘイター、食べてやるー」
セジはヘイタを無理やり横倒しにし、ヘイタのお腹で口をもぐもぐとさせた。
「きゃはは!くすぐったい!」
ヘイタは大はしゃぎだ。
「負けないぞ!」
ヘイタはお腹に覆い被さるセジの頭に手を置いて、力一杯に下に押しながら体を全力で左右にくねらせ、ずりずりとセジから抜け出して立ち上がった。
ヘイタが前屈みになってセジに向かって頭突きの体勢を取ると、セジは立ち上がって中腰の姿勢でそれを待ち構える。
「えーい、どーん!」
ヘイタがそう叫びながらセジの腹に向かって頭から突撃すると、セジはそれを鍛え上げられた腹筋で受け止め、
「うわぁ〜、やられた〜」
大袈裟にヘイタを抱えて仰向けに倒れ込む。
そして、バタリと死んだふりをする。
ヘイタは仁王立ちで腰に手を当て、
「まいったかー」
そう死んだふりをしているセジに言い放つと、嬉しそうにクミコに駆け寄って、
「お姉ちゃん、僕、強いでしょ!」
と言いながら、クミコに抱きつくのだった。
「ヘイタは強いね」
クミコがヘイタの背中を優しく撫でると、ヘイタはクミコから体を離し、
「えへへ」
と笑い、得意顔で胸を張るのだった。
セジは服についた草をはたいて落とし、
「あーあ、負けたぁ」
と悔しがりながら、クミコの横に座り直す。
「今日は天気も良いし、日向ぼっこをしながら考え事をするには、もってこいの日だとは思わないか?」
セジはそうクミコに話しかける。
「そうね」
クミコが相槌を打つと、ヘイタが唐突に「おしっっこ」と言い出した。
「今?」
クミコがヘイタの顔を覗き込むと、
「うん!」
ヘイタは屈託のない笑顔で力強く頷き、
「一緒に行こっか」
そう言ってクミコが立ち上がろうとするのを両手で押し戻す。
「僕一人で大丈夫だよ。お姉ちゃん、僕はもう子供じゃないんだぞ!」
そう言うと、ヘイタはクミコの返事も聞かずに屋敷に向かって駆け出した。
ヘイタは両手を広げ、
「バサバサ、バサバサ」
鳥の羽ばたく真似をしながら駆けて行った。
ヘイタがいなくなると急に静かになり、セジとクミコは原っぱにポツンと残された。
「ヘイタったら」
クミコは肩をすくめる。
「男の子だからね」
セジはそう応えて笑う。
二人きりになると、急に穏やかな日差しとそよそよと吹く風が自己主張し始め、二人はそれを心地よく感じるのだった。
言葉もなく時間が過ぎていく。
陽光を反射するサイノ川の川面のきらめきに心を奪われているクミコの横顔を、セジはクミコに気づかれないようにチラチラと見、一人胸をときめかせるのだった。
セジもしばらくは風に吹かれていたのが、ただ時間だけが無為に過ぎていくことに耐えきれず、
「クミコ」
と思い切って声をかけた。
しかし、セジはクミコの名を呼んだまま何も言わず、お尻の横に生える草を千切っては投げ、千切っては投げる。
アジやタケルがいない中でクミコと言葉を交わすのは久しぶりだった。
話したいけど、話したいと思えば思うほど、何を話していいかわからなかった。
「なに?」
クミコはセジに振り向いていつもの笑顔をみせる。
その笑顔に、セジはドキッとさせられる。
今までこんなことなかったのに、クミコがアジに思わず言った一言が、セジを傷つけていた。
—じゃ、アジが私をお嫁さんにして。
そのとき咄嗟に出たクミコの言葉、そしてその表情。
クミコのその眼差しに、アジへの想いを感じずにはいられなかった。
それがセジには苦しかった。
「いや、何でもないんだ」
セジは俯いて、草を千切って投げる。
「どうしたの、セジ。具合が悪いのは本当だったの?」
クミコはいつもと違う様子のセジを心配そうに見つめる。
いつもはどこか尖っているセジが、元気がないように見えるし、目もちゃんと合わせてくれない。
こんなセジは今まで見た事がなかった。
「だから、あれは仮病だって・・・」
セジは不貞腐れたように答える。
その不貞腐れた言い方が、いつものセジらしさのように感じて、
「あー、白状したわね」
クミコは明るくセジを責める。
いつもの明るいクミコの笑顔、その言い方。
それがセジにはいつも以上にキラキラして見えた。
「とっくに白状してただろ」
セジはそう言って口をへの字に曲げる。
「そうだっけ?」
クミコは惚けてから「うふふ」と笑う。
クミコのその笑い方も好きだった。
そのとき、セジはずっと心に思っていたことを伝えようと思った。
「クミコ」
セジは何かを決意した面持ちでクミコに話しかける。
「なに?」
クミコはセジの表情の変化に気づくと、落ち着いた笑顔で返事を返した。
「あのさ」
セジは俯きがちにそう言うと、ふーっと長い息を吐いて気持ちを落ち着け、
「これはあくまで俺の意見だけど」
と前置きをして、チラリとクミコの顔を覗き見るのだった。
「うん」
優しく頷いて先を促すクミコ。
クミコの穏やかさはセジが何を言っても受け入れてくれる、そんな穏やかさだった。
セジはゆっくりと息を吸い、思い切って自分の思いを口にした。
「クミコはジベイ家に嫁ぐべきだと思うんだ」
セジは思い詰めた表情でそう告げた。
そのセジの唐突な言葉に、クミコは目を丸くして驚いた。
「えっ」
頭が真っ白になる。
それはまさにクミコが密かに望んでいたことだったからだ。しかし、それをどんなに望んだとしても、それが許されることだとは思っていなかった。
その願望をアジに口走ってしまったことを後悔していたし、それは今思い出しても顔から火を吹くくらい恥ずかしいことだった。
それはあくまで家と家とで決めることだからだ。
ムサシがクミコの気持ちを大切にしてくれるから、縁談の話が届いていても今はそれに抗うことができているけれど、いつまでもそれが許されるとは思っていなかった。
だからこそ、セジの言葉はクミコにとってこれほど嬉しいものはなく、強く胸を打つものだった。
セジはクミコの驚く顔をしっかりと見つめ、
「サムイコクの将来を考えたら、テドウ家とジベイ家の絆って何よりも大切だと思うんだ」
と、クミコがジベイ家に嫁がなければならない理由を冷静に説明する。
セジはあくまで政治的な観点から、クミコはジベイ家に嫁ぐべきだと言っているのだ。
それはクミコにとって力強い言葉だった。
個人的な理由なら許してもらえなくても、それがあくまでサムイコクの将来の為だとすれば、ジベイ家へ嫁ぐことも許される気がした。
「そ、そうよね。私もそう思うわ」
クミコは自分を励ますように、セジに同意した。
「だから、クミコはジベイ家のお嫁さんになるべきだ」
セジは力強くクミコを勇気づける。
「セジがそう言ってくれるなら、嬉しいわ」
クミコにはいつになくセジが頼もしく見えた。
クミコの自分を頼る眼差しが心地いい。
セジはさっきまでの緊張が嘘のように饒舌だった。
「うん。これは私情を挟むことではないからね。もっと大きなことなんだ」
セジはそう言って穏やかな笑みを浮かべる。
「私もそう思うわ」
クミコは目をキラキラさせてセジを見つめ返す。
そのクミコの真っ直ぐな眼差しに、セジはクミコを抱きしめたい衝動に駆られるが、その想いを断ち切るように、クミコから視線を逸らし空を見上げた。
「だから絶対に、ジベイ家以外からの縁談を受けちゃだめだよ」
セジが空を見上げながらそう言うと、
「わかった」
クミコは素直に頷くのだった。
セジはクミコと二人だけの秘密を持てたことが嬉しかった。
「それじゃ、頃合いを見計らって俺が父さんを説得するよ。そして、父さんの方からムサシ様を説得してもらうから」
セジはクミコを安心させるような、自信に満ちた眼差しでそれを約束した。
セジのその言葉で話しが現実味を帯びてくると、クミコは急に恥ずかしくなった。
「なんだか恥ずかしいわ」
クミコは頬を赤らめ俯いてしまう。
「恥ずかしいなんて言ってちゃダメだ。そんなこと言っている間に縁談を決められたら最悪だろ」
セジは力を与えるようにクミコの肩にポンッと手を置き、その横顔を見つめた。
「それもそうだけど・・・」
クミコは父ムサシが首を縦に振ってくれるか不安だった。
サムイコクの将来の為という言い訳が通じるといいんだけど・・・
それ以前に、律儀なトノジが家柄を気にして受け入れないかも知れない。
「決まり!」
セジは急に大声を出した。
モジモジしているクミコの不安を断ち切るために、
「大丈夫だから」
セジは真顔でキッパリと言い切った。
「大丈夫だといいな・・・」
クミコは心からそう思う。
セジはクミコと目を合わせると、ニッと笑い、クミコを安心させようとする。
「俺に任せろ」
そう言って、セジは自分の胸をドンッと叩いてみせるのだった。
クミコにはそんなセジが輝いて見えた。
クミコは嬉しそうに頬を赤く染め、
「うん」
小さく頷いた。
セジは決して〝アジのお嫁さん〟とは言わなかった。
セジが言ったのはあくまで〝ジベイ家の嫁〟だったのだが、クミコはそれに気づいていない。
セジは晴れやかな気持ちで空を見上げた。
原っぱの斜面を風がさぁーっと駆け抜ける。
西陽が色を濃くし、次第に日は暮れていくのだった。




