〇四九 幸せなできごと
ガタ、ガタガタ・・・
空っぽの荷台に仰向けに寝っ転がって、夕方の空を眺める。
野菜や果物の入っていたカゴは重ねて荷台の端に縛り付けていた。
ガタ、ガタガタ・・・
揺れる荷馬車に体を任せるのは心地がいい。
「タヌ、ラウル、今日はよくやった」
御者台で手綱を操るテムスが、荷台に寝っ転がる二人に声をかけると、
「よくやった」
タヌがテムスを真似てラウルに声をかけ、
「お前もな」
ラウルがそう応える。
それから二人は互いに顔を見合わせ、「ふふふ」と笑う。
「あの紳士、名前は何て言うんだっけ?」
テムスは荷台に振り返る。
見通しの良い一本道。
道の左右には畑が広がり、どこにも危険は見当たらない。
だから荷馬車は基本的に馬に任せておけばいい。
「バラレスさん」
ラウルが答える。
ラウルの声を横に聞きながら、タヌは思い出していた。
ドラゴンの置物を取り返し、市場に戻ったらバラレスの姿がなかった。
もしやと思って店に戻ったら、そこに落ち込むバラレスがいたのだった。
暗い顔をしてうなだれていたバラレスではあったが、タヌの手にドラゴンの置物の入った袋が握られていることに気づくと、パッと輝くような笑顔になり、急に力を取り戻したのだった。
その輝きは、落ち込んで力を失った身体に一瞬にして生命の力が注入され、それが全身から溢れ出しているような輝きだった。
人の気持ちって一瞬で変わるものなんだな・・・気持ちがその人の体に力を与えたり、その人の体から力を奪ったりしてしまうものなんだな・・・
タヌはつくづくそう思うのだった。
気持ちって、とても大切だ。
生きるために必要な活力をその人に与えるのも、その人から奪うのも、結局はその人の気持ちに違いない。
だから気持ちを上手くコントロールできる人は、きっと幸せな人なんだろうな。
タヌは何となくそんな事を思う。
「そうそう、バラレスさんって言ったな。バラレスさん、お前たちがドラゴンの置物を取り戻して帰って来たとき、本当に喜んでたなぁ」
そう言うテムスは心から嬉しそうだ。
そこにテムスの人柄が良く表れている。
困った人に手を差し伸べるのがテムスだし、人の喜びを一緒に喜んであげられるのがテムスだった。
「そうだね」
ラウルは優しく相槌を打つ。
ガタ、ガタガタ・・・
テムスは会話中も時折前方を確認し、手綱を手慣れた手つきでコントロールする。
「ラドリアの人ってのは、みんなああいう紳士なのかい?」
バラレスの背筋のしゃんとした姿勢や、物腰の柔らかさにテムスは感心していた。
「そうでもないよ」
ラウルが答える。
「ミカルといい、ラドリアの人間はしゃんとしているように見えるんだがな」
そう言いながら、テムスは手綱を上下に大きく振ってビシッと馬の尻を打った。
「ラドリアにだってひどい人はいるんだよ」
ラウルはそう応えて笑い、
「それに、ミカル様は護衛隊の隊長だからね。特別中の特別だよ」
そう言いながらミカルを思い出し、なんだか誇らしい気持ちになる。
何と言ってもミカルはラウルにとって憧れの存在だった。
ラウルの横でタヌは空を眺めながら、ミカルの言葉を思い出していた。
—もし、いつか、お前たちが立ち上がる日が来るなら、私も仲間に入れてくれ。
その言葉を思い出す度に胸が熱くなる。
父ナイのみせた死に様は、間違いなく他の霊兎たちの心をも打っていた。
自分はその霊兎たちの想いにどう応えればいいのだろうか。
—父として、ひとりの人間として、そしてラドリアの戦士として、その死に様をみせて死ぬつもりだ。それが私からお前に与えられる最後の教えだ。
ナイのその教え。
人の生き様、そして死に様。
自分はナイの教えを正しく理解しているだろうか。
自分は為すべきことをしているだろうか。
見つめる空は夕暮れの空。
タヌは深呼吸をし、焦る気持ちを落ち着けるのだった。
「そうは言っても、ラドリアにはコンクリ様がいらっしゃるから、他の都市とは違うような気がするなぁ」
テムスは呑気にそんなことを言ってニコニコしている。
「そっかなぁ」
ラウルは空を眺めながら、気のない返事を返す。
「しかし、お前たちはよくドラゴンの置物を取り返したな」
テムスはそう言うと、腰が痛くなってきたのか、二人の返事を待たずに御者台に姿勢を正して座り直し、ちゃんと前を向いて手綱を握り直した。
ガタ、ガタガタ・・・
「取り返すのは簡単だった」
タヌがそう答えると、
「ほぉ」
テムスは〝さすが〟とばかりに感心した。
二人が体を鍛え、剣術などの武術に励んでいることを知っているからだ。
「どうやら、盗むつもりじゃなかったみたいなんだ」
タヌが付け足すと、
「どういうことだね、それは」
テムスは驚いて聞き返す。
だが、
「それが謎なんだ」
タヌはそう応え、
「それが俺たちにもよくわからないんだ」
ラウルもそう返して首を傾げるだけだった。
「へぇー」
テムスはそんな相槌を打ち、
「まぁ、どっちにしろ、置物が戻ってきて本当に良かった」
と話を締め括ってから、
「バラレスさんとは今後も付き合いがあるはずだ。親交を深めておけば、お前たちがラドリアに戻るときに助けてくれるかも知れないな」
そう二人に投げかけるのだった。
しかし、
「でも、俺たちの素性がわかったら、教会に通報する可能性の方が高いと思う」
ラウルはそう応えて表情を険しくした。
「そうでもないんじゃないかな」
テムスにはバラレスが二人のことを通報するような人間には見えなかった。
「バラレスさんはラドリアの人間なんだよ。ラドリアにはコンクリ様がいる。霊兎族にとってコンクリ様は特別な存在だけど、ラドリアの人たちにとっては、本当に絶対的な存在なんだ。俺たちはそのコンクリ様に逆らったことにされてるんだから、いくらバラレスさんがいい人でも、コンクリ様を裏切るような真似はしないと思う」
そう説明しながら、ラウルはその言葉に力を込めた。
かつてコンクリはラウルにとって絶対の存在だったし、追われる身となった今でも、コンクリの力を否定することはできなかった。
コンクリは間違いなく、霊兎族の頂点に立つ存在なのだ。
だから、バラレスが自分とタヌを売ったとしても、それを責めることはできないと思っている。
「でも、本当は逆らっていないんだろ?」
テムスは前を向いたままラウルに優しく声をかける。
ガタ、ガタガタ・・・
「でたらめだよ」
ラウルの心に怒りがこみ上げる。
「アクっていう奴が俺たちの仲間を殺そうとしたんだ。俺とラウルはそれを止めようとしただけなんだ」
タヌがそう事情を説明すると、
「アク?」
テムスは驚いて聞き返した。
今まで二人がラドリアから離れることになった理由が、教官に逆らったことだということはそれとなく聞いてはいたが、アクの名を聞くのはこのときが初めてだった。
テムスの驚いた声にピンと来た二人は、同時に上体を起こし、テムスに向かって胡座をかいて座り直した。
「知ってるの?」
タヌがテムスの背中に向かって問いかけると、
「聞いたことある名前だな。お前たちがイスタルに来る少し前にラドリアに戻ったんだが、精鋭養成所に乱暴者で有名な教官がいたんだよ。そいつの名前もアクとか言ったな、確か」
テムスは記憶を辿りながらそう答えた。
それは間違いなく、二人の知っているアクだった。
「へぇー。どういう奴だったの」
ラウルが尋ねると、
「まだ若造のくせに、剣術の教官ってことを鼻にかけて暴力を振るうような奴だったらしいぞ。気に食わないことがあるとすぐに言い掛かりをつけて、何人も半殺しの目に遭わせたらしいから、相当怖がられていたと思う。私は会ったことも見たこともないんだけど、そういう噂をよく耳にしたよ」
テムスは訳知り顔で当時のことを伝えるのだった。
ガタ、ガタガタ・・・
「それでラドリアに戻されたのかな」
タヌはなぜアクがラドリアに戻されたのか、その理由が気になった。
タヌの心のどこかに、アクがラドリアに戻って来さえしなければ、ラウルと自分はずっとラドリアにいられたはずなのに、という思いがあったのかも知れない。
「どうなんだろうね。アクが来たおかげで精鋭養成所の生徒たちの実力は桁違いに上がったと聞くし、おかげで護衛隊も助かっていたようだしなぁ。それに何より、驚いたことに、アクがいる間は蛮兵たちがおとなしくなったんだよ。これは有難いことだった。だからイスタルにとってはいいこともあったということだ。日々の素行の悪さだけが、ラドリアに戻された理由ではないと思うけど、どちらにせよ、イスタルでのアクの役目は終わったってことなんだろうな」
テムスはアクについてそう説明しながら穏やかな笑みを浮かべ、手綱をくいっと引っ張ったり緩めたりして、荷馬車の速度を一定に保つ。
ガタ、ガタガタ・・・
「そうなんだね」
タヌはポツリとそう呟いて黙り込む。
ラウルも何か思うところはあったようだが、それを言葉にすることはなかった。
辺りが暗くなり始めた頃、荷馬車はテムスの家に到着した。
家に帰ると、テーブルの上にはいつになく御馳走が並んでいた。
「おかえりなさい!」
ナーラが元気な笑顔で出迎える。
「美味しそう!」
タヌは思わず声を上げていた。
「うわっ、いい匂いだ」
ラウルも思わず声を上げ、胸一杯にその匂いを嗅ぐ。
部屋の中は美味しそうなスープの匂いと、パンの香ばしい香りが絡み合うように漂っていて、空腹のお腹がクゥ〜っと鳴ってしまうのだった。
テーブルには熱で横になっていたラーラも腰掛けていて、みんなの帰りを待っていた。
テムスは訳がわからず、ただ驚いていた。
「どうしたんだい、この御馳走は?」
テムスが訊くと、
「ママと二人で作ったの」
ナーラは嬉しそうに答えた。
「ラーラ、具合はもういいのかい?」
テムスがいたわりの言葉をかけると、ラーラは穏やかに頷いた。
「ナーラの看病のおかげで熱は下がったわ」
ラーラはそう言ってふと寂しげな表情をみせたが、すぐに笑顔を作ると、
「それより今日は、ナーラから素晴らしいお知らせがあるのよ」
そう明るい声で告げたのだった。
ラーラが目配せをすると、
「そう、そうなの!」
ナーラは弾むような声でそう言いながら、テムスの前に立った。
そんなナーラの幸せ一杯の表情に、テムスもなんだか嬉しくなる。
「もしかして、ソドスとのことかい?」
テムスはナーラの許嫁のソドスが、いよいよプロポーズでもしたんじゃないかと思って喜んだ。
「ううん」
ナーラは首を横に振り、
「それよりも、もっと素晴らしいことよ」
そう言って満面の笑顔をみせる。
タヌとラウルは二人のやりとりを微笑ましく見つめていた。
素敵な娘に、その娘を包み込む父親の優しさ。
そこにある愛情が、二人には羨ましくもあった。
「なんだい、ナーラ」
テムスが尋ねると、ナーラはもったいぶって少しずつ答える。
「今日のお昼に、教会の使者がやってきたの」
ナーラは嬉しそうに言う。
でも、テムスには理解できない。
「教会の使者?」
テムスは首を傾げてナーラを見る。
ナーラはそんなテムスがびっくりするような事を伝えるつもりだ。
だから、その目がワクワクしている。
「私、選ばれたの!」
ナーラは嬉しそうに言って、胸の前で手を組んで目を輝かせた。
「なんだい?」
それでもテムスは何が何だかわからずに、キョトンとしている。
ナーラが喜んでいるということだけは、よくわかるんだけど・・・
テムスはそんな心境だ。
「献身者に選ばれたの!一ヶ月後に献上の儀式があるんですって!」
ナーラがトドメを刺すようにそれを告げると、テムスはすべてを理解し、
「そうか、そうなのか」
しみじみとした笑みを浮かべるのだった。
まさか自分の身近で献身者に選ばれる人間が現れるなんて思わなかった。
それくらい、献身者に選ばれるのは難しいことだった。
しかも、それが自分の娘だなんて。
笑顔の二人を見つめるタヌの顔が強張っていた。
ナーラが献身者に・・・
そのことにタヌは衝撃を受けていた。
まさか、ナーラが献身者に選ばれるなんて・・・ソドスとの結婚をあれだけ心待ちにしていたはずなのに。大好きなソドスとの幸せな家庭を夢見ていたはずなのに。献上の儀式で身を捧げることがそれを忘れさせるくらい幸せなことだというのか・・・
タヌは溢れ出る悲しみを押し殺し、なんとか笑顔を作ろうと試みるが、嘘でも祝福することはできなかった。
笑顔を作ろうとすればするほど、涙がこぼれそうになる。
「顔洗ってくるね・・・」
タヌはそう呟いて、その場を離れた。
タヌの横で二人のやり取りを見ていたラウルは頭が真っ白になっていた。
献身者として天国に行けることは素晴らしいことだ。それはわかっている。以前のラウルなら無条件に喜び、祝福していただろう。でも、今のラウルにはそれをどう捉えていいのかわからなかった。喜び、寂しさ。心がどっちつかずの状態だった。
ラウルはただ呆然と二人のやり取りを見ているだけだった。
「本当なんだな?」
テムスが念を押すと、
「本当よ!」
ナーラはそう答えてテムスに抱きつくのだった。
「おお、こんな素晴らしいことはない。良かったな、ナーラ」
そう言って、テムスは最愛の娘を抱きしめた。
テムスの目からは自然と涙が溢れていた。
それは別れの寂しさと、娘を祝福する喜びが入り混じった深い涙だった。
「ナーラ、本当に良かったな」
テムスが改めてナーラを抱きしめると、ナーラもテムスに抱きついた腕にぎゅっと力を込める。
「本当に、私、幸せだわ」
ナーラはそう言って、幸せの涙を流すのだった。




