〇四七 ギルとの出会い
ムニム市場は朝から活気に満ちている。
まず場内の売り場の確保のために、開場前から行商人や生産者たちが集まってくる。
その集まった人たちのほとんどが顔見知りなので、朝の活気は楽しいおしゃべりから始まるのだった。
場内の売り場は早い者勝ちだが、霊兎族は元来のんびりした性格の者が多いので、先を争うこともないし、売り場を巡って揉め事が起こることもなかった。(市場内には売り場として使われる商品台が整然と置かれていて、その数も多いということもあるし、顔見知りの間では誰がどこを使うかが決まっているため、場所取りで焦ることもなかった。仮に商品台が使えなくても、市場の中央が開放スペースになっていて、そこを使えば済む話だった)
テムス農園もほぼ毎日市場を利用しているのだが、ムニム市場での商いで活躍するのはテムスの妻ラーラと娘のナーラだった。
売り場に商品を運び、そして片付けるのがタヌとラウルの仕事で、商品を愛想よく売るのが二人の仕事というわけだ。
看板娘のナーラのおかげでテムス農園の店には客が絶えなかった。
女性陣二人が売るのはもちろんテムス農園で採れた野菜や果物、それから、テムスがサイノ市場やその周辺の繁華街で仕入れてきた美しい絵柄の彫られた工芸品や、細かな手作業によって作られた置物の彫像だった。
特に三つ目のドラゴンの木彫りの彫像は人気があり、何体仕入れても売り切るのに三日と掛からなかった。
「キャブツいかがですかー、ラタスもありますよー」
タヌは人混みに向かって呼び込みの声をあげる。
「三つ目のドラゴンも見ていってください!」
ラウルも声を張り上げ、タヌと並んで呼び込みをする。
市場は買い物客で溢れかえっていた。
「今日は、悪いね」
テムスは申し訳なさそうに二人に声をかける。
若いタヌとラウルが商品台の後ろに立って呼び込みの声を上げ、テムスは二人の後ろに椅子を置いて、二人の背中を見守るように座っているのだった。
「おじさん、気にすることないよ」
タヌが振り返って笑顔をみせると、
「そうそう、市場の賑やかさもいいもんだよ」
ラウルもテムスに振り返って明るく応える。
この日はラーラが熱を出して寝込んでしまっていた。
その看病のためにナーラも家にいる必要があったから、男三人で店番をすることになったのである。
日頃、タヌとラウルの二人は農園の仕事や荷物運びなどの裏方の仕事に従事していて、店番をすることはほとんどなかった。
それはもちろん、店番は女性陣の役目だということもあるが、それ以外にも、ラドリアから逃げてきた者として、人目を気にする必要があったからだった。
しかし、あれから三年が経ち、タヌとラウルの髪色もだんだん濃くなり、体格も大きくなっていく中で、最近ではそれほど人目を気にする必要もなくなっていたため、女性陣が店に出られないときは、代わりに店に立つことにしているのだった。
「おお、これは凄い」
そう言ってドラゴンの置物を手に取ったのは、紳士的な中年の黒髪の霊兎だった。
その紳士は皺のない長袖の筒型衣の上からマントを羽織っていて、その立ち姿は清潔感を漂わせている。
男は三つ目のドラゴンの置物を手に取ると、上から下から横から斜めからと像をつぶさに見て、
「こんなに素晴らしいドラゴンの彫像は初めて見たよ。これを彫った烏人は凄いものだ。こういうものを簡単に手に入れられるイスタルが羨ましい。私が住んでいるラドリアではこんな精巧なものは手に入らないからね」
と感心するのだった。
えっ、ラドリア?・・・
この紳士の口から出た〝ラドリア〟の名に、タヌとラウルの心は弾んだ。
しかし、ラドリアから逃亡してきた身としては、ラドリアを話題にするわけにはいかなかった。
「そうなんですね」
タヌは笑顔でそう応えるだけだった。
「そうなんだよ」
紳士は自らを憐れむような笑みを浮かべ、
「これとこれをもらっていこうかな」
そう言いながら、ドラゴンの置物を二つ指差した。
「ありがとうございます」
ラウルは礼を言い、さっとそのドラゴンの置物を手に取ると、それぞれ布に包んでから一つの袋に入れ紳士に手渡した。
ラウルの言葉遣いや手つきが自然と丁寧になっていたのは、故郷を思う気持ちからだった。
ラドリアの紳士は銀貨を二つ支払うと、
「また来るよ」
そう言って微笑み、ドラゴンの置物の入った袋を大切そうに胸に抱え、二人に背を向け去っていった。
「ラドリアはやっぱり懐かしいか」
テムスは二人に声をかける。
「もちろんだよ」
ラウルはそう応え、シールを想い浮かべる。
その横でタヌは黙って頷き、マーヤのことを想うのだった。
元気にしてるかな・・・
二人の心に寂しさが込み上げてくる。
二人はラドリアの紳士の後ろ姿が見えなくなるまで見送りながら、しばし故郷を懐かしむ。
ラドリアの紳士の背中が人混みに紛れ見えなくなりそうになった、そのときだった。
「あっ」
二人は突然の出来事に目を見張った。
突然、紳士の背後に亜麻色の霊兎が現れたかと思ったら、ドンッと紳士に体当たりを食らわせたのだ。
紳士は前のめりに倒れて地面に手をつき、その拍子にドラゴンの置物の入った袋を落としてしまう。
それを亜麻色の霊兎と一緒にいた茶髪の娘が拾い、すっと人混みに消えていくのが見えた。
「ラウル!」
タヌは思わず叫び、無意識に商品台を飛び越え人混みの中に駆け出していた。
ラウルは咄嗟にテムスに振り向き、
「おじさん、お願い!」
と叫んでタヌの後を追う。
亜麻色の霊兎は紳士に手を差し伸べ、
「すみません」
申し訳なさそうな顔で謝罪し、頭を下げた。
紳士は四つん這いの姿勢から立ち上がると、ズボンについた埃をはたきながら、
「いや、いいんだよ」
亜麻色の霊兎に優しく応えるのだった。
「本当にすみません」
亜麻色の霊兎は改めて頭を下げてから、キョロキョロと辺りに何かを探す。
「おじさん、袋は?」
亜麻色の霊兎は白々しく、紳士が抱えていた袋が消えていることを指摘するのだった。
紳士は慌てて足元を探すが、確かに袋は消えていた。
「ない!ドラゴンの置物が!」
紳士は慌てて場内を見渡す。
すると、ドラゴンの置物の入った袋を握り締め、人混みを掻き分け市場の出口に向かって走り去ろうとする茶髪の娘を見つけたのだった。
「あそこだ!」
と叫んで紳士が市場の出口を指差すと、
「おじさん、ここで待ってな!俺が取り戻してくるから!」
亜麻色の霊兎はそう言うと一瞬後ろを振り向いてニヤリとしてから、茶髪の娘を追って駆け出した。
「き、君!」
ラドリアの紳士がお礼を言う間もなく、亜麻色の霊兎は人混みに消えていった。
タヌとラウルは人混みを掻き分けラドリアの紳士に近づきながらその様子を見ていた。
亜麻色の霊兎が紳士から離れるのを見て、
「ラウル、あいつを追ってくれ!」
タヌはそう言い、自分はラドリアの紳士に駆け寄った。
「まかせとけ!」
ラウルはそう応え、亜麻色の霊兎を追って市場の出口に向かう。
「おじさん、大丈夫ですか」
タヌは紳士に声をかける。
「ああ」
紳士はタヌを見るとほっとした表情をみせた。
それから、
「せっかく買ったドラゴンの置物が盗まれてしまったんだよ」
と残念そうに言う。
「置物は取り戻します」
タヌが力強くそう告げると、紳士はタヌのその親切な言葉に、
「ありがとう。でもあの子が取り戻してくれるから大丈夫だよ」
そう応え、人混みの中の亜麻色の霊兎を指差した。
タヌは一部始終を見ていたからわかるが、そうでなければ、人混みの中の誰を指しているかなんてわからなかっただろう。
「あの亜麻色の奴ですか?」
タヌが確認すると、
「そう。ここで待っていればいいって言ってくれたんだよ。有難いことだ」
紳士はそう答え、亜麻色の霊兎に感謝するのだった。
紳士は自分が嵌められていることにまったく気づいていない。
「ちっ!」
タヌは舌打ちをすると、紳士に何も言わず亜麻色の霊兎を追って駆け出していた。
人混みの中にチラチラと見えるラウルの背中が目印だった。
タヌの動きがあまりに素速くて、
「あ・・・」
紳士が声をかけようとしたときには、すでにタヌは人混みの中に消えていた。
紳士は戸惑いながらもその場に突っ立っているのも何なので、休む場所を探して後ろを振り返ると、テムスの店が不思議と柔らかく光って見えた。
その光に導かれるように、紳士はテムスの店に向かって引き返すのだった。
ラウルは亜麻色の霊兎の背中を追っていた。
人混みを掻き分け、徐々に近づいていく。
亜麻色の霊兎は市場の東口から外に飛び出した。
その姿はラウルはもとより、ラウルの後方にいるタヌにも確認できていた。
ムニム市場には東西南北に出入り口があり、そこから外に出ると市場の外壁に沿って商人たちの荷馬車を停める駐車場や馬繋場になっていた。
駐車場を越えると街道に出るが、その手前で市場の外周を走る外周道と交差することになる。
この外周道に沿って露店が賑やかに立ち並んでいて、市場に入れない兎人、および烏人の生産者たちも、外周道に場所を見つけて農産物や工芸品などを売っているのだった。
亜麻色の霊兎は東口から市場の外に出ると、外周道を北口方面へと向かった。
外周道を走りながら、立ち並ぶ店と店との間にある幾つかの路地を覗き込み、茶髪の娘を探す。
そして、人のいない路地の奥からこちらの様子を窺っている茶髪の娘を見つけると走るのをやめ、右手を上げて合図をしてからゆっくりと近づいていくのだった。
「うまくやったな」
亜麻色の霊兎、ギルはそう言って笑った。
「で、あの二人は追ってくるのかい?」
茶髪の娘はそう言って、その手に握る袋をギルに手渡した。
腰に剣を下げていることから、二人はただの泥棒ではないようだ。
「ああ。すぐに追いついてくるはずだ。バケじぃには悪いが、来たらボコボコにしてやる」
ギルはそう言って袋を肩に担ぐ。
茶髪の娘の名はヒーナといい、鋭い目つきはしているものの、まだどこかあどけなさも残りしている、そんな少女だ。
前髪が彼女の左目を隠すように覆いかぶさっていて、綺麗な茶色の瞳には恐れというものを知らない強さがあった。
「ギルに敵う奴なんていないさ」
ヒーナはそう返し、頼もしくギルを見る。
ギルは路地の奥に向かって歩き出し、その横をヒーナは肩を並べて歩いた。
二人が路地の交差点に差し掛かると、右側から来た赤褐色の霊兎と銀色の霊兎の二人組とすれ違った。
タヌとラウルだ。
来たな・・・
ギルがそう思ったその瞬間、すれ違いざまに赤褐色の霊兎の肩がギルの肩にドンッとぶつかり、ギルはよろめいた。




