〇四四 シールの決意
ガシッ、ガシッ、ビュン!カン、カン、カン!
木剣と木剣がぶつかり、弾き合う音が道場に響き渡る。
「えい!」
シールは思いっきり木剣を振り下ろしながらも、重心を微かに左に移し、次の一手に備える。
ガシッ!
シールの振り下ろした一太刀は受け止められ、次の瞬間、シールの意表を突いた蹴りが飛んで来た。
「えっ」
バシッ!
シールは蹴りを左上腕で受けると、後方に飛ばされ尻もちをついた。
シールは手にしていた木剣を落とし、左腕の痛みに顔を歪める。
「シール、蹴りが来るとは思わなかったか?」
アクはそう言ってニヤリと笑う。
「打ち合いで蹴りが来るとは思いません」
シールはそう答えながら立ち上がり、落とした木剣を拾う。
「ふーん。蹴りが来ないと思うのはお前の勝手だが、生きるか死ぬかの戦いにおいて、相手がお前に合わせて戦うとでも思っているのか?」
アクはシールを見下すようにそう言い、
「いえ・・・」
シールはそれに反論できなかった。
アクの言っていることは正しい。
だから反論できない。
アクは俯くシールを睨みつけ、
「相手を殺すためなら何だってしろ。型に嵌まった方が必ず殺られる。わかったか」
そう厳しい言葉を投げつけた。
悔しいけれど、今の自分ではアクの足元にも及ばない。
シールはそう思う。
そう思うからこそ、気持ちで負けてはいけない。
「はい」
シールは顔を上げ、アクの顔をちゃんと見て返事を返した。
これは剣術のクラスの授業風景だ。
女子に剣術の授業はない。
つまり、シールが学んでいるのは男子の剣術であって、男子と一緒に学んでいるということだ。
そして、その教官がアクというわけだった。
シールは木剣を構え、アクを静かに見つめる。
しかし、アクはシールに対し木剣を構えようとはしなかった。
「お前の番は終わりだ」
アクはそう告げるとシールに背を向け、座って二人の打ち合いを見ていた生徒たちの中から一人を木剣の切っ先で指し、「次はお前だ」と指名した。
「お前だと言ってるだろ!」
アクが怒鳴り、
「は、はい。ぼ、僕ですか?」
おどおどと立ち上がったのはエラスだった。
シールは構えを解いて、礼をして下がる。
そして他の生徒たちと一緒になって座り、アクと次に指名されたエラスとの打ち合いを注視するのだった。
ガンッ、ビュン!カン、カン、ビュン!カン、カンッ!
木剣のぶつかり合う音が場内に響き渡る。
エラスはアクに太刀を繰り出し、アクはそれを軽く躱し、軽く払う。
エラスの繰り出す太刀は決して軽いわけではないが、アクを相手にすると大人と子供くらいの差があった。
シールはアクに蹴られた左腕を右手で揉みながら、真剣な眼差しでアクの動きの一つひとつを見ていた。
シールはタヌとラウルの二人がいなくなってから、マーヤと相談し、男子に交じって武術を学ぶことにしたのだった。
そこには秘めたる想いがあった。
タヌとラウルが帰って来るとき、護衛隊は背信の罪と逃亡の罪において二人を捕らえ、監視団に引き渡すことだろう。
そんなことさせるものか。たとえそれが無謀なことだとしても、私は二人のために戦いたい・・・
それがシールの想いだった。
そのためには、護衛隊や蛮兵たちと互角に戦える力が必要だ。
男子と本気で渡り合える技術が必要だ。
そしてなにより、このアクと互角に戦える力を身に着けなければならないのだ。
シールはそう考えたのである。
それでマーヤと共に志願し、男子が学ぶ武術の授業を受けることになったのだった。
爬神教は〝力〟がすべてである。ゆえに、女子であろうと力を求める限り、男子と共に授業を受けることは歓迎され、二人もすんなり授業に入ることができたのである。
実際に男子と共に学んでいると、シールとマーヤの二人には特別な才能があることがわかった。
二人はすぐに頭角を現し、男子と戦っても互角かそれ以上の力を発揮したのだった。
シールは三年でかつてタヌやラウルがいたクラスまで進級し、マーヤもすぐ下のクラスで頑張っていて、その実力はシールと同じクラスの多くの者たちより上だった。
二人の想いは一つだ。
すべてはタヌとラウルが帰って来る日のために・・・
ガツッ!
「ぎぇっ!」
エラスは脇腹を打たれると、奇妙な叫び声を上げてその場に倒れ込んだ。
「おい、立て!」
アクは厳しい顔つきでエラスに怒鳴る。
しかし、エラスはうずくまって動かない。
「お前はそれでも男か。どんなに苦しくても立ち上がれ!これが戦場でもお前はそうやってうずくまっているのか!お前はただ敵に殺されるのを待つのか!それとも命乞いをするつもりか!」
そう怒鳴りながら、アクはシールをチラッと見る。
アクは打ち合いの最中、シールが真剣に自分の動きを観察しているのがわかっていた。
その学ぶ姿勢に感心しながらも、アクは女が武術を習得することを蔑んでもいる。
アクにとって、女というものは力とは無縁の存在だからだ。
神が女に与えたのは、力ではなく美である。
それがアクの持論だった。
「ダメ、です・・・」
エラスは痛みで起き上がれない。
「クズが・・・」
アクはそう吐き捨て、脇腹を抱えうずくまるエラスを見限ると、
「次はお前だ!」
次の相手を木剣で指名し、すぐに打ち合いを始めた。
ガシッ、ガシッ、ビュン!カン、カン、カン!
アクの授業は容赦がない。
実践を重んじているとはいえ、それはあくまで基本を活かしたものであるべきで、アクのように基本を無視したやり方は乱暴とも言える。
しかし、アクの方針は〝生きるか死ぬか〟ということだけだった。
基本に囚われて命を落とすのはバカのすることだった。
そう思うからこそ、アクは基本を手放すことを教えるのである。
そして、アクにとって技は盗むものだった。
だからアクは授業の半分の時間において、生徒を名指しして自分が相手をしている。
実際にアクと打ち合うことで学ぶことがあり、それを見ることで学ぶことがあった。
その方針に基づいてアクは容赦なく生徒を叩きのめすのだ。
この方針はシールには有難かった。
シールが学びたかったことが、まさに、この生きるか死ぬかの実践の中にしかなかったからだし、実際にアクと真剣に打ち合うことで、かなり成長できてもいた。
アクの厳しい指導はシールにとって辛いことだったが、それもタヌとラウルのためなのだ。
タヌとラウルが帰ってきたら、私とマーヤで二人を守ってみせる。この命に替えても・・・
シールはそう心に決めていた。
そんなこと無理だとわかっていても、せめて、一緒に死ぬことぐらいはできるだろう。
それがシールの想いだった。
「今日はこれまで!」
アクが号令をかけると、生徒たちはほっとしたような顔でアクの前に整列し、
「ありがとうございました!」
一礼して出口に向かう。
「シール、お前は残れ」
アクはシールにそう命じた。
「はい」
シールはそう応え、アクの前に立つ。
アクはみんなが道場を去るのを待ってから話をするつもりのようだ。
エラスが道場を出る際に心配そうな顔をしていたので、それに気づいたシールはエラスに軽く微笑んでみせた。
生徒たちが出ていくと道場は静まり返り、そこにアクとシールの二人が残された。
アクは木剣を杖のように体の前で地面に突き立て、その柄頭に両手を置くようにしてシールを見下ろし、黙っている。
嫌な空気がそこにはあり、居心地の悪いシールが先に口を開いた。
「なんでしょうか」
シールはしっかりとした口調でそう言い、アクを見上げる。
アクはじっとシールを見つめ、ふと口の端に笑みを浮かべると、
「お前は武術を学ぶ必要はない」
そう静かに言い放った。
シールはなんだか見下されたような気がして、屹とアクを睨み、
「どうしてでしょうか」
真顔でその理由を尋ねる。
アクは呆れ顔でふーんっと鼻から大きく息を吐き、それからシールの目をしっかりと見つめると、
「お前は美しい。お前はその美しさを磨くべきだ。武術など学んで何になる。お前の武器はその美しさなのだから、武術を学んでその美しさを汚すのは愚かなことだ」
と、諭すような口振りでその理由を語るのだった。
それはアクの本心だった。
しかし、シールには見た目の美しさなんてどうでもよかった。
人間の肉体なんて、時間と共に朽ち果てていくものに過ぎない。
そんなものを磨くより、朽ち果てることのないものを大切にしたい。
朽ち果てることのないもの。
それは人の心だ。
愛する者への想いだ。
だからこそ、愛する者への想いを自分は大切にしたい。
そう思うシールの眼差しに迷いはなかった。
「美しさとは、この体の美しさを言うのでしょうか。私はそうは思いません。美しさとは、その人の生き様から自然と滲み出てくるものです。美しい生き様こそ、私は大切にしたいと思います」
シールはアクの目をしっかりと見てそう応えた。
美しい生き様だと?何をくだらないことを言っているのだ、この女は・・・
真剣な眼差しのシールをアクはふんっと鼻で笑う。
「ほぉ、それじゃ、お前の言う美しい生き様とは何だ」
アクはシールをバカにしたような目で睨みつける。
その威圧するような眼差し。
シールはその眼差しに気圧されず、真顔の表情をさらに引き締めると、
「愛する者のために、命を捨てる覚悟を持って生きるということです」
自信に満ちた眼差しできっぱりとそう答えたのだった。
アクを見つめるシールの眼差しは透明で嘘がなかった。
愛する者のために・・・
シールの口からその言葉を聞いて、アクの胸はギュッと何かに鷲掴みにされる。
アクはシールが武術を身に付けることを不快に思っていたが、シールの放つ一撃の鋭さには驚かされる事が何度もあった。
その一撃には愛する者を想う気持ちが込められていたのか・・・
そう思ったら、アクの心に憎しみの感情が湧き起こるのだった。
シールが愛している男・・・・
アクの内心は憎しみと怒りでどうにかなりそうだった。
アクはその感情をぐっと堪え、平静を装う。
「ほぉ、お前には愛する者がいるということか」
アクは自分の動揺を隠そうと、シールを挑発するような笑みを浮かべる。
しかし、本当はシールの愛する者の名前なんて聞きたくはなかった。
—そんな人はいません。
そう答えて欲しかった。
アクの顔はシールの返事を恐れ、引きつっていた。
「・・・」
シールは目を伏せ、返事をしなかった。
アクにとって、シールのその思い詰めた眼差しが答えだった。
アクはどうにもならない感情を押し殺しながら、
「図星か」
そう言ってシールを問い詰める。
シールはさっと顔を上げ、
「それに答える必要はありません」
と、アクを睨みつけるようにしてきっぱりと返答を拒絶した。
アクはその時、悟った。
シールが想いを寄せている男は、三年前ラドリアから逃亡したタヌとラウル、その二人のうちのどちらかだ。
アクは声が上ずらないように気をつけながら、
「三年前、逃亡したあいつらのうちのどちらかってわけか」
そう吐き捨てるように言い、片頬を引きつらせて作り笑い浮かべる。
シールの口元を見つめるアクの心は、なぜだか臆病に震えていた。
アクは自分自身、そんな自分の感情に驚いていた。
「タヌか?」
アクはそう訊いてじっとシールの表情を注視する。
「・・・」
シールは黙って答えない。
「ラウルか?」
アクがその名を口にしたとき、シールの顔が強張るのがわかった。
「なるほど。ラウルか」
アクは念を押す。
「・・・」
シールはそれでも黙って答えなかった。
それがなおさらシールの強い想いを伝えているようで、アクの心にメラメラとした怒りが湧いてくる。
アクの全身から凄まじい殺気が放たれる。
「間違いないようだな。ならば、俺の手でそいつを殺してやる」
アクが怒りに満ちた眼差しでそう告げると、シールの顔から血の気が引くのがわかった。
アクから放たれる殺気はただの威嚇ではなかった。
シールは何か言いかけるが、しかし、シールの口から言葉は出てこなかった。
「・・・」
そのシールの狼狽えた眼差しに、アクは勝ち誇った気持ちになる。
「あいつらが帰ってきたら、ラウルは確実に殺す」
アクはそう断言し、「ふふふ」と嫌らしく笑ってから、
「お前の目の前で殺してやるからな」
シールをいたぶるような目付きでそう告げるのだった。
「・・・」
シールはやはり何も答えられなかった。
俯き唇を噛むシールに、
「シール、お前が何を企んでいるかわからないが、その美しさは汚さないでくれよ」
アクは作られた優しい口調でそう声をかけると、大股に道場を去っていった。
去って行くアクの気配を感じながら、シールは自分の考えがアクに見透かされているような気がして背筋が寒くなった。
シールは胸の辺りを鷲掴みにすると、心細さを押し殺すようにギュッと握り締めた。
「ラウル・・・」
静まり返った道場で、シールは一人立ち尽くすのだった。




