〇四一 お人好しの罠
初老の霊兎テムスはサイノ市場の中ではなく、場外の繁華街の一角で賢烏族の商人たちに交ざって野菜を売っていた。タヌ、ラウル、ギルの三人も一緒だった。
市場の中で野菜を売ることができたら色々と楽なのだが、そのための許可を得るにはサイノ市場の小売組合に申請しなければならなかった。
それが面倒だった。
小売組合は賢烏族の商人や生産者を守るための組合で、テムスのような兎人に市場使用の許可を出すことには慎重だった。
それと同じようなことはムニム市場でも行われているので、特に不公平というわけでもない。
ということで、この日、テムスは繁華街の路上で野菜を売っているのだが、野菜を売ること以外にも目的があり、それは烏人が作った工芸品などを仕入れることだった。
サイノ市場に買い付けのために入ることは自由だし、市場周辺の繁華街にも色々な店があるので、賢烏族の民芸品や工芸品の中からテムスが厳選した物を仕入れ、それをムニム市場で売るというわけだ。
テムスは繁華街の中でも露店が多く立ち並ぶ通りにいて、露店と露店の隙間を埋めるように場所を確保し、地面に敷物を敷いてそこに野菜や果物を並べて売っているのだった。
通りにはテムスと同じように農作物を売る兎人も少なからずいて、烏人の繁華街に独特な雰囲気を与えているのだった。
通りは多くの人で溢れていた。
「全然売れないな」
そう愚痴ってギルは大きな欠伸をする。
いつもならお昼前には完売しているのに、今日はまだ半分も売れていない。
「こんなにたくさん人はいるのにね」
タヌもなかなか売れないことにため息をつき、
「暇だなぁ」
ラウルはそう言って空を仰ぐのだった。
三人は商品である野菜や果物の後ろに胡座をかいて座っていて、通りを行き交う人混みに向かって呼び込みの声をかけていたのだが、相手にされないうちにだんだん疲れて声も出なくなってしまっていた。
とはいえ、声を出していたのはタヌとラウルの二人で、ギルはその横で呼び込みの声に合わせて手をパチパチと力なく叩いているだけだった。
そのギルが一番疲れた顔をしている。
「来るんじゃなかった・・・」
ギルは恨めしそうに野菜を睨む。
「ギル、お前がサムイコクに行きたいって言うから、おじさんに頼んでやったんだろ。ちゃんと仕事しろよ。もっと笑顔でニコニコしないと客も来ないぞ」
タヌがギルに説教をすると、ギルは無理やり作り笑いを浮かべてみせる。
「こんなんでいいか」
そう言うギルのほっぺはピクピクと引きつっている。
ラウルはそんな二人のやり取りを優しく見つめていた。
いつもはクールなギルが、タヌに説教されてちゃんと笑顔を作っているのだ。
その姿がラウルにはなんだか微笑ましかった。
「ま、時間はまだたっぷりあるから、その顔でよろしく」
タヌがさらりと応えると、
「できるか!」
ギルは声を荒げてそれを拒絶した。
それを見て、
「ははは」
ラウルは愉快に笑う。
ここ最近、テムスは三日に一回はタヌとラウルを連れてサムイコク側で商売をしていた。
最近、蛮狼族監視団の監視の目がきつくなっているのがその理由だった。
監視団が探しているのはまさにタヌとラウルの二人で、テムスは二人をできるだけ監視の目から遠ざけるためにサムイコク側に渡って商売をすることにしたのだった。
「大丈夫だよ」
二人はそう言うけれど、
「油断は禁物だ」
それがテムスの答えだった。
もちろん、タヌとラウルは五年前と比べると髪色も濃くなったし、体も大きくなったので、そう簡単に気づかれないとは思うけれど、用心するに越したことはない、というのがテムスの考えだった。
テムスは我が子のように二人を可愛がっていた。
そのテムスは野菜売りをタヌ、ラウル、ギルの三人に任せ、自分は烏人の作った民芸品や工芸品を仕入れるために出かけていた。
「もうひと頑張りするか」
タヌは自分自身に気合いを入れると、立ち上がって呼び込みの声を張り上げた。
「イスタル産のキャブツですよー、いかがですかー。生で食べても焼いて食べても甘みがあって美味しいですよー」
タヌは精一杯の明るい声と笑顔で呼び込みをする。
それを見て、ラウルも立ち上がる。
「オランジはいかがですかー。甘くて美味しいですよー」
ラウルも通りを行き交う買い物客に笑顔で声をかける。
二人の様子を感心するように眺めるギル。
でも、二人のように立ち上がる勇気はなかった。
自分はそういう柄ではない。
そう思った。
つまり、ギルは恥ずかしいのだ。
「こんなことなら、ヒーナを連れて来るんだった・・・」
ギルは不貞腐れたように呟く。
「ギル、お前、何しに来たんだよ」
ラウルは座ったままじっとしているギルに文句を言う。
「荷物運び・・」
ギルはボソッと答え、ラウルから目を逸らす。
そんなギルを見て、
「意気地なしだなぁ」
そう言ってラウルは笑い、
「柄じゃないんだよ」
ギルはそう言い訳をして決まり悪そうな顔をするのだった。
「オランジ美味しいですよー」
ラウルはギルを相手にすることをやめて声を張り上げ、
「イスタル産のキャブツにネラはいかがですかー」
タヌも負けじと声を張り上げる。
すると少し離れたところから声がした。
「それ、全部くれ」
驚いて声の方に振り向くと、テムスがニコニコと笑顔をみせながら近づいて来るではないか。
テムスは唖然とする二人の前まで来ると、
「全部売れたよ」
そう言って笑った。
「どういうこと?」
タヌは首を傾げる。
「これ全部、町外れの教会に運ぶぞ」
テムスはタヌの質問には答えず、そう指示を出した。
「教会?」
タヌが聞き返すと、
「そうだ。教会だ」
テムスは胸を張って頷くのだった。
「なんで教会なの?」
タヌが腑に落ちない顔で尋ねると、
「そこで黒装束の女性に声をかけられたんだ。そうしたら、私の売っている野菜や果物を全部買うから、教会に運んでくれって言うんだよ」
テムスは顎を撫でながら、嬉しそうに事情を説明した。
「へぇー、そんなこともあるんだね」
タヌは呑気な返事を返し、
「すげぇ」
ラウルは素直にそれを喜んだ。
そのやりとりをギルは疑いの目で見ていた。
世の中そんな甘い話があるわけがないじゃねぇか・・・
ひねくれたギルはテムスの話を素直に受け止めなかった。
「怪しすぎる」
ギルが真顔で疑念を口にすると、テムスはギルの疑念はもっともだという風に頷いてから、なぜ黒装束の女性がテムスの商品を全部買うことになったのかについて説明した。
「私も最初は驚いたけど、その人はいつも私たちのことを見ていたって言うんだよ。タヌやラウルが一生懸命働く姿に好感を持っていたらしい。今日は教会で集会があるから、是非うちの野菜を食材に使おうと思って声をかけてくれたそうなんだ。そんな風に言ってもらえるなんて嬉しいじゃないか。それに、その教会では三つ目のドラゴンの彫り物を作ってるそうだから、それを仕入れてイスタルに帰れば一石二鳥だ」
テムスはそう言って、その女性の好意を喜んだ。
「おじさん、じゃ、片付けるね」
タヌは野菜や果物をカゴに戻し、
「それじゃ、荷物運び頑張れ」
ラウルはギルにそう声をかけてニヤリと笑う。
「ちぇっ」
ギルの背負うカゴだけ野菜や果物で一杯にして、四人は荷馬車に戻った。
荷馬車にカゴを載せると、テムスはヒシリウ川(サイノ川)を下流に向かって走らせ、指定された町外れの教会に向かった。
教会の目印は、石塀に囲まれた敷地の中にあるという黒塗りの三角錐の建物だった。
それが教会のシンボルらしい。
黒塗りの三角錐はすぐに見つかり、テムスが教会の門の前で用件を告げると、荷馬車はあっさり敷地の中へ通された。
町外れということもあり、敷地は広く、その敷地の真ん中に三角錐の黒い建物が聳え立ち、その奥に立派な教会堂の建物があった。
三角屋根の教会堂の両脇には平屋の横長の建物が建てられていて、そこが信者たちの生活の場になっているように見えた。
テムスが教会堂の入り口の前で荷馬車を止めると、タヌ、ラウル、ギルは荷台から飛び降り、荷台に置かれた野菜や果物の入ったカゴを背負った。
テムスを先頭にして入り口の扉の前で待っていると、すぐに黒装束の老婆と、その従者らしき黒装束の三人の若者が現れた。
老婆の顔には深い皺が刻まれてはいるが、肌には艶があり、その眼は活き活きとして若々しく見える。
三人の従者は長袖の筒型衣の上からでもその胸筋の盛り上がりがわかるほど、鍛え上げられた身体をしていた。
「先程はどうも」
テムスが愛想笑いを浮かべ辞儀をすると、
「わざわざここまで配達していただいて、ありがとうございます。お待ちしていましたよ」
老婆は柔らかな笑みを浮かべ、
「こちらへお願いします」
そう言うと、テムスを先導するように教会堂の中へ従者を引き連れ入っていった。
テムスはそれに付いていき、タヌ、ラウル、ギルの三人もそれに従った。
教会堂の中に入ると何もない広間になっていて、広間の奥の壁一面にドラゴンの絵が描かれていた。
黒一色の三つ目のドラゴンが翼を広げ、こちらに向かって今にも襲いかかって来そうな、そんな絵だった。
咆哮するドラゴンは、まるで生きているかのような迫力があった。
「おお・・・」
テムスは感嘆の声を漏らし、
「怖っ」
タヌは寒気を覚えた。
ラドリアにいるときにもドラゴンについて学んだことはあったし、霊兎族の教会には木彫りのドラゴンの像が飾られているので、ドラゴンの容姿について知らないわけではなかったが、これほど迫力のあるドラゴンは初めてだった。
「なんかムカつくんだけど」
ギルがそう呟くと、
「やめろ」
ラウルが小声でたしなめる。
「ここから先はこの者たちが案内します」
老婆はそう言って従者の三人に付いていくよう促した。
先頭に立つ従者が広間の左手奥の扉を開け、二人の従者が先に入っていくと、その後をテムスが追い、タヌ、ラウル、ギルもそれに続いた。
扉の先は倉庫にでもなっているのだろうか、暗くて何も見えないが、屋根が高くて広い部屋なのは間違いなかった。
従者を含め、全員が部屋の中に入ると、
バタンッ!
入口の扉は勢いよく閉じられたのだった。




