〇〇三 ラドリアの惨劇 ハウルの想い
ラドリアの街を東西に走る大通りの、中央にある広場と東大門の間に東市場がある。
街には西と南にもそれぞれ市場があり、市場ではラドリア産の山菜、根菜、葉野菜、それから果物に麦類やトルモロコシなどの穀物が売られ、さらには、ラドリア以外の各地から運ばれてくる果物や野菜なども人気商品として取り揃えているのだった。
どこの市場も賑わっていて、どこの市場もその裏には貧民街を抱えているのだった。
東市場の横の路地へ入っていくと、市場を越えた先に貧民街はあった。
市場から捨てられる生ゴミを求めてそこに集まってきた人々が作った集落だ。
市場の北側一帯にみすぼらしい掘っ立て小屋が密集して立ち並んでいて、その中の一つに、ラウルは暮らしていた。
二年前の〝献上の儀式〟前日。
「えいっ、ちくしょう、とっ、やっ、くそ、どうだ!」
薄暗い小屋の中でラウルは棒切れを振り回し、ラウルにしか見えない敵と戦っていた。
外は雨だ。
雨はしとしと降っている。
分厚い雲はゆっくりと動く。
掘っ立て小屋の戸を開けっ放しにしてその入り口に立ち、まばらな雨を顔に受けながら雲行きを窺っている銀髪の霊兎が、ラウルの父ハウルだった。
ハウルの目に映っているのはゴーゴイ山脈であり、それは低い山は二、三百メートルしかなく、高い山でも千メートルに届かない、そんな山々の連なりだった。
空を覆う厚い雲の隙間から、陽の光が山の斜面に柔らかく降り注いでいるのを見て、
明日は晴れそうだな・・・
ハウルはそんなことを思っていた。
ハウルは「ふぅーっ」と大きく静かな息を吐く。
妻のミーヤがいなくなってもう一ヶ月になる。
その十日前の夕方に教会から使者がやってきて、ミーヤが献身者に選ばれたことを告げた。
突然の出来事ではあったけれど、それはミーヤが待ち望んでいたことでもあった。
「神様、ありがとうございます」
ミーヤは献身者に選ばれたことを喜び、そんなミーヤをハウルは複雑な思いで見つめた。
献身者に選ばれたことを知らされたとき、ミーヤの顔がほんの一瞬強張ったことに気づいていたからだ。
使者は十日後に迎えに来ることを告げ帰っていった。
「ハウル、先に行って待ってるわね」
ミーヤは明るくそう言ったけれど、気掛かりがなかったわけではない。
「ラウルにもわかってもらわなくっちゃ、ね」
十日後に使者が迎えに来る日までの間、ミーヤは献身者に選ばれたことがどれだけ素晴らしいことかを、ラウルに話して聞かせた。
しかし、
「母さん、行かないで!」
ラウルはミーヤに最後まで泣きながらそう言い続けた。
それがどんなに喜ばしいことだとしても、母親のことが大好きなまだ十歳のラウルにとって、それは受け入れ難いことだった。
別れの日、泣きじゃくるラウルにミーヤは優しく言い聞かせた。
「母さんはね、神様に会いに行くのよ。だからラウルも母さんのために喜ばなくっちゃ」
ミーヤはそう言って、スカートにしがみつくラウルの頭を愛おしむように撫でるのだった。
ミーヤだって我が子との別れが辛くないわけではないのだ。
「いやだ!」
ラウルは駄々をこねた。
いつも温かく自分を包み込んでくれた母さんがいなくなるなんて耐えられないのだ。
ミーヤは屈んでラウルと目の高さを合わせると、
「ラウルがそんなに駄々をこねたら、母さんだって悲しくなるわ。ラウルは男の子でしょ。男の子は強くなくっちゃ」
そう笑顔で諭しながら、ラウルの目を強く見つめた。
その様子を見つめるハウルの表情は感情を押し殺したものだった。
目に微かな悲しみの色が見えるだけで、ハウルが何を思っているのか読み取ることはできない。
「だって、だって・・・」
神様に会うということは天国に行けるということだ。
天国は素晴らしいところで、兎人は天国に行くために生まれてきたのだ。
天国に入ること。
それが兎人の幸せだった。
だから、誰もが献身者に選ばれることを願っているし、献身者に選ばれた者は間違いなく幸せ者だった。
そして献身者を祝福して笑顔で見送ることが、残された者の取るべき態度なのだ。
ラウルにもそれはわかっている。
でも、込み上げてくる悲しみは理屈ではないのだ。
ラウルは両手をギュッと握り締め、涙を堪えようとする。
「ラウルは母さんの宝物なの。だからラウルには笑顔でいて欲しいんだ。ラウル、強くなるのよ」
そう言って、ミーヤがラウルの髪を優しく撫でると、
「わかった。俺、強くなる」
ラウルは嗚咽を堪えながら、そう声を振り絞るのだった。
「ありがとう、ラウル」
ミーヤは笑顔で頷くと、ラウルの額にキスをして立ち上がり、背後に立つハウルに振り返ってその目を見つめた。
ハウルもミーヤの目を見つめ返す。
ミーヤの深い眼差し。
その滲み出る優しさ。
ハウルの胸にも込み上げて来るものがあったが、ハウルはそれをぐっと堪えて笑顔をみせる。
「ミーヤ、俺たちはいつまでも一緒だ」
ハウルの声は爽やかだった。
「ハウル、あなたと過ごした時間は、私にとってかけがえのないものよ」
ミーヤはそう言って幸せそうに笑う。
ハウルと出会ったときのこと。
想いを募らせた日々。
ラウルが生まれたときの喜び。
共に生きた時間。
家族であることの幸せ。
ミーヤの幸せな笑顔の奥に、そんな光景が見えるような気がした。
ハウルは心からミーヤを祝福しようと思った。
「ミーヤ、俺が天国に行ったら、見つけてくれよ」
ハウルはミーヤの腕を優しく掴んで引き寄せる。
ミーヤはハウルの顔を見上げ、
「もちろんですとも。あなたも私のことちゃんと覚えているのよ」
そう茶目っ気たっぷりに言うと、その胸に顔を埋め、
「もちろんだとも」
ハウルは愛情一杯に頷いてミーヤを抱きしめた。
ミーヤもハウルの腰に回した腕に力を込め、二人は最後の抱擁を交わすのだった。
「母さん、俺も天国に行く!」
ラウルが突然大きな声を出すと、ミーヤはハウルから体を離し、しゃがんでラウルと目の高さを合わせてから、ラウルの頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「それならコンクリ様に選ばれるように強くならなきゃね」
と、ミーヤは言い、
「強くなったら選んでもらえるの?」
ラウルはそう聞き返す。
そのラウルの真剣な眼差しに、ミーヤは自信満々に頷いて、
「きっと、選んでもらえるわ」
そう答え、右手でラウルの左頬を優しく撫でるのだった。
「わかった。俺、強くなって、コンクリ様に選んでもらって、母さんに会いに行くね」
ラウルが力強く宣言すると、
「嬉しいなぁ。ラウルが母さんのこと忘れないように、これ、あげるね」
ミーヤはそう言って、胸元のポケットから刺繍入りのハンカチーフを取り出すと、それをラウルに手渡した。
ラウルはそのハンカチーフをじっと見つめ、大切そうにそっと握り締める。
ハンチカーフには〝私のこと忘れないでね〟という文字が刺繍されていた。
その文字に込められた母の想いに、ラウルの胸が震えた。
「母さんのこと忘れるわけないじゃないか・・・」
ラウルの目から思わず涙がこぼれ落ちた。
さっき泣かないって決めたばかりなのに、母の形見になるであろうハンカチーフを手にして、堪え切れなくなったのだ。
「ラウル、泣いちゃだめ」
ミーヤはにっこりと屈託のない笑顔をみせ、ラウルの頬に手を添えると、その頬を伝う涙を親指で優しく拭う。
ミーヤの笑顔はラウルに対する愛情で満ち溢れていて、ラウルはたまらない寂しさを感じるのだった。
たまらず、
「母さん、母さん!」
そう叫んでラウルはミーヤに抱きついた。
ミーヤもしっかりとラウルを抱きしめる。
抱きしめる母の腕の力に、ラウルはその愛情の深さを思い知るのだった。
その母の温もりを、ラウルが忘れることはないだろう。
そして、教会の使者がやってきて、ミーヤはこのみすぼらしい掘っ立て小屋からいなくなったのだった。
あれから一ヶ月。
ラウルはハウルに心配かけないように、気丈に振る舞っていた。
「えいっ!やぁーっ!」
ラウルが見えない敵に突きを入れたところで、ハウルは掘っ立て小屋の戸を閉め、小屋の真ん中に胡座をかいて座った。
戸を閉めたせいで部屋の中は薄暗くなったが、霊兎族の五感は優れているので、特に気になることはない。
「ラウル、こっちに来て座りなさい」
ハウルはそう言って、胡座をかいた自分の前のスペースを指差した。
ハウルの目がいつになく真剣なのに気づくと、ラウルは一人遊びをやめ、急いでハウルの前に座り、黙ってハウルの言葉を待った。
しばしの沈黙。
ハウルは静かに息を吸い、話を切り出した。
「ラウル、私はお前に術の習得方法をすべて教えたし、お前はそれを十分身につけた」
ハウルは真剣な眼差しでラウルを見て、穏やかな口調でそう告げた。
いつもは褒めることのないハウルが、自分を認める発言をしたことにラウルは驚いたが、
「そうだと思った」
と、素直にそれを喜び、悪戯っぽく胸を張ってみせるのだった。
ラウルのその無邪気さにハウルはふっと笑みを浮かべる。
「お前に教えたのは習得方法だ。術を身につけるには、これからきちんと修行を積まなければならない」
ハウルはラウルの気持ちに緩みがでないように、そこはしっかりと釘を刺す。
「ちぇっ」
ラウルは舌打ちをしてすねた顔をし、そんなラウルを温かい目で見つめ、
「しかし、習得方法がわかってさえいれば、自分の力で術を会得できるし、極めることだってできる。だから、頑張るんだぞ」
ハウルはそう言って微笑むのだった。
そのハウルの優しい物言いに、ラウルはやっぱり今日のハウルはいつもと違うと思った。
「わかってるよ」
ラウルは素直にそう返事を返す。
修行はめんどくさいけど、尊敬してやまない父ハウルに、「頑張れば極めることができる」と言われたことが、やっぱり嬉しかった。
いつもと違うハウルの様子を変だと心の片隅で思いながらも、ラウルはそれを気に留めることもなかった。
母ミーヤがいなくなってからというもの、ハウルは厳しい表情でひとり考え事をしていることが多くなったし、ラウルに対する態度も、修行のとき以外は以前より優しくなったような気がしていたから、いつもと違うハウルの様子には慣れっこになっていたのだった。
ハウルは改めて姿勢を正すと、
「今日は大切な話をするからちゃんと聞くように」
ラウルの目をしっかりと見てそう言い、ラウルが姿勢を正すのを待った。
言葉の優しさとは裏腹に、その目は怖いくらいに真剣だった。
その迫力に、
「う、うん」
ラウルは気圧され、少し顔を強張らせながら背筋を伸ばす。
「今から話すことは言い伝えだ。爬神教の教典には載っていないことだし、あくまで我が家に代々伝わるものだ。あくまで口伝の物語なので、本当にあったことかどうかはわからない」
ハウルの厳かな声がその場に二人だけの世界を創り出す。
「うん」
ラウルは真顔で頷き、ハウルが口にした〝言い伝え〟という言葉に好奇心をくすぐられ、その目を輝かせた。
—我が家に代々伝わる言い伝え。
そこには誰も知らない秘密のようなものが隠されているような気がするからだ。
ハウルはラウルの聞く準備が整ったことを確認すると、静かに話し始めた。
「遠い遠い昔の話だ。まだドラゴンが現れる前、世界がまだ自由だった頃、爬神族はフィア山の麓でひっそりと暮らしていた。神人たちはフィア山を神聖な山として崇め、ひたすら祈りの生活を送っていたと言われている。その頃の爬神族は世界を支配するような存在ではなく、ただ俗世からかけ離れた存在とみなされていた。蛮狼族は狩猟の民としてフィア山の周辺の森で、部族ごとに集落を作り、狩りをして暮らしていたし、我々霊兎族の祖先は今と同じようにゴーゴイ山脈の西側の広い地域に、ここラドリアを含めいくつかの都市を作り、ゴーゴイ山脈の東側にも今のイスタルの原型となる都市を作って穏やかに暮らしていた。ヒシリウ川から東は烏人たちが我々と同じようにいくつもの都市を作って、豊かに暮らしていたそうだ」
ハウルがそこまで言うと、ラウルは首を傾げた。
今まで教わってきたことと違うからだ。
「兎人はドラゴンの血から生まれたはずなんだけど・・・」
ラウルが困惑顔で呟くと、
「そうだな。たしかに教典にはそう書いてある」
ハウルはそう相槌を打って笑みを浮かべる。
今まで爬神教を信じて疑うことのなかったラウルには納得がいかない話だった。
ハウルが今までそういう風に息子であるラウルを育ててきたのだから、急に教典を否定するようなことを言い出すハウルに、ラウルが疑問を持つのは当然といえば当然のことだ。
「教典が嘘ついてるの?」
と、ハウルを問い詰める。
ラウルのその責めるような眼差しに、ハウルはふっと笑みを漏らし、首を横に振る。
「そんなことは言っていないぞ。私が今話していることは、あくまで言い伝えだ。だから一つの物語として聞いてくれればいい」
ハウルがそう返すと、
「そういうことか」
ラウルはそう言って納得し、ハウルに笑顔をみせた。
ハウルは話を続ける。
「遥か遠い昔、爬神族、蛮狼族、賢烏族、そして我々霊兎族は、それぞれ交わることなく、穏やかに暮らしていたということだ。そんな穏やかな世界で、ある日突然、フィア山が噴火した。この噴火がドラゴン誕生の産声だったと言われている。フィア山の麓で神に祈りを捧げ続けた神人たちの、その祈りが神へ届き、神の使いとして、フィア山の火口からドラゴンがその姿を現したと言われている」
ハウルはそこで厳しい表情になる。
ハウルのその表情の奥にある、秘めたる想いに気づかないラウルは、
「わぁ、ドラゴンかっこいい」
と、フィア山の噴煙の中からその姿を現すドラゴンを想像し、素直に感嘆の声を上げるのだった。
ハウルはラウルのその子供らしい反応に笑みを浮かべ、ラウルが落ち着くのを待ってから口を開いた。
「フィア山が噴火したその日、日が暮れたばかりの夜空は朱く染まり、すべての生き物はその光景に怒れる神の姿を見て、ただただ恐れ慄いた。遠く離れた霊兎族や賢烏族の都市でも地面が激しく揺れ、空は厚い噴煙に覆われた。建物の倒壊により多くの人命が失われ、世界は何十日も闇に閉ざされたそうだ。多くの人々がそれを神の意思だとして恐れ、それまで神の存在を気にすることなく暮らしてきた人々は、神に祈りを捧げるようになる。そんな中、突如として神の力を得た爬神族の軍隊が、蛮狼族の軍隊を引き連れ、霊兎族と賢烏族の都市に現れたのだ。霊兎族と賢烏族の人々は初めて目にする神兵たちの、その巨大で異様な姿に度肝を抜かれ、ドラゴンの姿に神の存在を見たのだ。霊兎族、賢烏族の都市は爬神軍になんら抵抗することなく降伏し、ドラゴンへの服従を誓った。こうして爬神軍は次々と霊兎族と賢烏族の都市を征服していくことになる。しかし、ここラドリアだけは、降伏することなく抵抗する道を選んだのだ」
ハウルは思い詰めた表情で、ラドリアだけが爬神軍に降伏しなかったことを伝えた。
「えっ、ラドリアは降伏しなかったの?」
ラウルは驚いて目を丸くし、
「そうだ。そのとき唯一、ここラドリアの地に暮らす者たちだけが、爬神軍に激しく抵抗したのだ」
ハウルは真顔でそう告げる。
ラドリアの霊兎たちが爬神軍に抵抗したと聞いて、ラウルは心底驚いた。
神の民である爬神族に逆らうということは、神を冒涜することだし、それは許されないことだ。地獄に落ちるということだ。爬神族に刃向かうことは、生まれたときから爬神族に忠誠を誓い、ドラゴンを崇めることを教えられてきたラウルには考えられないことだった。
これほど恐ろしいことはなかった。
「本当に爬神様と戦ったの?」
ラウルは恐る恐る確かめる。
ハウルは怯えた目をするラウルに、
「そうだ」
きっぱりと答えた。
その声は淡々としたものだった。
ラウルの怯えた瞳にメラメラとした怒りの色が見えてくる。
「爬神様に逆らうなんて信じられない。神を冒涜するなんて恥知らずだ!」
ラウルは怒りを抑えきれずに声を荒げ、ハウルはそのラウルの言葉を聞き、
「恥知らず、か・・・」
そう呟いて、その眼差しに悲しみの色を浮かべた。
「ラドリアは霊兎族にとって聖地であり、最も古い都市だから、それだけ兎人としての誇りを持っていたのだろう。たとえ相手がドラゴンだろうと、屈服することなく戦う道を選んだ者たちが、ここラドリアにはいたということだ」
ハウルは爬神族に抵抗した者たちを擁護し、
「その者たちが最後に戦った場所が、ヴィルアンの丘だと言われている」
穏やかな表情で、その最後の地を口にした。
「あのヴィルアンの丘?」
それはラウルがよく知っている丘の名前だった。
ヴィルアンの丘はラドリアの街の南東にあり、北側が崖のようになっている丘で、丘の頂上はラドリアの街が見下ろせる見晴らしのいい原っぱになっている。
その丘は街のどこからでも眺めることができ、由来は定かではないが、ラドリアの人達はそこを神聖な場所とみなしていた。
そのため丘の周りには、教会に収める祭祀用の装飾品や武具などを扱う店、それらを作る作業場や職人たちの住宅が立ち並んでいるのだった。
「そうだ」
ハウルが真顔で頷くと、
「あそこでみんな死んだの?」
ラウルは驚き、目を見開いてそれを尋ねる。
ラウルは今までただの丘としか思っていなかったヴィルアンの丘で、そんなことがあったなんて信じられなかった。
「みんなではないが、多くの者たちがヴィルアンの丘で命を落としたと言われている。その者たちは爬神軍に最後まで抵抗し続けたが、追い詰められ、霊兎族にとって神聖な場所とされているヴィルアンの丘を最期の地として戦ったのだ」
ハウルは淡々と答える。
しかしその眼差しは、悲しみを帯びたものだった。
「ふーん。結局、天罰をくらったんだね。神様に逆らって勝てると思ったのなら、ほんとバカだね」
ラウルはそう言って爬神軍に抵抗した霊兎たちを蔑んだ。
「そうだ。バカな霊兎たちだ。彼らラドリアの戦士たちは、霊兎族の誇りのために、自由のために、そんなことのために街を戦場にし、そのために多くの命が失われたのだ」
ハウルは苦虫を噛み潰したような苦渋の表情を浮かべ、ラウルの言葉に同意した。
「ひどい話だよね」
ラウルが呆れ顔でそう言うと、ハウルはラドリアの戦士たちの戦いぶりを伝えた。
「爬神軍が最初にラドリアに現れたとき、爬神軍はまさか抵抗されるとは思わず、ドラゴンを連れて来ていなかった。降伏した都市はすべて、爬神軍を目にしただけで戦意を喪失したからだ。それが幸いし、ラドリアの戦士たちは爬神軍を一度は撃退した。霊兎の俊敏さに爬神はついていけなかったからだ。もちろん俊敏さだけでは、あの神兵の圧倒的な力と互角に戦うのは難しい。しかし、彼らはラドリアの戦士として、その誇りを胸に死に物狂いで戦ったのだ。多くの犠牲を出しながらも、彼らラドリアの戦士たちは、一度は爬神軍を撃退することに成功したのだ」
そこでハウルは一息入れ、ラウルの表情を窺った。
—ラドリアの戦士たちが爬神軍を撃退した。
それはラウルにとって衝撃だった。
「うそっ」
ラウルは驚いて口をぽかんと開ける。
献上の儀式で見上げたことのある神兵の、あの恐ろしくも威厳のある姿。
あの神兵たちを撃退したということが、ラウルには信じられなかった。
「撃退された爬神軍は他の都市に散らばっていた部隊をラドリアに集結させ、ドラゴンを連れて再び現れた。そのときラドリアの住民の中に、ラドリアの戦士たちを支持し、一緒に戦おうとした者たちが多くいたため、それを守る戦士たちも死に物狂いぐるいだった。だからその戦いは凄まじいものになったようだ。ドラゴンの吐く火炎によって街は火の海と化し、さらに爬神軍は数の力で容赦ない殺戮を行ったという。そして、ラドリアの戦士たちの必死の抵抗も虚しく、ラドリアは爬神軍によって制圧されたのだ。残っていた住民は炎に焼かれ、神兵や蛮兵に無惨に食べられる者も多くいた。最後まで抵抗したラドリアの戦士たちもほとんどが殺された。その後、爬神族への服従を誓う儀式が行われ、ヴィルアンの丘での戦いで生き残ったラドリアの戦士たちは、同じ兎人の手によって裁かれたと言われている」
そこまで語ってハウルは静かに息を吐く。
その表情はどこか、ラドリアの戦士たちを哀れんでいるようにも見える。
「うわっ」
ラウルは凄惨な光景を想像して顔をしかめ、その大袈裟なラウルの反応にハウルは目を細め、
「そんなラドリアの戦士たちが最後に力尽きた場所が、ヴィルアンの丘というわけだ」
そう言って話を締め括った。
「なんてバカな霊兎たちなんだろうね。信じられないよ。ドラゴンと戦うなんて神様に逆らうことだし、それでたくさんの人が死んだんだから、本当にひどいよね。俺ならそんなバカなことはしないな」
ラウルは怒り、ラドリアの戦士たちを強い口調で非難した。
「ラウルなら抵抗しないで屈服するのかな?」
ハウルがそう尋ねラウルの顔を覗き込むと、
「神様に抵抗するなんて罰当たりだ。俺なら喜んで従うよ。爬神族に忠誠を誓えば、みんな天国に行けるんだし」
と、ラウルは迷いのない眼差しで力強く答えるのだった。
そんなラウルの潔さにハウルは笑顔になる。
「そうだな」
ハウルは相槌を打つと、
「でもな、残念なことに、そのバカな霊兎の血が、お前にも流れているんだよ」
そうさらりと告げる。
「えっ」
ラウルは目を丸くして驚いた。