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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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〇三六 狂人の子


 あれから五年の月日が流れているというのに、ドラゴンに落ち着きがなく、何かに(おび)えて気が荒ぶっているのを、ミザイ・ゴ・ミザイは感じるのだった。


「奉仕者たちからそういう報告は受けてはいませんが」


 ステラ・ゴ・ステラが把握している状況を伝えると、


「それはこの水晶から伝わってくるものだ。見た目にはわからないだろう」


 ミザイ・ゴ・ミザイは不機嫌に応える。


「なるほど。確かにそれは不吉です」


 ラギラ・ゴ・ラギラはそう言ってミザイ・ゴ・ミザイの懸念に納得した。


 ゴリキ・ド・ゴリキは爬神官たちの会話を聞きながら真顔で宙を睨んでいる。


 その目が睨むのは、あの日の二人の狂人の姿だった。


「ゴリキ・ド・ゴリキよ、お前はあの日、あの場所で、二人の狂人を目の当たりにし、殺した男だ。その子らが逃亡していることについて、お前は何も感じないのか」


 ミザイ・ゴ・ミザイが問いかけると、その重々しく低い声がゴリキ・ド・ゴリキを緊張させた。


 ゴリキ・ド・ゴリキは顔を上げ、ミザイ・ゴ・ミザイの背中に向かって答える。


「逃げた二人は我が兵を何人も斬り殺した気狂いの子供です。神に背いた霊兎の血を引く者は、いずれ必ずや、父親と同じように我々に剣を抜くことになるでしょう」


 ゴリキ・ド・ゴリキはあのとき見た二人の狂人の子供なら、間違いなく爬神族に刃を向けるだろうと思った。


 それが神に背いた霊兎の血なのだ。所詮、気狂いの子供は気狂いなのだ。しかし、たとえ狂人の子供たちが刃を向けたところで、それは爬神族にとって痛くも痒くもないことだ。


 ゴリキ・ド・ゴリキはまったく狂人の子供たちを恐れていなかった。


 ミザイ・ゴ・ミザイは静かにゴリキ・ド・ゴリキに振り返り、厳しい眼差しで睨みつけた。


 狂人の子供たちがいずれ父親を真似て爬神族へ剣を抜くと予見しながら、その危機感を感じさせないゴリキ・ド・ゴリキの態度に苛立ちを覚えたのだ。


 ゴリキ・ド・ゴリキは突然振り返ったミザイ・ゴ・ミザイの、その鋭い眼差しに顔を強張らせた。


 ミザイ・ゴ・ミザイは顔を引きつらせるゴリキ・ド・ゴリキを睨みつけ、苛立ちを言葉にしてぶつけた。


「狂人の子らがいずれ我々に剣を抜くと予見しておきながら、よくそんな危機感のない態度でいられるものだ」


 その言葉を聞いて、ゴリキ・ド・ゴリキは誤解を解かねばならないと思った。


「気狂いの子供はいずれ我々に剣を抜くでしょう。しかし、だからと言ってそれが我々の脅威(きょうい)になることはございません。我々に刃向かう者は皆殺しにするだけです。あの二人の狂人に斬り殺された我が兵は、あくまで我々が油断していたために殺害されたに過ぎません。もし我が兵が油断さえしていなければ、一人も殺されることはなかったはずです。我々に気の緩みがなければ、我々にとって霊兎なぞ脅威になり得ないのです。何が起ころうとも、我々に刃向かう者は力でねじ伏せてみせます」


 ゴリキ・ド・ゴリキはきっぱりとそう言い切った。


 その目には一点の曇りもなかった。


 ミザイ・ゴ・ミザイはじっとゴリキ・ド・ゴリキを見つめ、


「それがおまえの考えか」


 そう言って真顔の表情を変えない。


「はい」


 ゴリキ・ド・ゴリキは迷いなくそう応える。


 ゴリキ・ド・ゴリキの余裕の態度は危機感がないのではなく、まったく霊兎族を相手にしていない強さの現れだった。


 何が起ころうとも、それを力でねじ伏せると断言したゴリキ・ド・ゴリキの態度は、まさに最高爬武官に相応しいものだった。


 それがわかってもなお、ミザイ・ゴ・ミザイは厳しい表情を崩さなかった。


 そんなミザイ・ゴ・ミザイに向かって、


「私も、逃げた二人を我々が気にすることはないと思います。たしかに気狂いの子供は何をするかわかりませんが、それでも、たかが霊兎のすることです。我々にとっては痛くも痒くもありません。まさにゴリキ・ド・ゴリキの言う通りです」


 ラギラ・ゴ・ラギラはそう発言し、自信の笑みを浮かべた。


 一方、ステラ・ゴ・ステラはドラゴンが怯えているということを忘れていなかった。


「しかし、このまま逃亡した気狂いの子供たちが見つからなければ・・・」


 ステラ・ゴ・ステラが懸念を伝えようとすると、それを(さえぎ)るようにゴリキ・ド・ゴリキが口を挟んだ。


「たとえ逃亡した気狂いの子供たちが見つからなくても、何も心配することはございません。隠れてできることにも限界があるでしょう。我々は彼らが姿を現すのを待っていれば良いのです」


 ゴリキ・ド・ゴリキはステラ・ゴ・ステラに向かってそう言い、それから、ミザイ・ゴ・ミザイに視線を移し、その目を真っ直ぐに見つめた。


 ミザイ・ゴ・ミザイが目を合わせると、


「ミザイ・ゴ・ミザイ様、気狂いの子供が逃亡してから、はや五年の歳月が経ちました。先程もお伝えしたように、彼らの容姿もかなり変わっていると思われ、発見するのは極めて難しい状況です。これ以上、二人の捜索に時間を掛けるのは時間の無駄(むだ)だと思うのですが、いかがでしょうか」


 ゴリキ・ド・ゴリキはそう言って、捜索の打ち切りを進言した。


「時間の無駄か・・・」


 ミザイ・ゴ・ミザイは険しい表情でそう呟き、黙り込んだ。


 そしてしばらくの沈黙の後、


「たしかに、五年探しても見つからなかったのは事実だ。お前の言うように、彼らが姿を現すのを待つというのも、わからないでもない」


 ミザイ・ゴ・ミザイはそう言って、ゴリキ・ド・ゴリキの考えに理解を示した。


「ご理解いただき、感謝いたします」


 ゴリキ・ド・ゴリキが深々と頭を下げると、


「しかし、水晶に現れる不吉な印と、ドラゴンの本能を軽く見てはいけない。取るに足りない小さな火でも、放っておくとやがて大火となる。現れた一つの火を消すことは難しくなくても、火種がいたるところに広がっていたらどうなるだろうか。火が起こるとき、その無数にある炎を消すことは不可能だ。やがてそれは燃え広がり、我々を焼き尽くすことになるだろう。私が懸念しているのはそこなのだ。狂人の子らが災いをもたらすことがないように、我々は先手を打っておかなければならない」


 ミザイ・ゴ・ミザイはそう告げ、鋭くゴリキ・ド・ゴリキを見つめた。


 ミザイ・ゴ・ミザイがそう言うということは、ゴリキ・ド・ゴリキに何か手を打てと命じているということだ。


 しかし、ゴリキ・ド・ゴリキにはミザイ・ゴ・ミザイが何を求めているのか理解できなかった。 


「と、いいますと?」


 ゴリキ・ド・ゴリキは首を傾げる。


 ミザイ・ゴ・ミザイは馬鹿なゴリキ・ド・ゴリキを不機嫌に睨みつけ、その苛つきを抑えた声でやるべき事を伝えた。


「たとえ狂人の子らが火を付けようとしても、それが霊兎族全体に広がらないようにする必要があるということだ。つまり、我々爬神族に対して、逆らうことを考えただけで震え上がってしまうほどの恐怖心を、兎人たちの心に植え付けるのだ。そうすれば火が広がることはないし、火種も消えてしまうだろう。恐怖によって人々の心を凍らせてしまえば、狂人の子らが何をしようと、その心に火が付くことはない」


 ミザイ・ゴ・ミザイはそう言って卑しい笑みを浮かべた。


 その冷たい目に映るのは、霊兎族にとって残酷な未来だった。


 ミザイ・ゴ・ミザイのその言葉にゴリキ・ド・ゴリキは喜んだ。


—霊兎族に恐怖心を植え付ける。


 これほどやり甲斐のある仕事が他にあるだろうか。


「理解いたしました」


 ゴリキ・ド・ゴリキは喜びを押し殺し、神妙な顔をしてそう応える。


「できるか」


 ミザイ・ゴ・ミザイが問うと、


「はい。私のやり方で構わないのでしたら」


 ゴリキ・ド・ゴリキはそう答えてニヤリと笑う。


「お前の好きにするがいい」


 ミザイ・ゴ・ミザイはそう言って満足の笑みを浮かべ、


「兎人どもは地獄を見るでしょう」


 ゴリキ・ド・ゴリキは感謝の気持ちを込めて深々と頭を下げるのだった。


「この世界は力がすべてだ。力の前にすべての生きとし生けるものはひれ伏すがいい。力のないものは力に服従し、虐げられ、そして死んでゆけばいいのだ。力のないものに生きる価値などない。神の創造したこの世界において、弱肉強食がすべての摂理なのだ。それがドラゴンによって支配されたこの世界の真理なのだ」


 ミザイ・ゴ・ミザイは爬神教の真髄を高らかに語る。


「ならばこの際、霊兎族だけでなく、賢烏族にも同じ恐怖を与え、我が爬神族による支配を盤石のものにするというのはいかがでしょうか」


 ゴリキ・ド・ゴリキが残酷な笑みを浮かべてそれを提案すると、


「妙案だ。そうするがいい」


 ミザイ・ゴ・ミザイはそれを喜んだ。


「ありがとうございます」


 ゴリキ・ド・ゴリキは感謝の言葉を述べると、片膝をついた姿勢から立ち上がり、


「この五年、逃げた霊兎を見つけられなかった監視団を厳しく叱責し、私が手を下すまでの間、今いちど兎人たちの監視を強化するよう強く命じておきます」


 そう言って深く辞儀をし、去っていった。


 このやりとりを見ていたステラ・ゴ・ステラは戦慄を覚えた。


 この世界は力によって支配される。


 ミザイ・ゴ・ミザイとゴリキ・ド・ゴリキのやりとりは従来の爬神教の教えに従ったものであり、蛮狼(ばんろう)族、霊兎族、賢烏族、すべての人種族に徹底して刷り込まれた思考体系ではある。


 その教えが行き届いているからこそ、爬神族の支配の元に、世界の平和が保たれていることは間違いない。


 しかし、ミザイ・ゴ・ミザイがゴリキ・ド・ゴリキに命じたことは一線を越えているような気がしてならなかった。


 今のこの保たれた秩序を破壊してしまう恐れがあるのではないか・・・


 ステラ・ゴ・ステラはそういった懸念を持ったのである。


「ゴリキ・ド・ゴリキにあのような指示を出すと、理由もなく、霊兎族、そして賢烏族に対し、虐殺行為を行う可能性があります」


 ステラ・ゴ・ステラは冷静に自分の持つ懸念を伝えた。


 ミザイ・ゴ・ミザイはふんっとそれを鼻で笑い、


「ステラ・ゴ・ステラよ、なぜ理由が必要なのだ」


 そう吐き捨て、ステラ・ゴ・ステラを睨みつける。


 ステラ・ゴ・ステラはミザイ・ゴ・ミザイの鋭い眼差しに気圧されながらも、


「行為を正当化するためです」


 と、しっかりとした口調で答え、


「なぜ正当化する必要があるのだ?」


 ミザイ・ゴ・ミザイが首を傾げると、


「それは秩序を維持するためです」


 怯むことなく、そうきっぱりと言い切った。


 相手に不利益なことをしかけるときは、そのきっかけとして、必ずその理由が必要になる。


 それがステラ・ゴ・ステラの考えだった。


 行動の背後にあるもの、それが秩序を形成するものに他ならないと思うからだ。


 その行動が正当化されなければ、秩序は維持できない。


 その自分の考えに何か間違いでもあるのだろうか。


 ミザイ・ゴ・ミザイはふんっと鼻で笑うと、ステラ・ゴ・ステラに向かって手を払うような仕草をみせ、


「七年前、あの狂った霊兎が起こした騒動によって、お前の信じるその秩序に(ほころ)びができてしまったのだ。絶対的な存在である我が神兵たちが、大勢の兎人たちの見守る中で、たった二人の霊兎によって何人も斬り殺されたのだ。その出来事が、兎人たちの心の奥底にある邪悪な心に火をつけたかも知れないのだ。いや、もうその火は広がっているのかも知れない。水晶に現れた不吉な影が意味しているのはまさにそれだ。我々は七年前にできたその秩序の綻びを、(つくろ)わなければならないのだ。その綻びを(つくろ)う糸が、我が爬神族に対する恐怖心なのだ。愚かな兎人どもの邪悪な心が目覚めることがないように、本能が震えるほどの恐怖心を植え付けなければならないのだ。目覚めつつある邪悪なものを殺さなければならないのだ。邪悪な心を震え上がらせることを、いちいち正当化する必要があるだろうか。悪を滅ぼすことに理由が必要だろうか。その行為をいちいち我々が正当化する意味はなんだ。ステラ・ゴ・ステラよ、答えてみよ」


 と、ステラ・ゴ・ステラに厳しく問うのだった。


 その厳しさに、


「それは・・・」


 ステラ・ゴ・ステラは口ごもってしまう。


「力のない者ほど理由を必要とするのである。理由を並べ立てるのは、そこに恐れがあるからだ。我々が何を恐れると言うのだ。圧倒的な力の前に理由など必要ない。我々が他の人種族を虐殺するのに理由はいらないし、彼らは震えるほどの惨状を目の当たりにして、我が爬神族の圧倒的な力に恐れ慄き、永遠にひれ伏すことになるのだ。秩序を正当化するのは、その理由ではない。相手をねじ伏せる力なのだ。それを間違えてはいけない」


 ミザイ・ゴ・ミザイは厳しい口調でステラ・ゴ・ステラの下らない秩序論を切り捨てた。


 その的を射た言葉に、ステラ・ゴ・ステラは納得するしかなかった。


「私の考えが浅はかでした」


 ステラ・ゴ・ステラは自らの愚かさを恥じてその顔を引きつらせ、ミザイ・ゴ・ミザイに深く頭を下げるのだった。


 ミザイ・ゴ・ミザイはステラ・ゴ・ステラのその態度を受け入れて表情を柔らかくすると、祭壇に向き直り、松明の炎を映す水晶を見つめた。


 そして、


「虐殺される者たちへはひと言、『お前たちは罪を犯した』とだけ言えばいい。それだけ言えば、殺される理由は殺される者が自ら考えるだろう。我々に理由は必要ない」


 そうポツリと呟くのだった。


—お前たちは罪を犯した。


 その言葉が、理由を必要とする者に理由を与える。


 ステラ・ゴ・ステラとラギラ・ゴ・ラギラは壇上のミザイ・ゴ・ミザイを見上げ、ただ感服するばかりだった。


「必要とあらば、ドラゴンの力をみせつけるのも良いだろう」


 ミザイ・ゴ・ミザイが深刻な面持ちでそう告げると、


「お、おお・・・」


 二人の祈祷爬神官は驚きを隠せない表情でミザイ・ゴ・ミザイを見つめるのだった。


 神の使いであるドラゴンが神聖なるフィア山の周りから離れることは、まったくもって想像できないことだった。そして、ひとたびドラゴンによる殺戮が始まれば、かつて類を見ないほどの規模になるはずだ。


 ミザイ・ゴ・ミザイ、恐るべし。


 ミザイ・ゴ・ミザイは水晶に向かって両の手のひらを翳すと、静かに目を閉じ、ボソボソと声にならない声で神に捧げる言葉を囁いてから、水晶に(かざ)していた手を下ろし、祈りの姿勢でマントラを唱え始めた。


 ムオーーーーン、オーーーーム、オーーーードゥ・・・


 ・・・


 すぐに、ステラ・ゴ・ステラとラギラ・ゴ・ラギラ、二人の祈祷爬神官も祭壇に向かって目を閉じ、眉間の上の辺りを右手の人差指で押さえるようにしてマントラを唱え始めるのだった。


 ムオーーーーン、オーーーーム、オーーーードゥ・・・


 ・・・


 ムオーーーーン、オーーーーム、オーーーードゥ・・・


 ・・・


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