〇三五 リザド・シ・リザド
「ま、待ってください。私はまだ働けます!」
顔に深い皺を刻んだ奉仕者の男が、家の前で神兵に命乞いをしている。
神兵はそのくすんだ金色の瞳で男を見下ろし、細長い舌をにょろっとみせてから、
「お前は食べて良いと許可をもらっている」
そう言い放つのだった。
次の瞬間、神兵は男を鷲掴みにし、
「ヒッ」
恐怖に震える奉仕者に舌舐めずりをすると、
ガブッ!
頭からかぶりつき、そして、その頭部を食い千切る。
「ギャッ!」
男の断末魔の叫びは、ほんの一瞬だった。
男の首の付け根から血がばっと吹き出し神兵の顔にかかると、神兵は男の頭部をゆっくりと咀嚼しながら、顔にかかった温かな血のぬくもりにニヤリと笑みを浮かべる。
バキッ!・ボキボキ・バキッ!・・・
神兵は男の頭蓋骨を噛み砕き、味わうように飲み込むと、手の甲で口元を拭った。
「味はまぁまぁだな」
そう言うと、神兵は男の胴体を握ったまま、その場から去っていった。
リザド・シ・リザドはフィア山の麓にあり、神人たちが住む唯一の都市だ。
リザド・シ・リザドは爬神族の都市ということもあり、一つひとつの建造物が巨大であることはもちろんのことなのだが、その緻密な造りと細かな装飾技術の美しさは、爬神族の気高さを表し、見る者を圧倒するものだった。
そしてそのすべての建造物が、賢烏族の奉仕者たちの手よって造られたものだった。
リザド・シ・リザドでは社会基盤の整備は勿論のこと、衣食住、すべてのことを奉仕者たちが奉仕活動として行っているのだった。
もともと神人たちは洞穴に暮らし、神に祈りを捧げるだけの原始的な生活を営んでいた人種族だけに、奉仕者が建設する荘厳な建造物について特に興味もなく、その装飾について指示を出したこともなかった。
神人たちが重視するのは実用性だけだった。
リザド・シ・リザドの荘厳さはあくまで奉仕者たちによる、神への尊崇の念を表すためのものだった。
リザド・シ・リザドにいる奉仕者たちは結婚を許され、子供をつくることも許されている。
一見、人間らしい生活を営むことを許されているようにも見えるが、実際は爬神族のために酷使され、使えなくなると神兵たちの食料にされる運命にあった。
それでも、奉仕者たちが爬神族に対する忠誠心を失うことはない。
神民である爬神族に尽くすことで天国に入ることを夢見ているからである。
そんな爬神族の頂点に立つのが、爬神教の最高爬神官であるミザイ・ゴ・ミザイだった。
ミザイ・ゴ・ミザイはドラゴンと意志を通じ、特別な杖を使ってドラゴンを操ることができる唯一の存在だった。
ミザイ・ゴ・ミザイをはじめとする高位爬神官たちが暮らす神殿は、フィア山の中腹にある。
そこにはドラゴンが棲む大きな洞窟があった。
洞窟の奥には湧き水が潤沢に湧いていて、大きな地底湖ができていた。
ちなみにこの地底湖の湧水こそ、〝生命の水〟と呼ばれ、献身者となる霊兎を清めるために使われる神聖な水だった。
その地底湖の真ん中に岩でゴツゴツとした島があり、その島がドラゴンの棲み家だった。
ドラゴンは左右の目以外に、眉間にもう一つの目を持つ三つ目のドラゴンで、その赤銅色に光る三つの目は不気味でしかない。
ドラゴンは大きな翼を持ち、黒錆色の鋼のような硬い鱗に全身を守られ、樽のようなどっしりとした胴体からは鞭のような鋭い尻尾が伸びていて、長く太い首に支えられた頭部には二本の角が生え、鋭い牙がその獰猛さを表していた。
そしてその体を支える後肢は太く長い指と鋭く尖った爪を持ち、前肢は後肢と比べるとひ弱ではあるが、細長い指と鋭い爪には標的を仕留めるための殺傷力があった。
頭から尻尾の先までの長さが四十数メートル、翼を広げた全幅が三十メートル超もあり、攻撃するときには口から火炎を放射し、また鞭のような鋭い尻尾はすべてを引き裂く力があった。
このドラゴンこそ、すべての人種族が恐れ慄き、崇める存在だった。
神殿の裏に、ドラゴンが出入りする洞窟の入り口があり、それとは別に、神殿の地下からドラゴンが棲む地底湖までの通路が作られていて、数日に一度、献上の儀式で捧げられた献身者が一人、ドラゴンの餌として与えられるのである。
爬神族の祈りによって生まれたドラゴンは、献身者を数日に一人しか食べない。
ドラゴンは兎人に備わっている霊力を餌にしているため、霊力が高められている献身者ならそれで十分だった。
兎人には生まれつき他の人種族にはない霊力が備わっているとされ、兎人がドラゴンの血から創られたとされる所以もそこにあるが、献上の儀式によって捧げられた霊兎は生命の水で清められ、最高兎神官コンクリによってさらに特別な魔法がかけられているのだった。
ムオーーーーン、オーーーーム、オーーーードゥ・・・
フィア山の中腹にある神殿の祈祷室で神への祈りが捧げられていた。
薄暗い部屋では松明が焚かれ、三人の爬神官が神を礼賛するマントラを唱えているのだった。
部屋の奥に設置された美しい祭壇の前に、一枚布をゆったりと体に巻き付けた純白の肌色をした爬神官が立っていて、その純白の肌色こそ、最高爬神官にしてすべての人種族の頂点に立つ、ミザイ・ゴ・ミザイ、その人であることを示していた。
祭壇の両脇、一段低い場所に立つ爬神官二人は、ミザイ・ゴ・ミザイと共にマントラを唱える祈祷爬神官で、黄白色の肌をしているのだった。
祭壇に向かって左側に立つ祈祷神官の名をラギラ・ゴ・ラギラと言い、右側に立つ祈祷神官の名をステラ・ゴ・ステラと言う。
ムオーーーーン、オーーーーム、オーーーードゥ・・・
厳粛な空気の中、マントラは唱え続けられる。
そこに赤色(正確には赤黒色)の肌を持つ爬武官が入ってきて、祭壇から少し離れたところで片膝をついて頭を垂れ、ミザイ・ゴ・ミザイが気づくのを待った。(その赤色の肌は彼が最高爬武官であることを示している)
しばらくするとマントラの詠唱がやみ、祭壇の両脇に立つラギラ・ゴ・ラギラとステラ・ゴ・ステラが赤の爬神に振り返る。
ミザイ・ゴ・ミザイは祭壇に置かれた水晶を鋭い眼差しで睨みながら、爬武官に振り返ることなく、
「報告を聞こう」
そう言って爬武官に発言を促した。
爬武官は顔を上げ、ミザイ・ゴ・ミザイの背中に向かって神妙な面持ちで報告を始めた。
「今のところ、賢烏族、霊兎族、どちらにも不穏な動きはございません」
報告している爬武官はゴリキ・ド・ゴリキという名で、彼は七年前、ラドリアで起こった献上の儀式における騒動の際に、二人の狂人を惨殺した濃緑色の爬武官だった。
ゴリキ・ド・ゴリキは二人の狂人を始末したその功績により、今では最高爬武官にまで昇り詰めていた。
爬神族の兵士はもともと冷酷非道であり、血も涙もない。
その中でトップに立つということは、それだけ恐ろしい男ということになる。
「そうか・・・」
ミザイ・ゴ・ミザイはそう呟いて表情を曇らせた。
「賢烏、霊兎、両人種族のことは、特にご心配される必要はないかと思います」
ゴリキ・ド・ゴリキがそう言うと、
「しかし、五年前にラドリアから逃げ出した霊兎はまだ見つかっていない」
ミザイ・ゴ・ミザイは厳しい顔つきでそう言い、水晶に映るロウソクの炎を見つめる。
「その二人の霊兎については、残念ながらその手がかりすら見つかっておりません」
ゴリキ・ド・ゴリキはそう応え、申し訳なさそうに俯いた。
「逃げ出した霊兎は、あの二人の狂人の子供だ」
ミザイ・ゴ・ミザイの目が鋭く光る。
「はい」
ゴリキ・ド・ゴリキは低い声でポツリと相槌を打つ。
狂人の子供が逃亡したと聞いたとき、ゴリキ・ド・ゴリキは驚いた。
ゴリキ・ド・ゴリキは自らの手によって惨殺した二人の霊兎に子供がいたことを知らなかった。
だからその知らせを聞いたとき、突然あの二人の亡霊が目の前に現れたような気がして、嫌な気持ちになったのだった。
「ちゃんと探しているのか」
祭壇の右側に立つステラ・ゴ・ステラが不満そうにゴリキ・ド・ゴリキを責めると、
「はい。監視団からの報告では、逃亡直後から、霊兎族のすべての都市において、護衛隊と協力して捜索し、今でも目を光らせているとのことです。しかし今のところ、逃亡した二人は生きているのか死んでいるのかさえわかっていません。あれから五年が経っていることもあり、容姿も大分変わっていると考えられ、見つけることが日々困難な状況になっています」
ゴリキ・ド・ゴリキは恐る恐る現状を伝えた。
「逃げた二人は間違いなく生きている」
そう告げ、ミザイ・ゴ・ミザイは水晶に手を翳す。
祭壇の左側に立つラギラ・ゴ・ラギラはふと疑問に思った。
なぜ、ミザイ・ゴ・ミザイ様ともあろうお方が、狂人の子供たった二人を気にするのかと。
「ミザイ・ゴ・ミザイ様、たかが霊兎、しかも気狂いの子供です。生きていようが死んでいようが、どうでも良いような気がするのですが」
ラギラ・ゴ・ラギラは壇上のミザイ・ゴ・ミザイに率直に疑問をぶつけた。
ラギラ・ゴ・ラギラに限らず、この場にいるステラ・ゴ・ステラ、ゴリキ・ド・ゴリキにとっても、たかが二人の霊兎が逃げたところで、何か爬神族に対して影響があるとは思えなかった。
「気になることがあるのだ」
ミザイ・ゴ・ミザイはそう答え、厳しい表情を変えない。
「気になること・・・ですか」
ラギラ・ゴ・ラギラが怪訝な表情でミザイ・ゴ・ミザイを見つめると、
「あの狂人の子らがラドリアから消えてからというもの、ドラゴンの様子がおかしいのだ」
ミザイ・ゴ・ミザイは重々しい口調でそう告げた。




